最近調子が良い。
ぼっとして耳を澄ますと、Audibleみたいに最新話が読み上げられるのが聞こえる。
それを書き起こして投稿するだけ。
読み上げCVハスター。
なんか受信してるかもしれん。
本日はスパーリングに来ているなり。
場所は都内の貸し切りレンタルジム。
メンバーは俺、降谷さん、松田さんの三人だ。
元は降谷さんの発案で、ニャル化身から俺化身に変わったため、調子を見たいということで相手を探していたのが始まりだ。
それに松田さんが乗っかり、俺もひっついて参加。
この三人が集ったというわけである。
ミットを装着した降谷さんが、俺のへなちょこパンチを受けて眉間に皺を寄せた。
「いや、流石にもうちょっとなんとかならないのか?」
『腰入ってねーぞ』
「いや難しいんだって!人殴るんだぞ!?」
「だから僕が相手してるんだろう」
降谷さんが呆れたようにいうから、ぐうの音も出なくて俺は沈み込んだ。
そりゃ黒い風に拳が入った程度で何か起こるはずもないけど!
でも人型に俺の暴力を振るうのはあまりに怖い。
しかしそう言ってるだけではどうにもならない。
俺の参加理由は「ボクシングが上達したい」なのだから。
もうちょっと、と言われたので渋々出力をほんのちょっとだけ上昇させる。
降谷さんで試す前に、念のため威力確認をすべきだろう。
隣に魔術で即席サンドバッグを出現させる。
ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ出力を上昇させて殴ってみる。
瞬間。
パァン!という乾いた音がジムの壁を揺らす。
サンドバッグは爆散して、その残骸が傍で見ていた松田さんの顔を掠めて壁に激突した。
降谷さんはドン引き、松田さんはあんぐりと口を開いて俺を凝視した。
「………僕を殺す気か?」
『いや流石にエグいんだわ』
「だから難しいって言ってるだろ!!!」
潰さないように蟻を踏むのは力の加減が難しいんだ……。
強者ムーヴとかではなく。ほんとに。
怖…近寄らんとこ……みたいな動きで降谷さんが撤退していく。
この人でなし!
俺が無言で降谷さんに縋り付くと、降谷さんはため息と共に口を開いた。
「テニスの時のように魔術でなんとかできないのか?」
「できるけど戦闘技能を魔術制御はなぁ。咄嗟に俺本来の動きが出たら取り返しがつかないだろ?」
「確かにな」
納得して、降谷さんは眉を顰めたようた。
うっかり向かって来た犯人を肉ミンチに変えてからでは遅いのだ。
だがこれでは降谷さんの練習ターンが一向に回ってこない。
俺は一旦引いて、降谷さんと松田さんのターンに突入する。
降谷さんは俺化身になって以降、人間体での動きがぎこちなくなっている。
まだ身体が動かしづらいようで、もう一度念入りにストレッチをしてから体の調子を見るように幾らかジャンプした。
松田さんがその正面に立って、静かに向かい合う。
『ゼロお前、遅かったな。マトモに戻るの』
「!!………そうだな。今まで気を使わせて悪かった」
降谷さんがやや視線を落とす。
「今までお前が俺を避けていたのは、俺の悪性を快く思っていなかったんだろう」
『……まぁな。知った仲とはいえ、外道とつるむのは御免だったからな』
避けていた、というのは俺としても初耳だった。
確かにあまり二人でいるところを見なかったが、仕事の都合とばかり思っていた。
一応親友のように振る舞う時もあったが、そこには余人には分からない隔意があったのかもしれない。
「当然だ」と降谷さんが辛そうに目を細めた。
「今までの僕は外道というより他なかった。神の認識に飲み込まれていたなんて言い訳だ」
『フン。それでもついてった風見に感謝しとけよ』
「そうだな。アイツも労わらないと。だがヒロは……僕に何故……」
言葉を途中で飲み込み、降谷さんは口を引き結んだ。
何を言いたかったのか、俺に察することはできそうにない。
松田さんがため息をついた。
『別に人のことまではとやかく言わねぇけどよ。俺がああなりそうだったら今度こそさっさと自分で退場するぜ。いいな』
「………ああ。無理に引き留めて悪かった、松田」
頭を下げて、降谷さんは深く謝罪したようだ。
松田さんは「はっ、なら聞くが、俺らが桜に誓った思いは忘れたりしてねぇだろうな?」と問いかける。
「勿論だ。僕の志は変わらない」
誇りと使命感を持って、この国の人たちを守り抜く。
謳うような宣誓が二人の口から読み上げられる。
松田さんはニヤリと笑って肩をすくめた。
『ならいい。シャキッとしろよ、ゼロの旦那』
二人がスパーリングを始めた後は、俺は自主練の時間である。
「ちょうどいい打ち込み威力を掴むまでサンドバッグで遊んでろ!」という松田さんの指示もある。
悲しくドスドスサンドバッグへと拳を打ち込んでゆく。
ひとまず今23個目が爆散したところだ。
弾け飛んだ布の切れ端がバラバラと宙を飛び散る。
きちんと爆散することを前提に作った魔術製品だ。
舞い散った破片はそのままするりと宙に消えてなくなる。
松田さんが「いやうるせーんだけど」と耳を押さえて苦情を言った。
「いやさ、だってさ、アリをちょうどいい威力でデコピンしろって言われても無理でしょ!?」
『お前もう諦めろよ。アリとボクシングしようとすんのが間違いなんだよ』
「やだ!!!俺もかっこいいやつやる!!!」
俺は喚いた。でもあまりに難しすぎる。
アリなんて息フッてするだけで飛ぶのに、ちょうどいい威力ってそもそも何?
