追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第54話 煙と鉄の街

 ◆

 

 翌朝は金属がぶつかり合う音で目が覚めた。

 

 宿の窓の下を重い足音が通り過ぎていく。シャールが窓を開けると、朝焼けの中をバーヴェラの一団が行軍していくのが見えた。

 

 総勢十二名。冒険者が七名に坑道に詳しい坑夫が五名。荷車が一台ついており、積まれているのは魔導灯の箱と止血布の束、それに酸耐性の革手袋だ。地脈虫の体液で溶かされないための装備である。

 

 先頭にバーヴェラがいる。戦鎚を背に負い、革鎧の上から鎖帷子を重ね着し、腰には予備の短鎚まで下げていた。昨夜の酒宴の女と同じ人間とは思えない切り替えだ。

 

 セフィラも起き上がって窓際に来た。

 

 バーヴェラが宿の前を通りかかり、こちらに気づく。足を止めずに片手を上げた。

 

「坊や。せいぜい帝都で名を売る事だね。あっちは腕さえあればなんでも手に入る」

 

 声は大きくないが朝の冷えた空気の中をよく通る。

 

 セフィラに向かっては歩きながら振り返って──

 

「嬢ちゃん。あの坊やを離すんじゃないよ」

 

「ご心配には及びません」

 

 バーヴェラが笑った。手を振って前を向く。子分たちが続く。足音と装備の金属がぶつかる音が朝の通りに響いて、精錬所の煙の向こうに消えていった。

 

 ◆

 

 帝都行きの乗合馬車は明朝の出発になる。丸一日、時間がある。

 

「街を見て回りましょうか」

 

 セフィラの提案にシャールは頷いた。

 

 宿を出ると、精錬所地区が目に入る。マルディンの心臓部だ。

 

 巨大な煉瓦造りの建物が通りの両側にそびえ、煙突は三階建ての家屋よりも高い。そこから黒い煙と白い水蒸気が絶え間なく吐き出されている。この町の空が青く見えた記憶はシャールにはない。到着した日も昨日も今日もマルディンの空は煙の色だ。

 

 匂いは硫黄と焦げた金属が混じったもので鼻の奥を刺す。不思議と嫌ではない。

 

 精錬所の扉が開いた瞬間、凄まじい熱気が通りに吐き出された。中から赤い光が漏れる。炉に向かう男たちの姿がシルエットになって揺れていた。上半身を剥き出しにして、煤と汗にまみれた肌が炉の光を反射している。

 

「あれが精錬の第一工程ですわね。鉱石を炉で融かして──」

 

 セフィラが言いかけて、口を閉じた。知識として知っていることと、実際に自分の目で見ることの間には大きな隔たりがある。文献の中の工程が目の前で汗と熱と煤にまみれながら行われている。それは図面と実物ほどに違う。

 

 通りの地面は黒ずんでいた。鉄粉と石炭の粉塵が幾層にも積もって、踏むたびに靴底が染まる。

 

 精錬所の脇には冷却用の水路が引かれていて、排水が白い湯気を上げながら流れている。通りがかりの女が教えてくれた。

 

「冬場はこの水路のおかげで通りが凍らないんだよ。子供たちもここで洗濯してるのさ」

 

 見れば確かに水路の縁に子供が三人しゃがみ込んで衣服を洗っていた。七つか八つだろう。親は精錬所か鉱山に出ているのだろうか。彼らにとって、これが日常なのだ。

 

 セフィラが足を止めて、しばらくその光景を見ていた。

 

 ◆

 

 精錬所地区の先に鍛冶屋通りが続いている。精錬された金属を加工する職人たちの街区だ。

 

 ここに来ると音が変わった。精錬所の低い唸りに代わって、ハンマーの打撃音が自己主張しはじめた。

 

 かん、かん、かん。速い。軽い。鋤か鍬を打っている音だ。

 

 こん、こん、こん。遅い。重い。蹄鉄かもしれない。

 

 がん──がん──がん。さらに重い。間隔が長い。あれは武器を鍛えているのだろうか。

 

「経験豊富な方は音で分かるらしいですわね。素材と用途と、職人の腕前まで」

 

 セフィラが嬉しそうに言う。

 

 鍛冶屋の看板にはそれぞれ得意分野が記されている。「農具専門」の看板の下では農夫が鍬の研ぎ直しを待っている。「坑道用具」の店では鶴嘴の柄を取り替える作業の最中だ。鉱山が止まっていても道具の手入れは続く。再開に備えて。

 

 一軒だけ構えの違う店があった。入口の両脇に鉄柱が立ち、そこに地脈虫の甲殻を加工した楯が飾ってある。武具鍛冶だ。

 

 シャールが足を止めた。陳列台に数振りの剣が並んでいる。刃紋の流れ、鋼の色合い、柄の巻き方。手に取らなくても良質だと何となく分かった。

 

「見る目があるな、兄さん。そいつは出来がいいんだ」

 

