追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第44話 ギンタマ①

 ◆

 

 ここ最近、シャールは朝の依頼受付へと足を運ぶたび、微かな違和感を覚えるようになっていた。周囲の冒険者たちの視線が以前とは異なるのである。露骨に敵意を向けてくる者はいない。だがかつてあった親しげな挨拶や、気安い声掛けの類が目に見えて減っていた。すれ違う者たちの会話が途切れ、こちらを一瞥してからまた再開される。そういった場面に何度か遭遇した。

 

 セフィラもまた同様のことを感じ取っていたらしい。

 

「何かございましたかしら」

 

 ある夕刻、宿の部屋で二人きりになった折にセフィラは静かにそう切り出した。窓際に腰掛けた彼女の翠色の瞳は憂いを帯びており、いつもの聡明な光がどこか曇っているように見えた。

 

「気のせいかもしれませんけれど、最近わたくしたちを見る目が変わっているような気がいたしますの」

 

「ああ。私も感じていた」

 

 シャールは頷いた。

 

 だが原因は何かといわれれば、心当たりはない。

 

「嫌われている、というほどではございませんわね」

 

 セフィラが言った。

 

「ただ、距離を置かれている。まるで厄介事に巻き込まれたくないとでも言うように」

 

「そうだな」

 

 シャールは窓の外を見やった。夕暮れの街並みが橙色に染まり、行き交う人々の影が長く伸びている。平和な光景である。だがその平和の下で何かが静かに動き始めている予感があった。

 

「ギンタマ──タマさんに会いに行こう」

 

 不意にその名が口をついて出た。

 

「あの男なら何か知っているかもしれない」

 

 セフィラは小さく頷いた。彼女もあの情報屋のことは覚えていた。ラスフェルに来て間もない頃、右も左も分からぬ二人に街の仕組みや暗黙の掟を教えてくれた男。胡散臭い風体ではあったが、情報の質と正確さだけは確かであった。

 

 シャールは立ち上がり、腰の剣帯を締め直した。

 

「ええ、そうですわね」

 

 セフィラもまた椅子から腰を上げ、外套に手を伸ばした。

 

 ◆

 

 赤銅の盾亭は冒険者ギルドから程近い裏通りにある古びた酒場であった。

 

 看板の文字は半ば剥げ落ち、窓硝子には長年の煤が積もって中の様子がよく見えない。扉を押し開けると、煙草の煙と安酒の匂いが混然一体となって鼻腔を突いてきた。薄暗い店内には粗末な木製のテーブルが所狭しと並び、壁際のランプがちらちらと揺れながら辛うじて照明の役目を果たしている。

 

 客層は一目で分かる類のものであった。

 

 日焼けした肌に古傷を刻んだ男たち。擦り切れた革鎧を纏い、腰には使い込まれた武器を帯びている。いずれも一癖ありそうな面構えで、新参者を値踏みするような視線をこちらに向けてきた。冒険者ギルドの大広間とはまた異なる、より荒んだ空気が漂っている。ギルドに登録こそしているものの、まっとうな依頼ばかりをこなしているわけではない者たち。そういう連中が集う場所なのだろう。

 

 シャールは店内を見回した。

 

 奥まった席に見覚えのある人影を見つけた。痩せぎすの中年男が一人で杯を傾けている。髪は脂で黒光りし、頬は削げ、鼻筋は一度折れて曲がったまま治癒したような形をしていた。ギンタマである。彼は手元の杯を眺めながら何やら物思いに耽っている様子で、シャールたちの来訪にはまだ気づいていないようだった。

 

 席へ向かおうと一歩踏み出した時である。

 

「おい、兄さん」

 

 横合いから声がかかった。振り返ると、テーブルに陣取っていた三人組の男のうちの一人が立ち上がるところだった。赤ら顔に無精髭、酒気を帯びた目がセフィラの姿を舐めるように這い回っている。

 

「随分と上等な女を連れてるじゃねえか。どこのお嬢様だ、こりゃあ」

 

 下卑た笑いが三人の間で交わされた。他の二人も席から腰を浮かせ、こちらを囲むような位置取りを始めている。シャールは静かにセフィラを背後に庇った。

 

「絡む相手を間違えているぞ」

 

「あん? 何だと、この若造が」

 

 男の顔が険しくなる。酔いに任せた虚勢か、それとも本気で喧嘩を売るつもりか。いずれにせよ厄介な展開になりそうだった。周囲の客たちもちらちらとこちらを窺っており、何が起きるか様子を見ている。

 

「よせ」

 

