葛湯を楽しんだあと、俺たちは宿にチェックインした。
荷物を部屋の中に置いてくるためだ。
俺たちの部屋は一階の角だった。
女将さんに「こちら、ワンちゃん用のアメニティになっておりますので」と籠に入ったペットシートなどを渡された。
俺は「ありがとうございます」と受け取って頭を下げる。
コナン君が訝しげな顔をして聞いて来た。
「ワンちゃん用?どういうこと?」
「この部屋、ペット同伴用の部屋なんだ。ちょうどいいから俺も連れてこようかと思って」
疑問符を散らす一同をよそに、俺はのしのしと部屋へと入った。
部屋は犬用だろう、フローリングの上にやわらかなクッションマットが敷いてある。
持って来た犬用ベッドの上に、いつもの毛布に包まりてろんと元気のない星の精を乗せてやる。
さっき餌の血液を与えたばかりだから、その身体は可視状態に変化している。
ゼリー状の体に無数の触手を生やし、血液によって真っ赤に色づいた身体はグロテスク極まりない。
星の精は触手を僅かだけ動かしてから、また脱力して犬用ベッドに沈んでしまった。
コナン君が絹を裂くような悲鳴をあげた。
「変゛な゛の゛!連れて来た!!!!」
「ニャルのペットだし大人しいよ。いつもアレと二人っきりでしょぼくれてたから、気分転換に連れ出してやったんだ」
「本体がペットを?どう考えても世話できるタイプの性格じゃないだろ」
降谷さんがしゃがんで星の精を覗き込む。
星の精は瞬時に激しく震えて、毛布の奥に引っ込んでしまった。
可哀想に、毛布の塊がカタカタと震えている。
「お、おお……」と降谷さんが申し訳なさそうな声を出した。
俺は毛布をさすってやって、「大丈夫、降谷さんはニャルみたいに虐めてこないよ」と声をかけてやった。
賢い星の精は、窺うように毛布の隙間からちろっと触手を数本出した。
「降谷さん、軽く触れてやってくれ。優しくな」
「なんか……大丈夫なのかこいつは。見たところ凶暴そうに見えたんだが」
降谷さんが軽く触手の先に触れてやると、星の精は安心できたらしい。
毛布から出て来て、またテロンと脱力して犬ベッドの上で項垂れてしまった。
コナン君は諸伏さんの後ろに隠れて臨戦態勢。
その諸伏さんも恐る恐る近づいて、星の精を観察し始める。
『すごい見た目の生き物だけど、体調悪いんなら連れ回さない方がいいんじゃないか?』
「ニャルと居るとストレスが酷いみたいでさ。たまには安心できる時間も必要だろうと思って」
『なるほど。危険は無いのか?』
「本来は人間の骨を砕いて血を啜る獰猛な生き物なんだけど、今はそんな元気ないよ」
『ペットのヒグマとかそういう話???』
諸伏さんが目をまん丸にして聞き返してくる。
コナン君は部屋の隅で防護壁を築いて近づくまいという意志を強固にした。
まあ、本来はコナン君の反応が正しいものだ。
本当に今の星の精は弱っているので問題ないが、人間は声を聞いたら真っ先に逃げたほうがいいタイプの神話生物である。
普通は浮遊して移動する生き物だが、現在の星の精は浮く気力さえない。
ネズミなどの小さな生き餌をやっても触手に力が入らないのか血を啜ることもできない。
そうしてコップに血を入れて直接血を啜ってもらっている、可哀想な個体なのだ。
ふと諸伏さんに気付いた星の精がわしゃわしゃと反応を示した。
触手が一斉に蠢き、めちゃくちゃキモい動きだ。
そして諸伏さんの伸ばした手にペタペタ触れて「クス……」とか細い鳴き声を漏らす。
俺はおや、と思って諸伏さんに声をかけた。
「諸伏さんのこと気に入ったらしいな。少し遊んでやってくれないか?」
『気に入ったって、美味そうな餌として?』
「いや。星の精の知覚なら幽霊だって分かるし、普通に興味があるんじゃないか?」
『うーーーん』
かなり訝しげだ。
諸伏さんがそーっと星の精の触手を軽く握って振ると、星の精は喜んだようだ。
【クス…クス…!】
「お、凄い!ちょっと元気になってる!ついでだし抱っこしてやってくれ!」
『え、触るのこれ?なんか変な汁つきそうなんだが』
「星の精は綺麗好きだし、毎日綺麗にしてるから問題ないよ」
彼らは意外にも綺麗好きで、汚れなどがつくと払い落としたり水浴びしたりする。
たぶん狩りのための本能だろう。
星の精は透明不可視で獲物に忍び寄る狩人だ。
汚れを落とし透明さを保とうとするのはごく自然な行動に違いない。
諸伏さんが赤子を抱えるみたいに抱っこする。
星の精はクスクスと笑って嬉しそうに触手をざわめかせた。
「おーよしよし」などと言って諸伏さんが星の精をあやすように揺らしている。
星の精は「ゲタゲタッ!」と珍しく上機嫌な声を上げた。
気分転換にはなったようで何よりである。
降谷さんがふーん、と言って隣から星の精を覗き込んだ。
星の精は瞬時に干物になって全部触手をしおしおに縮ませた。
そしてガタガタ震えて諸伏さんに体を押し付けて隠れようとする。
『虐めんなよゼロ。怖がってるだろ』
「虐めてない。キモいなと思っただけだ」
『それはそう』
