第6話 森に降り立つ
彼は、自分を見失ってしまっていた。
人前ではいつも愛想笑いを浮かべ、嘘つきな内心を嘲笑いながら現実世界をずっと過ごしてきた。
自身の打たれ弱さは自覚していた。他人の目を気にしながら生きるのはとても息苦しいものだった。
この世界から逃げ出したい。いよいよ耐えきれなくなった彼が縋りついたのはある仮想世界。
かくして、彼はひとりの少女と出会うこととなる。
「ふぁ……。んー、っと」
ちらちらと瞼に明るい光が差し込んでいる。なんだか暖かい光だ。そのまま一眠りしてしまいたくなるけど、確かそれどころじゃなかったような、なくなかったような……。
多少もたつきながらも体を起こして、ゆっくりと目を開ける。
視界の先には、見慣れない緑の森と青い空が広がっていた。
「ここ……どこ……?」
僕はどうしてこんなところにいるんだろう。こんな場所に来た覚えはないし。多分連れてこられたか何か?
んんっ、と背伸びをして胡坐をかいた。どうやら気を失ってたみたいだ。どれくらいこうしていたのかは分からない。
寝起きの僕は、持ち前の低体温のせいで物事をうまく考えられない。気絶してたんだから眠ってたわけじゃないんだけど、まあ似たようなものだろう。
さわさわ、と心地よい風が吹き抜けていく。どこかで鳥が鳴いているのか、チチチ……という小さな鳴き声も拾うことができた。本当にもう一回寝てしまおうかな……。
ダメだ。眠い。結局僕はその甘い誘惑に負けて、再び地面に寝っ転がろうとした。
そのとき、不意に右手に何かを掴んでいることに気付く。硬くてまっすぐな棒のようなものだ。今まで気付かなかったのが不思議なくらい、強く強くそれは握りしめられていた。
無機質な光沢を放つ、鉄製の両手剣。
それが目に入った瞬間、僕の浮ついていた頭は一気にクリアになった。
「――ああ、そうだったっけ」
ここは、あの得体のしれない浮遊大陸の中だ。今まで近づくことすらできなかった、あの幻の。
まさかこんなに精密に構成されたエリアが広がっているなんて。驚きを通り越して感嘆する。アルヴヘイムでももうちょっと簡素な構成だったはずだ。
だんだんとここに至るまでの過程も思い出してきた。僕が参加した調査プロジェクトのこと。大きな病院の一室でアミュスフィアを被ったこと。
そうだ、あのあと確か僕は海の底みたいな真っ青で綺麗な場所で……。
無意識に、剣の柄をぎゅっと握りしめてしまった。ひゅっと浅い吐息が漏れる。
あの場所での光景が意志とは関係なく、強制的にフラッシュバックした。
がんがんと警鐘を鳴らす頭。痛みのせいで言うことを聞かない手足。赤色に染まり狭まる視界。
淡々と、しかし確実に僕を斬りつけてくる両手剣。それを振るうアイツの、生気のない虚ろで無機質な瞳。
朦朧とする意識の中で闇雲に振るった僕の剣は、吸い込まれるようにアイツの首を……
――大丈夫、もう大丈夫だ。もうアイツは襲ってこない。あんなに痛い思いはしなくてもいいんだ。
アイツは、僕が殺したんだから。
震える身体を抱きしめる。自分自身に言い聞かせるようにして、僕――リオルナは怯えてざわめく拍動をなだめ続けた。
身体の震えが治まったのは、あれからしばらく時間がたった後だった。うわ、端から見たら盛大に病んでるぞこれ。
空をよく見ると、さっきよりも日が傾いているのが分かる。この大陸にも時間経過の概念はあるみたいだ。
視界の隅々には、名前にHP、ミニアイコンなどが配置されていてここがゲームの世界だということを教えてくれる。ちなみに僕はそのHMのせいもあってよく女の子と間違えられるけど、性別は男です。
そして、僕が倒れていた場所は運よく敵エネミーがポップしない場所だったらしい。
少しだけ辺りを探索してみたら、『Yellow Pulse』という名のハチみたいな(というかハチそのままだ)エネミーが二、三匹単位でうろついているのが見えた。似たようなエネミーはアルヴヘイムでもよく見かける。
ちなみにレベルは79だった。
うん、だよね。僕もおかしいと思った。あ、無理なやつだこれ、って一瞬悟りかけたまである。
