『おーい、たこ焼きと唐揚げと、あと枝豆買って来たぞー!』
諸伏さんがお目当てのものを購入したついでに、俺たちにも軽食を持ってきてくれたようだ。
トレイを俺たちの前に並べてくれたので、「ありがと!いただきます!」と礼を言ってありがたくいただくことにする。
ニャルラトホテプは無言で枝豆をいくつかつまみ、そのままサヤごと丸呑みにした。
諸伏さんがそれを二度見した後、やや距離をとって同じ机に座った。
降谷さんが降谷さんでないことに気づいたらしい。
慎重に様子を窺っている。
ニャルラトホテプが口の端についた塩を舐め取りながら口を開く。
「ところで、よかったんですか?海に来て」
「なにがだよ。というか枝豆をサヤごと丸呑みにするんじゃない。降谷さんが可哀想だろ」
ニャルラトホテプは面倒臭そうな顔で口に運ぶ品を唐揚げへ変更した。
俺の注意を聞いたというより、唐揚げの方が大きくて美味そうだからという判断かもしれない。
恐る恐る諸伏さんがニャルラトホテプの様子を目で追っている。
対して、ニャルの方は特に気にしていないというか、諸伏さんに興味がないらしい。
いないものとしてちらりと目を向けることすらしない。
「だから、クトゥルフのことですよ。アレは念入りに封印されてるので問題ないかとは思いますが、アレを信奉する羽虫が湧きますよ?」
「あー、それなら大丈夫。心配ないよ」
俺の返事を聞き、少しだけ面白そうにニャルラトホテプが口角を上げる。
俺が米花町に来てから、地球全土を覆う環惑星魔術「ハスターの瞳」に少しばかり改良を加えている。
それは深きものを中心としたクトゥルフを信仰する者達を対象にした広域呪詛だ。
地上から150m以内に近付いた場合、気の狂うような痛みが走る非常に単純な仕掛けである。
しかしこれは警告としての役割もあり、段階を踏んで痛みは増していく。
そして最終的に、魂が溶解して死に至るというわけだ。
ニャルラトホテプは分かっていても聞いているのだろう。
性格悪そうに目を細めた。
「まだ若い深きものや人間の信奉者はどうするんです?海での生活に適応できないかと思いますが」
「それは頑張って船上生活を送ってもらうか、大人しく死んでもらうかだな」
「薄情なひとだ」
くつくつとニャルラトホテプが笑う。
そのあまりの別人具合に、諸伏さんがぴくりと肩を揺らした。
「俺、奴らのことは大嫌いだからな。宗教弾圧は欠かしていないんだ」
「深きもの狩りが貴方の信者の手によって行われたのっていつでしたっけ?」
「さあ。忘れた」
それだけ言って、場を沈黙が通り過ぎる。
諸伏さんがそれを好機と捉えたのか、「あのさ」と慎重にニャルラトホテプへと声をかけた。
しかしながら羽虫と言葉を交わす趣味はないのか、ニャルラトホテプはそれをするりと無視したようだ。
諸伏さんがやや困惑して俺に助けを求める視線を向けた。
まあ、本来なら自分の周囲に舞っている羽虫は軽くはたき落として殺すだろうから、ニャルラトホテプとしても配慮はしているのだろう。
それとも、使い道がありそうだからあえて生かしているのか。
そそっとこちらへ寄ってきた諸伏さんが俺に耳打ちする。
『な、なあ。ゼロの中にいるあいつ、お前の知り合いなんだよな?魔術で追い出せないのか?』
「無理だな。方向性は違うけど、あいつも魔術上手いし」
『でもゼロも結構疲弊してるみたいだし、何とかならないか?』
「ならない…むしろ今が奇跡的に最善のルートで来てる感じ…」
俺の返答を聞き、諸伏さんがガックリと肩を落とした。
俺とニャルラトホテプでは魔術を使う理論が異なるので直接的には比べられないが。
対決するとなると、俺が勝てるかどうかは非常に怪しいところだ。
俺は魔術に対して非常に人間的な…論理的思考を積み上げて処理している。
プログラミングをイメージすれば分かりやすいか。
