ゆらゆらと揺れる火を囲んで、僕とユウキは地面に腰を下ろしていた。
燃やしているのは携帯固形燃料だ。周囲に燃えそうなものがないときに重宝するこのアイテムは、使い切りだけどとても高い耐久値を持っていて一晩は明かりを持ってくれる。
あの決死の逃亡から数時間。このまま次の階層に進むのはいくらなんでも無謀すぎる。僕たちは一度ここで休息をとることにした。
次の階層へと続く階段があるこの小部屋は安全エリアとなっていて、エネミーは入ることができない。狭すぎず広すぎず、休むのに適した場所だった。
「えへへ、すっかり慣れちゃったね。こんな風に過ごすの」
「……うん」
今は二人そろって寝袋に足を突っ込んで座っている状態だ。初日は戸惑った野外での寝泊まりも少しづつ慣れてきた感じがする。
窓がないので外の様子を窺い知ることはできないけど、視界端にあるデジタル時計を見るに空はきっと満天の星空なんだろうなと思う。
「ねえ、ユウキ。さっきのことなんだけどさ……心配かけて、ごめん」
「……ん」
「……あと、助けてくれて……ありがとう」
ちら、とユウキの顔を見る。ゆらゆらと揺れる火が彼女の瞳に反射していた。ユウキはそんな僕の目線に気付いたんだろう。僕と目を合わせて微笑んだ。
「いいんだよリオルナ。ボクもびっくりはしたけどさ? リオルナが無事だったから何も気にしてないよー」
ユウキは僕を咎めたりはしないだろうなと、僕はそう思っていた。彼女はとても優しいから。
救われたと思う。それだけのことをしたと分かっていても責められるのは辛かった。ユウキの気遣いに僕は助けられている。
でも、赦されたことに甘えてる自分には本当に嫌気がさした。
「リオルナ。話せることだけでいい。ボクに教えて? あのときのこと。思い出したくないかもだけど……」
少しの間を置いて、ユウキは僕に戸惑いがちに言った。
僕はそれに答えることを厭わない。この数時間の間、ただぼうっとしていたわけじゃない。そしてあのとき僕は何も考えていなかったわけではないから。
「――いやな夢を見てる気分だったよ」
寝袋ごと膝を抱えて、独り言のように呟く。彼女に聞こえるくらいの声で。
「ユウキはあのときの僕を見てどう思った?」
「んー……すごく強気になってるなって。戦い方もそうだし、喋り方もいつもと違った」
思いつくことはいくつもあるはずだ。あのときの僕は文字通り別人のように映っただろう。
でも、と彼女は付け加える。まだ気になったことがあるみたいだ。
「何かを怖がってるって感じだった。怖いのを勢いで乗り切ろうとしてるみたいな……リオルナの顔を見てそう思ったんだ」
どうかな? といった感じでユウキは僕を見つめる。「ボクがリオルナを連れ出そうって決めたのは、そのことに気付いたからなんだよね」という言葉を添えて。
確信も含まれているのだろうその疑念は、やはり的確に的を射ていた。
「やっぱり見抜かれてたか。ユウキの言う通りさ」
肯定の言葉を返しながら僕はイメージをかたちにしていく。さて、どう説明したものだろう。
「……あれもまた僕なんだ。変なこと言ってると思うけど、僕があんな風になろうと自分で思ってなっちゃったんだから当たり前だね」
「でもリオルナはあれから抜け出せなくなってるように見えたよ?」
「うん。実際ユウキが助けてくれなかったら僕はずっとああなったままだったと思う。……回復することさえできずに」
その言葉にユウキは小さく身体を縮こまらせた。その口から震え混じりの吐息が漏れる。
「……怖かったんだ。自分が負けるってことが。だからHP残量が気になっても目の前の敵から目を放せなかった。とにかく持てる力を全部あいつを斃すためだけに注ぐことしかできなくなってた……」
それだよリオルナ。 俯きがちに僕を見ていたユウキはそう言ってぱっと顔を上げた。
「あいつってなに? あのときにも何回も言ってたよね。リオルナが怖がっていたのは……その『あいつ』なの?」
彼女の問いかけで僕は今までそのことを全くと言っていいほど話していなかったことに初めて気づいた。僕たちが出会った日以降、無意識のうちに話題に出すことさえも封じ込めてしまっていたらしい。
「ログインしようとしたときに出てきた自分そっくりなアバターのことだよ。……情けないことにトラウマになっちゃってるみたいだ」
「でも、リオルナも僕と同じであれには勝ったんでしょ? それがどうして……」
そこまで言いかけて、ユウキははっと口をつぐんだ。自分の場合とは状況が違ったことを察してくれたみたいだ。