そんな俺たちに痺れを切らしたコナン君が怒り気味で、「そろそろ怪異の方に行こうよ!!!」と声を上げた。
そうだった。忘れそうになっていた
「諸伏さんは星の精を頼んだ。怪異は俺らだけで見てくるよ」
『いいのか?』
「せっかく星の精がこんなに懐いてるんだしな。一人にするのは可哀想だろ?」
『了解。ま、ゼロと黄衣に魔法少年までいるんだし、そっちは戦力過多か』
「魔法少年って何。僕そんなメルヘンな呼ばれ方は不服なんだけど」
『そういやマスコットが居なかったな。こいつとかどうだ?』
「いらないですけど!?!?」
魔法少年コナン、マスコットの星の精付き。
なんて冒涜的なんだ。
マスコット単体で中ボスが張れてしまう。
まあ、ともあれ星の精は諸伏さんに任せればよかろうよ。
女将さんに声をかけて、怪異関連案件のため鎌の調査に来た旨の話を伝える。
俺が名前を出せば快く蔵に案内してくれた。
蔵は鍵もかかっていない、誰でも入り放題の場所だった。
降谷さんが無言で眉間に皺を寄せる。
どうやら純粋に不用物を入れる物置として使っていたらしい。
俺たちの話は女将にとって寝耳に水だったようだ。
「亡くなった夫が、高名な職人が手がけたものだから売れば一千万円はするかも、と言っていましたが…」としきりに困惑していた。
どうもその夫を信じてはいなかったらしく、鎌は不要物として倉庫に雑に仕舞われていた、ということか。
たしかに、普通農具が一千万円って変だもんな。
だが、魔術的価値で考えるなら千万の単位では到底利かない厄ネタである。
女将さんの手で棚から出して、保存用の桐箱を床に置いてもらうと、どこか静謐な空気が蔵のなかに漂った。
そこに紛れるように悍ましい香りがひとつまみ。
蓋を開けると、そこにはよく磨き上げられた一本の大鎌が鎮座していた。
よく磨かれた、飾り気のない実用性のみの大鎌だ。
そこには古い封印機構が組み込まれている。
しかしそれはルリム・シャイコースの落とし子を封印するには随分と粗末だ。
ルリム・シャイコースどころか諸伏さんだって力づくで突破できるだろう。
落とし子はいつでも蹴破れる藁の扉の向こう側で、ただじっと蹲っているようだった。
別に大人しい分には困らない。
予定通り買取交渉に入るため、俺は女将さんに向き直った。
「これなのですが、こちらで買い取ることは可能でしょうか」
「え……買い取り、ですか。構わないと思いますが、この鎌本当に値打ちものなのでしょうか?」
「はい。というより、怪異関連物品となります。今後法規制で民間取引は規制されますが、公安にて回収が行われる予定なので、先んじて買い取って提出しようかと思いまして」
「そちらにとっても悪い話ではないかと思われます」と丁寧に説明する。
怪異関連物品は今急速に法整備が進んでいる。
古美術として間違って人手を転々と渡ると、一歩間違えばとんでもない事件が生まれかねないからな。
だからなるべく公安で買い取って管理しようと言う話で進めている。
女将さんはやはり困惑しているのか、「その、大旦那様に一度相談してもよろしいでしょうか」と眉を下げた。
当然それは予想していた反応なので、「構いません」と言って一旦下がることにした。
大旦那に相談しに行くおかみさんの後ろ姿を眺めながら、降谷さんが俺に鋭い視線を向けた。
「いいのか。あの鎌の封印機構を組み直さず場を離れて」
「なんかあの落とし子、どうもあそこから出てくる気が無いみたいだしな」
しかもあの気配は……たぶん、人類との合いの子か。
一体何があったのやら。
部屋に戻ると。
星の精を頭に乗っけて、ブーーーンと遊んでやっている諸伏さんの姿があった。
星の精は「ゲタゲタゲタッ!」と至極上機嫌そうに笑って触手を靡かせている。
「………元気そうだな、ヒロ」
『うん。育児感はあった。俺も息子ができたみたいだ……』
「そいつはメスな」
俺は思わず突っ込んだ。
星の精は「クスクス…?」と諸伏さんの頭の上でムニョムニョ動いていたのだった。
・星の精♀
成体は熊と同じぐらいのサイズのため、実はまだ小さな子供だったりする。
それゆえ知能もまだ未発達で、人間で言う5歳児ぐらい。
諸伏さんにかなり懐いている。
ハスターのことは悪魔城の主のややマシな方と認識している。
・ルリムシャイコースの落とし子
人並みの感情がある。
昔は暴れ回ってたが、大鎌に移されてからは大人しい。
願いを叶え、その代償を吸って蓄えて来た。
「俺の話し相手になってくれ」という願いも、当然叶えた。
農民だったその男が大枚叩いて誂えた鎌に入って、落とし子はその生涯を看取った。
ボロボロの封印機構はいつでも破れたけれど、願いもあったしそのままにした。
男は大往生だった。
「またな」「来世でも話そう」とふざけたことを抜かした。
馬鹿な男だった。己を人のように扱って、酒をもって語らって。
その上来世などという幻想を信じていたらしい。
でも、絶対に事実無根だとも証明されていない。
なので……戯れに落とし子は待っている。
男が、あの日々のように陽気に「久しぶり」と言って。
己の前に現れるのを。