その夜。
ホテルの自室で、俺はただじっと天井を眺めていた。
爆睡する星の精のグゴゴゴゴ、という寝息が聞こえてくる。
窓からは函館の夜景が煌々と地上を照らしているのが見える。
静かな夜だ。
いや星の精のいびきは置いておいて。
ハイパーボリアの最期が脳裏に去来して、うまく寝付けなかった。
あの時のことを思い出せるのは、何もマモーさんだけではない。
俺だって忘れようと思っても忘れられない記憶だった。
狙われたのは俺がハリ湖に帰還したタイミングだった。
神官たちの悲鳴に気付いて、直後に「ハスターの瞳」が落とされた。
慌てて全速力で帰還した時には後の祭り。
雲霞の如く押し寄せる深きものどもに都市は攻撃され、ゆっくりとクトゥルフの魔の手が迫っていた。
クトゥルフとの戦闘は長く続いた。
環境も激変したし、百メートル級の津波が地上を何度も襲ったことだろう。
ふと目を凝らせば、深きものどもに船を壊され生きたまま貪り食われる国民の姿が目に映って、でも助ける余裕すらなくて。
ただクトゥルフとの戦闘の被害が他に行かないようにだけ全神経を注いで。
クトゥルフをようやく封印した頃には、ハイパーボリアはとっくの昔に海の底だった。
全部死んでいた。何も残っていなかった。
夥しい死が海底に沈むハイパーボリアに滞留して、悍ましい歪な悪霊に変貌していた。
それを祓って、それから、どうしたんだったか。
気付けば黒きハリ湖で震えていたような、ええと。
思い返してようやく自覚したが、記憶が曖昧だ。
ビヤーキーを撫でていたのは覚えている。
何故か人型に化けられなくなったんだったっけ。ニャルが来ていたような気もする。
俺は天井のシミを数えてぼんやりとした。
そのタイミングで、コナン君に声をかけられた。
「起きてる?黄衣さん」
「コナン君こそまだ起きてたのか。眠いだろうに、大丈夫か?」
「僕は平気。ちょっと変なタイミングで目が覚めちゃっただけだから」
俺はコナン君と星の精の二人部屋だ。
隣のベッドのコナン君がゴソゴソと起き出して、眼鏡をかけてペットボトルの水をついだ。
「黄衣さんもいる?」と聞かれたので、ありがたく頂戴する。
気がつけばなんだかひどく喉が渇いていた。
コナン君は静かに水を飲んで。
それから、俺に視線を送ることなく、カーテンをめくって外を眺めた。
「黄衣さん、まだ自分を許せないの?」
「────え」
思いもかけぬ言葉に、俺はただ瞬いて息を呑んだ。
自分を許せないか。そう、かもしれない。
分からない。そんな軸で考えたことがなかった。
コナン君が振り返って俺を見る。
青い青い、寝室を照らす光が差し込んでいる。
「黄衣さんが怪異を虫のように扱うのは、単に人間だけが大切だからだと思ってたんだ。その他は取るに足りないと断ずる、神の視点だと」
「俺としては…そのつもり、だけど」
「違うよ。黄衣さん、怪異が嫌いなんだ。バケモノが嫌いなんだ。………自分が、嫌いなんでしょ」
喉から錆びついた音が出た、気がする。
喉が渇く。ひりついて痛いほどだ。その通り、その通り。
見透かされた間抜けが俺である。
「黄衣さんは自分を人間だと思いたかった。だから人間が本能的に怪異を排するように、黄衣さんは怪異を毛嫌いしている」
「………」
「拍車をかけたのはハイパーボリアの一件だとは思う。人を殺す怪異に気まぐれに逆上するのは神の性質かもしれないけど、その怒りの大元はそれだよね」
「…………コナン君には人の心が無い…」
俺は触手を全部しおしおにして項垂れた。
そんな人の傷を派手に切開して塩塗りたくることないじゃん……。
そうだよ。俺は自分を人間だと思ってるよ。いや、思ってたよ。
混沌の神殿で目覚めて、前世を自覚してからずっとそうだ。
こんな化け物ばかりの場所に来てしまって、怖くて怖くて早く地球に帰りたいとずっと思っていたさ。
我慢に我慢を重ねて、自害を試みて失敗して全ての希望を失って、ようやく故郷に帰ったら。
