降谷さんが一歩踏み出すと同時に、神域の魔術が発動。
潜水艦で逃亡しようとしていたはずのメンバー二十三名が空間転移魔術に捕捉された。
次の瞬間降谷さんの前へと乱暴に投げ出され、彼らは強かに全身を強打したようだ。
手足の拘束はなく、ただ茫然とする彼らを降谷さんはニヤニヤと睥睨するのみだ。
【逃げていいんですよ?追いかけっこはお嫌いですか?】
「ひっ……!」
言葉に促されるまま、皆悲鳴をあげながら距離を取ろうとする。
取り乱しながら立ち上がり、なんとか逃げようと押し合いへし合い、駆け出すのだ。
けれど五メートル行ったところで不可視の壁にぶつかり、逃げることは叶わなかった。
党員の一人が攻性魔術を発動するも、壁は小揺るぎもしない。
パニックが伝播する。
三人が何か小さな消費型媒体を使い、降谷さんを攻撃した。
発動しかけた魔術はおそらく「死の呪文」だ。
対象に消えない炎をつける呪詛の類で、かなり強力な攻性魔術にも区分される。
降谷さんはクスクスと笑って、楽しそうに「死の呪文」を手の中に巻き取った。
ふっ、とわざわざ指先に灯る炎を吹き消す動作も加えて、丁寧に見せつけるように呪詛を捻り潰す。
愉悦の滲んだ顔が三日月型に歪み、トロンと目が蕩けている。
アレはニャルラトホテプだ。
厳密には「限りなく近いもの」とでも呼ぶべきか。
意図的にニャルラトホテプとしての側面を限りなく強めて、本体の権能を獲得したのだろう。
その証拠に魔術は本人のそれと同じ、芸術的なその場限りの粘土状。
自由自在に組み立てて、降谷さんは目の前の羽虫を弄んでいる。
「黒い風の退散」が効かなかったのも、ほぼ本体と同化し外なる神としての在り方に近付いているからだろう。
つまりあれは規模の小さなニャルラトホテプというべきもの。
化身・黒い風の領分を超えた何かだ。
だが、アレでは人としての認識は残るまい。
現にアレはニャルラトホテプへと成り果てて、犯人捕縛の意思は欠片も残ってはいないはずだ。
人間だという意識も日本を思う心も消え、ただ己の悦楽にのみ従って動いている。
逃げ遅れた一人が転倒して、降谷さんに追いつかれた。
その頭をゴリ、と踏み付けにして、ペロリと唇の端を舐めて嗜虐的な笑みを浮かべる。
どのように甚振ってやろうか、どのように遊び尽くしてやろうかと。
愉悦に塗れた瞳が男を捉える。
しかし次の瞬間。
何かに気づいたように顔を顰め、そのまま踏み付けにした党員を魔術で拘束した。
【幸運でしたね。僕、自分で決めたルールは守る方なので。ああ、逃げたら殺しますのでそこは気をつけてください】
そして同じように、ギリギリまで甚振る素振りを見せながらも。
彼らを殺すことなく、周囲をメチャクチャに破壊することもなく。
降谷さんは非常に不満げながらも、全員を遊びながら捕縛していった。
全てが終わると、再び基地内を静寂が支配する。
俺は念話で彼に話しかけることにした。
『よお降谷さん…というかニャル?どっち?今話いい?』
『我が友!ええ、どちらでも構いませんが、本体と区別するために降谷と呼んでいただければ。それで、何かありましたか?』
『いやぁ……そこに転がってる人達で遊ばなかったのは何か理由があるのかなと』
今の彼はニャルラトホテプだ。
俺に話しかけられてとても嬉しそうに花を散らすあたり、ほとんど原型を留めていない。
だとして、神に楯突いてコケにする奴らを許す道理がないのだ。
ニャルなら間違いなく手慰みに無限プチプチしていただろうに、一体どんなトリックか。
俺の質問に、降谷さんは不服そうにため息をついた。
『僕が僕と交わした契約です。破壊行為を働かない。羽虫を殺さない。指定人員を捕縛して、それが終われば、元に戻る、と』
『あー、なるほど!』
『我がことながら面倒臭いんですよねぇ。いや、自分で決めたことなので守りますけど』
つまり、だ。
自分で自分に魔術的に約束事を作っておくのだ。
本来、外なる神が契約なんて効くわけもなければ聞く義理もない。
でもこうして明確に自分の意思を示しておけば、「自分で決めたことを破るのか」みたいなプライドに依る抑止力が働く。
こんな状態でも自意識が連続しているからこその裏技というか荒技だ。
別人ではない、約束を決めた自分も今の自分も同じものだからこそ成立する抜け道に近い。
同一人物であるからこそ、今の彼は契約のアラを探したりせず、素直に契約を守るのだ。
きっと長い歴史においてほぼ唯一であろう、ニャルラトホテプに約束を守らせる秘技中の秘技。
俺は流石にちょっと感動してしまった。
降谷さんもよく考えたものだ。
降谷さんはむっつりしたまま、拘束した党員を積み上げて椅子にして座った。
『じゃあちょっと僕戻りますので失礼しますね』
『ああ、ご苦労さん』
俺の労りに降谷さんは至極上機嫌そうにふふふと笑い。
そして目を閉じた。
ニャルの要素で埋没していた魂を引きずりあげ、元の形に戻していく。
パッと目を開けてすぐ。
降谷さんはどっと冷や汗を流して顔面蒼白になった。
慌てて党員積んで作った椅子から降り、全員の無事を確認している。
おや、と俺が首を傾げるのを見て、銀髪マフィアが補足説明してくれた。
「あの状態で本体とやらに話しかけられると、優先順位の問題とやらで挙動がバグるらしい」
「それはあまりにも致命的な欠陥では」
人命に関わるバグだぞそれは。
俺はゾッとして己の両肩を抱いて震えた。
一応ニャルラトホテプに近付いている影響で、ニャルにも薄っすら契約が生きているだろうが。
関係が遠くて、契約のアラを探されることまでは防ぎようがない。
そして冷静になって見れば。
こんな面白い企画にニャルが口出ししないはずもないのに。
なぜ今回奴は何も言ってこないんだ?
