七色の光の奔流が過ぎ去ると、目の前には深みのある青い世界が広がっていた。
視界の右側には、『ログイン準備中です』とある。もうホロウエリアへの侵入は始まってるみたいだ。
周囲に私以外の人の姿は見られない。これと言った足場もなく、あたしは青い電子の海の中で一人だけでふわふわと漂っていた。
「……わぁ」
よく見てみれば、小さな水色の破片のようなものが雪のように降っている。ひらひらと絶え間なく視界を通り過ぎるそれは、時折きらりとしたと光を放った。
それはとても綺麗で気分を落ち着かせてくれたけど、背景の色合いのせいでもあるのか、なんだか物哀しさを感じる。
これがソードアート・オンラインのログイン画面なのだとしたら、これはこれでちょっと意外だった。
しばらくそのままでいると、どこからともなく半透明なサークル上の足場が現れた。あたし一人が降り立つにはちょっと、いやかなり広い。50メートル四方はあるみたいだ。
とん、とそのサークルに足をつく。ちなみに、今のあたしは素足で白くてすその長いワンピースを着ている。鏡がないので顔はどうなってるか分からないけど、よくある女性の初期アバターみたいな顔なんだと思う。
しばらくすると、明るい電子音と共に目の前に『Welcome to SWORD ART ONLINE!』というメッセージが現れた。
(「ソードアート・オンライン」へようこそ、かあ)
あたしたちを歓迎しちゃっていいの? というツッコミは置いておいて。
思わずため息が漏れる。今まではとてもとても遠い場所にあると思っていたその名前が、今まさに目の前にあった。
半月前のあたしからして見れば、とてもじゃないけど想像なんてできなかっただろう。
歓迎のメッセージは数秒後に消え去って、その後すぐに『ユーザーネーム設定』という画面が表示された。右横にタッチパネルがある。
名前にこだわりはあんまりない。とりあえずアルヴヘイムオンラインと同じように「リーファ」として決定ボタンを押す。
続いて現れたのは『キャラクター設定』だった。
『性別』『体格』『顔』『髪型』といった項目がいくつも並んでいる。ここらへんの設定はアルヴヘイムと違ってランダムではなく自分で決めることができるみたいだ。
しかし性別が選択できるのには驚いた。まあ、うん。つまりはそういうことなんだろうけど。……まさか2年近く……? という疑念を頭から追い払う。
あたしはここで少し迷った。アルヴヘイムで使っていたアバターの容姿に近づけるか、現実世界でのあたしと同じようにするか。
長らくアルヴヘイムを遊んでいたので、あのアバターには馴染みがある。でも、あの姿ではもしお兄ちゃんと出会ったときちょっと苦労することになりそうだった。
(――このゲームは近接戦闘が主体って聞くし、長い髪とか現実より高い身長設定とかはやめといた方がいいかな)
そう自分に言い聞かせて、諦めて現実のあたしに近づけることにした。ただ、髪色は金髪に、髪型は現実よりも伸ばして肩くらいまでにして結わえずに流しておく。
どっちつかずの容姿だけど、それなりに様になってくれてちょっとほっとした。
それからもしばらく設定作業は続いた。
それらの丁寧さはもしかしたらアルヴヘイムオンライン以上かもしれなかった。これで2年以上前のゲームだというのだからびっくりだ。
《以上で、初期設定を終わります》
『動作確認』を終えると、どこからともなく電子音声が響く。とりあえずひと段落したみたいだ。
しかし一息つくのもつかの間、またも目の前にメッセージが表示される。
「『実装エレメント調査 プレイヤー適正テスト』……?」
唐突に出てきたよく分からない言葉の羅列に、あたしは首をかしげた。前半部分とかなにかの呪文?
《これより要承認領域へのログインにおけるテストを行います。使用武器及び防具を選択してください》
全く予想だにしない展開に戸惑うけど、テストと言うからにはやらないといけないことみたいだ。
電子音声の案内に従ってメニュー画面の『装備選択』アイコンをタップすると、『使用武器』と『防具』の選択画面が現れた。どうやらいくつか種類があるみたいだ。
(――ふむ?)