部品を一つ一つ組み合わせて、一個のシステムにする感覚、というか。
対して、ニャルラトホテプは「願えば叶う」という言葉が相応しいだろう。
粘土細工を扱うように、非常に直感的かつ芸術的な組み方をするのだ。
その時その時で一つとして同じ魔術は無いし、そのどれもが息を呑むほど美しい。
奴が俺の術式を評していわく、「貴方、魔術の使い方が迂遠過ぎません?面倒くさ…」とのこと。
俺から言わせればその時その時で魔術式を組み上げる方がめんどくさいのだが、それは個々人の感性というやつか。
モジュールに分けて細かく部品を作り分けておけば再利用が利くし、人間など知的生命体も同じ魔術を使いやすいのに。
まあそれはいい。なんにせよ降谷さんの体からニャル野郎を追い出すのは無理だ。
ニャルラトホテプは海をぼんやりと穏やかに見ている。
奴は暇が嫌いなのに、長々とこんなところで油を売っているとは珍しいことだ。
「あ、貴方のお気に入りの羽虫。動きましたよ」
「え、コナン君が?」
ニャルの言葉に釣られて浜辺を見れば、どうやら女子高生組が男に声をかけられるようだった。
そして凄まじいスピードでコナン君が前へ回り込んだ。
海遊び用の浮き輪を持ったまま、猫被りのふりをして激しく威嚇を繰り返している。
しかし悲しいかな、会話の邪魔だからと園子ちゃんに追い払われてしまった。
蘭ちゃんにも「コナン君はそっちで遊んでてね」と注意されてしまう始末。
コナン君はナンパ男を遠巻きに睨みつけながら、ボソボソと文句を言っている。
可哀想に…納得してない犬みたいな反応だ…。
ニャルラトホテプは気まぐれに魔術で出現させた謎のドス黒い飲み物をストローで飲みながら、コナン君の方をぼんやりと観察しているよようだ。
「羽虫が雌を取り合って鳴く。ネイチャー番組としてはまあまあなんじゃないですかね」
「そう言ってやるなよ…コナン君も本気なんだから」
『………というかそろそろゼロを返して欲しいんだけど』
「うーん、この塵さっきから五月蝿いし、もいだ手足を口に突っ込んで飾っても良いですよね?」
『!?!?』
「ダメに決まってるだろうが!!却下です!!」
「はーい」
慌てて諸伏さんを背後に庇うと、ニャルラトホテプはつまらなさそうに海辺を観察する作業に戻った。
まったく、油断も隙もねぇ這いよる混沌だ。
一息ついて、改めて女子高生組を確認する。
どうやら男のお目当ては園子ちゃんらしい。
一休みがてら歓談するつもりなのか、こちらの海の家の方に連れ立って歩いてきているようだ。
思いもかけない出会いに園子ちゃんの顔が優しいトキメキに染まっている。
いいことだ。
財閥令嬢なんだからお見合いの一つや二つあるだろうに、そういう権力を好まない素直な感性が滲んでいる。
そこでふと、ニャルラトホテプが目を開いて男の方を注視した。
そして。
ニタァ、と亀裂のような笑みを浮かべる。
「って、ニャルお前びっくりするほど邪悪な顔してるやんけ!!何だ!?何を見た!!」
「別にぃ」
ニタニタと悪辣さを隠すことなくニャルラトホテプは喉を鳴らした。
「な、何か変なこと考えてるんじゃないだろうな!」
「僕は考えてませんよ?僕はね……ふふ。では、そろそろお暇します」
「おい、せっかくの旅行なんだし。余計なことはするんじゃないぞ。本当だからな!」
「ははは。誓ってしませんとも」
それだけ言って、ニャルラトホテプは降谷さんの中から一旦退去したらしい。
正気に戻った降谷さんが「はぁ……」と特大のため息をついた。
諸伏さんに背中をさすられてなお、その背中は随分と煤けて見える。
「ヒロ…俺はもうダメかもしれない…」と消え入りそうなか細い声で呟いているが、意外とSAN値は残っているようなので様子見としておこう。
俺は視線を女子高生の方へと戻した。
女子高生たちが座ったのは俺たちの斜め右の席だ。
