翌日、小翠リャマは突然に釈放された。
予定通り不起訴になったようで、放り出されるように留置所から追い出された。
無力感の浮かんだ、やるせない表情をした橘境子弁護士が小翠に挨拶してくる。
俺も化身を操作して、ぺこりと穏やかに一礼した。
それを少し離れた箇所で見ているのが、俺、降谷さん、コナン君の三人である。
昨日降谷さんが撃沈したあと立ち直ることができたのは、午前三時ごろになってからだった。
それまでずっと諸伏さんの介護を受けていたようで、ひたすら自己肯定感の高まるような声掛けを受けていた。
うーん要介護青年。
しかしそのあたりで急に何かに気付いたらしく、本性を露わにしながら大慌てで出掛けていった。
そして今しがた、どこかから帰ってきたところである。
非常に疲れた様子で肩を落としていて、どうも事件にも身が入っていないようだ。
「なにがあったの」とコナン君が仕方なさそうに聞くと、ますます降谷さんは萎れてしまった。
子犬のように情けない表情で眉を下げ、視線を落とす。
「昨日、僕は正気に戻ったわけだろ?」
「そうだね。相変わらずうっすら変だとは思うけど」
「それは通常運転だ。気にするな」
降谷さんは堂々と胸を張った。
最近ではだいぶ打ち解けたが、根はだいぶ面白い人ではあるのだろう。
堂々とできたのは一瞬で、ふたたび萎れていく。
「……僕の趣味は知っているな。羽虫を少々甚振る催しだが」
「うん。安室さんの神経を疑うあれでしょ」
「やめてくれ。僕もちょっとやり過ぎたと気付いたんだ」
しおっと萎びれているあたり、本当に反省していそうな空気かある。
おや、と思って俺もそっと声をかけた。
「なんかあったのか?」
「………全部終わったら話す。ヒロにどう言い訳するべきか一緒に考えて欲しい」
「うん、それだけで凄い碌でもない事態になってることだけは伝わってきた」
ますますしょげ返り、降谷さんはしおしおになった。
コナン君は全然興味が無いのか、視線の先の橘弁護士に釘付けだった。
おとと、俺も手動操作での橘弁護士との会話に集中せねば。
「あの弁護士さん、やっぱりなんか変じゃなかった?公安の協力者らしいけど」
「コナン君、僕の話なにも聞いてないだろ」
「変な雑談より目の前の事件でしょ。ねえ、あの弁護士さんのこれまで関わって来た資料を見せてくれない?」
「……いいだろう」
とぼとぼと肩を落として降谷さんが車の後部座席から何かを取り出した。
コナン君の突然の要請に何も聞かないあたり、降谷さんも気になることがあるのだろう。
コナン君に手渡されたのは書類一式だ。
「へえ、安室さんも調べてたんだ?」
「ああ。ついでにNAZU不正アクセス事件の捜査資料にアクセスできたもののリストも渡しておく」
コナン君は書類に目を滑らせ、高速で読み進めていく。
事務員の羽場二三一が拘置所で自殺、と言う文字に気がついたのか、コナン君がそれをじっと見つめている。
「……ちょっと、橘さんと話してくる」
コナン君がいい置いて、小翠リャマと橘弁護士の二人の方へ駆け出していく。
なんとも、やるせないものだ。
今回の事件は仲間内で殺し合うようなもので、降谷さんも知り合いを亡くしたとも聞く。
明日は5月1日。
ちょうど拘置所で自殺した、羽場二三一の命日となっている。
まもなく、コナン君が戻って来た。
静謐な表情で降谷さんを見上げて、口を開く。
「橘さんって、風見さんの協力者だよね?」
「…盗聴器か。まあ、そうだな」
「羽場二三一の取り調べって、安室さんの担当?」
「ああ。自殺を装って保護してある」
「ッ!そうなんだ。なら公安検察って協力者を作ることあるの?」
「認められてはいないな」
コナン君は押し黙って、しばらく黙りこくった後首を振った。
「憶測に憶測を重ねることになるから、やっぱりいいや」とだけ言う。
降谷さんが至極困ったような顔をした。
「そこは憶測でもいいから話してもらえないと困るんだが」
「でも証拠がなさすぎて単なる妄想なんだよ。もし明日ことが起こるとしたら、確定でいいと思うけど」
「ことが起こってからはさらに困る」
二人が言い争いし始めたので、俺は道端のアリの行列を眺めることに終始した。
こういう高度に政治的な話は関わらないに限る。
明日何を起こす気かは知らないが、エッジ・オブ・オーシャンの爆破を前哨戦とする犯人だ。
穏やかなものではなさそうだ。
しばらく意見が交わされたあと、俺に視線が集中した。
「黄衣君。明日犯人が何を起こす気なのか、少し確認してもらえないか?」
「ほえっ!?何何何。明日?やだよ俺は未来視はしないって決めてるんだ」
「そこをなんとか!」
「お願い黄衣さん!」
二人して頼みこまれては、流石の俺も形勢が不利だ。
「今回だけだぞ?本当に今回だけだからな?」と念を押してから渋々未来に視線を伸ばす。
