バイオテロから7日。
俺たちは平和に、鈴木次郎吉氏のお誘いで飛行船に来ていた。
東都から大阪への遊覧飛行だ。
ついでにキッドとの対決付き。
次郎吉氏が俺を優先して誘ったのはキッドとの対決のためでもあるだろうが、どちらかといえば俺への娯楽の奉納がメインだろう。
俺とのつながりを維持しようという意図が見える。
その辺、財界人として強かな判断ができる人だからな。
次世代のため、その程度の布石ぐらい打つだろうよ。
残念ながら諸伏さんと降谷さんは事件対応のために欠席である。
実は、あの後ネットに犯行声明が公開されたのだ。
あの国立東都生物研究所を襲ったバイオテロは、どうやら「赤いシャム猫」と呼ばれるテロ集団らしい。
昔に財閥を狙ったテロを繰り返していたが、10年前に壊滅したと警視庁には記録があった。
犯行声明によると、7日以内に次の行動を起こすとのこと。
そして、今日が約束の7日目である。
飛行船の窓から「すっげー!!!」と騒ぐ子供達を尻目に、志保ちゃんがするりと俺に近寄ってくる。
「あなたは良いの?テロが頻発しているけど、こんなところで景色を楽しんでて」
「諸伏さんと降谷さんは大忙しだけど、俺はここからでも十分対応できるからな。ふふふ、スペックが違うんだよ!」
「あらそう。さすがは日本の守り神ね」
昨今での俺の呼び名だ。
別に日本だけを助けてるわけじゃないが、贔屓してるのも事実。
というか、この七日で各地で勃発した大事件を火消ししてまわっているうちについた呼び名でもある。
バイオテロを起こした赤いシャム猫には魔術師もいるらしい。
疱瘡神の疫病を前に、まだ生きているのが何よりの証拠だ。
だが蔓延を防ぎ管理する技術までは会得していなかったようで。
逃走経路に沿って、各地でとんでもない大疫病が起こっているのだ。
病院がパンクどころの話ではない。
あちこちで、あたり一体が毒ガス兵器でも撒かれたような状態になってしまっている。
もちろんこのままでは壊滅的被害が予想される。
俺はハスターの瞳を通じて、できるだけ急ぎその治療と加護、劇症化を防ぐ手立てを講じた。
降谷さんも精力的に風を展開。
ウィルスの奪取と封じ込めに尽力した。
その甲斐あって、助けに入った救急隊員に二次被害が及ぶ事態はかなり抑えることができたようだ。
加えて、その症状の重さゆえに疱瘡神ウィルスが蔓延しなかったのも不幸中の幸いだった
パンデミックになってしまえば取り返しがつかなかったが。
それは権能の及ぶ四方10km外に出る様子はなく、点々と犯人の逃走経路を示すのみだった。
俺は肩をすくめて軽く口を開いた。
「志保ちゃん、なんか疱瘡神ウィルスに効く薬とか作れたりしない?」
「できなくはないけど、医薬品にするなら実験と臨床試験で15年は見てもらわないと困るわよ。おまけに怪異との混合ウィルスなんでしょう。ノーベル医学生理学賞とれるわ」
「だめかー」
「貴方が魔術で祓うんじゃだめなのかしら」
「それができたら楽なんだけど、人間社会に影響が出そうでなぁ」
疱瘡神は病の神、細菌とウィルスの神だ。
それは一概に悪い影響だけとは限らない。
がんの治療や遺伝子研究、土壌改良や食品にまで、幅広い分野で未開拓の科学の土壌となっている。
下手に討てば効果が弱まったり変わったりして、より大きな損害につながるだろう。
己の意思みたいなものはない下等な旧神だ。
しかし、偉大さというのは知性では決まらないのは、アザトースがよく証明している。
だから俺も最低限人を治すことしかできなかった。
研究所に封印されている時も、権能の毒性を封じる形であってそれ自体を無力化しようとはしてなかったようだし。
犯人は人間集団半分、魚もどき半分。
魚は殺しても良いとはいえ、人間のテロリストを俺が制圧するのはお門違いだ。
はぁ、と深いため息をつく。
