明日へ繋ぐ切先   作:Senritsu

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番外3 揺れる水面

 ――風が冷たい。

 バスから降りて、閑散とした広場に降り立った菊岡は首元から忍び寄ってくる冷気に思わずネクタイを閉めなおした。これからまたすぐに暖房の効いた建物の中に入るとはいえこの寒さは応える。今日は珍しく穏やかな空気だが季節は冬真っ盛りだ。

 目の前にそびえ立つ建物を見上げる。都市ビルのような高さを持ちながらも、それらよりはどこか物々しい感じの薄れた、生活感を漂わせる造りだ。今彼が立っている広場も一介のビルが持つ敷地にしてはだいぶ広々としている。

 

 建物の名前は横浜港北総合病院。これから彼が訪ねる予定の人物がいる病院である。

 

「……ぐずぐずしてる暇はないな。できるだけ時間は長くおきたい」

 

 菊岡はぼそりとそう呟いてやや早歩きでエントランスを目指す。彼にとって時間とはまさに価値のあるものだった。

 広場に設置されている椅子に腰かけている入院服を着た女性を端目に見ながらまっすぐに歩いていくと、すぐにエントランスに辿りついた。二重になっている自動ドアを彼はさっさと通り抜ける。

 

 病院らしく白色を基調とした、しかしそれにしては開放感のある空間が彼の目の前に広がった。流石にここまで来ると人の数はそれなりに増えている。受付前で幾人もの人が手続きをしているのを見て、彼は改めてここが病院であることを再認識した。

 

「こんにちは。今日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「ああ、はい。ある方との面談の予定があったので伺いました」

 

 視線を動かして自分が向かうべき窓口を探していると案内係らしき看護婦に話しかけられた。彼は首肯して、少しだけ言葉を濁らせながらも自分の目的を伝える。

 要領を得ない言い方ではあったが、その看護婦は気にすることなくにこっと笑って受付の方に手を差し出す。

 

「それでしたら目の前の受付のいちばん左ですね。そこの職員に声をかけてください」

 

「分かりました。ありがとう」

 

「……あの、入院中の患者さんのお見舞いですか?」

 

 手短にお礼を告げて立ち去ろうとしたそのときに投げかけられたその問いは、恐らく職業上当たり障りのない制限の一歩手前のものだった。

 その問いに対し菊岡は立ち止まって少し逡巡し、振り返って看護婦に向けて微笑みながら言葉を返す。

 

「ええ。そんな感じです。スーツなんて着てこなけりゃよかったと今更ながら後悔してますよ」

 

 

 

 

 

 

「――あそこが、面会の方がいらっしゃる部屋となります」

 

 指紋判定やパスワードの打ち込みなどの何重にもわたるセキュリティを越えた先にその扉はあった。

 一見過剰なまでの機密管理システムに守られたこの区域の存在を知っているのは、病院関係者でも上層部のごく一部の人物のみだ。現在菊岡を案内している人物も国から派遣された職員である。

 

「盗聴機、監視カメラその他の諜報器具は見つかっておりません。では、どうぞ」

 

 職員は情報漏えいの心配は低いことを簡潔に伝えると、その場で立ち止まって敬礼する。菊岡は軽く片手を上げてそれに応えた後、扉を数度ノックした。

 

「どうぞ」

 

 扉越しに響く若い男性の声。菊岡は扉を開き、部屋の中へと入った。

 

「こんにちは。倉橋先生」

 

「ええ。お久しぶりです。菊岡さん」

 

 部屋の中にいたのは、白衣を着た若い男性の医師だった。お互いに会釈する。

 その部屋はよくある事務所の談話室のようなものではなく、だからといって入院室などでもない。ただの小さな部屋であるのだが、扉の左側の壁が全面ガラス張りになっている。

 

「……こんな場所での面会は落ち着きませんか」

 

「いえ。そんなことはない。むしろここでよかったと思っていますよ。より現実を直視できる」

 

 倉橋と呼ばれた医師の問いかけに、菊岡は穏かにそう返した。そしてガラスで仕切られた部屋の向こう側を見やる。

 菊岡の視線の先にはベットに横たわる少女の姿があった。その身体は一目見て分かる程度に痩せこけており、手足など今にも折れてしまいそうな程に細い。そしてその頭上には巨大な装置が取り付けられており、物々しい雰囲気を漂わせている。

