追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第48話 リッキーとセイル

 ◆

 

 世の中には二種類の人間がいる、とリッキーは思う。

 

 悪口を聞き流せる人間と、聞き流せない人間だ。そして残念ながら、自分は後者に属している──というのがリッキーの自己評価であった。

 

 ギルドの大広間で依頼票を眺めていると、背後から囁き声が聞こえてくる。厄介者、よそ者、疫病神。誰のことを指しているのかは考えるまでもなかった。シャールとセフィラのことだ。

 

 リッキーは掲示板の前で拳を握った。あの二人を陰で嗤う連中がいる。その事実が、どうにも腹の虫を収まらせてくれない。

 

 とはいえ、見ず知らずの冒険者に「おい、今の撤回しろ」と詰め寄るわけにもいかないのが現実というものである。正義感だけでは喧嘩に勝てないし、そもそも自分には喧嘩に勝つだけの腕っ節もない。ただ、冒険者として無才かといえば決してそんな事はなく、ここ最近は自分の長所が記憶力だと自覚しつつある。

 

 その日の朝、リッキーはヴァンスたちと連れ立ってギルドを訪れていた。

 

 ヴァンスの肩の傷はすっかり癒えている。神殿の治癒魔法というのは便利なもので、傷跡すら残さずに肉を繋いでくれた。ただし記憶までは消してくれないらしく、彼は以前のような無謀な発言をしなくなっている。

 

「今日は何にする?」

 

 リッキーが尋ねると、ヴァンスは顎を撫でながら掲示板を見回した。

 

「薬草採取でいいだろ。森の浅いとこなら安全だし。また珍しいやつみつけてくれよ」

 

「あればね」

 

 トトとミランも異論はないようだ。薬草採取と聞くと草むしりの延長のように思われがちだが、実際はそう単純な話ではない。採取する時刻や天候、根の切り方ひとつで薬効が変わる。見分けのつきにくい毒草も多く、うっかり混ぜれば依頼主の信用を失う。だからこそ採取を専門にする上級冒険者もいるくらいで、リッキーの記憶力はこの分野で重宝されつつあった。

 

 依頼票に手を伸ばしかけた時、背後のテーブルから笑い声が聞こえた。

 

 下品な、嘲るような笑い声。

 

 朝のギルドには依頼を物色する者たちが集まっている。その中に、テーブルに陣取って雑談している三人組がいた。中年の男たちで、使い古した革鎧を着ている。依頼を選ぶ気があるのかないのか、掲示板に背を向けたまま駄弁っている。こういう手合いはどのギルドにもいるものだ。ろくに依頼も受けず、古参というだけで居座り、新人の噂話で暇を潰す。問題は彼らの会話の内容だった。

 

「あの二人組、まだいるのかよ」

 

「いるさ。厚かましくもな」

 

「てめぇらのせいだってのに、平気な顔で歩いてやがる」

 

 隠す気など端からないらしい。声が大きい。

 

 ここ最近、ラスフェルの街で不穏な話が出回っていた。素性の知れないならず者の一団が、冒険者を捕まえては暴力を振るいながらある二人組の行方を聞き回っている、と。被害に遭ったのは主に新人の冒険者で、路地裏に引きずり込まれて散々殴られた者もいるという。そして、そのならず者たちが探しているのが、他でもないシャールとセフィラである──と噂されていた。

 

「おかげでこっちまで迷惑だぜ。新人が何人もやられてるってのに、あいつらは知らん顔だ」

 

「まったくだ。冒険者を名乗ってるが、ただの厄介者じゃねえか。あいつらに用のある連中のせいで、関係ない奴が殴られてんだぞ」

 

「女の方は器量がいいけどな。貴族崩れだってよ。若造があんな上玉連れてるのが気に食わねえ」

 

 三人が笑った。

 

 リッキーの血が、すうっと頭に昇った。

 

 気がつくと足が動いていた。自分でも何をするつもりなのか分からないまま、三人組の前に立っていた。

 

「おい」

 

 声が震えた。怒りか恐怖か、たぶん両方だ。

 

「あんたら、今なんて言った」

 

 男たちが顔を上げた。朝から気怠そうな目がリッキーを見る。顎髭の大柄な男が眉を寄せた。

 

「何だ、餓鬼が」

 

「あの二人の悪口を言うな」

 

「あの二人?」

 

 男は椅子にもたれた。面白そうな目をしている。

 

