結局、その日家に帰ってこれたのは夕方になってからだった。
まず、大急ぎで警察庁内の「黒い風」の目撃者の記憶処理をせねばならなかったのが大きいだろう。
単に神話生物を目撃したというだけなら、記憶を魔術で弄る必要はない。
問題は、それが降谷さんだと気付いていた場合今後の降谷さんの動きに支障が出るということだ。
人に化ける怪物の類として取り上げられでもしたら、降谷さんのライフプランは確実に崩壊。
一生人類に追いかけられる化け物として扱われることになってしまう。
それが分かっているからこそ、二人して真剣に青褪めていたものだから俺が放っておけるはずもない。
二人の横で、俺は必死こいて当時警察庁にいた人物とその関係者の記憶を片っ端から洗っていった。
その人物の記憶やSAN値に影響を与えることなく、時間遡行も交えながら僅かな降谷さんの記憶を浚うこと三時間。
追加でメディア関係者の記憶も調べて、世の中に降谷さんを匂わせる情報が広がってないかの確認もした。
結果、幸いなことに当時警察庁にいた人は、ほとんど人間部分の特徴をろくに覚えてはいなかった。
皆どうやら竜巻頭に目とSAN値を奪われていたらしい。
ただ、うち幾人かはスーツの特徴から降谷さんであることを見抜いていたようだが。
彼らは警察庁警備局警備企画課の降谷さんの同僚のようで、軽々に周りに吹聴することはなかった。
とはいえ黙りかと言えばそうでも無く。
情報は素早く裏の理事官まで知らされたらしく、事態を非常に難しくしていた。
降谷さん達といろいろ議論を交わしたが、結局降谷さんが裏の理事官に直接電話。
その話し合いを踏まえて、裏の理事官以外の人間の記憶は消去・改竄することに決まったのだった。
メディアの方は既に警察庁に不審者出没の一報が出回っていたから、そのままに手を加えないよう指示があった。
あとは公安がいいようにしてくれる、ということらしい。
また、それと並行して行ったのは公安信者さんの説得だ。
これは俺から───いやいやながら───電話をさせてもらった。
もちろん0.5コールで繋がった。早すぎて怖い。
ひとまず彼女が応答してくれて何よりである。
すごい勢いで捲し立ててくることはイマイチよく分からなかったが、断片的には聞き取ることができた。
要約すると、降谷さんを草の根を分けてでも探し出して血祭りに上げる、ということらしい。
『あの!!憎き神敵を!!!我が生涯をかけて討ち滅ぼしその頭蓋と脳漿を貴方様に捧げます!!!』
「やめて!いらないです!いらないですから!」
『おのれ…人類を弄び不幸を嘲笑う邪神が…至高なる大神ハスターを愚弄し…あまつさえ籠の鳥にして飼い殺すだと?巫山戯るなよ…逃してなるものか…降谷零……!!!』
「だからやめてって言ってるのに!!」
全然話を聞いてくれないが、これでも信者さんの中では傾聴の姿勢があるタイプの人である。
ループする話に苦戦すること30分。
なんとか「降谷零はニャルラトホテプに寄生された人類であり、今回の一件は彼の意思とは無関係だった」という方向で納得してもらうことに成功した。
降谷さんは「君を保護することに関しては僕の意思なんだが」とやや不満げだったが。
隣から渾身の諸伏チョップを受けて黙ったようだ。
話をややこしくするのはやめようね…。
とはいえ、信者さんも今回のことを水に流してもらうのに無報酬というのも収まりが悪い。
そのため俺から幾分かの返礼をすることにした。
一つは俺厳選の有用な魔術式セットだ。
これは脳内に直接流し込む形で与えたわけだが、その際記憶領域に圧縮して格納させてもらった。
これで頭がパンクすることもないし、紛失・盗難の心配もないというわけだ。