RPGしてて初めて出会う敵のレベルが79ってなんだ。そんなの見たことも聞いたこともない。難しいとかそういう次元を通り越してる気がする。
しかし、メニューを開いてステータスを見てみたら僕のレベルもまた80もあった。そういえば防具とか武器とかもなんだか初期とは思えない補正がかかっていたっけ。
恐らくここでの敵には対処できるくらいのレベルなんだと思う。まだ戦ってないからよく分からないけど。
もしかしたら、ここにレベル1で放り込むのはあまりにも可哀想だとシステム側が判断したのかもしれない。
そうだとしたらそれだけは感謝しよう。それ以外は文句しか言わないぞ。あんなにひどいテストをした以上、外道以外の言葉でここのシステムを評価する気はない。
しかもさっき肌をつねってみたらやっぱり現実に似た痛みがあった。多分ここでの探索にはこの痛覚がずっと付きまとうことになるんだろう。まったくもって憂鬱だ。何が面白くてダメージを実際の痛みとして受け取らせるなんて機能をつけたのかな。
とりあえず、あれらに挑んでみるのはここでできる最大限のことをした後だ。
僕はそう判断してその場を引き返した。そして最初にいた場所へと戻り、今に至る。
「うわっ、サブスキルの種類多いなあ……。えっと『士気昂揚』に『索敵』……『釣り師』とかネタだよねえ」
とりあえずスキルとかステータスとかの画面を開いて、知らない部分を確認していく。
奥が深そうなのはサブスキルのページだった。ざっと取得可能なものを見ただけでもかなりの種類のサブスキルがあることが分かる。この中から自分好みにいくつか選んで構成できるみたいだ。
スキルには熟練度もあるらしい。これを上げていくとたくさんのスキルを覚えられるようになるようだった。ちなみに僕は武器スキル『両手剣』の熟練度だけがやたら高かったんだけど、やっぱりこれも補正の一つなのかな?
これ以外にもメニュー画面にはステータス、クエスト、フレンドなど目を通しておくべきところがたくさんあった。これは時間がかかりそうだ。
一番下には『ログアウト』のアイコンがあったけど、間違って押したりしないように気を付けないといけない。
一区切りつけてメニュー画面を閉じたころには、だいぶ日が傾いてしまっていた。
このままなにもしないで夜を迎えるのはよくない気がする。あのハチ型エネミーがまだいたら挑んでみよう、そう決めて僕はさっきエネミーがいた場所へと向かった。
背の高い木々をいくつも通り抜けて、その場所へとたどり着く。そこにはやっぱり敵mobがうろうろしていた。たぶん固定ポップポイントなんだろう。
ただ、そこにいるのはさっきのハチ型ではなくて『Frenzy Boar』というイノシシ型エネミーだった。読み方はフレンジーボアかな。これも何匹かいるけどそれぞれの距離がけっこう離れている。
背の高さは僕の腰くらいだ。青い毛並をしていてちょっと愛嬌がある。
「レベルは……78か。さっきのよりも弱そうだし、釣ってみるかな……?」
僕は地面に転がっていた拳くらいの大きさの石を手に取った。
なんとか一匹だけをこっちの方に引きよせてから戦いたい。二匹以上にみつかってしまうのは避けたかった。というかそうなったら即行で逃げよう。
僕に一番近い一匹に狙いを定めてその石を投げる。最初は外れるかなと思っていたけど、驚いたことにシステムアシストが発動した。手元を離れて加速した石は、きれいにイノシシの背中に命中する。
ぴくっと攻撃されたイノシシが反応した。同時に画面の隅に「TARGET」という文字が表れる。どうやら釣りはこのゲームでも立派な戦術の一つみたいだ。ぼっちもといソロプレイに優しい仕様ですね。
僕を捕捉したイノシシが此方へと向かって突進する。他のイノシシは相変わらず地面の草を食べていた。その様子に心の中でガッツポーズをして、僕は両手剣を抜き去った。
「さて、練習台になってもらいますかなっと」
一匹だけで突っ込んでくるイノシシに向かって呟く。この地での初めての実戦だ。
