半月後、あたしはまたお兄ちゃんのいる病院を訪れていた。
でも、今日はお兄ちゃんのお見舞い以外の理由がある。受付の人に用件を伝えて、あたしは病院の応接室へと向かった。
今日からしばらくの間、あたしはこの病院で眠り続けることになる。菊岡さんと一緒にお父さんとお母さんの説得を続け、どうにか了解を得たのはついこの前のことだった。
もしかしたら、すぐに目覚めることになってしまうかもしれない。一年以上目を覚まさないことだってありうる。それらの可能性は、全てあたしの覚悟の強さに左右されるんだ。
「ホロウ・エリア潜入調査プロジェクト」の作戦開始は、もう目前に迫っていた。
しっかりと三回ドアをノックして、小さくと深呼吸をしてからあたしは口を開いた。
「失礼します。桐ケ谷 直葉です」
「どうぞ!」という声が部屋から響く。あたしはゆっくりとそのドアを開いた。
部屋にいたのは、今回のプロジェクトのメンバーの一員である菊岡さんだ。あたしが部屋に入るのに合わせて、今まで腰かけていたソファから立ち上がる。
「やあ、こんにちは桐ケ谷さん。数日ぶりだね。とは言っても直接会うのはこれが初めてなんだけどね? よろしく!」
あたしの方へと歩み寄った彼はそのまま私の手を取って握手した。現実でもフレンドリーな人みたいだ。
「そうですね。これからよろしくお願いします」
「あはは、そんなにかしこまらなくていいさ。ゲームの時みたいに気軽に接してもらえると嬉しいんだが」
「……分かりました。そうしてみますね」
あたしの返事にうんうんと頷く菊岡さんは、しかしその身にぴしっとしたスーツを纏っていて、彼が政府の役人さんだということを改めて認識させた。
これから彼がすることを考えれば、この服装であることは当然なのかもしれない。でもその口調は相変わらずで、あたしは少し安心した。
「さて、今日から君は任務を実行することになる。これから行うことになるのはその最終確認になるわけだけど……。親御さんはいらっしゃっていないのかい?」
「いえ、今はお兄ちゃんの部屋で担当の看護師さんと話してると思います。もう説明はしてもらっているから、ちゃんと確認をしておいでって」
「――そうか。気を遣わせてしまったな……。いや、ならばできるだけこの時間を有意義なものにしよう。残された時間は少ないからね」
菊岡さんは時計を見てから言った。あたしも、その言葉に小さく頷き返す。
私を向かいの椅子に案内してから、彼は椅子に腰かけた。黒い鞄からがさごそと書類を引っ張り出して、目の前の机に置く。
「まず、作戦の全容についてざっと確認をしておこう。
僕たちは、本日15時に合わせて君を含めた全74名からなる潜入部隊を『ホロウ・エリア』へと送り出す。これは全国の該当する病院で一斉に行われる。
用いるのはレクト社のアミュスフィアだ。どんなことがあってもナーヴギアのように脳を焼かれるなんてことはないから安心してほしい。またログイン中の君たちの身体のケアについても万全を尽くすつもりだ。
そして君たちには『ホロウ・エリア』の調査を行ってもらう。ぶっちゃけて言えばあの浮遊大陸の攻略依頼とでもいうのかな」
そう言って彼は小さく笑った。
さっきの言い方は「ソードアート・オンライン」がフィールド探索を主体としていることを明確に表している。その辺りの仕様はアルヴヘイムオンラインとほぼ同じだった。
アルヴヘイムをやりこんできたあたしにとっては、むしろそっちの言い方が肌に合っている。
「RPGを名乗っているとはいえ、そこは全く未知の場所だと言っていい。辛いだろうが君たちには今までやってきたゲームの経験を活かして頑張ってもらいたい。
作戦中、僕たちと君たち実行部隊とのコンタクトは一切取れなくなることが予想される。そのため、僕たちは帰還してきたメンバーたちの証言をもとにして、あの世界の現状を把握していくことになる」
あたしは自分の記憶と彼の言っていることを一つひとつ照らし合わせて、確認しながら相槌を打っていた。
「だけど、この作戦は前にも言ったように「次」がない。同じ作戦は二度と通用しないだろうし、一度帰還したメンバーの再侵入はほぼ不可能だと言っていい。
君たちに負担を与えてしまって申し訳ないが、それだけ相手サーバの外部干渉に対するプロテクトは強固なものなんだ」
――だからこそ、実行部隊には覚悟が求められる。
言ってしまえば一発勝負。再チャレンジのきかないサバイバルゲームに飛び込んで来いということなのだから。
