追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第46話 遠くへ

 ◆

 

 その日から数日が経過した。

 

 シャールとセフィラは従来通りの生活を続けていたが周囲の空気は確実に変質しつつあった。ギルドの大広間で依頼票を眺めていると、近くにいた冒険者たちが不自然に距離を取る。酒場で食事をしていると、隣席の会話が途切れる。そうした些細な変化の積み重ねが二人の神経を少しずつ摩耗させていった。

 

 リッキーだけは相変わらずだった。依頼帰りのシャールを見つけると駆け寄ってきて、兄貴、今日の狩りはどうでしたかと屈託のない声を上げる。その無邪気さが却って痛ましく思えることもあった。この少年は噂を知らぬのか、それとも知った上で気にしていないのか。いずれにせよ、その態度に救われている自分がいることをシャールは自覚していた。

 

 セイルもまた変わらぬ様子で接してきた。稽古の約束を取り付けると、相変わらずの真剣な眼差しで剣を構える。西方流の実戦剣術を教わりながら、シャールは時折この男の横顔を窺った。噂のことを知っているのかと問いたい衝動に駆られたが結局その言葉を口にすることはできなかった。知っていて黙っているのであれば、それはそれでひとつの配慮なのだろう。知らぬのであれば、わざわざ告げる必要もない。

 

 日没亭での給仕の仕事は続いていた。グラニーは二人を変わらず使ってくれたし、常連客の中にも親しく声をかけてくる者はいた。だが初めて訪れた客の中にはシャールとセフィラの姿を認めると露骨に顔を顰める者も現れ始めていた。あれが例の二人組かと囁き合う声が厨房にまで届くこともあった。

 

 グラニーはそうした客に対して何も言わなかったがその沈黙には複雑な感情が滲んでいるように見えた。店を守らねばならぬ立場と、二人を庇いたい気持ちとの間で揺れているのかもしれない。シャールはそのことを責める気にはなれなかった。むしろ、ここまで使い続けてくれていることに感謝すべきだろう。

 

 ◆

 

 事態が決定的に動いたのはそれから三日後のことである。

 

 朝、ギルドの大広間は普段通りの喧騒に包まれていた。冒険者たちが依頼票の前で品定めをし、仲間と相談し、受付へと列を作っている。シャールとセフィラもその中に混じり、適当な依頼を探していた。

 

 背後から声がかかったのはちょうど一枚の依頼票に手を伸ばそうとした時だった。

 

「おい、あんたら」

 

 振り返ると、見覚えのない男が立っていた。三十がらみの、がっしりとした体躯の剣士である。使い込まれた革鎧を纏い、腰には幅広の長剣を佩いている。その後ろには同年配の男が二人、腕を組んで控えていた。いずれも中堅どころの冒険者と見える装備である。

 

「何か用か」

 

 シャールは静かに問い返した。相手の目には明らかな敵意が宿っている。酒場で絡んでくる酔客とは異なる、冷えた怒りのようなものがそこにはあった。

 

「用があるから声をかけてんだ」

 

 男は一歩前に出た。周囲の冒険者たちが何事かと振り返り、自然と輪が広がっていく。

 

「お前らのせいでこの街に厄介事が持ち込まれてる。知ってるか」

 

「厄介事とは」

 

「とぼけるなよ。変な連中がうろついてるのはお前らを探してるからだろうが」

 

 男の声は抑えられていたがその分だけ凄みがあった。大声で喚き散らす類の輩ではない。だからこそ厄介だとシャールは思った。

 

「俺の仲間がやられた。夜道で襲われて、身ぐるみ剥がれた上に半殺しにされた。犯人は分かってる。よそ者の連中だ。お前らを追ってきた奴らだよ」

 

 セフィラが小さく息を呑むのが分かった。シャールは表情を変えずに男の言葉を聞いていたが胸の奥で何かが軋んだ。自分たちのせいで無関係の者が巻き込まれている。その事実はどれほど理性で割り切ろうとしても重くのしかかってくる。

 

「それでどうしろと言うんだ」

 

「出ていけ」

 

 男は端的に言った。

 

「この街から消えろ。お前らがいる限り、あの連中は引き上げない。俺たちがいつまでも危険に晒されることになる」

 

「そいつはご無体な話だな」

 

 横合いから別の声が割り込んできた。ベルトランだった。依頼カウンターから出てきたらしく、無骨な顔に渋い表情を浮かべている。

 

「ギルドに登録した冒険者を根拠もなく追い出す権限は誰にもない。お前さんも分かってるだろう」

 

「根拠ならある。こいつらが来てから街の治安が悪くなった。それは事実だ」

 

「因果関係の証明にはならんな。この件についてはギルドも調査中だ。私刑じみた真似は認められん」

 

