ジンからして、それは取るに足らない邂逅であった。
いつもよくある仕事の日だ。
今までパトロンだった製薬会社の社長が、今になって怖気付いて警察に駆け込むのだという。
そのため、口を封じるべくジンに暗殺の任務が回ってきたのだ。
冬の冷たさが肌を打つ。
本日は曇りであったこともあり、夜の東都は震えが来るほどに寒く冷え込む。
ジンは「早く死体を片して帰ろう」と気だるい体を動かして内心で算段を立てた。
すでに製薬会社の社長の息はない。
足元で転がる死体は冷え切っていて、下っぱどもに任せれば仕事もこれで終わりだろう。
ウォッカに手配を任せていた、ちょうどその時である。
生垣のある曲がり角を通り、こちらを見て驚愕に硬直した青年をジンは視認した。
男は夜でもわかる病的に色白な肌に、特徴的な赤い瞳をしていた。
アルビノだろうか、一度見たら忘れられない顔だ。
夜だというのにサングラスをして、サングラス越しに街明かりを反射した赤い瞳が煌々と輝いている。
……まぁ、夜にサングラスなんてウォッカも同じだから別にジンとしては構わない。
ある程度後ろ暗いところのある人間は顔を隠したがるものだ。
青年もその手の───例えば、半グレやトクリュウの類なのかもしれない。
そこまで考えて、ジンは小さくため息をついた。
いや、裏の人間という線は無いか。
あまりにも素人然とした身のこなしだ。
暴力に慣れた人間は自分が上だという自信があるものだが、それがない小市民じみたおどおどしさが前面に現れている。
なんにせよ殺人現場を見られるのは想定外だが。
特に問題はないだろう。
ジンは路上にタバコを捨てて、それを踏み潰した。
死人に口なし。考えるまでもない。
ジンはそのまま全て些事だと思考を投げ捨て、どうせ死ぬ人間のことを思考の外に追いやった。
つくづく運の悪いことに、白髪の青年は後ろから合流してきたウォッカに気づいていないようだった。
そのままゴリっと拳銃を押し当てられたあたりでようやくその存在を認識したらしい。
数秒固まってから、遅れて状況を把握したらしくそろそろとホールドアップする。
そうして恐怖に強張った顔でジンを見るものだから、ジンはついつい鼻で笑ってしまった。
死にゆく人間に興味もなかったので、ジンは気を取り直して今度の取引の話をウォッカに振ることにした。
国際的カルト教団である黄色の印の兄弟団のフロント企業とされる世界的大会社、バベッジ・インコーポレイテッド。
正確にはその日本支社である「バベッジジャパン」という会社が、次の取引相手だ。
これは組織としても大きな取引で、それだけ油断ならない取引である。
なにせバベッジ・インコーポレイテッドは現在世界を支配する3つの大企業のうちの一つだ。
インターネットサービスを全世界に広げた祖であり、ネット通販、検索その他ネットサービスを司っている。
プログラミング界隈でも仕事をしている組織にとって、彼らとの繋がりは渡りに船と言っても過言ではなかった。
だが、その根本が気狂い……狂信者の集団である黄色の印の兄弟団が母体であることは間違いない。
バベッジ・インコーポレイテッドほどの大企業が組織と取引などと言い出したのは、あちら側から是非にと申し出があったからだ。
詳しく話を聞けば、「兄弟団の腕利き魔術師によると、黒の組織こそが降臨した神と接触する可能性が最も高いから」だそうで。
まさに、馬鹿馬鹿しいにも程があるという話だ。
ジンはこの世界に身を置いて神などいないことを骨の髄までよく知っている。
死ぬやつはいつだって呆気なく死ぬし、そういう運命だ。
そんなものに縋るなどくだらないにも程がある。
くだらないと言えば、この青年もそうである。
「下働きをするから助けてくれ」などと命乞いをするだなんて。
まだこのガキは生きて帰れる気でいるらしい、とジンは無言で目を細めた。
あまりにもバカらしくて、そろそろ一思いに殺ってやろうと視線でウォッカに指示を出す。
ウォッカが頷き、引き金に力がこもる。
そうして、ウォッカの引鉄が引かれる、その瞬間。
「あっ、が……」
「!?」
ウォッカが、不自然に身体をかくつかせて崩れ落ちた。
それと同時に白髪の青年が反対方向に走り出す。
「ッ止まれガキ!!」
「止まれと言われて止まる奴が居るかァッ!!」
ふざけたことを抜かしながら、青年が全力疾走で道を逆走していく。
どうやらなんらかの毒を隠し持っていたのか、ウォッカは倒れ込んだまま動く気配がない。
咄嗟に拳銃を向け、小賢しいガキの体に向けて3発、鉛玉をぶち込んでやる。
それらは過たず命中し、腹に2発、胸に1発風穴を開けた。
間違いなく致死の一撃だったろうに、ガキは「ぃだっ!?」と叫びながらも走る速度を緩めなかった。
不可解な程に痛みに強い様子に、ジンは目を見開いて思わず立ち止まった。
まさか隠し持っていたのはヤクで、吸引中が故に痛みを感じていないのか?
例えばウォッカが吸わされたのが高濃度の薬物だったとして、それを常用していたのなら説明がつく。
一瞬狼狽えた隙にガキはこちらを振り返り、なぜかサングラスを外してこちらを遠目に睨みつけた。
その瞳の赤に。
ぞわりと、全身の毛が逆立った。
「─────ッ!!!」
ありえない。(それは神の瞳だ)
ありえるわけがない。(今、己は深淵を見たのだ)
まとまらない思考が混濁にまみれて沈んでいくような、泥濘に足を取られるような致命的な感覚。
咄嗟に拳銃を己の左腕に当てて、引鉄を躊躇なく引く。
パァン、という軽い音と、灼熱の痛みが己の脳を活性化させる。
「ぐ、っ………あのガキ……!」
銃弾の貫通した腕が、大量の血液を噴出させて黒服を濡らす。
だがこの痛みが意識をはっきりさせた。
どうやら己も薬を散布されていたらしい、と歯噛みする。
あの時振り返ったのは薬が効くのを見るためだったのか。
だがあの背筋のぞっとするような感覚を思いだして、今更ながらに寒気が止まらない。
「ウォッカ、おい、ウォッカ!!」
倒れ込んだウォッカをやや乱暴に揺すったが、倒れ込んだウォッカは脱力したままグニャグニャと揺すられるがままだった。
このままにしておくのは非常にまずい。
一刻も早く医療班に見せなければ、命の危機もあるかもしれない。
ウォッカを担ぎ、ジンは腕の痛みに呻きながらズルズルと撤退を始める。
この状況で青年を追うほどジンは馬鹿ではなかったし、向こう見ずでもなかった。
しかし。
このまま引き下がれるほどプライドをドブに捨ててもいなかった。
「ガキ………そのツラ覚えたぞ。このままでいられると思うなよ」
ジンは怨嗟に塗れた声でそのように吐き捨てて。
ウォッカを肩に担いで迎えの下っ端との合流地点へと向かったのだった。
スキル【黄衣の王の凝視】
対象を見つめることで1ラウンドに1D6 のSAN値を奪う。対象が凝視を避けるにはPOW×2以下を出さなければならない。
本来は対象に接触した状態でなければ発動しないが、ハスター主の場合は遠隔でも発動可能。
また、1ラウンドで奪うSAN値が1D20 まで強化されている。