追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第65話 貫き鳥

 ◆

 

 マルディンが鉱山の町ならば、フォルカは水の町と言える。

 

 丘を下るにつれて石造りの建物が道の両側に密度を増し、路地の切れ目からミルノ川の翡翠色がちらちらと覗く。

 

 空気の匂いも質感も違う。湿っているのだ。苔と水草と川底の土が混じった匂いもする。

 

 南街道を下るあいだに、土地は何度も匂いを替えてきた。マルディンの煤と灰、メルリンゲンの鉄錆、カンネンベルクの焼き麦。フォルカでは水が空気を支配している。

 

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 馬車が桟橋通りの広場に停まった。

 

 荷を担ぐ人足の声と川魚を天秤棒に吊るした魚売りの呼び声が入り混じっている。

 

 渡し場であると同時に交易の中継地であるこの町には、鉱山町とは種類の違う活気があった。水辺特有のゆるやかな忙しさだ。せせこましくないというか、急いでいるようでいて急いでおらず、人も荷も金も川のように流れては次の流れに呑まれていくのだ。

 

 フェルディスが教えてくれた通り、フォルカの両替率は南街道でもっとも良い。川沿いの小路にある帝国の出張両替所で王国銀貨をロート銀貨に換え、渡し賃と当面の路銀を確保した。

 

 窓口の男の手つきは淡々としたものだ。国を跨ぐ金の流れがこの町の日常である以上、異国の銀貨など珍しくもなかろう。

 

「思ったより目減りしませんでしたわね」

 

「フェルディスに感謝だな」

 

 ◆

 

 三本ある桟橋のうち、渡し船が繋がれていたのは中央の一本だけである。

 

 平底の幅広い船だ。荷を積む船腹が大きく開いており、船尾に竿を構えた渡し守が一人立っている。日に焼けた顔に深い皺を刻んだ男で、シャールはこの男の腕に大樹の幹を連想した。

 

 先客が五人ほど。荷物を抱えた商人が二人に巡礼者らしい一団が三人。そこにシャールたち四人が加わる。船は人と荷を飲み込んでなお余裕があった。

 

 シャールが船縁に足をかけて先に乗り込み、振り返って手を差し出した。セフィラがその手を取る。引き上げる際に指がほんのわずかに絡んだ。

 

 続いてヴォルフが杖代わりの棒を使って乗り込み、エルザがその腕にすがって続く。

 

 船が人を呑み終えるのを待って、渡し守が竿を構え直した。

 

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 渡し守が竿を突き、桟橋が離れていく。

 

 水面が近い。手を伸ばせば届きそうな距離を、翡翠色の水がゆるやかに流れている。川幅は百メトルを超えるが、流れは穏やかで船は安定していた。

 

「この川を越えたら帝国ですわね」

 

「ああ」

 

「王国の土を……離れるのですわね」

 

 声にほんのわずかな翳りがあった。メルリンゲンの朝に覗かせたものとは質が違う。あの時は追手への不安だ。今のこれは生まれ育った国を水の向こうに置いていくことへの名前のつけにくい感慨だろう。

 

 シャールは答えなかった。セフィラと同質のものを感じているが、それに名をつける事ができない。悲しみともまた違う、奇妙な感情だった。感傷というのが最も近いだろう。

 

「……まあ、帝都には書庫がございますし」

 

 何と答えようか──そんなことを考えているうちに、セフィラは自分で自分の感傷に始末をつけてしまった。

 

 ◆

 

 川の中ほどに差しかかった時だった。

 

 渡し守の声が鋭く上がる。

 

「魔獣だ! 上から来るぞ!」

 

 全員が空を仰いだ。

 

 東の空に影。大きい。翼を広げれば三メトルはあろうかという鳥だ。灰色がかった羽毛に覆われた体躯は引き締まっており、何よりも目を引くのは嘴である。

 

 槍を思わせる異様に長い嘴が、まっすぐ前方に突き出していた。

 

 さながら飛槍といった所である。

 

 鳥は高度を下げながら船に向かってきており、明らかに船を狙っている様子だ。

 

 商人の一人が荷物に覆い被さり、巡礼者たちが身を竦めた。渡し守は竿を構えたが水上では満足な武器にならない。

 

「あれは……む、いかんな……」

 ヴォルフが呟いた所でシャールが立ち上がった。

 

 「お、おいあんた──」

 

 渡し守の気づかわし気な声を無視し、シャールは腰の帯から短剣を抜く。そして──投げた。

 

 短剣の切っ先が風を切り裂き、鳥へと向かっていく。

 

 そして──。

 

 投擲の軌道が鳥の突進する路に対して斜めに交差し、灰色の翼の先端をかすめた。

 