 ベルトランの声には有無を言わせぬ重みがあった。男は唇を噛み、しばらく睨み合いが続いたがやがて舌打ちをして踵を返した。

 

「覚えておけよ」

 

 捨て台詞を残し、三人組は大広間を出ていった。周囲の冒険者たちはしばらく二人を見つめていたがやがてそれぞれの用事に戻っていく。だが先ほどまでとは明らかに空気が違った。好奇と警戒と、そしていくばくかの同情が入り混じった、居心地の悪い空気である。

 

「助かった」

 

 シャールがベルトランに礼を言うと、この中年の職員は複雑な表情で頷いた。

 

「礼には及ばん。ただ、あの手合いは一人じゃない。これからも出てくるだろう。気をつけることだ」

 

 その言葉には暗にここを離れることを勧めるような響きがあった。シャールは黙って頭を下げた。

 

 ◆

 

 宿に戻ると、セフィラは窓際の椅子に腰を下ろし、長い溜息をついた。

 

「わたくしたち、この街を出るべきかもしれませんわね」

 

 その言葉は唐突ではなかった。二人ともいずれこの結論に至ることは分かっていた。ただ口に出すのを避けていただけである。

 

「ああ」

 

 シャールは短く答えた。

 

「だが闇雲に出ても仕方がない。次の行き先を考えねばならん」

 

「どこへ参りましょう」

 

「分からん。だからこそ、相談すべき相手がいる」

 

 セフィラは顔を上げた。その翠色の瞳に問いかけの色が浮かぶ。

 

「グレン──冒険者ギルドのギルドマスターだ。何か知恵を貸してくれるかもしれん」

 

 ◆

 

 翌日の午後、二人はギルドマスターの執務室を訪れた。

 

 グレンは机に向かって書類に目を通していたが二人の姿を認めると手を止め、椅子に深く腰掛け直した。白髪交じりの短髪、深い皺が刻まれた顔、鋭い瞳。将軍のような威圧感は相変わらずだが今日はどこか疲れたような影が見て取れた。

 

「話は聞いている。昨日の件だな」

 

 グレンは二人に椅子を勧めながら言った。

 

「ベルトランから報告を受けた。厄介なことになっている」

 

「申し訳ない」

 

 シャールが頭を下げると、グレンは手を振った。

 

「謝る必要はない。お前たちが悪いわけではないからな。だが状況が悪化しているのは事実だ」

 

 グレンは机の上で指を組んだ。

 

「ネズミ共を狩り出そうとはしているんだがな。どうにも尻尾を掴ません。一匹潰しても別の穴から湧いて出てくる。組織的に動いているのは間違いない」

 

「王国の密偵ですか」

 

 セフィラの問いにグレンは頷いた。

 

「おそらくはな。正規の外交使節ではない以上、公に抗議することもできん。この街は自由都市を謳っている手前、よほどの証拠がなければ他国の者を拘束することも難しい」

 

 自由都市ラスフェルの立ち位置は複雑だった。いずれの国家にも属さず、独自の自治を行うこの街は大陸各地から人々が集まる交易の要衝である。その自由さゆえに繁栄しているが同時にその自由さゆえに各国の思惑が交錯する場所でもあった。密偵や間諜が暗躍するのはむしろ自然なことと言えた。

 

「このままここにいれば、いずれお前たちの立場は苦しくなる一方だろう」

 

 グレンは率直に言った。

 

「私としては追い出す気はない。だが街全体の空気までは変えられん。冒険者同士の軋轢が深まれば、お前たちがまともに活動できなくなるのは時間の問題だ」

 

「分かっています」

 

 シャールは静かに答えた。

 

「だからこそ、相談に来ました。この街を出るとすれば、どこへ向かうべきか」

 

 グレンはしばらく黙っていた。机の上の羽根ペンを指先で弄びながら、何かを考えている様子だった。やがて口を開く。

 

「ヴェイル帝国はどうだ」

 

「帝国」

 

 シャールは眉を動かした。ヴェイル帝国といえばウェザリオ王国とは歴史的に対立関係にあり、過去には幾度か戦火を交えたこともあった。

 

「帝国は実力主義の国だ」

 

 グレンは説明を続けた。

 

「出自や血統よりも何ができるかを重んじる。貴族制度はあるが王国ほど硬直していない。能力があれば、身分に関わらず取り立てられる風土がある」

 

「わたくしたちがウェザリオの人間だと知れたら、警戒されるのでは」

 

 セフィラの懸念にグレンは肩をすくめた。

 

「それはどこへ行っても同じことだ。だが帝国には一つ利点がある。王国の手が届きにくい。両国の関係が冷え切っている以上、帝国領内で王国の密偵が大っぴらに動くのは難しいからな」