 

「やはりあなたは変わった人ですね」

 

「よく言われます。ところで彼女の容体はどうですか?」

 

「……率直に言いますと、あまり良いとはいえません。今は落ち着いていますが、先日も高い熱を出しました。現在も微熱が続いています」

 

 倉橋医師は少し表情を暗くさせて菊岡に告げた。そんな彼の様子からおおよその経過を察した菊岡は、話の流れを変えるように持っていた鞄からいくつかの書類を持ち出して机の上に並べ、椅子に腰かけて倉橋と向き合った。

 

「僕は医者ではないので余計な口出しはしません。それが彼女との間で決められた僕たちの関係だ。本題に移りましょう」

 

 

 

 ベットの上で眠り続ける少女は、現在においても治療法が確立されていない病である免疫不全症候群――通称『AIDS』の患者である。

 その名の通り時間と共に免疫力が低下していくという特性上、いつどんな病気に感染するか分からないという危険があるために患者には完全な隔離が施される。少女もまたその例に漏れず、ガラスの向こう側は完全に密室だ。

 

 そんな少女の名前を紺野木綿季といった。年齢は16歳。発症が確認されたのは小学四年生のときだったはずだと菊岡は記憶していた。

 

「彼女があちら側に向かってから二週間が経ちましたが、やはり何かしらの悪影響が生じていると見るべきなのでしょうか」

 

「いえ……。今回の発熱との直接的な関係はないでしょう。あれから木綿季くんの脳波及び生体電流は二十四時間体制でモニタリングしていますが大きな乱れは見られません。……脈拍と呼吸はたまに早くなりますが、まだ正常値だと言えます」

 

 倉橋の返答に菊岡はほっと胸を撫でおろす。とりあえず懸念事項の一つは解決した。

 彼女は今、表向きでは秘匿されているあるプロジェクトに立ち会っている。74名のメンバーのうち、実にに70名が舞台に上がることすらできずに蹴落とされた場所に彼女はいる。

 

「こういうことはよく起こっていると?」

 

「よく、というほどでもありませんが。木綿季くんの症状はゆっくりとですが着実に進行しています。もういつ再びこのようなことが起こってもおかしくないような状態ですから」

 

「……メディキュボイドはそういった被験者の身体の一切の信号を」

 

「――ええ。遮断します。呼吸のしづらさ、倦怠感、痛覚などの感覚は完全にブロックされ、メディキュボイド側から通常状態であるという信号を送り続けることで患者を身体的苦痛から遠ざけているのです。――まさにあの悪魔の機械といっても過言ではないナーヴギアの次世代機なんですよ。メディキュボイドは」

 

 倉橋は皮肉そうな笑みを浮かべた。菊岡もその気持ちはなんとなくだが分かる気がした。天才研究者にして空前のテロリストでもあるかの人物が編み出した技術が、そのまま最先端の医療に応用されているのだから。

 いったいどうして、あのようなことに。それはこの事件に携わる人々の多くがもう何度も味わったであろうやるせなさだった。

 

「いまだに信じられないです。木綿季くんが間接的にとは言えあのゲームにログインし、そこで戦っているなんて」

 

 VRMMO『ソードアート・オンライン』。彼女が被っているメディキュボイドが接続しているのは、全世界を震撼させたデスゲームのサーバーだ。

 倉岡とガラス越しの少女を見やる。先程から彼女は微動だにしていない。脳からの信号と首から下の身体を遮断しているに等しいので当然と言えば当然だが、まるで現実でのSAOプレイヤーと変わらない――と、そこまで考えて菊岡は頭を振った。脳を無茶苦茶に熱されて、かすれ声を上げながら死んでいく人々のことを思い出すなどもうたくさんだった。

 

「仮想空間でもこんなに長く彼女と顔を合せなかったことはありませんよ。何かしら連絡が取れればと思っているのですが」

 

「申し訳ない。我々も彼らの保護には全力を尽くしているつもりですが、逆ハッキング対策に手いっぱいで彼らの仮想世界上の位置情報さえ探知できていないのが現状です。今後も連絡を取り合うことは難しいでしょう」

 

