それから5時間。
街すら寝静まる時間帯になってようやく、コナン君は帰宅した。
一応全身に傷の類なし。五体満足。
かなり疲労してはいるがその程度なので良しとしよう。
まあ、深夜帰り小学生とかいうファンキーな概念へと成り果てているが今更か。
連絡なし深夜帰りという悪いことをした自覚はあるのか、恐る恐る玄関扉を開けてか細い声を出す。
「た、ただいまぁ」
『おかえり少年。待ってたぞ…』
ドスの利いた声で出迎えたのは諸伏さんだ。
笑顔はにっこり、ドス黒い怨念マシマシ。
諸伏さんの作った夕飯を無駄にしたのだから、そりゃもう盛大に祟られることは間違いない。
コナン君は「ひぇ」と言ってのけぞった。
ちなみに、今はこの家の幽霊メンツは全員実体化済みだ。
俺がコナン君のことを心配して寝ずに待つことにしたら、それに諸伏さんと明美さんも付き合うと言ってくれたのだ。
そのため、現在はみんなで夜食を食べながらのんびり深夜TVを眺めてダラダラしていた。
仁王立ちする諸伏さんの後ろから、俺もひょこっと後ろから顔を出して手を振る。
よく見ると、コナン君の他にもう一人、この家にやってきた子がいたようだ。
静岡での事件の時にコナン君と一緒にいた、赤みがかった髪の女の子だ。
彼女は出迎えの諸伏さんの姿を見て、さっと顔色を変えた。
コナン君の影に隠れてひっ、と小さく悲鳴を上げる。
本気で怯えているようだ。
それに気づいて、諸伏さんも慌ててわたわたと体勢を崩した。
『あっ、す、すまない、お兄さんが悪かった!えっと、その』
「……灰原、この人は大丈夫だ」
コナン君が灰原という名前らしい女の子の手を取る。
「でも」と彼女は震えながら諸伏さんを見上げた。
コナン君が「大丈夫」ともう一度静かに言葉を重ねる。
そのまっすぐな瞳に、女の子の緊張がゆっくりとほぐれていく。
そして視線は諸伏さんの隣にいた俺を捉えた。
「貴方は…」と、俺の顔に心当たりのあるかのような声を漏らす。
「灰原、黄衣さんのことを知ってるのか?」
「ええ。組織に命を狙われてまだ生きてる、しぶとい探偵さんでしょ。ジンが言ってたわ。どんな手を使ったのか知らないが、小賢しく逃げ回れるのも今のうちだけだって」
俺はやや嘆息した。
この認識では組織が俺の命を取るのを諦めてくれるまでまだしばらくかかりそうだ。
女の子が視線を厳しくしてコナン君を睨みつけた。
「工藤君、貴方、どういうつもりでこの家に私を連れてきたわけ?」
「あんだよ急に」
「現在進行形で組織に狙われている人物が住んでいて、しかも、」
もう一度諸伏さんを見て、少しだけ後ずさる。
「……危険すぎるわ」
「それでも。お前に、会わせたい人がいるんだ」
コナン君は真っ直ぐにそう伝えて、諸伏さんへと向き直った。
「諸伏さん、宮野志保が見つかった」
『!おい、それって…まさか…』
「明美さんに会わせてあげたい」
息を呑んで、目を見開く。
そしてわなわなと震える。不随意に呼吸が引き攣る。
それでも、追求の言葉は灰原という名の少女の唇から出てくることはなかった。
少女の手をとって、コナン君がゆっくりと玄関をくぐる。
深窓の令嬢をエスコートするように穏やかな仕草で、静かな優しさを滲ませて口を開く。
その後ろを俺と諸伏さんはただ無言で着いて行った。
「灰原、知ってっか?幽霊って実在するんだぜ?」
「工藤君、貴方何を…」
「お前のお姉さんを助けられなくて、すまなかった。こんなの、お前からしたら裏切りですらあるかもしれない。けど」
どんなに横紙破りのルール違反だろうと。
もう一度言葉を交わせるなら、それが一番いいことだと思うんだ。
リビングに通じる扉を開ける。