「お前、あいつらの仲間か」

 

「仲間ってわけじゃないけど……世話になったんだ。悪く言われるのは我慢ならない」

 

「世話になった、ねえ」

 

 別の男が鼻で笑った。痩せていて目つきが悪い。こめかみに傷跡がある。

 

「教えてやるよ。あいつらがこの街に厄介事を持ち込んだんだ。あの二人を探してる連中が暴れ回ってるせいで、新人が何人も痛い目に遭ってる。迷惑してるのはこっちなんだぜ」

 

「そんなの、あの人たちのせいじゃ──」

 

「せいじゃねえ?」

 

 顎髭の男が立ち上がった。リッキーの倍近い体格だ。見上げると首が痛い。

 

「いいか餓鬼。あいつらを探してる奴らがいて、そいつらが暴れてる。あいつらがこの街にいなけりゃ、そんな連中も来なかった。簡単な話だろ」

 

「リッキー、やめろって」

 

 背後からヴァンスの声がした。

 

「勝てねえぞ。引けよ」

 

「だって──」

 

「分かってる。分かってるけど、今は引け」

 

 ヴァンスの目が必死だった。相手が悪い。少なくとも、真正面から喧嘩するような相手ではなかった。ましてや複数いるのだ。

 

 だがリッキーは引けなかった。

 

 理屈では分かっている。勝てるわけがない。体格も経験も違いすぎる。

 

 それでも、引けなかった。

 

「黙って聞いてりゃ、好き放題言いやがって」

 

 拳を握る。

 

「俺はあの人たちに命を救われたんだ。森で小鬼に囲まれた時、助けてくれた。病気で倒れた時は医者の金まで出してくれた。そういう人たちを悪く言うな」

 

 三人の表情が変わった。だがそれは感銘を受けたからではなかった。

 

「ほう。それで恩義を感じてるってわけか」

 

 顎髭の男──ガロが目を細めた。

 

「餓鬼が一人前に義理人情か。だがな、お前が助けられたかどうかなんて、俺たちには関係ねえんだよ。この街の新人が殴られてんのは事実だ」

 

「そうだぜ」

 

 痩せた男が嘲笑った。

 

「お前が可愛がってもらってるのは結構だが、こっちは迷惑してんだ。強い奴に尻尾振って生き延びようって魂胆だろ。みっともねえ」

 

 その言葉が、リッキーの何かを弾けさせた。

 

「ふざけるな」

 

 手が動いた。男の胸ぐらを掴もうとした。だが体格差は歴然としていて、空を切った手は逆に掴まれた。

 

「手を出そうってのか」

 

 男の目が据わった。

 

「調子に乗るな、餓鬼が」

 

 次の瞬間、視界が回転した。

 

 床に倒れていた。頬が熱い。殴られたのだと分かるまで数秒かかった。口の中に血の味が広がる。

 

「リッキー」

 

 トトとミランが駆け寄ってきた。だがリッキーは一人で立ち上がろうとした。足が震える。頭がくらくらする。それでも立たなければと思った。

 

「まだ立つのか」

 

 ガロが呆れた顔をした。

 

「根性だけは認めてやるけどな」

 

「うるさい」

 

「やめろ」

 

 ヴァンスがリッキーの前に立った。顔は青いが、逃げようとはしない。

 

「こいつは俺の仲間だ。これ以上手を出すなら、黙ってないぞ」

 

 トトとミランも並んだ。四人対三人。それでも勝ち目はない。

 

 ガロが鼻で笑った。

 

「四人がかりか。いいだろう」

 

 一歩踏み出した。

 

 その時だった。

 

「ギルドの大広間でよくやるなてめぇら」

 

 低い声が響いた。

 

 ガロの足が止まる。声の方を向けば、一人の男が立っていた。使い込んだ革鎧、腰には幅広の長剣。日焼けした肌、鋭い目。三十前後に見えるが、立ち姿に隙がない。

 

 セイルだった。

 

 西方諸国連合出身の元騎士。シャールに剣術の稽古をつけている男である。

 

「何だお前は」

 

 ガロが睨んだ。

 

「関係ねえ奴は引っ込んでろ」

 

「関係あるから声かけたんだ」

 

 セイルは静かに歩いてきた。焦りがない。むしろ悠然としている。

 

「そのガキどもに手をだすな。一発殴ったんだろ?もういいだろう」

 

「あん?」

 

「聞こえなかったか。手を出すなと言っている」

 

