追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第53話 姐御の杯

 ◆

 

 顔がいい、と言われて気の利いた返しができる男は多くない。シャールもその例外ではなかった。

 

「……は」

 

 困惑した声を漏らしたのは、恐らくラスフェル以来はじめてのことだろう。

 

 バーヴェラは愉快そうに笑い、シャールの肩に手を置いた。大きな手だった。指が太く、手の甲には傷や胼胝が幾重にも重なっている。だが爪は短く整えられていて、女の手であることは間違いない。

 

「坊や、今夜暇かい。一杯奢るよ。あんたみたいに弁えた男は嫌いじゃないんだ」

 

 軽い言い方だ。口説いているのかからかっているのか、その境界を曖昧にしたまま距離を詰めてくる。二メトルの体躯がぐっと迫ると、それだけで圧がすごい。シャールは背が高いほうだが、バーヴェラには見下ろされる。

 

「ああ、まあ……」

 

 曖昧な返事になった。適当にあしらう事は出来るが、それで敵視されても面倒──シャールがめぐらせた思考はそんなところだ。

 

 しかしセフィラがすぐ隣にいて──。

 

 表情は変わらない。翠色の瞳は穏やかなまま、口元にはいつもの微笑みが浮かんでいる。ただ、その微笑みの奥で、瞳の温度がほんの僅かに冷たくなったのは──気のせいかもしれないし、気のせいではないかもしれない。

 

 ◆

 

 バーヴェラがシャールの腕に触れた。

 

 二の腕を掴んで、品定めするように揉む。馬の脚を見る馬喰(ばくろう)のような、遠慮のない手つき。

 

「鍛えてるねえ。見た目だけじゃないみたいだね。この筋は実戦でついた筋だよ」

 

 ──その手首を、細い指が掴んだ。

 

 バーヴェラの手首は太い。大人の男のそれよりもさらに太いそこに、白い指が五本、ぴたりと巻き付いている。

 

 セフィラだ。

 

 にっこりと微笑んでいる。声は穏やかで、抑揚まで美しい。

 

「申し訳ございません。彼はわたくしの婚約者ですの」

 

 バーヴェラは少し驚いたようだった。ギルドの空気が止まる。

 

 バーヴェラは掴まれた手首を見下ろし、それからセフィラの顔を見た。にっこりと微笑むセフィラと目が合う。

 

 バーヴェラの口角が上がった。まず片方、それから両方。腹の底から、豪快な笑い声が弾ける。

 

「いいタマだね、あんた」

 

 その一言で、ギルドの空気がほどけた。

 

 ◆

 

 バーヴェラの背後にいた冒険者たち──子分格の男たちが、口々に言い出す。

 

「おいおい、姐さんに対していい度胸だぜ」

 

「あんな顔してやるなあ」

 

「だからこそだろ。小さくて綺麗な女ほど怖ぇんだよ、俺ァ知ってるぜ」

 

 笑い交じりで、敵意はなかった。バーヴェラの周りに集まる人間にとって、姐御に臆さず正面から立ち向かう度胸は最大の評価対象なのだ。

 

 バーヴェラはセフィラの肩を叩いた。手加減がないので、セフィラが半歩よろめく。

 

「気に入ったよ。──婚約者くん」

 

 シャールに向き直る。

 

「あんたの女は筋がいい。大事にしな」

 

「……ああ、知っている」

 

 ◆

 

 結局、全員で酒場に行くことになった。

 

 バーヴェラが先導し、子分たちがぞろぞろと続き、シャールとセフィラはその流れに巻き込まれるようにして歩く。

 

 酒場は精錬所地区の外れにあった。「鉄床亭」という看板が錆びた鉄板で出来ている。テーブルも椅子も頑丈な造りで、酔った坑夫が暴れても壊れなさそうだ。壁には古い鶴嘴や、地脈虫の甲殻を打ち抜いて額に入れたものが飾ってある。天井の梁には、過去の討伐で使い潰された戦鎚の柄がぶら下がっていた。

