今日はコナン君は合唱会の練習で帰るのが遅くなるそうだ。
時刻は夕方。
リハーサルから帰ってきて、ずっと俺は考え中であった。
普通の事件については目暮警部達がすでに動いている。
そちらは目暮警部に任せればいい。
俺が気になっているのは堂本音楽ホールに行った際、少し気になることがあったからである。
隣で公安の仕事中の降谷さんがチラリと視線を向けてきた。
諸伏さんは公安のトラブルで出ている。
夕暮れの空が赤く、光を差し込ませている。
「何か気になることでもあるのか?」
「堂本音楽ホールの構造がな。少しばかり目についてさ」
俺は目の前に堂本音楽ホールのホログラムを表示させた。
骨組みだけにして、構造を三次元的に表示する。
「これを見てくれ」
「……僕にはただのコンサートホールにしか見えないが」
ちょうど、俺たちに紅茶を持ってきてくれたマモーさんがホログラムを覗き込んでぱちくりと瞬いた。
「おや、これは古代ヴァルーシアの神に捧げる塚に似ていますね」
「やっぱマモーさんもそう思う?」
「ヴァルーシア?」と降谷さんが首を傾げた。
ヴァルーシアはヘビ人間の帝国だ。
今も北米地下のクン=ヤンに小さな共同体として残っている。
彼らはハイパーボリアとも交流があり、高度な魔術文明を誇っていた。
「塚」は、その祭神に効率的に生贄を捧げるのに使われた建造物である。
降谷さんの目が鋭く細められた。
「つまり、何者かが客を生贄に捧げようとしているということか?」
「そこまでは言えないかな。『似てる』って段階だし。完全に機能するには大雑把すぎる。穴の空いたバケツだよ、これは」
もしこれで神に生贄を捧げようとしたって、ろくに効果は得られないだろう。
未だ厳しい表情のまま降谷さんが考え込むような様子を見せる。
ホログラムをそのままに、次は堂本音楽ホールの館長の写真と経歴を映した。
「館長の譜和匠について、降谷さんに軽く探ってもらったろ。それを確認したんだが、ドイツに留学していた時期があったらしい。この大学」
軽く表記を指差して、俺は背もたれに体重を預けた。
ぎし、と椅子が鈍い音を立てる。
「ここ、かつてトルネンブラのカルト組織があった場所なんだ。大学に魔導書が残っててもおかしく無い」
「トルネンブラって、あの床を這ってた力場のことか?」
「………いやー、まあそうだけどぉ」
降谷さんがやや虚をつかれた顔をしたので、俺は渋面を作るしかなかった。
トルネンブラさんの名誉にかけて言っておくが、彼はアザトースの眠りを補助する偉大な神なのだ。
俺なんかとは違う本物の音楽神。
生きた音色とも言われる、創造神の子守唄そのものである。
今はちょっと、こう、無力感から床を舐めてるだけで、本当にすごい神であることは間違いない。
「うーん。ともかく、館長がトルネンブラさんのファンだとして、何か企てていたら危険だなとは思うよ」
「……それは外なる神の招来を目論む、ということか」
ゾッとした顔で戦慄する降谷さんに、俺は慌ててバタバタと手を振った。
「ないない。トルネンブラさんは本当に滅多に混沌の宮殿を離れないんだ。この宇宙になってから外出したの見たことないレベルでさ」
「……そうか。なら、たとえば魔術師が呼び出そうとした時、どの程度の生贄が要求されるものなんだ?」
「国単位で捧げて欠片がちろっと顔を出すかどうかって程度。なら父上…ヨグ=ソトースを呼び出す方が楽だよ。父上は時間だからどこにでもいるし」
というか、生贄なんぞより音楽を捧げた方がよっぽど芽があるというものだ。
それでもいかに天才音楽家が生涯音楽を捧げ続けたとして、呼び出しに応じるかは怪しいものだ。
単に音楽家に囁きかけて、魂を回収して己の演奏の駒にする程度だろう。
創造神の子守唄という立場はそれほどに重い。
たとえば。
トルネンブラが自分から動き出すような理由があれば別だが。
「なーに話しているんですか?」
「うおニャル!?」
びょんっ!と虚空から現れたニャルが俺に抱きついてきた。
俺に頬ずりして、眠たげにパチパチ瞬いてむいむいもごもご言っている。
降谷さんが思わずと言った様子で硬直した。
ニャルも縦横無尽なんだよなぁ。
まったく、眠いなら寝てろって言ってたのに、暇でまたベッドから抜け出したのか。
「うん、ちょうど降谷さんと人類を守る方法考えてたとこ」
「えぇ……またそれですか。よく飽きもしませんね。もっと楽しいことしましょうよ!」