もごもごブツブツ。
ヒートアップしつつも、ひとしきり二人は動きを確認できたらしい。
マウスピースもヘッドギアもなし。
お互い物理無効だからとほぼ喧嘩スタイルで殴り合った後、爽やかにリングを降りる。
降谷さんもうまく身体の調子を整えることができたようだ。
ややスッキリした様子でベンチに座った。
そしてニコリと俺に声をかける。
「それでだな。そろそろヒロの狐耳を取ってやれないか?」
「ダメ。奴は許されないことをした」
俺の巫女服狐っ子を星の精のふりをしてクスクス笑うなどしたのだ。
懲役500年ぐらいは堅いだろう。
降谷さんは苦渋の滲む声色で「でも良い年した男が視界の端で狐耳でコンコン言ってるのはな。こう、辛くて……」と項垂れた。
松田さんが目を丸くしてこちらを見ている
『気のせいじゃなかったのか、ヒロの旦那のあれ』
「黄衣君の逆鱗に触れて狐っ子にされたんだ。しかも本人が気に入って、開き直って狐耳お兄さんとして謳歌している」
『地獄か何かか?』
今では耳と尻尾の操作を完璧に理解して、頑張れば隠せるようにもなったようだ。
ちくせう。
俺は狐っ子お兄さんが見たかったわけじゃないのに。
松田さんが軽いクールダウンの運動をして、降谷さんへと声をかける。
『ところで、警視総監をぶん殴る目標はまだ生きてるから、早いとこ昇進しろよ』
「それ僕をぶん殴るつもりだって聞こえるんだが」
『頼むぜ。俺はそれまでに右ストレートを磨いておくからな』
「生憎だが僕は物理無効だ。風を殴っても意味はないぞ」
『卑怯だとは思わねーのかよ。男なら正面から来やがれ』
「そんなこと言われても」
二人は明るく笑い合った。
親しく優しい空気だ。
親友というもののあり方に、俺はつい羨望のようなものを覚えざるを得ない。
『お前の方はどうなんだ?女見つけるために警察になったとか言ってたろ』
どうやら降谷さんはお相手の女性を見つけるためという非常に浮ついた目的で警官になったらしい。
俺もつい目を点にしてしまう。
降谷さんは「語弊のある言い方はやめてくれないか!恩人の行方を探しているだけだ!」といきりたった。
咳払いして、視線を落として言葉を落とす。
「残念ながら、見つけた時には既に亡くなっていたよ」
『……そうか』
「気付けば死者ばかりだ。志を誓った仲間も、守りたかった人も、みんな」
見上げる天井は無機質で、降谷さんの心情を俺が理解するのは難しい。
松田さんも諸伏さんも、脆い魂が露出した幽霊だ。
松田さんは60年もすれば霧散する。
諸伏さんでも処置を施しても300年。
黒い風たる降谷さんが置いていかれるのは、すでに決定されていることだ。
淡い自嘲の中に、隠し切れぬ寂しさがこだまする。
現在の環境がどれほどの幸運の上に成り立っているか理解して、それでもなお求める心は止められない。
降谷さんは、「共に生きてくれ」と松田さんに頼むことはなかった。
それだけの人としての分別と悲しみが、そこにはあった。
松田さんが笑って、降谷さんと肩を組む。
『バーカ。お前がまだいんだろうが』
「………」
『長生きして、俺らの分までこの国の人を守れよ。お前にならできるだろ』
あまりに残酷な、人間の光を示す言葉だった。
俺はこうした言葉をいくつ聞いて、いくつ守って、いくつ見送ってきただろうか。
全部思い返していたら、心が死んでしまいそうだ。
「───そうだな。きっと守ってみせるよ」
降谷さんはただ、そう答えるのみだった。
・正気降谷さん
ニャルの「自分中心で他人を顧みない」性質によって増幅していた悪性が抑えられている。
つまり世間体を気にする心が再実装された。
それに伴い、理想の管理社会を目指す気持ちも最悪のコミュ障も、瓶詰め癖もなんとか抑え気味になっている。
コミュ力自体はニャル谷さんのが上だが、世間体が無いのが致命的すぎた。
・松田さん
実は交流があんまりなかったのは距離を置いてたから。
飲みに誘われても断ってた。
もちろん何故変わってしまったのかも理解していたので、憐れんでもいた。
正気に戻ったのをかなり喜んでいる。
・諸伏さん
ちゃんとした怨霊。
ハスター視点で違いは分からない。