防具には各ステータスを上げたり、ダメージカットが入っていたりとそれぞれに変わった特徴があった。ただ、これを見ている限りではまず初期装備の類いではなさそうな気がする。こんなのが初期に会ったら今頃絶対インフレしてる。
アルヴヘイムオンラインには『STR』や『VIT』などの明確なステータスはないからよく分からないけど、あたしは防御力よりも敏捷とか器用さとかに補正がある防具が好きだった。
「確か素早さは『AGI』、器用さは『DEX』だったよね……。これにするか」
ちょうどそれらのステータスを上げてくれる防具一式があったのでそれを選択する。直後に、ぱっと光を放ってあたしの装備が切り替わった。
表れたのは白地の金属を緑色の紐と茶色の繊維で編み込んだ軽鎧だった。アルヴヘイムで使っていたものとよく似ていて思わず笑みが零れる。
(後は武器だけど……うわあ、種類が多い!)
次に使用武器の選択画面を押すと、たくさんの武器種の項目があたしの目の前に広がった。ざっと十以上はあるみたいだ。
(片手剣に細剣、両手斧……曲刀なんてものもあるんだ……)
流石は近接戦闘が主体と謳っているだけのことはある。近接武器の種類の多さは「アルヴヘイム」を凌駕していた。
興味深く画面をスクロールしていくと、ある武器種の項目で目が留まる。そこには『刀』とあった。アルヴヘイムではサクヤさんが『太刀』を使っていたけど、そんなに大差はなさそうだ。
「片手剣もいいけど……うん、あたしは盾をつけるつもりはないし、これにしておこう」
アルヴヘイムで使っていた片手剣は現実での剣道と動きがまるで違うので違和感があった。それが少しでも減らせればと思ってあたしは『刀』のアイコンを押す。
すると今度は腰元で光が発せられる。光が消えるとそこには無骨なデザインの日本刀が携えられていた。
思っていたよりも鞘が長くてちゃんと抜刀できるのかが気になった。でもどうやら抜刀及び納刀時にはシステムがアシストしてくれるらしい。手が込んでるなあと思ってあたしは感嘆のため息をついた。
《それではテストを開始します。説明はカウントダウンスタート後に行います》
装備選択を終えると、唐突に設定画面が消え去った。驚くのもつかの間、また電子音声が響く。
(テストってことは……実際に戦ってみろってことかな? それともこのゲームの独自の仕様……?)
よく分からないけど、説明はちゃんとされるみたいだ。しばらくすると視界の隅にカウントダウンタイマーが現れる。決闘不可避とかなかなかにあくどいですね。
《これより、NPCプレイヤーとの決闘を行ってもらいます。形式は完全決着モードで固定されます。一定時間経過後のHPを相手より高く保つか、相手のHPを全損させることが勝利条件となります》
やっぱりこれは肩慣らしというか、今自分の手にした武器で敵を倒せと言っているようだ。擬似プレイヤーと戦うことになるとは思いもしなかったけど。
このやたら広いフィールドはそのためのものだったみたいだ。
《現在対象者の端末情報を確認中…………――特定しました。これよりペイン・アブソーバを[10]から[5]へ移行します》
また聞いたことのない言葉が出てきた。同時に目の前に何やらHPバーのようなものが現れ、それが半分まで引き下げられる。
何かされたみたいだけど、それが何なのかは分からなかった。自分の身体に特に変わったところはみられない。まずペイン・アブソーバってなんだろう?
《決闘に勝利することがテストの適合条件となります。対象者が敗北した場合、不適合者として強制的にログアウトとなるのでご了承ください》
(あ、負けられないやつだねこれ)
ごちゃごちゃとした雑念は、今の一言で一気に吹き飛んでいった。
深呼吸をして気を引き締める。チュートリアルみたいなものだと思って適当に挑んで負けたりしたら目も当てられない。ログインさえできずにここから去るなんてまっぴらごめんだった。
カウントタイマーが残り30秒を示したとき、どこからか無数のポリゴンが出てきて10mくらい前でプレイヤーの姿を形作った。
それを見て私は息を飲む。そのプレイヤーはついさっきあたしが作ったアバターと瓜二つだったからだ。
(自分との戦いって意味かな……。やっぱり刀持ってるし)
偽物のあたしは、しかしNPCだからかどこか無表情で生気が感じられなかった。そして不気味なまでに沈黙している。まさかあたしの印象がそんな感じとでも言っているのなら許さないぞ。
これが人だったら小さな挙動とかで動きを見極められるんだけど、今回はそうもいかないみたいだった。
残り時間が15秒を切る。
あたしは浅く息を吐きながら、腰に携えられていた日本刀を抜刀した。黒い刀身がきらりと光る。
相手の出方が読めないときは、自分の隙を無くして出方を待つ。あたしは剣道の試合と同じように刀を正面に合わせた。
相手もまた、あたしに合わせて武器を構える。しかしその立ち姿は、どこか居合切りの構えを彷彿とさせるものだった。
秒読みが5秒を切った。
この世界でのルールも、戦い方すらも。何も分からない中での闘いが、今開かれる。
3……2……1……――
――0
瞬間、相手は強く足を蹴り出していた。最初に開かれていた距離をたった一歩で、一瞬で埋められる。
気が付いたときには、もう相手の刃は足元からあたしに向けて閃かれていて――。
「――――っ!?」
咄嗟に刀を引いて力を込める。
刹那、その刀身を火花を模した鮮やかなエフェクトが駆け抜けていった。
(疾い――!)