いかんせん80レベル近くあるせいか、イノシシの走る速さは割と早くてあっというまに僕に近づいてきていた。
でも、その動きは直線的だ。怖がらずにちゃんと見れば避けることは造作もない。一度はねられてみてどれくらいダメージを受けるのか確かめても良かったんだけど、絶対痛いだろうからやめておこう。
痛みに対するトラウマはしっかりと僕を縛りつけていて、ちょっと足が竦んでしまったけど、それでもなんとか走って避けることができた。
攻撃を外して急停止するイノシシのその背中めがけて、両手剣を薙ぎ払う。
ざっくりとものを斬った感覚が伝わり、イノシシのHPはがくんと減って残り8割くらいになった。予想以上に攻撃が通って軽く驚く。
次に軽く剣を振って、なぞるように切ってみた。今度は全くと言っていいほど手ごたえがない。HPも全然削ることができなかった。
(ちゃんと攻撃を当てることが大事ってことか)
その辺りはリアルさを追求しているらしい。思い切り踏み込んで斬らないとジリ貧になりますよってことか。ビギナーには優しくないなあ……。
それにしても大振りな攻撃だ。身体がこの大振りな剣に毎回引っ張られてしまう。もう一度攻撃してみようかと、敵から外れていた意識を元に戻す。
気付けば、急に目の前に大きな牙が迫ってきていた。
「――――くっ」
間一髪、反射で身を捻ることができた。剣を手放してしまわないように片手で柄をぎゅっと握りしめる。
命中は避けられたけど、反応そのものがもう遅かったみたいだ。丸く太ったその体には不釣合いなほどに巨大で尖った牙が僕の脇を強かに打つ。
「がっ!?」
鈍器で叩かれたような衝撃が背中から全身へと突き抜けた。直後に重くて嫌な痛みがやってくる。
さっき植え付けられた記憶のせいで混乱しそうになる心を、しかし今度はどうにか抑え込んだ。
「――あぐ、う……」
(お、お腹を全力で殴られたらこうなるのかな……!)
別のこと考えて気を紛らわさないと、どうにかなってしまいそうだ。この痛みには慣れそうにもない。
とにかく今は距離を取ろう。僕は強く地を蹴って後方に下がった。幸いなことにイノシシは未だに牙を振り回していて追いかけてこなかった。
やっとのことで姿勢を維持すると、盛大に吐息が漏れた。なんだかんだで相当緊張していたみたいだ。無意識に息を止めてしまうくらいには。
全ては油断に慢心、心構えのできてなさに起因する。
はは、と乾いた笑みが口から漏れた。たかが雑魚一体になんて様だ。こんな敵アルヴヘイムでの僕なら秒殺してしかるべきものだ。
そうやって自分に対する怒りを燃やしていたら、心なしか痛みも薄れてきたように思えた。そうだ、こんなことで立ち止まってはいられない。
「遊びすぎてんだよバカ……一気に片付けよう」
自己嫌悪を言葉にして吐き捨てて、もう一度剣を両手に持つ。丁度いいタイミングで、イノシシがこちらめがけて突っ込んできた。
さっきと同じ要領で、十分にひきつけてからひらりとかわす。そしてその後ろを取る。なんかデジャヴ……。
たださっきと違うのは、僕の剣の構え方だろう。
腰の位置を落として、左手を前に。右手に剣をもって、ゆったりと後ろに下げる。
本当はこの構えなんて慣れれば必要ないし、格好もがったがただろうけど、それで今の僕にも――
「ブラスト……っ!」
剣技が打てるようになる。
システムアシストを受けて、振り抜く剣が水色の軌跡を描きつつ加速する。不思議な力強さが僕の身を包み込んだ。
手放していた右手をしっかり左手に添えて、そのまま横薙ぎに一閃。通常攻撃とは桁違いの威力にイノシシはたまらずよろめいた。
そして、この剣技はまだ終わらない。遠心力に身体を任せ、そのまま剣を一周させる。
十分遠心力を得た剣はさらに輝きを増し、一気にそのエネルギーを解き放った。
衝撃波と共に二度同じ空間を切り裂いた両手剣二連撃ソードスキル『ブラスト』は全範囲技という豪快さに違わず、一気にイノシシのHPを吹き飛ばした。
パリィンという何かが砕け散ったような音と共に、イノシシの身体が碧い小さな結晶になって散っていく。
視界の上隅に『Battle Log』という欄が現れ、今手にした経験値とドロップアイテムが表示された。
