三日後。
事務所には沈黙が満ちている。
俺の隣に座るニャルは甲斐甲斐しく俺にひっついて、仕事のアドバイスをしてくれた。
「その件。羽虫はとっても悲しんでるので、次会うときは初手で同意して悲しそうな顔するんですよ」
「ありがとうニャル。すっかり人間博士だな。お前に助けられてばかりだよ」
「そんな…♡僕、少しでも我が夫の助けになればと思って…♡」
ニャルがぽうっと頬を赤らめて腕を絡める仕草をする。
俺は知識として、これが人の作法で愛を示すものだと理解している。
そして同時に、俺は「こう声をかけるのが愛だ」という知識のもと、ニャルを労っている。
俺は急速に人の心を失いつつあった。
まずいと思って複数の魔術で人の精神をエミュレートしようとしているものの、やはり人外仕草は拭いきれない。
ニャルにフォローされるシーンも出てきたのがその証拠だ。
近いうちに仕事にも支障出てくるだろう。
その前になんとかしないと、後々に響きそうだ。
逆にニャルの方はどんどんと人の感性を獲得しているらしい。
事務所のメンバーとも円滑に話せるらしく、新メンバーとして馴染みつつある。
まあ、星の精はストレスのあまり食事も喉を通らないようだが。
星の精の生物的スペックならこの騒ぎが収まるまでの間に餓死する心配もない。
放っておけばよかろう。
コナン君が気遣わしげに俺へと声をかけた。
「ねえ黄衣さん、僕に接続して得てるっていう倫理観はちゃんと機能してる?」
「ああ。コナン君から取得したデータは全て魔術式に組み込んである。君が同席してさえくれれば、そこまで倫理にもとる行為はしないだろう」
「ならいいけど……」
何か言いたいことがあるように、コナン君は眉を下げた。
彼が何を言い淀んだのか、今の俺に推察する術はない。
心を読むのが一番手早いが、それは俺がポリシーとして設定した禁忌項目。
今の俺の一存で解除するのは好ましくないだろう。
不意にふわり、とニャルラトホテプが俺を抱きしめた。
柔らかく笑って、愛を囁くように俺の耳を食む。
「───僕のこと、丸ごと食べていいですよ」
「!」
ニャルはそっと俺の肩に頬を擦り寄せて、目を細めた。
「魂まで食べれば、光を取り込み直すこともできるでしょう?」
完全に食べられれば再生するのは次の夢になってからだけれど。
夫のためになるなら、喜んでそうしたい。
どんな夫であろうと愛している。
でも、大切なものを取り落としていく夫を見るのは辛いから。
そのように、ニャルは囁いて俺の手を握った。
俺はニャルの頭を撫ぜて、「安心させるような微笑み」を出力した。
「そう焦ることはないさ。あと四日もすればナイ神父が解読してくれるはずだ。なら、その後に様子を見てからでも遅くはない」
「………はい、そうですね」
ニャルが目をそっと閉じて、俺に体重を預ける。
永劫の別れでないなら、愛しきものを己が身に取り込むのも悪くはない選択肢だ。
俺はニャルラトホテプを深く愛している。
他の神など欠片の興味もないが、ニャルならば、己と一体となることを喜ばしく思う。
そのときは身を重ね合わせ、最大の愛を込めてこの神を喰らおう。
コナン君が何かをいいたげに口を開いて、やっぱり閉じる。
キーホルダー式倫理観アラームがピコーン、ピコーンと間抜けな音を出した。
これ実用性に難ありだな、後で他の通知方法考えないと。
諸伏さんが机の上で書類と睨めっこしながら「急募、人の心〜〜」などと呟いた。
俺は瞬いて、うーんと唸った。
そんなに無かっただろうか、人の心。
さて、そんなふうに冷え切った事務所の空気の中。
午後に来客があった。
ドドドドド、と事務所に駆け込んできたのは、現在急ピッチで各社立て直し中の敏腕CEOマモーさんであった。
「神の身に緊急の事態があったと聞いてまいりました!!ご無事ですか!?!?」と叫んで。
マモーさんは俺たちを見るなり「!?!?」と目を見張って急停止。
そのまま丁寧に目を擦り、瞬き、老眼に苦慮しているみたいな仕草でもう一度俺たちを見た。
「神……ですか???」
「ああ。俺が旧支配者ハスターだ。隣は妻のニャルラトホテプ。今は少し手違いで体が入れ替わっているだけだ」
「ふむ???」
マモーさんはなんもわからんと言う顔をした。