「うん。僕は確かにあいつとの決闘に勝ったよ。……ほんとうに、ぎりぎりの戦いだった」
僕はここで、森で目覚めたとき以来封じ込めていたあのときのことを思い出す。自らの意志でこの記憶を呼び出したことは今まで一度もなかった。
忘れようと思っても忘れることなどできそうにない、あの綺麗で冷酷なデータの海での出来事を。
「最初はそこそこ戦えてたんだ。僕はALOでも両手剣を使ってたからね。咄嗟のことにも一応は対応できた……でも、僕が一度被弾してしまってからはもう一方的だったよ」
そのことは今でも鮮明に覚えて云々の話は、この会話においては不必要だと思ったからざっくりまとめた。とにかく僕とあいつの均衡は僕の被弾によって崩れたんだ。
「そこまでははっきり思い出せるんだけど……情けないけど、あの斬撃を受けてからのことをあんまり覚えてないんだ。痛みで気が動転しちゃってたんだね」
あのときはがむしゃらに剣を振り回していたかもしれないし、無抵抗に逃げ回っていただけかもしれない。確かなのは、その後もあいつの剣は僕を傷つけ続けたということだけだ。
そういう話も、今は捨て置く。肝心なのはどうして僕がそうなってしまったかだ。
「一緒に戦ってて思ったけど、ユウキってけっこう痛みには耐性があるよね」
「え? そ、そうかなあ? あんまり意識はしてなかったけど……」
僕が投げかけた言葉にユウキは意外そうな反応をした。まあ痛みの感じ方なんて人それぞれだから普通の反応だと思う。
でも僕の話の本題はそこにあった。
「……僕はもともとリアルで痛覚に敏感なところがあるんだ。病院で検査を受けたことはないけど」
このことを他人に話すのはユウキが初めてかもしれない。いやだって、これが僕の思い込みだったらと考えるととても言い出せることじゃないから。
しかし状況は変わった。あんなことになってしまった今、僕はこのことを彼女に打ち明けないといけない。
「それって、他の人よりも痛みを感じやすいとか感覚が長く残るとかそういうこと……?」
ユウキは少し考えてから記憶を引っ張り出すようにして言った。彼女の言っているのは『痛覚過敏』の方なんだろう。れっきとした病気なんだけど、その問題の多くは神経伝達器官だ。VR世界はむしろその治療に用いられる。
「いや。痛みの感じ方は皆と同じだと思う。ただ、『痛み』っていうものをそもそも身体が受け付けてくれないっていうかなんていうか……ごめん。上手く言葉に出来ないや」
「――感じ方というよりもどれだけ耐えられるか、みたいな」
ユウキが独り言のように呟いた言葉でピンときた。
「そんな感じ。許容量っていうのかな。まあ概して言っちゃえば打たれ弱いってことなんだけど……」
僕は自嘲的に笑った。結論『打たれ弱い』んだ。リアルでも他人から何度も指摘され、自分の中で問答して何度も辿りついた答えでもある。
「話がそれたね。えっと、僕があいつから攻撃をもらってしまってからはもう一方的だった覚えしかない。まともに剣も振るえないまま僕はずっと震えててた。
……あと一撃食らったら終わりってとこまで来て、それを受け入れられたくなくて夢中で振り払った剣が丁度あいつの首元に当たって……クリティカルが入ったんだろうね。そのままその首を斬り飛ばして、勝者は僕になった」
呆気ない幕引きだった。僕がそれまでにそこそこHPを削っていたのもあるけど、首の部位欠損が死に直結するというのはぞっとしない話だ。
「……あいつの太刀筋は冷たかったよ。顔には何の感情も浮かべてなかった。他のエネミーとは桁が違う殺意を持っていたっていうのに……」
言いながら視界が陰っていくのが分かる。今は自覚しているから抑えようがあるけど、目を覆いたくなるような事態だ。もしかすると先の戦闘でますますこじらせてしまったのかもしれない。
「それが僕には、すごく怖かった。……だからかな、ああなっちゃたのは。あの騎士エネミーが持ってる両手剣を見ただけでこうなるっていうのは僕自身びっくりしてるけど」
だからまともに戸惑うことすらもできず、あっさりとその衝動に囚われてしまった。
「……じゃあ、リオルナがああなるのは怖がってしまう自分を守るためで、ああなっちゃうトリガーみたいなのは両手剣をもってる敵と強い痛みってことなのかな……」
その問いに僕はこくりと頷いた。
「あのときのリオルナは別人みたいに見えたけど、そういうことだったんだね。リオルナが自分を守るために作ったんだね」
しかし、ユウキが口にしたのは僕とは全く真逆の意味合いを持った言葉だった。俯き加減だった顔を持ち上げる。
これで合点がいったと、納得できたとでもいうような明るい笑みをユウキは浮かべていた。