 ガロの顔が険しくなった。

 

「喧嘩売ってんのか」

 

「売ってるのはそっちだろう。新人相手に大人げねぇ奴だ」

 

 ガロが拳を振りかぶった。

 

 その腕を、小太りの男が慌てて掴んだ。

 

「待て、ガロ。あいつはやめとけ」

 

「何でだ」

 

「セイルっていう元騎士だ。西方出身の」

 

「元騎士?」

 

 ガロの目が揺らいだ。騎士というのは単なる剣士ではない。正規の訓練を受けた戦闘の専門家だ。冒険者の中にも腕利きはいるが、騎士団の鍛錬を経た者の技量はまた別の次元にある。ラスフェルのような自由都市には様々な過去を持つ者が流れ着くが、元騎士ともなれば一目置かれるのが常だった。

 

「結構やるって話だぜ」

 

 ガロは舌打ちした。

 

 セイルは腕を組んだまま三人を見ている。余裕があった。

 

「俺も無駄な喧嘩はしたくない。引くなら何もしない。あんたらもガキをいたぶっても稼げるわけじゃねえだろ?」

 

「ちっ」

 

 ガロは拳を下ろした。

 

「クソが」

 

 睨みつけてから椅子に戻った。他の二人も渋々座る。周囲の空気が緩んだ。いつの間にか大広間の冒険者たちの多くがこちらを見ていたが、誰も口を挟む者はいなかった。

 

  セイルはちらと周囲を確認する。複数のギルド職員がこちらを注視していた。だが喧嘩が終わったとみるや、すぐに各々の仕事へと戻っていく。それを見て、セイルは内心でにやりと笑う。ギルドというのは素っ気ない組織だ。素手の殴り合い程度では仲裁に入らない。刃物が抜かれて初めて動く。冒険者がトラブルにどう対処するか、それも査定のうちということらしい。合理的といえば合理的だが、殴られた側にとっては薄情な話ではある。

 

 セイルがリッキーに歩み寄った。

 

「大丈夫か」

 

「ああ……ありがとうございます」

 

 口元を拭いながら答えた。唇がまだ血を滲ませている。

 

「助かりました」

 

「礼はいい。それより、ああいう連中に突っかかるな。義憤で喧嘩しても勝てなきゃ意味がない。どうしてもやるんだったら奇襲しろ。夜、裏道かなにかで、後ろから襲い掛かれ」

 

「!?……あ、でも、あいつら──」

 

「シャルのことか」

 

 セイルの目が僅かに鋭くなった。

 

「噂が流れてるのは知っている」

 

「嘘ばっかりだ」

 

 リッキーは拳を握った。

 

「あの人たちは悪い人じゃない。俺たちを助けてくれた。命を救ってくれたんだ。それなのに、得体の知れない連中のせいであの人たちが悪く言われるなんて──」

 

「分かっている。だが今はどうしようもない。噂は否定するほど広まる」

 

「セイルさん」

 

 ヴァンスが声をかけた。

 

「助けてもらって、ありがとうございました」

 

「ああ」

 

 セイルは短く頷いた。

 

 その時、大広間の入り口から二つの影──シャールとセフィラが現れた。

 

 二人はこちらの様子に気づき、足早に歩いてくる。

 

「リッキー、何があった」

 

「兄貴……」

 

 リッキーは唇を指した。血がこびりついている。

 

「ちょっと揉めちまって」

 

「揉めた?」

 

 シャールの目が鋭くなった。視線が三人組を捉える。ガロたちは気まずそうに目を逸らした。

 

「セイル、君が止めてくれたのか」

 

「ああ。俺が来た時にはもう殴られてたがな」

 

「礼を言う」

 

「いらん」

 

 セフィラがリッキーに歩み寄った。

 

「傷を診せてくださいませ」

 

「え、でも──」

 

「遠慮は不要ですわ」

 

 袋から布と軟膏を取り出した。唇の傷を丁寧に拭い、軟膏を塗る。手つきが優しい。

 

「ありがとうございます、セフィ姉さん」

 

「いいえ。わたくしたちのために怒ってくださったこと、嬉しく思いますわ」

 

 セフィラの翠色の目が微笑んでいた。

 

 シャールがリッキーの肩に手を置いた。

 

「すまないな」

 

「え?」

 

「君が殴られたのは私たちのせいだ。噂のせいで巻き込まれた」

 