あまり広範に見ると俺が精神的に辛くなるので、犯人の行動に絞って見ることにする。
時計を早回しするように、視界が未来へと真っ直ぐに開けていく。
PCに向かっている犯人は、NAZUへと不正アクセスしているようだ。
スマホにプログラムを落とし込んで、NAZU内部のシステムを掌握。
そして……。
ふむふむ。
…………。
ごほん、と咳払いを一つ。
俺は厳かに宣言した。
「えー、霞ヶ関が運動エネルギー爆撃を受けて吹っ飛びます。最低限、警視庁から半径一キロはダメなのでは」
「「ッ!?!?」」
コナン君と降谷さんがあまりのことに絶句したようだった。
想像の100倍やべーテロがお出しされてしまったな…とゲンナリするなど。
「正確にはあれだ、今話題の『はくちょう』が落下するらしい」と言い添えてもおく。
しかもちょっと難解な問題も付属していて、もうめちゃくちゃである。
コナン君が高速で思考を回し、鋭い視線を降谷さんへと向けた。
「警視庁が標的……降谷さん!」
「ッ、直径四メートルにもなるものがこんな都心に墜落したら被害は想像もつかないぞ…!不正アクセスの時刻は!?」
「明日の午後六時ごろだな。その二時間後には落下すると思う」
「ックソ!今のうちに避難を開始しないと到底間に合わない!だが…」
あまりにも予想のつかないテロ過ぎて降谷さん達も混乱しているようだ。
犯人は惑星探査機に不正アクセスして、それを警視庁に落下させようとしている。
降谷さんは苦しそうな顔をして言葉を絞り出した。
「少し荒っぽい手段を取るべきか。どちらにせよ、NAZUがアクセス元を特定するまで時間を稼げばいいわけだし」
「ッ、説得はできない?羽場二三一は生きてるんでしょ?」
「それで止まってくれればいいが、逃げられたら厄介だ」
色々相談しているようだが、結論は出なさそうだ。
俺もそろそろ首を突っ込ませてもらおうと、そうっと声を上げる。
「二人とも、悪いんだがもう一個悪いお知らせがある」
「……なんだ」
「惑星探査機『はくちょう』とやらが、とんでもない厄ネタを載せてることがわかった。具体的に言うと火星から飛来した旧支配者の種なんだが」
「!?!?」
正式名称、ヴルトゥーム。
花の形をした奴で、旧支配者としては非常に弱っちい。
だから昔、兄弟のよしみで俺が火星を貸して、そこに住まわせてやっていたわけだが。
ちょっと狡猾というかプライドが高い性格で、チラチラ地球に来ようとしていたりもする。
いやお前のところも火星人居たけど絶滅しただけじゃん。
地球の方がいいって駄々こねるなし。
なお、1回目の侵略計画発覚で火星からは蹴り出した。
今はあっちこっち旅をしているようだ。
驚愕に目を見開く二人に、順を追って説明していく。
「で、その古い種子が惑星探査機に乗ってる。火星を探索した時に回収しちゃったんだと思う」
「それが地球に着いちゃうとどうなるの?」
「発芽するね」
旧支配者ヴルトゥームの半物質顕現だ。
周囲の人間を芳香により隷属させ、勢力を拡大しようとするだろう。
「地球人の手により運び込まれる」という正規の手続きを経て地球に来るため、ハスターの瞳の駆除対象外になってしまったのが失敗だった。
ハスターの瞳の駆除対象設定を見直さなければなるまい。
ただし。
もしこのテロが成功した場合、強力な運動エネルギーにより古い種子は崩壊する。
無力化に成功するわけだ。
海などに落下して正規の手順で回収されてしまった場合のみ、ヴルトゥームは活動を開始する。
二人はにがりきった顔で沈黙した。
俺は慌ててパタパタと手を振る。
「いや、でもヴルトゥームぐらい顕現してすぐ俺が倒すし、何ならはくちょうそのものを大気圏でこっそり燃やし尽くすとかさ!」
「……500億以上をかけた火星探査という日本の国家プロジェクトは、そうして成功を目前にして頓挫するわけか」
降谷さんがぼそりと投げやりな言葉を残す。
お通夜みたいな空気だ。
しっかり掃除してから退去しないヴルトゥームが全部悪いので、今度ニャルを連れてボコリに行こうと思うなどする。
囲んで蹴ったり殴ったりするより他あるまい。
ケジメ付けろやオラ。
「ウン……結論出たら教えてね…」
俺はそそくさと道のアリの行列を観察する作業に戻った。
前途は多難であるようだった。
・旧支配者ヴルトゥーム
火星を支配していた花の姿をした旧支配者。
兄弟で一番弱っちいらしく、割と鬱屈している。
後日囲まれて〆られる運命にある。
兄弟仲は非常に悪い。
一応、魔術こみならハスターが一番強い模様。
・ニャルラトホテプ
別にヴルトゥームに思うところなど何も無いが、ハスターに呼ばれた場合嬉々として鉄パイプを持参する悪質なヤンキーのような存在。
現在は館でまったり羽虫遊びをしている。