なめらかに開いたその先に、ソファに座る影が一つ。
「────おねえ、ちゃん?」
少女は呆然と言葉を漏らした。
コナン君がその手を離す。
『志保……?』
随分と姿形が違うだろうに、宮野明美は一目見てすぐにそれを己の妹だと理解したらしい。
驚きに立ち上がって、慌てて宮野志保の元に駆け寄った。
もしかしたら、姉の中では妹はいつだって、かつての幼く泣き虫な小さな姿をしていたのかもしれない。
宮野志保はただ驚愕と恐れに目を見開き、硬直したまま姉を見上げているようだった。
コナン君がその隣で、ただ静かに目を伏せている。
「え……うそ、だってジンは、間違いなく殺したって」
「そうだ。ジンは宮野明美さんを殺した。俺たちの目の前で」
「何、言ってる、の。だってお姉ちゃんは、ここに、」
『志保』
明美さんが志保ちゃんの手を取って微笑んだ。
その手の柔らかな暖かさに、少女は唇を震わせたようだった。
よくコナン君がイタズラで諸伏さんに抱っこされるのだが。
その時腹が冷えるということで、最近になって実体化した亡霊にも温かさを導入したのだ。
しかし…何も知らない人からしたら、逆にそれはひどく残酷なことだったのかもしれない。
『ごめんね、志保。お姉ちゃん、死んじゃったの』
「……っ、馬鹿言わないで頂戴!揃いも揃って、笑えない冗談にも程があるわ!」
『あのジンが「確実に殺した」って言ってたんでしょう?そんな人間が、生きてると思う?』
「ッそれは、」
今目の前にいる姉の生を疑うほど。
それほどまでに、志保ちゃんの組織に対する恐怖は深いらしい。
未だ優しいままの明美さんの声が、残酷に真実を突きつけようとする。
『黄衣さん、私の実体化を解いてくれないかしら』
「……わかった」
瞬間。繋いでいた手のひらがパタリと落ちた。
明美さんの実体化が解け、支えを失ったからだ。
呆然と姉の幻影をするりと通り抜けた己の手を眺め、少女が立ち尽くす。
明美さんが妹の頬を手でなぞる。
その手のひらは透明で、そのまま実体になんら影響を与えることなく通り抜けてゆく。
そして呆然と行き場をなくした志保さんの手を包むように覆って見せた。
温度も触感も無く。
姉がすでに現実には居ないのだと分からせるように残酷な抱擁だった。
宮野志保の瞳には絶望と、それと同じだけの喜びが混ざりに混ざった悲鳴のような色合いで彩られていた。
「………うそ」
『志保を一人にしてしまって、ごめんね。旅行の約束だってしてたのに。一緒に行けなくなっちゃった』
「うそ、うそつき、うそつき」
『ごめんね、志保。でも、それでも。貴方が生きていてくれて、よかった』
「うそつ、……あぁ、……ああぁぁあああ」
ぺたん、と床に座り込んで。
ようやく。
彼女は魂の底から泣き叫ぶように涙をこぼしたのだった。
この場において俺たちはお邪魔だ。
諸伏さんと共に寝室へとそそくさと退場する。
積もる話もあるだろう。二人でゆっくりと話すといい。
なお、コナン君も俺たちと共に素早く寝室へと身を滑り込ませてきた。
限界まで眠さを堪えていたのか、そのまま布団へとダイブしてむにゃむにゃ言っている。
いくら高校生とはいえ、肉体が小学生な以上眠気には抗えないと言うことなのだろう。
さて、そんなわけで翌朝。
リビングに行ってみると、腫れぼったい目から涙の跡を残した志保ちゃんがソファで寝息を立てていた。
その隣では明美さんが朝のニュースを見ている。
「おはよー…」
「あ、コナン君おきられる?昨日遅かったけど」
「ギリギリ…」
コナン君は睡眠時間が足りないのか、しきりにあくびをしている。
流石に今日の学校は厳しそうか?