 その時、店の奥から声が飛んできた。

 

 低く、だが明瞭な声。ギンタマであった。彼は杯を置いて立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。その姿を見た途端、三人組の態度が目に見えて変わった。先ほどまでの居丈高な様子が嘘のように萎み、居心地悪そうに視線を泳がせている。

 

「その兄さん方は俺の客だぜ」

 

 ギンタマは三人組の前に立ち、にやりと笑った。その笑みには愛想の欠片もない。むしろ獣が牙を剥くような、底冷えのする凄みがあった。

 

「分かってんだろ? 俺の客に手を出すってことがどういう意味か」

 

「い、いや、タマさん、そういうつもりじゃ」

 

「ならいい。座ってろ」

 

 それだけ言って、ギンタマは三人組に背を向けた。彼らは何も言い返せず、すごすごと席に戻っていく。周囲の空気も元通りに戻り、他の客たちは何事もなかったかのように自分の酒に視線を落とした。

 

 シャールはギンタマの背中を見つめながら、この男の立ち位置を改めて認識していた。情報屋というだけではない。この酒場において、いやおそらくはこの界隈において、ギンタマは一種の顔役なのだ。その一言で場を収められるだけの影響力を持っている。

 

「久しぶりじゃねえか兄さん」

 

 ギンタマが振り返り、シャールに目を向けた。それからセフィラの方にも視線を移し、軽く顎をしゃくって見せる。

 

「お嬢さんも元気そうで何よりだ。まあ座れよ」

 

 促されるまま、シャールとセフィラは奥のテーブルへと移動した。ギンタマは元の席に腰を下ろし、店員に向かって軽く手を振って追加の杯を頼んでいる。

 

「で、何の用だ。わざわざこんな場末の酒場まで来たってことは、相談事でもあるんだろ」

 

 単刀直入な物言いであった。シャールは懐から銀貨を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「ここ最近、私たちについて何か妙な噂が立っていないか」

 

 ギンタマは銀貨を一瞥し、それから指先でつまみ上げて懐の銭袋に収めた。

 

「噂ねえ」

 

 彼は杯を傾けながら、値踏みするような目でシャールを見た。

 

「新人冒険者を襲っている連中がいるのは知ってるな?」

 

「ああ。ギルドが公表している」

 

「だがその連中が襲った奴らにとある質問をしていたことは知らねえだろ?」

 

 シャールは黙って先を促した。隣でセフィラもまた息を潜めるようにしてギンタマの言葉に耳を傾けている。

 

「男と女の二人組を探してるらしい」

 

 ギンタマの声が低くなった。

 

「黒い髪の剣士と、亜麻色の髪の女。若くて、どこか貴族みたいな雰囲気がある。そんな二人組を見なかったかってな」

 

 シャールとセフィラは思わず顔を見合わせた。

 

「その二人組がお前さんたちのことかどうかは、俺には分からねえよ」

 

 ギンタマは肩をすくめた。

 

「噂はあくまで噂だ。確証なんてものはない。ただ、この街の冒険者連中の間じゃ、お前さんたちが何か厄介事を持ち込んできたんじゃねえかって話が出回り始めてる」

 

「それで距離を置かれていたわけか」

 

「そういうことだな。誰だって面倒に巻き込まれたくはねえ。特にこの街は自由を謳ってる分、自分の身は自分で守らなきゃならねえ。関わり合いになって得することがなさそうなら、避けるのが利口ってもんだ」

 

 シャールは顎に手を当てて考え込んだ。予想していた以上に情報が広まっている。そしてその情報の出所が気になった。

 

「ギルドは情報の流出元を探っているのか」

 

「ああ、やっきになってるようだぜ」

 

 ギンタマは皮肉げに笑った。

 

「だが俺の見る限り、ちょっとばかり相手の方が上手だな。情報の出所を潰そうとしても、別のところから湧いて出てくる。まるで蛇口を閉めても水漏れが止まらねえみたいにな」

 

「相手が誰かをご存じですの?」

 

 セフィラが尋ねる。

 

 だがギンタマは目を閉じ、腕を組んで黙り込み、答えようとはしない。

 

 沈黙が落ちる。酒場の喧騒が急に遠いもののように感じられた。シャールは一瞬迷ってから、懐からもう一枚の銀貨を取り出してテーブルの上に置いた。

 

 ギンタマの口元がにやりと歪んだ。

 

「あんたらも知ってるだろ?」

 

 彼は目を開き、二人の顔を交互に見やった。

 

「ウェザリオ王国の連中さ」

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