追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話   作:スパイン・ケレス

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第71話 案内人②

 ◆

 

 鍛冶屋通りを抜けて次の角に差し掛かった所で、セフィラが軽く足を止めた。

 

「アストレイさん、一つ伺ってもよろしいかしら」

 

「はい、なんでしょうセフィさん」

 

「この帝都に皇立学院がございましょう。一度、その建物を遠目にでも拝見したいのですけれど──」

 

 セフィラの口調が普段よりほんの少しだけ早い。

 

 アストレイは数歩戻ってセフィラを見上げた。

 

「皇立学院でしたら、こちらから北西へ少し歩いた先にございます。遠目に、とおっしゃらず、もう少し近くから御覧頂けますよ。それに──」

 

 少年は何かを思い出したようにぱっと顔を明るくした。

 

「学院は、いくつかの講義を一般に開放しているのです。学院の門の脇に布告板がありまして、その日その日に開放されている講義の題目が貼り出されています。お代を払えば、どなたでも聴講できます」

 

「まあ──」

 

 セフィラの瞳が一段、深さを増した。書庫を覗き込んだ猫のような顔である。

 

「本当にどなたでも?」

 

「はい。基本的には聴くだけで質問は出来ない決まりですけれど、学院の先生方の講義を直に伺える数少ない機会ですから、商家の御主人方や他所から来られた学者さんなんかも結構通われています」

 

「実はわたくし、ヴォルフ教授より紹介状を頂戴しておりますの」

 

 それを聞いたアストレイの顔に、ぱっと別の閃きが灯った。

 

「セフィさん、紹介状を頂戴しているという事は──」

 

 少年は少し考えてから、慎重に言葉を選び直した。

 

「もしかしたら、学院から直接依頼を受ける事も出来るかもしれませんね」

 

「直接依頼か。つまりそれは──」とシャール。

 

「はい。ギルドを通さずに、依頼主の方が特定の冒険者の方へじかにお仕事を頼む形のことです。普通は依頼主の方がギルドへ御相談に来られて、それでギルドのほうからこのような仕事があると公開します。万が一の揉め事の折衷もギルドが担います」

 

「ふむ」

 

「ですが、依頼主の方と冒険者の方とで信頼関係が出来上がっていれば、ギルドを挟まずに直接お話を進める事も珍しくはないのです。古参の冒険者の方々は、むしろ直接のお仕事を多く抱えていらっしゃいます。ただし──」

 

 少年はそこで声を僅かに落とした。

 

「直接の場合、万が一の折にギルドの助けは得られません。報酬の不払い、依頼内容の食い違い、そういった揉め事を依頼者と受注者の二者だけで決着させる事になります」

 

 シャールは内心で頷いた。

 

 貴族の世界も似たようなものだった。王に守られる代わりに王に口出しを受け、自由を望めば即ち守りを失う。シャールという男は、その天秤の片側を一度自ら手放してこの世界に立っている。アストレイの説明はその意味で、シャールには既に身に染みた話でもあった。

 

「お話を伺うほどに、興味が尽きませんわね」

 

「では、まずは講義を聞きに参りましょう。学院までの道すがら、もう少し細かい事はお話しできますから」

 

 少年は再び先に立って、北西の方角へ歩き出した。

 

 ◆

 

 北西へ向かう道は、街区の境を一つ越えるたびに通りの色合いが変わった。鍛冶屋通りの黒煙と鎚音が消え、煉瓦の色が一段だけ明るい区画に入る。「僕らは『学区』と読んでいます」とアストレイは歩きながら教えてくれた。

 

 帝都は街を幾つも区分けし、属性ごとにカテゴライズしているのだ。属性といってももちろん地水火風というような魔術的カテゴライズではない。

 

 居住者の生業と街区の用途による、ゆるやかな区分けである。学者の集う学区、鍛冶や工の手仕事が集まる職人街区、卸と小売の並ぶ商人街区、それから外周の街区──境を役所が厳しく管理する訳ではないが、同じ生業の者は近くに集まっていた方が何かと都合が良いということだ。

 

 皇立学院は通りの奥に三層の煉瓦造で建っていた。正門は鋳鉄、両脇に学院専属の衛兵が立っている。帝都の四色衛兵とは制服の色味がやや異なる。

 

 門の脇の布告板に、本日の一般開放講義の題目が貼り出されていた。

 

「水の魔力における三系統の差異」「南海貿易における通貨史」「植物分類学初歩」──思っていたより題目の数は多い。

 

「植物分類学……」

 

 セフィラがその一行に視線を止めたが、すぐに自分で打ち消した。

 

「日を改めましょう。今日は他の場所も見ておきたいですから」

 

「では順番にご案内します。冒険者の方々がよく出入りなさる場所を、ぐるりと回るかたちで」

 

 ◆

 

 次は道具屋だ。

 

 店は学院前の通りを少し戻った先にあった。看板には「雄牛の弱音亭」とある。

 

 ──妙な名前の店だな。

 

 シャールはそんな事を思ったが口には出さない。

 

 間口は狭いが奥行きがあり、縄、松明、火打石、油袋、携行食の干し肉、虫除けの香、薬草の小袋、そういった物が箱と棚にぎっしり並んでいた。

 

「ここの店主さんは冒険者向けに、組合員価格で売ってくれます」

 

「お安くなるのですか?」

 

「はい。市場価格よりだいぶ安くなりますね! 卸値に手間賃を一割ほど乗せた値段なんです。何代も前のギルドの長と、ここの店の最初のご主人との取り決めで──冒険者組合員には薄利で売る、その代わり店の客足はギルドが絶やさず回す、という古い約束が今でも続いていて──」

 

「シャル、虫除けの香だけ少し買い増しておきましょうか。調査系の依頼を今後うけるとすればやっぱり、その……」

 

 セフィラの懸念はシャールにもよくわかった。

 

 原因は虫である。

 

 フィールドワークに於いて虫というのは厄介な相手だ。藪蚊、ブユ、蚋、毒の毛を生やした蛾、袖口や靴下の口から這い入ってくる。装備の隙間を狙って群れで来る上、一匹一匹は刃の届かぬ大きさをしている。気付いた時には皮膚が腫れて熱を持ち、夜眠ろうとすれば痒みで意識が冴え渡る。

 

 ラスフェルでケリガン森の縁に踏み入った折、セフィラは首筋と手首と踝を見事に刺されてしまったものだった。シャールも肩から背にかけて十数か所をやられていた。

 

 戦場やそういった場所での虫さされはあるいは命にかかわるが、森で刺される分にはよほど運が悪くなければ問題はないだろう。

 

「ああ……確かに」

 

 シャールは笑うでもなく、二度ほどうんうんとうなずいた。シャールの()を以てすれば虫よけくらいは造作もないが、継続的に精神を集中し続けるというのは現実的ではない。

 

 セフィラが小さな包みを二つ選んで銅貨を渡す。店主は無口な老人で、目を上げず銅貨を確かめてから、二つの包みを更に薄い紙で巻き直した。雨の道中を考えての一手間だった。この辺の手間を冒険者向けにとやってくれるので、この店は小さいながらも案外繁盛していた。

 

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