諸伏さんが「じゃ、志保ちゃんの分も合わせてウィンナーを焼くよ」と台所から声をかけてきた。
朝ごはんはウィンナーらしい。
コナン君が大欠伸を噛み殺してトボトボとこちらへとやってくる。
「そういえば黄衣さん、PC借りていい?」
「ん、いいけどどうした?」
「俺の体を小さくした薬のデータを手に入れたんだ。結構苦労したけど、これで元の体に戻れるぜ!」
そう言って隈の浮かんだ顔で得意げにフロッピーディスクをかざしてみせた。
……フロッピーディスク!?!?
そんな小容量の中に薬のデータが入ってんの!?とちょっと目を見開くなど。
いや、時空異常の影響だろうがちょいちょいジェネレーションギャップをぶっ込んでくるな。
とはいえ、残念ながら俺のノートPCにはフロッピー読み取り用の差し込み口は搭載されていない。
今日家電量販店に行って買ってくるしかあるまい。
と、そこでふとコナン君の持つフロッピーディスクに妙なところがあることに気がついた。
「……ん?ちょっと貸してくれないか、そのフロッピー」
「え、なにかあったの?」
数秒、まじまじと確認して、俺は確信に頷いた。
「魔術がかかってる。結構原始的な、プログラム型の奴だ」
「うっそだろ!?それ本当!?」
発動条件を満たさない程度に軽く解析したのだが、非常に興味深い術式だった。
それは、実体としてはほとんど普通のコンピュータープログラムと変わりがない程度のものでしかない。
ナイトバロンという名前のコンピュータウイルスで、特定のPC以外で閲覧しようとした場合はデータを自己消去する。
相当に腕のいい魔術師だろうと、ただそれだけのプログラムにしか見えないだろう。
それを魔術たらしめているのは、プログラムの一部にクルーシュチャ方程式が組み込まれていることだ。
クルーシュチャ方程式。
これを解き明かせばニャルラトホテプ召喚が叶うという数式型召喚術式であり、それそのものがニャルラトホテプの化身でもある。
これはただのコンピューターウイルスなのではなく、ニャルラトホテプの化身の一部を使ったそれ自体が神話生物と呼べるものなのである。
「あー、簡単に言うと、このフロッピーディスクを下手に開けば、PCごとデータがおじゃん、ってわけだ。魔術を使ってもデータは復元できない」
「つまり…組織のPCを手に入れるしかないってわけか」
コナン君が悔しそうに呻いた。
これで晴れて元の姿に、と思っていたところだったからか悔しさもひとしおなのだろう。
実際には。
本気を出せば魔術的にデータを抜き出すことができなくもない。
ただしそうすると、それを挑戦状と受け取ったニャルラトホテプが本格介入してくる可能性が非常に高い。
どんなに事前に連絡しようが宥めようがダメだろう。
テンション爆上げしたニャル野郎が「そっちからのお誘いなんて何万年ぶりです?積極的なんだから♡」とかクソみたいなことを言いながら降臨。
盤面をしっちゃかめっちゃかにしていくに違いあるまい。
俺は肩を落とすコナン君へと笑いかけた。
「ま、一歩前進と言ったところじゃないか?」
「そだね…」
「あと、今日は志保ちゃんも学校休みだろうし、俺が阿笠博士に連絡しておくよ」
「僕も休みがいい…この体調で元太達に付き合える気がしねぇ…」
コナン君はげっそりして机にうつ伏せになった。
「少年、邪魔」と言いながらその横に諸伏さんが朝ごはんを並べて行く。
仕方ないな。
コナン君は昨日2件も事件を解決したんだし、今日ぐらい休みを取っても問題なかろう。
とはいえ、昨日の偽札事件で犯人簀巻きにして勝手に帰った件は普通に今日目暮警部から怒りの呼び出しがあると思うので、覚悟しておくといいと思う…。
・自己破壊プログラム「ナイトバロン」
神域の天才が発狂しながら作り上げたと思われるプログラム。
魔術的知識のない人間が作ったのか、魔術師的観点で見ればかなり粗雑な出来栄え。
旧支配者ハスターからのお誘いが掛からなくて、ニャルラトホテプは朝からむくれて石ころを蹴飛ばすなどした。