確かに、俺たちぐらいの規模の存在が入れ替わるなんて前代未聞だろう。
コナン君がととと、とマモーさんに近寄って何やら耳打ちし出した。
俺たちの事情を説明しているのだろう。
俺に聞こえないように振る舞う意図は不明だが、わざわざ魔術で聞きとる必要性も薄い。
そのまま二人の話を見守ることとする。
マモーさんは話が進むにつれザッと顔を青ざめさせ、ついでさめざめと泣いた。
「おお、神よ……その優しき御心を失ってなお、人を思い動くとは…!」と声を漏らしている。
そんな美談とかではなく、元に戻ってから俺自身が死ぬほど後悔しそうだから始めたに過ぎないんだがな。
これまでの俺は人間に入れ込み過ぎだし、人間に精神性を寄せて何だと言う話だ。
とはいえ今の俺の価値観が一時的なものである以上、今の俺が現状を壊すのは悪手でしかない。
そんな俺の思考をよそに、キリッとしたマモーさんが直立で宣言する。
「今後は私が!神の補佐をいたします!人間の心であれば私ほどに深い知識を持つものはいないでしょう!」
「はぁ!?我が夫のサポートは妻である僕の仕事ですけど!?突然来た羽虫がでしゃばらないでくれません?」
ニャルが目を三角にしていきりたっている。
邪神の勘気をうけてマモーさんもやや怯んだものの、果敢に立ち向かっている。
「で、ですが御身はまだ心を手に入れて日が浅い!権謀術策の世界を深く知る私こそが!神が人に騙されずに済むサポートとなり得るのです!」
「きー!生意気ですよ羽虫!僕の方が長生きですもん!人間程度に騙されたりしませんもん!」
本来のニャルならとっくの昔にマモーさんをプチッと潰そうとしているだろうに。
今は驚くべき忍耐で言い争いを続けている。
ニャルの忍耐を褒めるため、人の作法に則りよしよし撫で撫でとニャルを撫でくりまわす。
俺の記憶を参照しての行為だ。
これは本来犬や猫を相手にする愛情表現な気がするが……。
まあ些細な問題だろう。
ニャルはふにゃんと力を失って俺に擦り寄った。
細かいことはどうでも良くなったらしい。
「こ、この辺にしといてあげましょう!」と言い訳してそそくさと俺にひっついた。
マモーさんは審議中みたいな顔をした。
いいたいことが山ほどあるらしい。
さて、その瞬間のことである。
突如事務所内に転移の魔術アンカーが引っ掛けられた。
素早く気づいたマモーさんが俺たちを庇うように位置取りする。
転移してきたのはナイ神父だ。
顔面蒼白、ヨロヨロの状態で膝をついて、「うっぷ…」と吐き気を堪えている。
マモーさんがその姿を見て驚愕に息を呑んだ。
「貴様は!神の代理人を名乗る邪神の使い!ハイパーボリアにて暗躍した『神を騙るもの』!」
「う……なんだ、例のハイパーボリアの生き残りか。今は相手をしている場合ではない…うっぷ」
警戒するマモーさんをまるで気にするそぶりも見せない。
吐き気でそれどころではないようにも見える。
そして、ナイ神父は土気色の顔で俺たちに頭を下げたのだった。
「ようやく術式解明が完了しました。術式を広げましたので、是非ともお越しいただきたく」
・ナイ神父
MP使い過ぎて吐きそう。超グロッキー
化身みんなで力を合わせて時間を超折りたたんで読解を頑張った。
刻一刻とハスターの精神状態が悪くなっているのを理解して、危機感で胃炎になりそうだった。
会場は化身で死屍累々。
・降谷さん
あまりに怖くて事務所に近寄れなかった人。
三日間なんも手につかなかった。
・星の精
干からびている。
コナン君が甲斐甲斐しく口まで血を運んでくれるのに胃がストレスで受け付けなかった。
・ハスター
ニャルラトホテプのことを深く愛している。
その光なくば機械のように感情なく動く情報量の神が、それでも、他の神という不純物を受け入れ愛そうとする程度には。
そして……ニャルラトホテプを喰らって光を取り戻した時こそ。
彼女の抱いた無限の愛を真に理解するのだ。
・ニャルラトホテプ
繰り返すが、光をほんのわずかしか摂取していない。
そのためハスターは気付いてないだけで夢を越えるたびに記憶を引き継いだよく似た別人に変わっている。
何度生まれ変わってもあなたを愛すの概念。
次の僕もきっと貴方を愛すから、今貴方のために命を捧げましょう。