 

 なるほど、とシャールは思った。敵の敵は味方とまでは言わないが少なくとも王国の影響力が及びにくい場所であれば、今よりはましな環境が得られるかもしれない。

 

「帝国の冒険者ギルドは規模が大きい。腕のいい冒険者には仕事に困らんだろう。お前たちの実力なら、やっていけるはずだ」

 

 グレンはそう言ってから、ふと思い出したように付け加えた。

 

「ところでギンタマという男を知っているか」

 

 不意の問いにシャールとセフィラは顔を見合わせた。

 

「先日、会いました」

 

 シャールが答えると、グレンの目が細くなった。

 

「向こうから接触してきたのか」

 

「いえ、こちらから会いに行きました。噂のことを聞くためです」

 

「そうか」

 

 グレンは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。その表情には複雑なものが浮かんでいる。

 

「あの男はヴェイル帝国の密偵だ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 シャールは驚きを顔に出さぬよう努めたが隣でセフィラが小さく息を呑むのが聞こえた。ギンタマがただの情報屋でないことは薄々感じていたがまさか帝国の諜報員だったとは。

 

「この街には各国の密偵が入り込んでいる。表向きは商人だったり、冒険者だったり、情報屋だったりするがな。ギンタマもその一人だ。長くこの街にいるが本業は帝国のために働くことだ」

 

「なぜそれを」

 

「知っているか、だと?」

 

 グレンは皮肉げに笑った。

 

「ギルドマスターが街の裏事情を把握していなくてどうする。知っていて、泳がせているんだ。下手に刺激して地下に潜られるより、動きが見える場所にいてもらった方が都合がいいからな」

 

 シャールは先日のギンタマの言葉を思い出していた。「俺はあんたらの敵じゃない」「俺たちの関係がどうなるかはすぐに分かる」。あの言葉の意味がようやく腑に落ちた気がした。

 

「あの男がお前たちに接触してきたということは帝国側もお前たちに関心を持っているということだ」

 

 グレンは真剣な目で二人を見た。

 

「敵か味方かは分からん。だが利用される可能性は十分にある。気をつけることだ」

 

「利用、ですか」

 

 セフィラの声には警戒の色が滲んでいた。

 

「ウェザリオの王太子と公爵令嬢。帝国にとっては使い道のある駒かもしれんからな。亡命者として受け入れ、王国を牽制する材料にするという手もある。あるいはもっと別の思惑があるか」

 

 シャールは黙って聞いていた。政治の駆け引きには疎いつもりはないがこうして具体的に自分たちが駒として扱われる可能性を示されると、改めて己の立場の危うさを思い知らされる。

 

「急ぐ必要はない」

 

 グレンは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。夕暮れの光が執務室に差し込んでいる。

 

「だが決断は早い方がいい。状況は日に日に悪くなっている。お前たちがここにいることで周囲の人間まで巻き込まれ始めている。それはお前たち自身も望まぬことだろう」

 

「ええ」

 

 シャールは静かに頷いた。

 

「考えさせてください」

 

「ああ。何か決まったら、また来い」

 

 ◆

 

 ギルドを出ると、夕暮れの街が広がっていた。

 

 橙色に染まった空の下、行き交う人々の影が長く伸びている。露店の商人が店じまいを始め、酒場の窓からは賑やかな声が漏れ聞こえてくる。見慣れた光景である。ここで過ごした日々は短いものだったがそれでもこの街には確かに愛着が芽生えていた。

 

 二人は肩を並べて歩いた。しばらくの間、言葉はなかった。石畳を踏む足音だけが静かに響き、時折すれ違う人々が怪訝そうな目を向けてくる。

 

「わたくしたち、また旅に出るのですわね」

 

 やがてセフィラが呟いた。その声には諦めと、そしてかすかな決意が入り混じっている。

 

「ああ」

 

 シャールは頷いた。

 

「だが今度は逃げるためじゃない」

 

「では何のために」

 

「自分たちで選んだ道を行くためだ」

 

 セフィラは足を止め、シャールの顔を見上げた。翠色の瞳が夕陽を受けて輝いている。

 

「ヴェイル帝国……遠いですわね」

 

「そうだな」

 

 シャールは東の空を見やった。茜色に染まった雲の向こうにまだ見ぬ土地が広がっている。帝国がどのような場所なのか、そこで何が待っているのか、今は分からない。だが少なくともここで座して待つよりはましだろう。

 

「まずはもう一度、タマさんに会いに行きましょう」

 

 セフィラが言った。

 

「あの方が帝国の密偵だと分かった以上、話の持っていき方も変わってまいりますわ」

 

「そうだな」

 

 シャールは小さく笑った。

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