森の静かな雰囲気が、バトルで高揚した僕の心にもやっと戻ってくる。他のエネミーに今の音が拾われることはなかったみたいだ。
「……っは~。き、きつかった……!」
ここで大声を上げたら他のエネミーにも気付かれかねない。僕は剣を地面に突き立てて空を仰いだ。
戦闘時間そのものは一分もなかっただろうに、まるで全力疾走をしてきた後かのような疲れがあった。雑魚敵でこれとか僕もうお先真っ暗じゃないですかね。
まあ初めて実戦でソードスキルも使ったし、さっき練習で発動させたときよりも得られたものは大きかったとしておこう。
空はだんだん赤色が滲み始めていて、夕方に差し掛かろうかというところみたいだ。景色の演出はアルヴヘイムより上だね。確信した。
今日はもう終わりにしようかと剣をしまう。本格的な探索は明日からでいい。早いうちに剣を抜くことなく夜を明かせる場所を探しとかないと後々が大変だ。
そう判断して来た道を戻ろうとイノシシたちに背を向けた、そのときだった。
「あれっ? おっかしーなぁ。この辺りで戦ってる音がしたはずなんだけど」
背後で聞こえたその声に、僕はぱっと振り返った。
プレイヤーだ。まさかこんなに早く遭遇することになるなんて。
「おーい! さっきここにいた人、返事をしてよー!」
……しかもたぶん、女の子だ。
向こうに転がっている大きな倒木の向こう側でその声は響いていた。幸いエネミーに音は届いていない。ただ、このままだとすれ違ってしまうだろう。
ど、どうしよう。現実世界での僕のコミュ障のこじらせ方は深刻だ。上手く話せるかといえば当然自信がないわけで。
でも、相手はさっきの音を聞きつけてわざわざこっちまで駆けつけてくれたんだ。それを無碍にしてそのまま立ち去ってしまうのも心苦しさが半端じゃなさそうだ。
相変わらず僕を探すその声は、ただただまっすぐだった。
(~~~~っ)
たっぷり十秒間は迷った僕は、結局その声に応えることにした。もう本当に無視するのが苦しくなる呼びかけだったから……
「えっと、おーい。聞こえるかなー……」
「んっ? 人の声! やっぱりね! どーこーでーすーかー」
活発そうな声が響く。本当に女の子なのかな?
「こーこーだーよー……」
「ああ、その木の奥か! 待っててね。今行くから!」
その言葉にえっとなって上を見ると、せやっという掛け声とともにいきなり木の上から人のシルエットが飛び出してきた。長い髪がばさっとはためく。
「こんにちはって、あだ!」
そしてそのまま僕の目の前に着地して、こけて地面に顔を強かに打ち付けた。突拍子なさすぎる。
慌ててその手を取ろうとして、僕はちょっと戸惑った。本当に僕と同じくらいの歳の女の子だとは思わななかったからだ。
でも、僕は思い切ってその手を取った。いや、当たり前のことなんですけどね。僕にとっては多大な勇気が必要なんだよ!
僕の手をぎゅっと握ったその女の子は(この時点でキャパ越えしそうだった)「あいたたた……」と言いながらゆっくりと立ち上がった。
そこで、僕は再び息をのむ。その顔の可愛さからではなく、浮かべていた笑顔があまりにも自然で綺麗だったから。
明るい夜の色をした髪をたなびかせて、その子は僕に笑いかけながら言った。
「返事してくれてありがとう。で、初めまして! ボクの名前はユウキ! よろしくね!」
オリ主「リオルナ」登場です。
これからしばらく彼らの話が続きます。
【用語説明】
・ブラスト
両手剣の熟練度0で習得可能(最初から使用できる)
両手剣で唯一の全範囲攻撃技。最初の斬撃で前方120°を切り裂き、その勢いのまま旋回して衝撃波と共に360°を薙ぎ払う。範囲は刀身の1.5倍ほど。
使い勝手が良く、威力も高い信頼のおけるソードスキル。
・リオルナの初期レベルが80だった件
ホロウフラグメント及びインフィニティモーメントの設定。
外部からやってきたプレイヤーたちのレベルは総じて攻略組と同じ程度に高い。システム側の配慮だと思われる。
ちなみにこの段階での攻略組の平均レベルは85程度