志保ちゃんが「でも、アポトキシン4869の解毒薬を完成させた後の研究題材にはぴったりかもね」と優しく微笑んで言葉を落とす。
彼女も世紀の科学者であることには違いない。
怪異病の研究者か。
将来を考えられるようになったのは良い傾向だし、今後が頼もしい限りである。
あとは赤井さんをそろそろ許してくれると良いのだが、生涯許す気はないらしくよく赤井さんをいびっている。
ノーダメージで嬉しそうな赤井さんを添えて。
コナン君がトコトコと俺たちの方へとやってくる。
「おーい、スカイデッキに案内してくれるってさ、灰原も行こうぜ」と声をかけてくれた。
「今行くわ」
「あ、黄衣さん。そういやキッドは来るって言ってたのか?」
「降谷さんにまた怒られてたよ。『また君は無駄に警察の予算を吸い上げる!』ってさ」
「ハハ、そりゃそうだ。キッドもそうだけど、それより今日が七日目だよね。黄衣さんはどうするの?」
「もし何かあったら俺の分身で対応するから、一体警視庁に置いてある。出動待ち」
「なるほど、お疲れ様」
そんな話をしながら、皆で展望デッキへと向かう。
全面ガラス張りのかっこいいエレベーターで最上階へと昇る。
この飛行船には展望のスカイデッキが設置されていて、ガラス張りの室内からは夜空が見られるようになっているらしい。
先に飛行船の乗船メンバーが到着していて、皆で内部を見学していた。
日売ディレクターさんにレポーター、カメラマンの姿が見える。
規模は実に小さいが、俺の姿を見て「おお!黄衣さんじゃないですか!!」と駆け寄ってきた。
このディレクターさんとは前に番組でご一緒した仲だ。
「お久しぶりです水川さん。いま局はバイオテロでもちきりでしょう?」
「そうなんですよ!おかげでこんな機材もなくて…いえ、すみません。黄衣さんの取材にこんな少人数で」
「仕方ありませんよ。これは、取られた人手を取り返すぐらいの活躍を見せなければいけませんね」
「ははは!そうですね!撮れ高掻っ攫ってやりますよ!
などと軽く笑い合っていると。
ふと、遠くからこちらを睨め付ける目が見えた。
ディレクターさんが「ああ、彼はルポライターの藤岡さんというそうです」と説明を受けた。
俺はややあってから頷いた。
あれは魔術師だ。
俺を見て一瞬驚愕した顔に。
あと、ちょっと魚臭い。
「阻害」の権能で正体を隠しているようだが、この距離でわからないほど耄碌しているつもりはない。
俺はすう、と目を細めた。
子供達を連れた蘭ちゃんと園子ちゃんが、今回のキッドのお目当て、レディ・スカイを見学している。
美しく大きな宝石で、神秘の力が宿っている。
古代ローマにも遡る歴史ある石で、そこには安眠をもたらすヒュプノスの優しい加護が宿っている。
時の権力者はこの宝石を枕元に置いて、穏やかな眠りを確保したのだのだ。
コナン君をちょいちょいと手招きして、俺は内緒話の姿勢をとった。
「どうしたの黄衣さん」
「例のバイオテロの標的、ここかも。魚臭ぇ人もどきがうろついてる。研究員の証言もあるし、ダゴン秘密教団っぽい」
「な………!?この飛行船の中で事を起こす気か!?」
「飛行船ごと突っ込む気かも。まだ出発したばかりだし、霞ヶ関に突っ込めば良い具合になるよ」
つまり、良い具合に地獄絵図という意味だが。
コナン君が戦慄に顔を歪めて、何も知らず楽しそうな蘭ちゃんを見たのだった。
・ダゴン秘密教団
各地に支部があるが、どちらかというと深きものどもの寄り合いみたいな風体が強い。
「阻害」の加護によりハスターの瞳による神罰を逃れている。
ハスターと人類社会を嫌っており、その転覆を狙っている。
・赤いシャム猫
別にダゴン秘密教団の理念はどうでも良いが、政府から金を脅しとれればそれで良い。
悪党傭兵集団。
今回の計画の企画者。ダゴンはドン引きで同意した。
人間の方が悪い生き物だってはっきりわかんだね。