「そんな……兄貴のせいじゃねえっす。俺が勝手に突っかかっただけで──」

 

「それでも。庇ってくれたことには感謝している」

 

 リッキーは鼻の奥がつんとした。殴られた時より、こういう言葉の方がよっぽど堪える。

 

「兄貴」

 

「何だ」

 

「俺、強くなりたいっす」

 

 真っ直ぐに見上げた。

 

「今の俺じゃ殴られるだけだ。でもいつか強くなって、兄貴の力になりたいっす」

 

 シャールは黙って見つめていた。口元が一瞬僅かに緩ぶが、表情にはどこか影があった。いつもの寡黙さとは違う。何か重いものを呑み込んだ後のような顔だ。

 

「兄貴、何かあったんすか」

 

 気づけば口が動いていた。

 

 シャールはセフィラと視線を交わした。それから小さく頷いた。

 

「リッキー」

 

「はい」

 

「近いうちに、私たちはこの街を出る」

 

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

 

「え……」

 

「決まったことだ。このままここにいるわけにはいかなくなった」

 

「どうして──」

 

「私たちがいることで、君のような者まで巻き込まれる。今日のことで、それがよく分かった」

 

 街で暴れ回っているならず者どもも、シャールたちを探している。このまま留まれば、もっと多くの人間が被害を受けるだろう。そのことは、リッキーにも分かっていた。分かっていたが、受け入れるのは別の話だ。

 

「でも──」

 

「リッキー」

 

 セフィラが穏やかに言った。

 

「わたくしたちが去れば、この街の空気も落ち着くでしょう。あの者たちも、わたくしたちがいないと分かれば去るはずですわ」

 

「そんなの、おかしいっす。兄貴たちは何も悪いことしてねえのに──」

 

「追い出されるわけじゃない」

 

 シャールが静かに言った。

 

「私たちが決めたことだ。この街には世話になった。だからこそ、これ以上迷惑をかけたくない」

 

 セイルが口を開いた。

 

「行き先は?」

 

「それは言えない」

 

 シャールは首を振った。その答えにリッキーは驚いた。セイルにさえ教えないのか。

 

「言えない?」

 

「ああ。君たちを巻き込まないためだ」

 

 セフィラが補足した。

 

「行き先を知らないということは、ある種の強みになりますの。誰かに問い詰められても、本当に知らなければ答えようがありませんわ」

 

 なるほど、とリッキーは思った。あのならず者たちに捕まって聞かれたとしても、知らなければ答えようがない。知らないことが守りになる。

 

「賢明だな」

 

 セイルも頷いた。

 

「俺も深くは聞かん。ただ、発つ前にもう少し稽古をつけさせてくれ。教え足りないことがある」

 

「ああ、頼む」

 

 リッキーは拳を握った。行き先を聞けない。会いに行くこともできない。だがそれが二人のためであり、自分たちのためでもあるのなら、文句を言える筋合いではなかった。

 

「兄貴」

 

「何だ」

 

「俺、いつか強くなって──」

 

 言いかけて、やめた。会いに行く、と言おうとした。だが行き先を知らないのだ。会いに行きようがない。

 

 シャールはリッキーの言葉を待っていたが、やがて言った。

 

「君もずっとこの街で冒険者をやるわけじゃないだろう」

 

「え?」

 

「いずれ力をつければ、世界に目を向けることもある。ラスフェルから出る事もあるはずだ。ならば──」

 

 リッキーは目を瞬いた。考えたこともなかった。自分がこの街を出て、もっと広い世界で冒険者をやる。そんな未来があり得るのか。

 

 セフィラも微笑んだ。

 

「リッキーさん、どうかお元気で」

 

「セフィ姉さん……」

 

「わたくしたちのことは忘れないでくださいませ」

 

 リッキーは頷いた。何か気の利いたことを言いたかったが、何も出てこなかった。

 

 大広間の隅で、三人組が居心地悪そうにテーブルに突っ伏している。シャールの視線を感じてか、こちらを見ようとしない。先ほどの威勢はどこへやら。

 

 シャールは何も言わなかった。

 

「さて」

 

 セイルが立ち上がった。

 

「俺は行く。依頼があるんでな」

 

「ああ。助かった」

 

「だからいいと言っている」

 

 片手を振って歩き出し、数歩で振り返った。

 

「シャル。発つ前に連絡しろ。最後の稽古をつける」

 

「分かった」

 

 セイルは頷き、大広間を出ていった。

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