 

 バーヴェラが大量に酒を注文し、子分たちが歓声を上げ、テーブルの上にはあっという間に杯と瓶の山ができた。

 

「さて、自己紹介がまだだったね。あたしはバーヴェラ。"岩喰い"なんて大層な呼び名がついてるが、あだ名が先歩きしてるだけさ。この町に来て十五年になる。根っからのマルディン者じゃないが、もうよそ者でもない。ま、そんなところだ」

 

 子分の一人が口を挟む。「姐さんは謙遜がすぎるぜ。十年前の巣潰しじゃ先頭切って岩盤ぶち抜いたくせに」

 

「昔の話なんかどうでもいいんだよ。明日にはまた潜るんだ。そっちの心配をしな」

 

 それを聞いて、別の子分が杯を掲げた。「じゃあ姐さん、明日の武運を祈って」

 

「馬鹿だね、武運を祈るのは出発の朝だろう。今は飲むだけ飲みな」

 

 杯がぶつかり合う。酒が零れる。誰も気にしない。この酒場では零れた酒より零れない酒のほうが少ないのだろう。テーブルの板は酒で染みだらけだった。

 

「昔話はいい。で、坊やたちはどこに行くんだい」

 

「帝都だ」

 

「ヴェルダインか。いい街だよ。あたしも昔いたことがある」

 

 杯を置き、少し声を低くする。

 

「忠告しておくよ。帝都に行くなら南街道を使いな。北回りは近いんだが、今は山賊が出る。三週間前にも荷馬車が一台やられてるからね」

 

「分かった。ありがたい」

 

「もう一つ。帝都に着いたら一等路のギルドに行きな。受付に"片目のドリス"ってのがいる。あたしの名前を出しなよ。少しは融通が利くだろうさ」

 

 セフィラが頭を下げた。

 

「ご親切に、ありがとうございます」

 

「礼はいらないよ、嬢ちゃん。──それよりあんた、さっきからあたしの戦鎚をちらちら見てるだろう」

 

 見抜かれていた。セフィラの視線が泳ぐ。

 

「……どれくらい重いものなのですか?」

 

「八十ギラってところだね」

 

「八十──」

 

 セフィラの目が丸くなる。八十ギラ。そこそこ鍛えた成人男性一人分といったところだ。それを背に負い、片手で振るうというのは大した膂力であった。

 

「材質は──」

 

「武器の材質を聞いてくるのかい。変わった嬢ちゃんだね。普通の女は戦鎚の重さだの鋼の種類だのは気にしないもんだよ」

 

「わたくし、普通の女ではございませんの」

 

 バーヴェラが笑った。子分たちも笑った。セフィラも笑っている。

 

 シャールは静かに杯を傾けながら、二人のやり取りを聞いていた。繊細な知性と豪快な武勇、公爵令嬢の教養と鉱山町の叩き上げ。気質がまるで違うのに、不思議と馬が合い始めている。

 

 セフィラがバーヴェラに地脈虫の甲殻の効率的な砕き方を聞く。バーヴェラが気前よく答える。戦鎚の握りの角度、巣の中での足音の殺し方。セフィラは目を輝かせて聞き入っていた。

 

 シャールはそれを見るともなく見ながら酒を飲む。旅の中で二人きりの時間が長く続いていた。ラスフェルにはリッキーやセイルがいたが、この旅路にはいない。セフィラが自分以外の誰かと笑い合っている姿を見るのは、久しぶりのことだった。

 

 暫くのんでいると、子分の一人が酔いに任せて歌い始めた。別の一人がテーブルを叩いて拍子を取り、もう一人がそれに合わせて足を踏み鳴らす。鉱山唄だ。低く力強い旋律が酒場の天井に響く。坑道の暗さと、掘り出した鉱脈の輝きと、地上に戻った時の光の眩しさを歌った唄だった。

 

 それを聴きながらバーヴェラが笑い、セフィラが拍手し、シャールが黙って酒を飲む。そうして夜が更けていった。

 

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