俺も怪物だったと気付いただけの、単純な話である。
俺がメソメソシクシクしていたら、コナン君が「水お代わりいる?」と聞いてくれた。
メソメソ泣いたまま「いる……ペットボトル一本欲しい…」と答えた。
「ホテルの備え付けのしか無いよ。有料」
「それでいい……」
「はい、水。星の精が起きちゃうからあんまり大きな声は出さないでね」
「コナン君厳しいのか優しいのかどっちかにして…」
俺はメソメソしたまま水を飲んだ。
海底で眠るアンチクショウのことを思い出し、さらに鬱になる。
コナン君が「しっかりしてよ、黄衣さんは立派な人間なんだから」とプンスカしながら自分のベッドに戻る。
「………あー、コナン君や。俺は立派な旧支配者だぞ。気持ちは嬉しいけど」
「人間だよ。怪物はそんな小さいことでグダグダ言わないよ」
「微妙に否定しづらいこと言うぅ」
「本心だよ。復讐なんて人間的感情に囚われてるんだから」
コナン君が少しだけ笑って、青々とした双眸に常夜灯の僅かな光が差し込んでいる。
「……今、もしかして推理タイムだった?犯人の自白待ち?」
「うん。黄衣さんしぶといから。自分で自分を誤魔化してるとこあるなって」
「やはり人の心が無い。他人がひた隠しにしていた心の柔らかいところを抉り出すなんて。探偵とはなんて非道な人種なのか!」
俺がワッと泣いたら、コナン君はくすくす笑ったようだ。
優しげに首を傾げて「裁かれないのって辛いよね。ごめん、なかなか結論を導き出せなくて」と瞳を伏せた。
そして改めて、コナン君が俺をまっすぐに見つめる。
「あなたは自分の姿を怪異に見立てて、怪異を殺してまわっていた。自分への嫌悪が故に、相手への嫌悪が故に、そして復讐が故に」
「………そうだよ。その通りだ。自分語りは省略。探偵さんに聞かせるほどのことでも無いしね」
「そこはいつも通り喋ってくれないと。現場のルールだよ」
「そんなルールあったんか」
二人で忍び笑いを漏らして、ゆったりと肩の力を抜く。
真実が人を救うことはないかもしれないが。
真実をもって己を救う一歩は、もしかしたら踏み出せるのかもしれない。
「いい加減、自分を許してあげて。貴方は神様に祭り上げられる前に、一人の人間なんだから」
「そうかな。こんなに人とは違うのに、人間って言っていいのかな」
「違うことは変なことじゃないし、悪いことでもない。小学校でも習う、星の精だって知ってることだよ?」
俺はスヤスヤと毛布にくるまって眠る星の精に視線を移した。
穏やかな眠りだ。
将来はまだ分からない。悲しみがあって苦しみがあって多くの別れがあるだろうが。
今、人と穏やかに暮らしているのは間違いのないことだ。
俺はバタンとベッドに倒れ込み、濁音を垂れ流した。
「あ゛ーーーー。やっぱコナン君はハリ湖に持って帰りたいんだけどダメかな!」
「ダメ」
「そんな、もう一声」
「ダメったらダメ」
コナン君のすげない返事に、俺はひっくり返ってジタバタした。
やだやだやだコナン君持って帰る!!俺のにする!!!
星の精はまだ爆睡しているようで、グゴゴゴゴ…グシュン!と謎の咳をして触手を蠢かせた。
穏やかな睡魔が襲ってくる。そろそろ寝れそうだ。
そんなふうに取り留めもない会話をする、静かな夜のことである。
・旧支配者ハスター
真実に照らされて、若干和御魂に寄った旧支配者。
人間以外も少しは尊重してやるか…の機運が高まってきた。
コナン君の推理も全面正解ではあるが、神性としての勘気も確かにあるので難しい神様である。
・降谷さん
真夜中にハスターから激鬱が襲ってきて一ミリも寝れない今日この頃。
むしゃくしゃしたので諸伏さんに張り付いて「ヒロ〜〜助けてくれ〜〜」と妖怪子泣きお兄さんになってた。
・諸伏さん
幽霊は寝ないので内職してたら降谷さんが発狂して張り付いてきたのでヨシヨシした。
おおよしよし、全部黄衣が悪いな。