一応話の内容に耳をそばだてることとする。
なお、追い払われたコナン君がブスッとした顔で俺たちと一緒の席に合流して、まだブツブツと文句を言っている。
「あんなチャラい男が」だとか「園子を理由に蘭に近づいてる」だとか怨念に満ちた声がここまで届いている。
君、うるさくて向こうの話が聞こえないんだが。
一応聞き取れた範囲では、どうやら海辺の洒落たレストランで今夜一緒に夕食を楽しまないか、と誘われているようだ。
しかしながら一年前、レストラン付近の浜辺で殺人事件が発生していたらしく。
ナイフで刺殺された被害者が幽霊として映る、ということで話題なんだとか。
どうやら文句を言いながらも地獄耳で女子高生組の話を聞いていたらしいコナン君が、慌ててこちらへと話を振る。
「まさか本当にいるの!?」
「いやー、それは確認してみないことには何とも…でも、もし実際にいるなら危険だよ」
『へ?』
「亡霊は、生者の精神を攻撃してすり減らすことができるからな。亡霊に近づくのは意外に危険なんだ」
具体的にはPOW(精神力)の綱引きだ。
亡霊が勝利した場合、生者は永久的にPOW(精神力)を幾分か奪われることになる。
黄昏の館の時は俺がそうならないように魔術でさりげなく守っていたが、何の対策も無しに亡霊に近づくのはお勧めしない。
諸伏さんは初めて聞いたみたいにぱちくりと瞬いてから「え、そうなの?」と素っ頓狂な声を出した。
その反応を見てコナン君が胡乱な顔をしている。
「どうして幽霊の諸伏さんが知らないの……」
『だってそんなことしようと思ったこともないし。え、そんなの本格的に悪霊じゃないか』
「そうだけどさぁ」
などとまったり会話していると、「大変だ!!」と大声で駆け込む男性客が一人。
その連れと思しき人物に「殺しだ!線路上の林で遺体が見つかったらしい!!」と海の家中に聞こえる音量でのたまった。
伊豆にまで来てこれですか…?
瞬間、「諸伏さんは蘭達を頼む!」と言ってコナン君が駆け出した。
俺と降谷さんも慌てて後に続く。
現場は近くの線路沿いの林の中で、昨晩花火大会を見た帰り道にも面している場所だった。
既に規制線が張られており、その周囲には野次馬による人だかりができていた。
そして、その向こうに現場検証中らしき横溝警部の姿が見えた。
静岡なので兄の方だ。
人混みをかき分けて、俺を先頭に横溝警部に挨拶する。
「すみません、事件ですか?」
「ん?おお、これは黄衣さん!お久しぶりです。ええ、ナイフで腹を刺されたのが死因でしょうから、殺しに間違いありません」
「一年前に浜で起きた殺人事件とか関係ありそう?」
「コナン君もいたのか!そうだな…まだ捜査中ではあるが、その線も視野に入れているよ」
横溝警部とはいくつか事件協力した関係だ。
コールドケースもそうだが、天下一春祭りなど普通の事件に巻き込まれた形で一緒に捜査したこともある。
そのため、一定程度信頼関係は築けているはずだろう。
「荷物が盗まれていないから物取りの犯行ではないとは見ているが。まだ捜査中だ」
「ふぅん」
コナン君が熟考タイムに入ったのを見て、ふと先ほどのニャルラトホテプの意味深な反応を思い出した。
せっかくだし俺が覚えているうちに聞いておくのも悪くあるまい。
コナン君と同じく考え込む様子の降谷さんへと声をかける。
「そう言えば、さっきニャルが悪い顔をした時のこと、降谷さん覚えてるか?」
今までの様子を見るに、降谷さんにはニャルラトホテプが降りていた時の記憶もありそうだしな。
というより、あれは「ニャルラトホテプっぽい要素が増えた降谷さん」なのだろう。
素のアイツと結構性格が違うし、化身という性質上そう考えた方が辻褄が合う。
降谷さんは途端に難しい顔をして唇を引き結んだ。
「……いや。その部分だけ記憶に靄がかかってる。聞かれることを見越して、意図的に思い出せなくしているんだろう」