ちょっとずつ解凍して読み解いていけば、魔術師として一段階スキルアップできるだろう。
もう一つは、黒きハリ湖の湖底に刻んだ俺の日記の写しの一部である。
これは何か深遠なことが書いてあるとかはなく、本気でただの日記だ。
昔の人類の進化の観察記録とか、魔術の改良メモとか、見てて面白かった歴史の注目シーンなどが取り留めもなく書き記してある。
なのだが、何故か俺の周囲では根強い人気を誇り、「ハリ湖底経典儀」という大層な名前まで付けられていたり。
確か黄色の印の兄弟団の聖書にもなっていたか。
これを本の形にコピーして、未だ仕事で庁舎にいる信者さんに転送してあげたのだ。
すると電話の向こうで瞬時にバタバタとすごい転けるような音が響き。
次に震える声で「こ、これより帰宅します。あらゆる不埒から、これを、守、守らねば、はーっ、はー、っ」と荒い息をこぼし始めた。
あまりに大袈裟過ぎると思ったが、降谷さんの件について完全に納得してもらえたっぽいのでよしとしよう。
その辺りで通話を終えたのだが。
事の次第を見守っていたらしい降谷さんが「罪な男だな君は……いや、この場合は罪な神とでも言うべきか?」などと引き気味の顔で謎のコメントを残すなどした。
よく分からんが喧嘩売っとんのか。
そんなわけで太陽がビルの合間に沈みだす頃。
全ての処理がひと段落して、俺たちはようやっと解散することができるようになった。
その頃には俺がこの場での情報整理のために具現化した椅子や机、書類や照明、休憩用のソファなどで廃ビルはすっかりオフィスの一角と化していた。
降谷さんはどっと疲れたようにずるずるとソファに座り込み、目頭を揉んだようだった。
「本当に助かったよ。君がいなければどうなっていたことか」
「ああウン…ヨカッタヨ…」
俺がいなければニャルもハッスルせずここまで大事にはならなかったと思うものの。
まあ降谷さんがこう言ってくれていることだし、良かったとしておこう。
降谷さんが頭だけソファから起こして俺を見た。
「それより、今後のために僕の体の講義を受けたいんだが、どこかで時間を取れないか?」
「あー、いいぞ。ニャルラトホテプの化身『黒い風』の基礎情報ぐらいはまとめておくよ」
『あ、俺の幽霊ボディも教えて欲しい!今まで漫然と幽霊やってたけど改めて発見があるかもしれないし』
「オーケー。なら希望日程あとで教えてくれ」
「助かる」
降谷さんが俺を雑に二礼二拍手して祈るポーズを作った。
その隣で諸伏さんもナムナムと俺を拝んでいる。
なんか二人で宗教が違うんだが。
とりあえず俺は笑い、ガオオと荒ぶるクマのポーズをとった。
「不敬なり!明日起き抜けに枕に抜け毛がたくさん見つかる呪いをかけてやるぞ!」
「ほ、本気で怖いことを言わないでくれないか…!?恐ろしいアリクイだな…」
「誰がアリクイだ誰が!」
『まあ俺は?幽霊だし?抜け毛とは無縁の存在だから???』
「ずるいぞヒロ!その毛毟ってやろうか!」
くすくすと笑い合って、俺たちは少しだけお互いの肩の力が抜けたことを確認し。
その後、仕事の降谷さんを送り出して廃ビルを片し、まったり解散したのであった。
ちなみに。
家で真っ先に出迎えてくれたのは、先にマンションに帰っていた玄関仁王立ちスタイルのコナン君であった。
・ハリ湖底経典儀
黄色の印の兄弟団の聖典。
本来はハリ湖の空間の歪んだ湖底に刻まれており、兄弟団が持っているのはそこに魂だけになって突入した魔術師が書き写した写本である。
地球誕生の頃からの歴史が私情バリバリで書き込まれているほか、書きかけの謎の魔術式、ニャルの愚痴、お気持ち表明、ニャルの愚痴、魔術TIPS、なんか立派なこととかが書かれている。
だいたい一昔前のブログに似ている。