 唯一こじつけることができたのがGMへのメッセージシステムを改造した使い切りの通話機能程度だった。それすらも持ち時間は十分あるかないかだと推測されている。時と状況を選んで、途中経過の報告のための道具として使ってくれとお願いしているからか、今のところ使用したメンバーはいない。

 

「……では、あとは木綿季くんの意思次第ということですか」

 

「そうですね。ご存じだとは思いますが、彼女たち調査メンバーに限ってはいつでも『ログアウト』できるようになっています。再ログインは不可能だというのを事前に伝えてはいますが、それらを踏まえても今彼女が戻ってきていないことが何よりの意思表示であると。そう感じていただければ我々としても助かります」

 

 あくまでも菊岡の仕事はホロウエリアに侵入した四人の若者たちのサポートだ。彼ら全員があのゲームから自らの意志まで還ってくるまで、VR器具を外させるわけにはいかなかった。

 

「ええ、分かっています。……しかしその前に菊岡さん。あなたに一つお聞きしたいことがありまして」

 

 互いの立ち位置を再確認したところで、倉橋が待ったをかけた。その瞳には僅かに剣呑な光が宿っている。

 菊岡は今までと変わらない表情を保ちつつ、内心で気を引き締めた。専門とする分野は違えど、彼もまたVR技術のスペシャリストである。生半可な対応は許されない。

 

「木綿季くんの生体電流に異常がない、と先程私は話しました。しかしそれはあくまで医学的な話であって、私個人として気になっていることがあるのです。……彼女の脳内のいくつかのはたらきを司る部分の活発化について」

 

「……」

 

「たしかに木綿季くんは『ソードアートオンライン』でも上手くやっていけているようです。『アルヴヘイムオンライン』と似ている、と本人も言っていましたから。そして実際、彼女の精神状態はいつもとさほど変わりありません。以前と決定的に違うのは自身の危険に対する瞬間的な反応の過敏さ及び()()()()の高速化……そして微量ではありますが()()()()を麻痺させる神経伝達物質であるアドレナリンの分泌が確認されたことです」

 

 倉橋が話したことは、菊岡ですら初めて聞くような内容だった。しかし、それらが何を指し示すかということぐらいは察することができる。

 この時点で、菊岡はまだメンバーたちの仮想空間における『痛覚』の実装を公表していなかった。ログアウトしたメンバーにも当たり障りの少ない理由を提示して、大きな問題として取り上げられないようにしている。

 

「菊岡さん。あなたの指揮するこの作戦には……いったい何が潜んでいるというのですか」

 

 しかし倉橋はそれらの情報に惑わされることなく注意深く観察と考察を続け、独力である推測を立てるまでに至った。

 仮想課の悲願とも言えるこの作戦が、複数人の思惑により複雑に絡まり合って後に引けなくなっているのではないかと。

 

「……流石は時代の最先端であるメディキュボイドを運用できるだけのことはある。それほどまでに精密に脳内を観測できるとは正直思ってもいませんでした」

 

 そして菊岡から言わせれば、それらはかなり正確に的を射ていた。だから菊岡は倉橋の疑念を肯定する。

 アルヴヘイムオンラインのホロウエリア出現を機に再び動き出した事態に、付いて行くことで精いっぱいな者は多かれどその理由をかの科学者以外に当てはめようとする人物はほとんどいない。倉橋はその一握りの人物であるだろうことを菊岡は数か月前に出会ったころから予感していた。

 

 だから菊岡は取り繕わない。鞄からさっきまでの書類とは比較にならないほど大きなファイルと冊子が取り出され、どんと机に置かれた。

 

 

「先日、この病院で取り組まれているメディキュボイドの研究および管理の全権は仮想課に移行しました。それに従いここでログインしている紺野さんを含む二人のメンバーを仮想課管轄の施設へと移動させます」

 

 

 告げられるのは一言で済ますにはあまりにも突然すぎる事案。それは彼が今まで水面下で手を回してきた計画がやっと頭角を現した証でもあった。

 

「……そういうことだろうとは思っていました」

 

 思いがけず倉橋は菊岡の一方的な指示に従順だった。まるでそうなることを予期していたかのように彼は眉を顰めながら菊岡の話を聞いていた。

 

「あまり驚かないんですね」

 

