志保ちゃんが風邪をひいたらしい。
コナン君もそうだが、アポトキシン4869を飲むと免疫機構も子供時代に戻るのか、とっても風邪をひきやすい。
しかも念のため市販の風邪薬を飲まず、色々と様子を見ているものだから、対応にも一手間かかる。
そんなわけで、俺たちもコナン君について一緒に見舞いに行くことにした本日である。
よくキャンプに一緒に行く諸伏さん、俺、コナン君の三人組だ。
明美さんは一足早く早朝に志保さんの元へ向かっている。
さて。
車に乗るぞ、という頃になって、事務所に降谷さんが遅れてやってきた。
かなりお疲れ気味で、目の下にクマを拵えている。
コナン君が駆け寄って、心配そうに声をかけた。
「どうしたの安室さん。仕事が忙しい?」
「いや、単純に最近よく眠れなくてね……夢見が悪いというか」
「そっか。無理しないでね」
ありがとう、と降谷さんは嬉しそうに微笑んだ。
やはりコナン君と降谷さんは腹の探り合いをしつつも基本的に仲が良く、よく戯れあっている。
これから俺たちは志保ちゃんのところにお見舞いに行くつもりだから事務所をよろしく、と頼もうとしたところで待ったがかかる。
「あ、それ僕も行ってもいいかな?」と降谷さんが言い出したのだ。
実際、宮野姉妹と降谷さんは何か関係がありそうな感じはするが…今のところその関係性は不明なままだ。
事務所で明美さんと会ったときも、降谷さんはどこかよそよそしい態度だったし。
明美さんの反応から、間違いなく二人は知り合いだと思われるのだが。
降谷さんの方が煮え切らないため、よくわからない。
念のため理由を聞いてみようと、俺は降谷さんに声をかけた。
「うーん、いいけど、なんで?」
「ああ、一部盗聴器の回収に行くんだ。ベルモットに頼まれていてね」
「ッなんで組織の人間が博士んちに盗聴器を仕掛けてるんだ!」
思わずと言った様子でコナン君が反応した。
というかそんなところに組織の盗聴器があったのか。
降谷さんは薄く笑みを浮かべたまま、コナン君へと向き直った。
「さあ。ベルモットの考えていることはよくわからないよ。住人を殺したいなら、普通に押し入って殺して火を放てばいいだけだ」
どこまでも温度のない声色が、甘やかなマスクから放たれる。
それはどこか作り物めいておぞましい。
「………まあそんなわけで。僕は不要な盗聴器の回収を任されてるんだ。一緒に行ってもいいよね?」
「灰原に危害は加えねぇな」
「もちろん。ヘルエンジェルの娘さんに、酷いことはしないと誓うよ」
花が咲くような笑みだが、どこか薄っぺらく嘘くさい。
俺はこのシリアスな空気に耐えられなくなり、そーっと二人の間で挙手をした。
「もうそろそろ俺も発言していいですか…」
「黄衣さんが話し出すと気が抜けるからもうちょっと我慢して」
「はい…」
コナン君に却下されてしまった。
ブスッと体操座りのまま影を薄くすることに努める。
コナン君が挑戦的に降谷さんを見上げている。
「安室さんは灰原をどうする気なの」
「個人的には保護したいと思ってるよ。非常に貴重な、人を幼児化させる薬物の開発者だ。日本警察の手で身柄を確保するのが最優先だろう?」
「なら灰原の意思はどうなる」
「できる限り尊重するとも。なるべく開放的な良い居住空間を提供するし。情勢を見てからにはなるが、外出も許可しよう」
凄い。
俺でもわかるバリバリの「監禁するつもりやで」というメッセージが叩きつけられている。
ニャルとは陰湿さの方向性が違うが、やっぱりこの人も怖い人間には違いあるまい。
コナン君が無言で睨み上げる。
その鋭い眼光に、降谷さんがすうっと目を細めた。
そして次の瞬間、ぱっと屈託のない笑顔を作って少ししゃがみ、コナン君と目線を合わせた。
「なんて、ほんの冗談だよ。そんなに警戒しなくてもいいのに」
「どうだか。あなたは職務に忠実な人だ。その必要があれば、非道な決断だってできるだろ」
「ははは。僕としては、職務に則り君の保護も考えているんだけど」
「……」