「やっぱりか。ニャル野郎め」
碌でも無いことでなければ良いんだが。
そのように考えていると、現場検証がひと段落したらしい横溝警部が笑顔で腕時計を確認してからこちらに声をかけてきた。
「どうです、折角ですので捜査会議に出席して行かれませんか?」
どうも会議に参加させてくれるらしい。
コナン君と降谷さんに目配せすると、二人とも真剣な顔で頷いてみせた。
「そうですね。俺たちも気になりますし、是非」
「それは良かった!黄衣さんが付いていてくだされば百人力ですよ!」
「はは、ははは…」
屈託ない笑顔で称賛されると、俺も全身が冷や汗まみれになるというものである。
後ろでコナン君が良い顔でサムズアップしている。
頼むぞコナン君。いやコナン大明神。
一応蘭ちゃん達に関しては諸伏さんが付いていれば安心だろうし、俺たちは事件の方に注力することとしよう。
さて。
そんなわけで、連続殺人事件ということで特別捜査本部が立ち上げられた今現在。
今回の件は一年前の事件と共通点が多く、同一犯の可能性が高いということで捜査が続けられている。
また、茶髪の女性が狙われているのも特徴の一つらしい。
加えて、先ほどコナン君と降谷さんの見事なタッグで判明したことなのだが、どうも千葉県でも同様の殺人が起きている可能性があるようだ。
現在、千葉県警の方に詳細の確認をとっているところである。
コナン君と諸伏さんのペアも凄まじい連携で阿吽の呼吸だったが、降谷さんとコナン君ともなるとレベルが違う。
もはや二人同時にニヤリとした後、セリフを分けて交互に発言する域にまで達してしまった。
テレパシーでも開通してんのかよという息の合い具合である。
なお、俺は会議室の後ろで重厚に頷くだけの簡単なお仕事に従事していた。
時折降谷さんが「ですよね!黄衣先生!」と言ってくれるのでタイミングもバッチリである。
うむ。善きにはからえ。
殿様じゃねぇんだよなぁ。
そんなふうに会議を続けていれば、もう時刻は夕方だ。
諸伏さんは念のため蘭ちゃん達に同行して、件の幽霊が出ると噂のレストランに行くと連絡が来ている。
少し不安だが、諸伏さんには軽い魔術をかけてある。
彼に任せておけば、特に心配するようなことにはならないだろう。
そこでふと、俺のスマホが鳴り立てた。
「少し失礼します」と言いおいて会議室から出る。
通話に出てみると、相手は諸伏さんであった。
焦ったような抑えた声だ。
『緊急連絡だ。宿で園子ちゃんが不審な男に襲われた』
「っ、園子ちゃんは無事か!?」
『ああ。不運にも宿で荷物を漁っている物取りと遭遇してしまったらしい。物取りは取り逃した。すまない』
「なるほど。流石にそれは放ってはおけないな。こっちもすぐ戻るよ」
『頼んだ』
会議室に戻ると、ちょうど休憩時間に入っていたようで、考え込んだままのコナン君がなにごとか小さく降谷さんと会話していた。
なんにせよ、今はその園子ちゃん達のことだ。
コナン君達を呼び寄せて、先に帰らせてもらえるように横溝警部にかけ合うと、「いや、こちらこそ長々と拘束してしまい失礼しました!」と謝られてしまった。
事情を聞いた二人も流石に顔色を変えている。
近場で殺人事件があった後の犯行だからな。
コナン君がぽつりと、言葉を落とす。
「本当に物取りの犯行なのか…?」
「なんにせよ、ヒロに確認を取ってからだな。あいつなら何か見ているかもしれない」
「そうだね」
この半日ですっかり意気投合したらしい二人は頷きあった。
どうしてみんな俺を置いて分かり合うのか。
これがわからない今日この頃である。
・ニャルラトホテプ
親友と夏の海辺で過ごすのは青春だって最近本で読んだ。
園子をナンパした男が連続殺人鬼だと見抜いて「おっ、良いイベントやってんじゃん!」とテンションが上がるなどしていた。