眠さを堪えているせいでバタバタと変なテンションになっている。
仕方ない。
ニャル子守唄作戦と行こう。
「よーしよし。そこに座って、横になって、俺が子守唄を歌ってあげようね」
「やーだー!一緒にゲームしましょうそうしましょう!」
「いいニャルだね、よしよし、座って、とりあえず俺の歌を聴いて。ねーむれーねーむれー」
「騙されませんよぉ…なんのこれしき……ぐう」
よし。
俺は額の汗を拭う仕草をして、マモーさんから受け取ったブランケットをニャルにかけた。
時々しか使えないニャル封印術だ。
元々眠そうにしてたから効いただけで、万全の状態の外なる神に効果を発揮するものではない。
降谷さんが目を見開いて吐息を漏らした。
「凄いな、ニャルラトホテプを眠らせることができるのか」
「ニャルだからこそって感じだな。ニャルラトホテプはアザトースのメッセンジャーで、言わばアザトースの化身だ。だから定期的に眠くなる。それを促してるだけだな」
ちなみに、ニャルは眠いのに起き続けようとしてどんどん不機嫌になるので、早目に眠らせるのが吉である。
まあ1日もすれば元気全開で起きあがって悪さをすることだろう。
俺はうーんと伸びをして触手のこりをほぐした。
「しかしそうだな、怪異対策に音楽を使うのもありかもしれないか。ほら、録音した音楽を流して怪異を鎮静化させるとか」
「便利だが…できるのか?」
「分からん。でも研究題材としては有意義かも」
人間まで鎮静化されては敵わないから、その辺りの調整が大変かもしれない。
あと志保ちゃんの麻酔薬が万能すぎてそっちの方が効果が確かなのもある。
ちょっとばかり試しに歌ってみようか。
俺は即興の怪異鎮静ソングを鼻歌で歌ってみることにした。
「こんな感じか。ふんふんふんーふんふん」
「う…!待てやめてくれ僕まで寝る!」
「おっと失礼。でも良さそうな感じだな。今マモーさん眠かった?」
「少し眩暈のようなものを感じました」
「ありゃ。ダメか。先は遠そうだな」
やはり人間のみを除外するのは難しそうだ。
降谷さんが眠気を振り払うように頭を振って「君はなんで思い立ったら即行動なんだ!」とポコポコ怒った。
すまんやで。
旧支配者に省みるという機能はついてないもので。
と、そのあたりで電話があった。
知らない番号からの電話だが、番号はこのあたりの地域のものを示している。
『こちら米花町北署のものです。江戸川コナン君の保護者の方で間違いないですか』
「はい。どうかされましたか」
『北署の方で江戸川君を保護しておりますので、お迎えに来ていただけないでしょうか。まだ捜査中なのですが、少し悪質なトラックがいたようで』
ふむ。事件というわけか。
降谷さんと頷いて、すぐ向かうこととする。
「マモーさん、来客対応頼んだ!」と言えば、「お任せください我が神よ」とマモーさんが恭しく頭を下げる。
いつも本当に頼りになるんだよな。
行く前にニャルを抱っこしてソファに寝かせて、と。
あとニャルからはみ出した触手をしまって。もう一回しまって。さらにしまって。
……なんだこれ、触手全然戻らねぇ。
ブランケットをかけてひとまず隠すことにする。
北署までは車で5分足らず。
そこでは子ども達が心細そうに一塊になって縮こまっていた。
「何があったんだ?」と問い掛ければ、子ども達は皆口々に我先にと話し始めた。
「つまり、秋庭さんのお茶に毒が混ぜられていてそれを誤って呑んだ元太君が病院へ行くことになった。その帰り道、不審なトラックに襲われたと」
「そうです!絶対あのトラックは秋庭さんを狙ってました!」
「死ぬところだったんだぜ俺ら!」
安室の皮を被った降谷さんの言葉に、みんなはわいわいと同意した。
秋庭さんを狙った犯行ということは、やはり例の堂本音楽アカデミーの爆破事件と無関係とは考えにくい。
星の精がコナン君のポッケで震えている。
ぐっしょり濡れていて、凄く泣いたんだろうと思われる。
「…………」
「黄衣君。あまり苛立つな。人間のしたことだろう」
「わかってる。ああもう!人間無限に悪いことするな!無関係の子供達まで轢き殺そうとするなんて!」
人間の悪さを思えば全然軽い部類だけどさ!
でも、コナン君達をこんな目に遭わせるとは、やはり少し気に食わないのである。
・ニャルニャル
時々ねむねむになる。
眠いと3割増しに悪いことする。
忙しかったトルネンブラの仕事を奪って無職にした元凶。