「死んだはずの工藤新一が、幼児化して生きている。世に知られるなら危険過ぎる身の上だとは思わないか?」
笑顔のままに凍えるような冷徹な瞳が、コナン君を捉えている。
俺はぶーんと間に割って入り、両手をブンブンと振って二人の睨み合いを遮断した。
「はーい、ここで旧支配者ストップがかかりまーす。人類社会で好き勝手するニャルラトホテプは地球外退去措置になるのでご注意くださーい」
そのままコナン君を後ろに庇えば、降谷さんはむすっと腕を組んで口を尖らせた。
「横暴だ!僕はニャルラトホテプの化身である前に日本国を守る公安警察だし、慣例と法令に則って活動している!」
『法令はちょっと怪しいんだけどな』
「ヒロは黙って。ともかく、僕をニャルラトホテプというだけで排除するのは日本国のためにならないという話をしているのであってだな!」
「被告に発言は許可していませーん」
もうそろそろ出発せねば、ずるずるとお見舞いの時間が遅くなってしまう。
車の鍵を諸伏さんに渡して、コナン君と諸伏さんの二人に「先に行っててくれ」と言って背中を押す。
「えっ、でも」
「大丈夫大丈夫、俺たちもすぐ行くから」
不安そうな足取りで車へと向かう二人を見送り、俺は降谷さんに向き直った。
降谷さんは少しだけ動揺しているようだ。
「一体何を…」と言いかけたところで、俺は降谷さんの正面に立った。
【矮小な化身如きが、身の程を弁えろよ】
「っ………!」
俺本来の「目」の全てで降谷さんを睨みつける。
空間を歪ませるような魔術的力場が発生。
濃密なそれに、思わず息ができなくなったのか、「か、…はっ…」と降谷さんが蹲って喉をかく。
そこでようやく俺は視線を切った。
彼を苦しめたいわけではないからな。
とはいえ、流石にコナン君をダシにしてそういう話をするのはマナー違反だ。
ため息をついて、蹲る降谷さんに合わせて俺もしゃがみ込んだ。
戸締りもしてあって、電気も消してある事務所内はどこか暗く息苦しい。
「降谷さんはもう人間じゃないんだから、力を振るうときは慎重になること。今までの公安のつもりで動いちゃダメ。OK?」
「……だが、俺の判断は公安として間違っていないはずだ」
息ができるようになって、降谷さんは唸るように吐き捨てた。
確かに、公安はいつもそうやって日本の治安を守ってきたのだろう。
それを俺が非難することはできないし、それが脆弱な人の知恵という奴だからだ。
とはいえ。
降谷さんの場合……色々論理武装をしてはいるが、根本的には単純に知り合いに死んでほしくないだけだろう。
手の届くところに囲っておいて、安心したいだけ。
まったく、本当に自覚が足りないとはこのことだ。
「バカ言っちゃいけないぜ。降谷さんはもう神様の一柱なんだから。もっと最善を目指せるはずだろ」
「!」
「風の手を伸ばせば、崩れた建物から人を救い出すことぐらい簡単だ。魔術を使えば、今にも死にそうな人を助けることもできる」
せっかくスーパーマンになったんだから、人らしくその利点を全力で利用せずに何とする。
異世界転生だってすぐにその転生特典を使って成り上がるだろうに、降谷さんは頭が固い。
「頑張れよ、お巡りさん。人間じゃどうにもならない理不尽に嘆く人を、貴方なら助けられるんだから」
肩を叩いて笑いかける。
ニャルラトホテプの力を人らしく使いこなしてみろ。
そのように激励を込めれば、降谷さんは情けない笑顔を見せて。
「……そうだな。すまなかった」と少しだけ目を伏せたのだった。
その後、志保ちゃんのお見舞いに行けば、先に来ていた明美さんがそっと幽霊姿のまま寄り添っていた。
俺らもお見舞いのフルーツを置いて、うるさそうな顔をする志保ちゃんの前でひとしきり騒いで部屋を後にした。
降谷さんの方はその隙にバーボンとしてきちんと仕事ができたらしい。
その時の話の流れで、志保ちゃんの父、宮野厚司と幼馴染だったというデザイナーの事務所へ行くことに決まったのは予想外だった。
志保ちゃんの風邪が治ってからのつもりだったが、本人たっての希望ということでそのまま向かうことに。