「調査のためには君たちの帰還を待つしかないが、帰ってきたらもうあの場所に行くことができない。説明したときは矛盾を覚えたかもしれないが、何度も言ったように君たちは帰りたいと思ったときにログアウトしてもらえればそれで構わない。
無理してまでそこに居座る理由はないんだ。あちらの世界の仕組みによってすぐに退場することになってしまっても、それはそれで重要な資料となりうるのだから気に留めることはないさ。
――無論、長く留まってくれることに越したことはないけどね?」
今まで書類を見ていた菊岡さんの瞳がちらっとこちらへと向けられた。き、期待されてる……。
「……頑張ります」
「うん。無理はしない範囲でね。何があるか分からないから。
言ってしまえば、僕たちの目指す最終目標は「ホロウ・エリア」ではなく、「アインクラッド」への介入だ。それは非常に難しいことだとは思うが、そこまで行き着けた人がいたら本作戦は大成功だと言っていい」
その一言に、あたしはさわっと肌をざわめかせた。
浮遊城アインクラッド。その全貌はニュースの記事とかで見たことがある。お兄ちゃんを含めた数千人が閉じ込められているのだろう鉄のお城だ。
――じゃあ「ホロウ・エリア」とはいったい何なんだろうか。
こればかりは実際にそこに降り立ってみない限りは分からないんだと思う。
でもきっと、そこと「アインクラッド」は繋がっているはずだ。だってあの大陸はそのゲームからやってきたものなのだから。
「最後に、この作戦におけるもうひとつの悲願についてだ。それは――もう何回も言っているからわかるよね」
菊岡さんの視線がまたあたしへと向けられる。私は膝の上でぎゅっとこぶしを握って深く頷いた。
「……SAOプレイヤーとの接触、及び情報の聞き出しですね」
私の返答に彼もまた大きく頷き返す。
「そうだ。政府側の要求としてはこちらによるものが大きい。
――これは僕の私見だけど、あそこにSAOプレイヤーがいる可能性は低い。高くて30パーセントくらいだろう。
恐らくあの浮遊大陸は「ソードアート・オンライン」から遺棄されたフィールドだと僕は睨んでいる。だとしたら、そこにプレイヤーの姿はないだろうね」
彼の推論は私でもなんとなく理解できた。あたしとしてはそれは悲しいことだけれど。
普通なら、プレイヤーのいるエリアに異変が起きたとしたら真っ先にそれを正そうとするはず。だとしたら「ホロウ・エリア」が放っておかれているのは、多分そういうことなんだと思う。
「ただ、もしもSAOプレイヤーと出会う機会があったとするのなら、それ以降の判断は君たちに任せる。
先日僕たちの知りうる限りの情報を、テキストプログラムにして君たちに渡しておいた。それで誤魔化しきれるようなら自らの正体を明かさないでもいい。
逆に、最初から正直に言っておくのも一手だろう。流石にそれを聞いて剣を向けてくるなんてことはないはずだ」
菊岡さんの言葉を、しっかりと記憶に刻み込む。とても大事なことだ。
自分たちの好きにしていいとは言われているけど、あっちの世界の人と出会ってしまったら慎重にならないといけない。
あたしたちはその気になればすぐにログアウトできるけれど、あっちの人々はそうもいかないからだ。
ただ、もし、万が一だけど。「ホロウ・エリア」でお兄ちゃんに出会ったときには、すぐに自分のことを話すつもりでいた。
「これで、確認事項はおしまいだ。……だが、もう一つだけ。先日の説明では言っていないことがある」
書類を再び鞄の中にしまった菊岡さんは、真面目な顔でこちらに向き直った。
今まで説明されていなかったということは、なにか他人には知られてはいけないことなのか。
「ああ、別に身構えることはないよ。意味深な話じゃない。
つい昨日になって、解析班がやっとソードアート・オンラインのメッセージシステムの一部に介入してね。GMへの問い合わせ機能を使って、一度だけログイン中の状態でも対策本部との通信ができるようになったんだ」
「! 凄いじゃないですか。探索中の経過を報告することができるんですね」
「そうなるね。ただ、個人のアカウントを使うことになるから本当に一度だけだ。これはメールプログラムにして実行部隊全員に渡されるが、使いどころはしっかり見極めてくれ。
この通信が、その後の未来を左右すると言っても過言じゃないからね」
彼の言葉に、あたしはこくりと頷いた。
ここぞというときに使わないと意味がないものだ。ましてや、使わないままに終わることがないように気を付けないといけない。
「――そろそろ時間だ。行こうか、桐ケ谷さん」