ざわっと肌が粟立つ。今のを防げていなかったらあたしはざっくりと袈裟懸けに斬り裂かれていた。
自然体に構えて相手の出方を見極めようとする、その隙を突かれた――
しかし後悔する間もなく、次の刃が迫る。受け流され上に弾き飛ばされたはずの刀が、今度は大上段に振り下ろされた。
迎撃はとてもじゃないけどできない。肩を平行に刀身を寝かせ、敵の刃と十字になるように構える。
直後、凄まじい衝撃があたしの手を襲った。甲高い金属音が響き渡る。
「ぐ……!」
ここにきてやっと、相手は動かなくなった。代わりに力比べの始まりだ。
ぐぐ、と相手の刀が押し込まれるのを、全力で押し返す。その凄まじい負荷のせいか互いの刀が悲鳴を挙げる。
何秒間にも及ぶ激しい鍔迫り合いは、しかしあたしの方から崩された。
体を半歩引いて、がくりと刀身を傾ける。
今まで加えていた力を一気に流され、相手の刃は叩きつけさながらの勢いで地面を打った。
「せ……やぁあっ!」
その隙を見逃さない。あたしは無防備になった敵の背中を思い切り斬りつけた。直後に刀身を閃かせ切り上げる。
この二連撃で敵のHPバーはぐん、と減った。残り八割くらいか。
(このままもう一太刀――!)
現実では決してできない芸当に、あたしは勢いづいた。
相変わらず硬直したままのその背中へ向け、再び刀を振り下ろす――。
この一瞬後に起こったことを、あたしは絶対に忘れることはないと思う。
背中越しに見た相手の刀の碧い煌めきと、その口からぼそりと呟かれた「……ツジカゼ」という言葉。
「――――え?」
反応することもできずに横一文字に斬り裂かれていたあたしの胴体。
いつの間にか振り返り、剣閃の残像と共にあたしとすれ違っていた相手の姿。
そして何より。
「――っ!? ぅ……ぁ――あああァァッ!」
いきなりあたしの身を襲う耐えがたい激痛。
こんな感覚はあり得るはずがない。これは現実のあたしじゃない。仮想世界のはずなのに。
でも、その痛みは。正気を失ってしまいそうなほどにあたしを支配する痛覚は、
そんな簡単にログインできるはずがないよというお話。
独り言多いですが序盤ということで目をつむっていただけると幸いです。
【用語・設定説明】
・リーファの所持武器
原作フェアリィ・ダンス編及びゲーム版では片手剣を所持しているが、あるキャラとの武器被りを防ぐため今作では刀使いに変更。
違和感がある方も多いとは思いますがご了承ください。
・リーファの装着防具
名称:シルフィレザー
AGI+5 DEX+5 防御力+120 命中+15 回避+5 毒+20 麻痺+20 出血+20
原作デフォルト装備
麻痺、毒、出血(状態異常)に振られているポイントは該当する状態異常に対する耐性ボーナスを表している。
・ペイン・アブソーバ
原作ラノベ四巻に登場した、アミュスフィアが搭載している隠し機能。
ほぼ遮断されているはずだった電子世界での痛覚認識のレベルを調整することができる。10から0まであり、0では仮想世界にありながら現実世界とほとんど変わらないほどの痛みを受ける。