ちなみに、その話を聞いて明美さんはあっ、という顔をしていた。
そのまま乗ってきたハイエースに皆を乗せて、デザイナーさんの事務所へと向かう。
車の中に移動してから、ようやく諸伏さんが口を開いた。
おそらくまだ生きている盗聴器を警戒していたのだろう。
実体化している間の諸伏さんの声は、盗聴器にも入ってしまうからな。
『さっき明美さん、何か思い当たる節のある顔をしたよな。何だったんだ?』
『ええと、凄い私事なんだけど、今の今まで忘れてて』
恥ずかしそうに明美さんが志保ちゃんの頭を撫ぜた。
本人的には照れ隠しなのだろうが、無意味に撫ぜられた志保ちゃんまで恥ずかしがって赤くなってしまっている。
『私の母が私達に宛てたボイスメッセージを、組織の目を盗んで隠してあったの』
「っ、お姉ちゃん、どこに隠したの!?」
『今から行くデザイナーさんの家よ。ついでに回収したほうがいいわね』
助手席の降谷さんが「ヘルエンジェルの…」と小さく呟いた。
それをニヤニヤした諸伏さんに肘でつつかれて、赤くなって「良いだろ別に!」と怒っている。
色々あるらしいが、あまり踏み入っても可哀想か。
もちろんだが、その後すごく殺人事件を解決することになった。
幼い明美さんが遊んでもらっていたという事務所で起きた殺人に、幽霊として誰にも見えぬ姿のまま、明美さんは静かに俯いていた。
降谷零は、己のセーフハウスで布団に寝転がった。
肉体的な疲れはさほどでもない。
この身体になってから、随分と疲れにくくなった。
数日寝ていなくてもこうして普通に動けるし、怪我もしなくなった。
人間の身体などよりよほど楽で、降谷としてもありがたく思っている。
だが精神的にはどうしても疲れは溜まる。
大きなため息とともに目を閉じようとしたら、スマホがバイブレーションし始めたことに気がついた。
どうやらベルモットかららしい。
くだらない、特にくだらない羽虫が俺の眠りを邪魔しようとしている。
降谷は苛立ちを何とか抑え込み、バーボンとしての皮を被った。
『バーボン、頼んでいた仕事はきちんと完了したかしら?』
電話の向こう側で、ベルモットがやや緊張した声色を出した。
最近、ベルモットはやけに降谷のことを警戒している。
「ええ、つつがなく。しかし、なんだってあんなところに盗聴器を設置したんです?殺すならもっと手早くできたでしょうに」
『だめよ。邪魔が入るかもしれないもの。貴方もわかっているでしょう?』
「………」
江戸川コナンの、という意味なら降谷とてよくわかっている。
神の寵愛を受けられるような人間がこの世にいるとしたら、それは彼のような人間を指すのだろう。
知能、判断力、時の運。全てを兼ね備えた稀代の寵児。
旧支配者ハスターの庇護を受けるもの。
それをこの腐った女は、身の程知らずにも好いているようなのだ。
こんな可笑しいことがあるだろうか?
愚かしくて愚かしくて、少しだけ揶揄いたくなってしまう。
「どうせ民間人じゃないですか。貸しにしますから、僕が一通り始末してきましょうか?」
『……貴方が?探偵事務所での立場が悪くなるんじゃないかしら』
「まさか。証拠を残すようなヘマはしませんよ。どうします?」
お前の大事な子供を殺してやるぞ。
嘆くか?怒るか?
ああ、無様に羽虫のように抵抗してくれ。
ベルモットは息を殺し、平坦な声を出したようだった。
『やめとくわ。貴方に借りを作ると五月蝿そうだし』
「そうですか。では、僕は寝ますのでこの辺で。起こさないでくださいよ、貴方の大切なあの聡明な子供に、ちょっかいをかけてしまいたくなるので」
『ッ…!』
通話を終えて、スマホを布団の横に放る。
どっと疲れて、降谷は額に腕を当てて天井をぼんやりと眺めた。
ああ、さっきの思いはどこまで俺だったのだろうか。
そんな益体ないことを考えながら。
・降谷零
実は意外と純度の高い降谷零です。
普通に腐ったリンゴ女が嫌いなだけ。
殺される心配がなくなったから性格が悪くなっただけともいう。
ニャル「僕のせいにされるの心外なんですけど!?」
ハスタ「残念ながら当然」