 それに驚いたのか、地上を這う虫けらの如き人間が反撃した事がそれほど意外だったのか、鳥が翼を翻し、突進の勢いのまま急旋回し──そのまま東の空へ飛び去っていった。

 

「逃げてくれたか」

 

 シャールが息を吐いた。安堵の色がある。

 

「お見事ですわ」

 

 セフィラが言った。声は落ち着いている。

 

「命中はさせなかったのですね」

 

「ああ。決死の覚悟をされてはかえって面倒だ。ここでは足場が悪い」

 

 水上で逆上した魔獣と本格的にやり合えば船が転覆しかねない。乗客を守りきれる保証もなくなる。掠めて、驚かせ追い払う。それがこの状況における最善手だとシャールは考えた。

 

「それに」

 

 シャールは対岸に目を向けたまま続けた。

 

「マルディンの地脈虫を覚えているか」

 

「ええ」

 

「あの虫は鉱山という人の営みに根ざした魔獣だった。坑夫たちは虫の死に対して複雑な思いを抱いていただろう。バーヴェラも死骸は地に還る滋養だと言っていたな」

 

「虫の恵み、でしたわね」

 

「ああ。あの鳥がどんな魔獣かは知らないが、この川辺りの民にとって何かしら共生の関係にある生き物かもしれない。不要な殺傷はなるべく避けたい」

 

 向かいに座るヴォルフが低く唸った。白い眉の下の目がやわらかく細まっている。

 

「いい判断をなさるね」

 

「ただの用心です」

 

「いやいや──」

 

 ヴォルフは膝の上に棒を渡して居住まいを正した。

 

「あの鳥は貫き鳥というんだ。正式名称はもう少し長ったらしく複雑なのだがね、皆そう呼んでいる。ミルノ川の流域に棲む魔獣でね。生態は見ての通りだよ──あの長い嘴で水面を貫いて魚を獲る。なかなかの漁師でね」

 

「漁をする鳥ですの」

 

「ああ。川漁師にとっては競合相手であると、同時に魚群の居場所を教えてくれる指標でもある。貫き鳥が旋回している水面の下には必ず魚がいるからね。厄介だが殺さないのがこの辺りの流儀だよ。お若いの、その勘は正しかった」

 

 シャールは軽く頷くだけだった。

 

「普段は人を襲わんのだがね。春先に卵を抱えると気が荒くなる。今がちょうどその時期だ。あの嘴は鋭い。こんな船なんて平気で風穴をあけてしまう」

 

 セフィラが鳥の飛び去った東の空に目を向けた。

 

「もうひとつ面白い事があってね」

 

 ヴォルフが指を一本立てた。

 

「貫き鳥は生来、風の魔力を持っている。翼の周囲に常に薄い風の膜を纏っていてね。これが天敵から身を守る甲冑の役割を果たしているんだよ。弓で射ても矢が風に弾かれて容易には命中しない。帝国の猟師泣かせの鳥だ」

 

 一瞬の間が落ちた。

 

 その間を拾ったのはエルザである。

 

 丸い眼鏡の奥からシャールの横顔に視線が据えられている。穏やかだが観察の色を帯びた目だ。

 

「素晴らしい腕前ですわね、でも──不思議だこと。短剣の軌道が奇妙に歪んだような気がします」

 

 声はやわらかい。だが問いの芯はやわらかくない。

 

 シャールは苦笑を浮かべて「運が良かったのでしょう」と答える。

 

「まあ、運も実力のうちですよ」

 

 エルザはにこりと笑った。だが眼鏡の奥にはまだ光が残っている。未知の現象を前にした学者だけが宿す貪欲な輝きだ──セフィラの翠色の瞳に灯るものと同じ種類の。

 

 まあこの場ではそれ以上追及はなかった。

 

 セフィラほど貪欲でなくて良かった──と胸をなでおろすシャール。()については、誰にもバレてはならないというわけではないのだが、それでも必要な時には行使を惜しむつもりはない。ただ、それはそれとして秘匿できるならばしたい──それがシャールの偽らざる本音である。

 

 

 ◆

 

 ややあって、渡し船は対岸の桟橋に着く。

 

 桟橋に降り立つと足の下の土が違う。赤みがかっている。鉄分を含んだ土だろう。踏みしめると靴底に薄く赤い粉がついた。

 

「帝国ですわ」

 

 セフィラが呟く。

 

「ああ」

 

 振り返ればさっき発った岸がもう対岸になっている。同じ川だ。だがこちら側から見ると向こうが妙に遠い。

 

「シャール。短剣が一本なくなりましたわね」

 

「ああ。仕方がない」

 

「わたくしも一本持っていますが……念のため、帝都で新しいのを買いましょうね」

 

「そうだな」

 

 まっすぐ南へ延びる街道を見ながら、シャールはウェザリオ王国への最後の感傷を込めてもう一度だけ息をついた。

 

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