「強かったよ。リオルナ」
「え?」
その一言は、気付きすらもしない方向からぶつかってきた銃弾のようなものだった。
「強かった。あれでやっと気づいたよ。リオルナが僕のサポートに徹してくれてるんだってこと。もしあのリオルナとボクがペアを組んだらきっと足引っ張っちゃってたね!」
「それは、どういう――?」
「それに気付けたから、ボクはむしろ良かったと思ってるんだ。だからリオルナ、無理して自分を抑え込もうとしないで。それはすごく、すごく苦しいことだから」
それはどこか切実ささえ帯びた言い方だった。ユウキはまくしたてるように言う。
「立ち上がれーとか、挫けちゃだめだ―って言うのは簡単だけど、いざやるってなったら大変だよね。でも、そう言われるのが嫌だから自分の中にしまい込んでおくっていうのはもっと辛いよ……」
いったい彼女の過去には何があったんだろうと、そう勘ぐらずにはいられない。そのひたむきさはまるで同世代とは思えない。
この仮想世界でのユウキはいつだって一生懸命だ。でも、扉を隔てて聞こえたあの嗚咽が僕の頭から離れることはないだろう。
「だからボクはリオルナが頑張ろうと思ったら支えるよ。笑ってるリオルナと一緒に冒険するのすっごく楽しいから。一緒にアインクラッドに行きたいから」
ここまで言い切ってじっと僕を見つめるユウキの目が「どうしたい?」と告げていた。僕は唐突に決断を迫られる。
恐らく彼女は僕がここでリタイアするなら止めないんだろう。このダンジョンから去りたいと言ったら付き添ってくれるだろう。
だから僕は。
「……とにかく、次の層次第だ」
ユウキがもっと笑顔になれる方を選ぶ。
「剣士系エネミーじゃなかったらいつも通り。どんどん上を目指していける」
「もし、ここと同じエネミーが出てきたら?」
「……なんとかやってみる。心構えができてれば急にああなったりはしないと思うから。……根拠はないし、ユウキが大変になっちゃうけど」
正直言って自信があるかといえばそうでもない。そして被弾してしまってからはもう分からないといったところだ。まああれは僕の自己防衛の行き着く先なんだと思うから、慣れればある程度制御出来るのかもしれない。慣れたくないけど。
そんな僕に対してユウキはとん、とこぶしで胸当てを叩いて言う。
「ボクは全然大丈夫だよー。次にリオルナがああなったらまたウォーパルストライクからの強制突破してあげる。コツは掴んだから安心して!」
「生きた心地しないけどねあの追いかけっこ……」
そうならないように頑張ろうよ! と僕を励ますユウキはどことなく嬉しそうだった。うん。やっぱりこの笑顔がいちばんだ。
じゃあ明日に備えて寝よう、という話になって僕たちは布団の中に潜り込む。
急に決めたことだ。僕自身がそのことにちゃんと対応できているとも思えない。
でも、全ては明日次第。面倒事の先延ばしは僕の得意分野だ。
明日訪れるかもしれない痛みに対してここまで気を楽に持てているのは、やっぱりユウキのおかげで、僕も大概乗らされ気質だからなんだろう。
それから丸一日経って。
僕とユウキは大灯台の第三階、第四階を立て続けに攻略し、最上階である第五階――『ならず者の玉座』へと辿りついていた。
目の前には今までとは一線を画す程の大きな扉。その先には『グレスリーフの入り江エリア』の統治者がここに挑みに来るものを待ち構えている。
この階層に足を踏み入れた瞬間から始まったホロウミッション《入り江を統治するもの》。内容は『デトネイター・ザ・コボルドロード』の討伐。制限時間は無制限だ。
僕とユウキは顔を見合わせる。そして互いに片腕を差し出して手の平を重ね合わせ、こぶしを握ってからこんっとぶつけ合った。
これから僕たちの経験したことのない、エリアボスとの決戦が切って落とされる。
そのときユウキは。
僕は。
リオルナがトラウマと向き合うことができたかもしれないお話。
ユウキの笑顔に陰が見えてきたかもしれないお話。
リオルナの症状はガチのやつです。病院に行きなさい。ペインアブソーバにより泣きっ面にハチ状態。
ユウキは実際に痛みに強い方だと考えています。リオルナを頑張って励ました理由と一緒に考えてもらえると繋がってくるかもしれない。
【設定・用語説明】
・携帯固形燃料&寝袋
前者はオリジナルアイテムだが後者は原作で存在している(二巻参照)
寝袋は村で手に入れたもの。それまでリオルナたちは草の上で素で寝ていた。何気に二人ともサバイバル能力は高いようだ。
・あいつ
リオルナのトラウマ。本作第4話参照。