「こういった職業をやってると不本意でも上からの指示通りに動かなければならないことが山ほどありましてね。これでもかなり驚いていますよ」

 

 一見穏やかそうに見える人なのだが、それはただ疲れと諦観によるものなのかもしれないと菊岡は思った。どこの業界でも有能な若手に対する風当たりは強いらしい。

 ため息交じりに話した倉橋だが、彼は一旦言葉を切ったのち、こればかりは譲れないとばかりに強い眼差しで菊岡に言った。

 

「しかし、木綿季くんの病状を悪化させるようなことがあれば私も黙っているわけにはいかない。そのあたりはどうするつもりなのですか菊岡さん」

 

 その言葉には強い気迫がこもっていた。対して菊岡も即座に対応する。ここで答えに窮してしまえば辛うじて保てているらしい信用さえ崩れ去ってしまうだろう。

 

「もちろん、紺野さんの搬送に関しては万全を喫します。彼女に負担をかけてしまう点は否めませんが、SAOへのログインと無菌状態を保ち続けることを約束します。了承していただけますか」

 

 菊岡は腰掛けていた椅子から立ち上がって頭を下げた。その姿に倉橋は再びため息をつく。

 

「了承も何も私に拒否権はないでしょう? しかし私はあくまでも木綿季くんの主治医であり、この場にいるもう一人のメンバーの担当職員でもある。職務上見逃すわけにはいかないんですよ」

 

 倉橋が患者にどれだけ思いやりを込めて接しているかが伝わってくる言葉だった。メディキュボイドの活躍が期待されている分野が分野である。自然と患者への思い入れは強まってしまうのだろうと菊岡は思った。

 倉橋は言葉を続ける。

 

「さて、私は口封じをされた上でここに留まらなければならないのか、それとも付いて行くことができるのか。ひとりの医者として言えば後者であってほしいと思います」

 

 その問いに対する菊岡の答えは明白であった。彼は少し口角を持ち上げて彼に告げる。

 

「倉橋医師、あなたは非常に優秀な人物だ。医者としても研究者としてもこれからの時代を引っ張っていく方だと僕は思っています。そしてそんな人材を仮想課が見逃すことはあり得ない。ましてあなたは既にこの作戦に関わってしまっている。そんな人をおめおめ野放しにするわけにはいかないのです」

 

 つまり、強制的にでも同行させるつもりであると。そこに倉橋の意志は関与しないが、結果的に彼の思い通りに事が進んだことになる。

 

 

 これで菊岡と倉橋の間に新たな契りが交わされた。そして遠くない未来、彼らはVR技術の歴史をまた大きく進めることとなる。

 

 

「菊岡さん。正直に言うと私はあなたに会ったときからあなたに得体のしれないものを感じています。それなりに心理学を学んできたつもりですが、あなたが何を考えているのかが全く読めない。――いったい何を企んでいるというのですか」

 

 これから始まるであろう長い長い打ち合わせを前にして、倉橋は菊岡にそう問いかけた。僅かな警戒心と不快感を滲ませながら。

 しかし二年間もの間SAOプレイヤーの家族や親せきに対して頭を下げ続けていた菊岡にとってはその程度もう慣れっこである。彼は演技じみた動きで両手を広げると、まるで舞台の役者のように笑って言った。

 

 

「我々は彼女に希望を見出している。……いや、綺麗事はよしましょう。

 

 ――譲れない利用価値があるんです」

 

 堂々と自らの思惑を告げる菊岡の瞳は、鈍い光を湛えていた。

 

 

 

 




こんばんは。お待たせしました。

今回は約半年ぶりとなる現実世界のお話となりました。ですが、いろいろと書き詰められない部分もあったのでその辺りは後々に持ち越しとなりそうです。

菊岡さんは何をしようとしてるんでしょうね。
そして多分忘れられてるよねシーヴェ君。出番作ってあげられなくてごめんね。

ではではまた次回に。新たな章が始まります。お楽しみに!

……このペースじゃ何年経っても終わんないな……


追記:活動報告のオリジナルソードスキルアンケートを締め切ります。たくさんの応募ありがとうございました。

【用語・設定説明】

・横浜港北総合病院
 ユウキが入院している病院。原作ラノベ版の公式設定。
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