部屋の時計を見やった菊岡さんは、そう言ってすくっと立ち上がった。時計の針は2時を指している。
「分かりました。じゃあ、行きましょう」
あたしもすぐに立ち上がって、応接室の照明を落とす。
そして菊岡さんと一緒に、これから自らが眠りにつく場所へと歩いていった。
互いに、無言だった。
病室に入るとそこにはお母さんと見知った顔の看護師――安岐さんが話をしていた。
安岐さんはあたしに気付くと笑ってこちらを手招きしてくる。
「よく来たわね、直葉ちゃん。お久しぶり!」
「こんにちは。安岐さん」
今回安岐さんは作戦実行にあたって私の専属看護師まで請け負ってくれている。もしかしたら案外すごい人なのかもしれない。
「あの、これからよろしくお願いしまっ」
「まっかせて! 直葉ちゃんのことは私がちゃんと見とくから、安心して行ってらっしゃい!」
言うか言わないかの間に、ぐいっと肩に手を回された。ち、力強いですね。
「安岐看護師。もうすぐ作戦が開始されます。直葉さんのネットワークログイン準備をお願いします」
菊岡さんがいつもより少しだけかしこまった口調で安岐さんに言う。
安岐さんは「はーい」と返事をしてあたしをベットに座らせ、機械の点検を行っていく。
「直葉」
ベットに腰かけて小さく息を吐くあたしに声をかけたのはお母さんだった。
「……お母さん。とうとう、だね。わがまま言って、ごめんなさい」
「ええ、まったく融通の利かない子なんだから。心配するこちらの身にもなりなさい」
「……頑ななのは親譲り、なんて」
少しだけおどけるとぺしっと頭をはたかれた。親子そろって苦笑いを浮かべる。
お母さんを説得するのは本当に大変だった。菊岡さんと頭を下げて、話を聞いたお父さんが実家に戻ってきて……ここまでこれたのはもうこじつけに等しい。
「口も減らないし。後でそれはもうこってりと叱らないといけないわ。――だから、ちゃんと戻ってきなさい」
「うん。――もし、お兄ちゃんに会ったらなんて言っておこうか?」
あたしの問いかけに、少しお母さんは考え込んで、微笑みながら言った。
「……お父さんも、お母さんもみんな和人の帰りを待ってる。和人が戻ってきたら、家族皆でお祝いしましょう」
「――分かった。ちゃんと伝えるから。安心して待ってて」
「なんなら直葉が和人を引っ張ってきなさい。いつまで寝てるんだーって」
お母さんの冗談に、あたしはくすっと笑った。
お母さんのお願いを叶えられたらいいな。仮想世界から帰ってきたお土産に、お兄ちゃんをプレゼント、なんてね。
「――では、僕はそろそろ通信室へと向かうよ」
今までその場に静かに立っていた菊岡さんが、間合いを見計らって告げる。
「こっちも準備完了よ、直葉ちゃん。胸に電極パッドを張るから横になって」
あたしは安岐さんの指示通りに横になった。枕元にはアミュスフィアが置かれている。
でも、これを被る前に菊岡さんに言っておかないといけないことがある。
「菊岡さん! あたしのためにここまで手を貸してくれてありがとうございました。メッセージ、期待しててくださいね!」
急に呼び止められた彼は、しかしあたしの言葉を聞くとその顔に精悍な笑みを宿して、力強く告げた。
「ああ、期待しておこう。行っておいで桐ケ谷さん。健闘を祈っている」
――これで、出発前にするべきことは済んだ。
一定のリズムで刻まれる心電図のリズムは、緊張のせいかいつもより少しだけ早い。
あたしは、頭にアミュスフィアをつけた。ログインすれば、対策チームがホロウ・エリアに繋いでくれる。
「……行ってきます」
お母さんと安岐さん、もう部屋にはいないけど、菊岡さんにも向けて小さく呟く。
(これから行くよ。お兄ちゃん)
そして、この言葉が隣のベットで眠り続けるお兄ちゃんに、あたしは心の中だけでそう宣言した。
行先はホロウ・エリア。時間は――ちょうど3時!
「リンク・スタート!」
下記の【用語・設定説明】で説明されているものは補足程度のものですが、たまに重要なことが書かれたりしてます。目を通していただけると幸いです。
【用語・設定説明】
・アミュスフィア
SAO事件発生から半年後に発売されたナーヴギアの後継機。規格と対応ソフトはナーヴギアに準拠している。
かの事件を踏まえて電磁パルスの出力は大幅に弱められ、脳の破壊は物理的に不可能となっている。一定以上の生理的反応や外部衝撃で強制的にゲームを終了する機能があるが、ホロウエリア潜入部隊の使用するにはあえて搭載されていない。
・キリトが入院していた病院
不明。ただし、キリトは埼玉県に住んでいるため、埼玉県内の病院だと思われる。