 奥から五十過ぎの禿頭の男が出てきた。腕が太腿ほどに太い。

 

「冒険者かい。地脈虫退治に行くのか」

 

「いや、帝都に向かう」

 

「そうかい。だがまあ、あっちにも虫どもはいるからな。世界中、山があるところならどこにでもいるんだ、連中は。冒険者なら知っとくといい。奴らとやりあうには、剣は余りお勧めできない」

 

 親方は棚から戦鎚を一本持ってきた。バーヴェラのものより一回り小さいがそれでも相当な重量がある。

 

「甲殻の隙間を打ってへし折る。刺突で貫くか鈍器で潰すか、二つに一つでね。前者は中々技量がいる。だからこの町じゃ剣より鎚のほうが実用的なんだよ。バーヴェラの姐さんが証明してくれてるだろう」

 

 シャールは戦鎚を手に取った。重い。片手では振れない。バーヴェラはこれより遥かに重い八十斤の鎚を片手で振るっている。

 

「いい品だ」

 

「だろう?まあ兄さんが槌を振り回す姿は余り想像できねえけどな」

 

 親方は笑って、鎚を棚に戻した。

 

 ◆

 

 街の中心にある市場は人でごった返していた。鉱山が止まっていても人は食わなければならない。

 

 食料品の値が高い。穀物も野菜も他所から運ばれてくるのでラスフェルで見た価格の二割増しは下らないだろう。棚に並ぶのは燻製肉の塊、塩漬けの根菜、干し林檎、固い黒パン。鮮度よりも日持ちが重視される土地柄だ。

 

 一方で金属加工品は安い。釘、金具、蝶番、鋲。精錬の際に出る端材が籠に山盛りで銅貨数枚で売られている。土産物屋の軒先にセフィラの目が留まった。地脈虫の甲殻を薄く削って磨き上げたもので光の角度によって虹色の光沢が浮かぶ。人を殺す魔物の殻が職人の手を経ると装飾品になる。

 

 セフィラが一枚を手に取って陽にかざした。

 

「これが地脈虫の殻なのですわね。不思議な色合いですわ。生物素材ゆえなのでしょうか」

 

 甲殻を台に戻して、セフィラはそれ以上何も言わなかった。

 

 薬屋の前を通ると、棚に並ぶ薬がこの町の事情を語っていた。粉塵吸入の咳止め、重金属の解毒丸、落盤時の骨折用の添え木と膏薬のセット。鉱山が人の体を蝕む仕事であることが薬棚の品揃えから読み取れる。

 

 市場の片隅では操業停止中の坑夫たちが車座になって骰子を振っていた。仕事がないのだ。勝っても誰も嬉しそうではないのが印象的だった。

 

 ◆

 

 市場を抜けると、坑夫たちの居住区に入った。

 

 石と木材を組み合わせた二階建ての長屋がぎっしり並んでいる。壁は煤で黒ずみ、窓は小さい。洗濯物が通りを横切るように干されていて、シャールはそれをくぐって歩かなければならなかった。

 

 路地に子供が多い。操業停止で親が家にいるのだ。鬼ごっこをする子供たちの間を痩せた犬がすり抜けていく。

 

 井戸端で女たちが水を汲んでいた。木桶を両手で支え、一気に持ち上げる。腕が太く、背中が広い。鉱山町の女は鉱山に入らなくとも暮らしの中で鍛えられている。

 

 遠くからくぐもった音が聞こえた。住民たちが鉱山の方角を見る。地面が僅かに震えたような気もしたが気のせいかもしれない。

 

 バーヴェラたちが坑道に入ったのだろうか。戦鎚が岩盤を砕く音だろうか。

 

 井戸端の女が水桶を置いて鉱山のほうを見つめている。夫が討伐隊に同行しているのかもしれない。鉱山が止まれば町が止まる。この町の人々にとって、地脈虫の討伐は他人事ではないのだ。

 

 ◆

 

 夕刻。宿に戻って荷物をまとめ始める。明日の朝、南街道行きの馬車で発つ予定になっている。

 

 セフィラが窓際の椅子に腰掛けて、今日一日で見たものについて語り始めた。

 

「この町は鉱山で生きて、鉱山で死んでいる町ですわね」

 

 シャールは寝台の縁に座って聞いている。

 

「精錬も鍛冶も市場もすべてが坑道から掘り出される鉱石を中心に回っている。食料品が高いのは自給できないから。金属が安いのは余るほどあるから。薬屋の棚が職業病の薬で埋まっているのはそれだけ体を壊す人が多いから。鉱山を止められたということは──この町の心臓が止まったのと同じですわ」

 

 シャールは頷く。

 

 窓の外、煤けた空の低い位置に夕日が沈みかけている。赤い光が精錬所の煙越しに見えて、空を橙と灰の混じった色に染めていた。鉱山の方角は影に沈んでいる。

 

「……あの人たちが無事であるといいですわね」

 

「ああ」

 

 明日の朝にはこの煙と鉄の街を発つ──そのはずだった。

 

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