気になって月で埋まってる奴の様子を確認する。
ハスターの瞳で多重封印した穴の中をこっそり覗くと。
ニャルは現在、マインクラ◯トに夢中で何も見てはいなかった。
中にいい感じの個室ができていて、大きなデスクにはモニターが二つ。
最新鋭のデスクトップPCに繋げられており、山盛りのMODが入ったマインクラ◯トが起動中。
高級そうなゲーミングチェアに腰掛けて、ニャルは無心に採掘場でダイヤを掘っていた。
なんか……うん。良いことだ。
突っ込みどころが飽和中だが、約束通り穴の中にはいるわけだし。
変なイタズラを企まずに大人しくしているならこれ以上のことはない。
あと一式凄く高そうだけど、誰が支払ったんだろうか。
魔術でちょろまかした可能性もなくはないが、念のため降谷さんに後で確認しておこう。
何はともあれ仕事は終了。
降谷さんによる無線機での号令ののち、雪崩れ込む警官たちを見ながら、俺たちはほっと息をついた。
俺たちも仕事終わりで撤収せねばなるまい。
コナン君が車を降りようとすると、車内に置いてあった踏み台をジンが出して車の段差前に置いてくれる。
「……ありがと」とコナン君が複雑な表情で礼を言った。
外の空気は冷えて上着越しに肌を凍てつかせる。
まるで花火のようにも聞こえる発砲音の嵐が周辺にまで響き渡っていたのだろう。
少しだけ近所の住人が野次馬覗いていた、
その整理のために警察官が立ち入り禁止テープを張っている。
コナン君が少しだけ空を見上げた。
空は降谷さんが顕現をやめたため雲が散って、隙間から大きな月が覗いている。
「……なあジン。明美さんのことは覚えてるか?」
おもむろに、コナン君が銀髪マフィアを振り返り、問いかけた。
彼は僅かに目を見開いてから、「…あの女がどうした」と返事をする。
コナン君の澄んだ瞳に、月明かりが反射して見える。
「あの時、散々お前の邪魔をしたのは俺だ。不審には思っていただろ。手引きしてる奴がいるって」
「!!!」
銀髪マフィアは息を呑んだ。
そして口を開けようとして言葉が出てこず、そのまま閉じる。
コナン君は真っ直ぐに彼を見ている。
「アンタの今後の身柄について俺にどうこう言う筋合いはないけど。せめて明美さんには、謝っておいてほしい」
「………あの女は生きてるのか」
「死んだよ。死んでたよ。無念だったんだろうな。死んでも現世にしがみついて、幽霊になっちまうくらいには」
「…………」
そうか、と。
銀髪マフィアは目を伏せて、ゆるゆると言葉を落とした。
功績をいくら積み重ねようと、罪は消えないということか。
難しい、あまりにも難しい問題だ。
あのハイパーボリアを救えなかった俺の罪は、今後どれほど人を救おうと消えることはない。
降谷さんが正義の名の下に殺した命は罪として残り続ける。
太古の昔より、恨みとはそういうものだ。
俺はこっそりと大きなため息をついた。
とりあえずニャルはポカっと一発殴っておこう。
理由はない。八つ当たりである。
そんなことを思いながら、夜明けの光を浴びて、俺たちは帰宅の途に就いたのだった。
・ニャルニャルフォーム(新形態)
限りなく自分をニャルに寄せる降谷さんの自爆技。
ニャルに洗脳された影響でできるようになった。
ニャル化後は「鬱陶しいなー」と思いながらも自分の決めたことだし律儀に守る。
効果時間中はメンタリティが激変するため、自分とハスター以外は羽虫にしか見えなくなる。
ちなみに、バグるのを見越して契約を決めておけば、比較的目的通りに運用が可能。
まあ言うて自爆技の域を出ない。
・マインクラ◯ト
マルチプレイもやっている。
夜中に寝てる降谷さんを呼び出して整地させたり、ずっと木を切ってる木こりハスターを引き摺って冒険したり。
ニャルはサンドボックス系が好きなようだ。
他、ハスターとは時々魔術ありの仁義なきマリ◯パーティをやっている。
内部判定にアクセスして勝利とか、時流操作で相手のボタン操作を遅らせたりとかやりたい放題。
最後にWINと判定させた方が勝利の魔界統一トーナメント。