追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第50話 虫の巣

 ◆

 

 クレイン宿場に着いた時、日はすでに山の端に沈みかけていた。

 

 馬車が中央広場で止まると、乗客たちが次々と降りていく。老婆は足元をふらつかせながらも、籠をしっかり抱えて地面に立った。若い男は無言のまま人混みに消えていった。

 

 ゴルツは二人に向かって手を振った。

 

「では、明日の朝また。わしは馴染みの宿がありましてな」

 

「ああ。世話になった」

 

「いやいや。道連れというやつですからな」

 

 商人は丸い背中を揺らしながら去っていった。

 

 シャールとセフィラは広場に立ち、周囲を見回した。

 

 魔導灯が点り始めている。橙色の柔らかな光が石畳を照らし、見知らぬ町に陰影を与えていた。旅人の姿が多い。馬車から降りた者、別の馬車を待つ者、宿を探す者。

 

「あそこにしましょうか」

 

 セフィラが指差した。

 

 通りの角に、三階建ての石造りの建物がある。看板には「銀月亭」と書かれていた。窓から暖かな光が漏れている。

 

 二人は宿の扉を開けた。

 

 ◆

 

 一階は食堂を兼ねた広間になっていた。いくつかのテーブルが並び、すでに何組かの客が食事を取っている。料理の匂いと談笑の声が入り混じっていた。

 

 カウンターには四十過ぎの女が立っている。日焼けした肌、逞しい腕。おかみだろう。

 

「いらっしゃい。泊まりかい」

 

「ああ。二人で一部屋」

 

「お二人さん、夫婦?」

 

 また同じ質問だ。シャールは面倒になってきた。

 

「そうだ」

 

 きっぱり答えた。セフィラが少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。

 

「そうかい。二階の奥から二番目が空いてる。一泊銀貨二枚、朝飯付き」

 

 鍵を受け取り、階段を上がる。

 

 部屋は狭かったが、清潔だった。窓際に寝台がひとつ、その横に小さな机と椅子。壁の燭台に火を点けると、淡い光が室内を照らした。

 

 セフィラが荷を下ろし、窓を開けた。

 

「シャール」

 

「何だ」

 

「さっき、夫婦だとおっしゃいましたわね」

 

「ああ。いちいち説明するのが面倒だった」

 

「それだけですか」

 

 セフィラの声には、からかうような響きがあった。

 

「……それだけだ」

 

「そうですか。残念ですわ」

 

 シャールは答えなかった。セフィラは小さく笑い、荷物の整理を始めた。

 

 ◆

 

 夕餉は一階の食堂で取った。

 

 羊肉のシチューと固いパン。素朴な味だが、空腹の身には十分だった。

 

 隣のテーブルでは、商人らしい連中が声高に話している。聞くつもりはなかったが、断片的に耳に入ってきた。

 

「──マルディンの新坑道がな──」

 

「──虫が出たって話だ──」

 

「──冒険者を何人も雇ったらしいが──」

 

 シャールはパンを齧りながら、耳を傾けた。

 

「虫?」

 

 セフィラも気づいたようだ。

 

「マルディンに何かあったのですか」

 

「分からん。だが、気になる」

 

 シャールは立ち上がり、隣のテーブルに近づいた。

 

「すまない、少し聞いてもいいか」

 

 商人たちが振り返った。警戒の色はない。酒が入っているせいだろう。

 

「何だね」

 

「マルディンで虫が出たという話を聞いたが、どういうことだ」

 

「ああ、あれか」

 

 太った商人が杯を置いた。

 

「新しく掘った坑道でな、地脈虫の巣を掘り当てちまったらしい。坑夫が何人もやられたって話だ」

 

「地脈虫……」

 

 セフィラが呟いた。顔色が変わっている。

 

「シャール、地脈虫は厄介ですわ。地中に巣を作り、振動を感知して獲物を襲う。成虫は人の腕ほどの太さになり、顎は鉄をも噛み砕く」

 

「詳しいな」

 

「文献で読みました。繁殖期には凶暴になり、巣全体が活性化する。討伐には専門の技術が必要で……」

 

 商人たちはセフィラを見た。若い女が虫の生態を滔々と語る姿は、彼らには奇異に映ったのだろう。

 

「お嬢さん、えらく詳しいな」

 

「博物学を少々」

 

「学者さんかね」

 

「いえ、冒険者です」

 

 商人たちは顔を見合わせた。

 

「冒険者? お嬢さんが?」

 

「ええ。それと、お嬢さんはやめていただけますか。わたくしにも名前がございます」

 

 セフィラの声には棘があった。シャールは苦笑した。彼女は「お嬢さん」という呼び方を好まない。見下されているように感じるらしい。

 

「失礼した。で、その地脈虫の巣とやらは」

 

 シャールが話を戻した。

 

「今も残っているのか」

 

「らしいな。冒険者を雇って討伐しようとしたが、巣が深くて手こずっているとか。おかげで鉱山は操業停止だ。町の景気も落ち込んでいる」

 

「なるほど」

 

 シャールはセフィラと目を合わせた。

 

 仕事がありそうだ。

 

 ◆

 

 部屋に戻ると、セフィラが言った。

 

「地脈虫の討伐、受けるおつもりですか」

 

「選択肢のひとつだ」

 

「危険ですわ。巣を潰すには奥深くまで入る必要がある。狭い坑道での戦闘は不利です」

 

「分かっている。だから、現地で情報を集めてから決める」

 

 セフィラは頷いた。

 

「賢明ですわね。飛び込みで危険な仕事を受けるのは愚かです」

 

「ラスフェルで学んだ」

 

「ええ。リッキーさんたちを見ていて」

 

 リッキー。その名前を口にした時、セフィラの表情がわずかに翳った。

 

「……彼らは元気にしているでしょうか」

 

「分からん。だが、ヴァンスがいる。セイルもいる。大丈夫だろう」

 

「そうですわね」

 

 セフィラは窓の外を見た。月が昇り始めている。

 

「シャール」

 

「何だ」

 

「明日からまた、新しい土地ですわね」

 

「ああ」

 

「楽しみですわ」

 

 その言葉に、シャールは少し驚いた。

 

「楽しみ?」

 

「ええ。知らない土地、知らない生き物、知らない依頼。それを自分の目で見て、自分の力で乗り越えていく。それがわたくしの選んだ道ですもの」

 

 セフィラは振り返り、微笑んだ。

 

「シャールはどうですか」

 

「……私は」

 

 シャールは言葉を探した。

 

 楽しいかと問われれば、正直なところよく分からない。ただ、隣にセフィラがいる。それだけで、どこへでも行けるような気がしていた。

 

「悪くない」

 

 それだけ答えた。

 

 セフィラは小さく笑った。

 

「相変わらず、言葉が足りませんわね」

 

「……すまない」

 

「謝らなくて結構ですわ。分かっておりますもの」

 

 セフィラはシャールの傍に歩み寄り、その腕に自分の腕を絡めた。

 

「明日も早いですわ。休みましょう」

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