現在、俺たちは極寒のファミレスにいる。
別に物理的に寒いわけではないが、降谷さんから吹き荒ぶ冷気により間違いなく極寒である。
位置取りは片側に俺、降谷さん、諸伏さん。
机を挟んでもう片側にライさんだ。
完全に圧迫面接の配置に、俺は来るんじゃなかったと後悔した。
ただし、それをまるで気にした様子もなく、ライさんは「ほう、最近のファミレスにはワインもあるのか」などとメニュー表を見ている。
まるで気にした様子がない。
グラスワインを頼もうとしているらしく、「ふむ、日本円の残りは足りたかな」と財布の中を覗いた。
この空気感で酒を飲む気らしい。
目の前に般若みたいな顔したニャルの化身がいるのに…なんて胆力の男…!
ギロっという効果音がピッタリの表情で、降谷さんがライさんを睨みつけた。
「おい、車で来てないだろうな」
「まさか。電車だとも。気分転換に歩いて来たんだ」
降谷さんはイライラと舌打ちした。
店員がやってきて注文を取り始めたので、ライさんは遠慮なく酒とつまみを注文したようだった。
俺は話を無視して飯を食うつもりで、遠慮なく鳥ステーキを頼んだ。
こんなん美味いもんでも食ってなきゃやってられるか。
ライさんは上機嫌そうに朗らかに口を開いた。
「しかし、驚いたぞスコッチ。あの時は間違いなく死んだものと思っていたが。一体どういうトリックだ?」
『あー……』
「死体の処理はバーボンに任せたから、君達がグルならどうにか誤魔化したんだろうが…。本当に驚いたよ」
諸伏さんが言いづらそうに言葉を濁した。
確か前に聞いた話から推察するに、ライさんは諸伏さんが死んだ場面に居合わせていたのだったか。
話を聞いていた降谷さんが陰鬱な笑みを浮かべ、せせら笑った。
「別に、僕は何もしてませんよ」
「うん?だがスコッチ死亡の報告を組織に上げたのは君だろう。死亡を偽装するなら君以外他に、」
「だから何もしていないと言っている」
ハッとするほど強い口調で、降谷さんが言い切った。
降谷さん本人もそこまで声を荒らげるつもりはなかったらしい。
「……失礼」と小声で漏らしたようだった。
ライさんが少しだけ瞬いた。
「スコッチは死にましたよ。間違いなく。自ら拳銃で自分の胸を撃ち抜いて」
「どういう意味だ?まさか、目の前にいる彼が冥府から這い出てきたとでもいうつもりか?」
「……その、まさかだと言ったら?」
ファミレスの喧騒に紛れて、二人の男が睨み合う。
諸伏さんもようやく覚悟を決めたらしく。真っ直ぐにライさんの方へと向き直った。
と。
そのタイミングでワインとおつまみ、俺の鳥ステーキがやってきた。
鉄板の上でじゅうじゅうと油の跳ねる音がして、実に美味しそうだ。
俺は「いただきます」と言って遠慮なくモゴモゴとそれに食いついた。
ジューシーかつジャンクな味付けで非常に美味い。
諸伏さんが至極迷惑そうな顔をしてこちらを見た。
『あー、ライ。手を、出してくれ』
「?良いが…何をする気だ?」
『いいから』
困惑しながら出された左手を、諸伏さんは机から身を乗り出して握った。
きっと温かかっただろう。
そのように魔術で温度を誤認させ、柔らかく感じるように細かく触感を調整しているのだから。
諸伏さんが俺に視線を送る。
俺は無言で頷いて、「亡霊の実体化」の魔術を解除した。
同時に、入れ替わるように「霊視」の魔術をこのエリアにだけに展開する。
降谷さんは目を伏せたまま、諸伏さんにことの成り行きを任せたようだ。
実体化が解け、不意にライさんの手が空を切って机に落ちる。
ライさんが目を見開いて、己の手と諸伏さんとを交互に確認した。
目の前の諸伏さんは半透明で、ファミレスの緑のシートが向こう側に透けて見えている。
諸伏さんは軽く笑って、肩をすくめた。
『こういうわけだ。悪いなライ、ぬか喜びさせてしまって』
ライさんは思わずと言った様子で諸伏さんに手を伸ばした。
その手が、するりと虚像をすり抜ける。
それも当然だ。幽霊は本来生者には干渉できない、希薄な存在だからだ。
ライさんが小さく首を傾げた。
「立体映像、にしてはあまりに鮮明だな。ふむ、どういう仕掛けだ?」
『ははは。バーボンの反応とそっくりだな』
「うるさいですよスコッチ」
諸伏さんがくすくすと笑うものだから、隣の降谷さんが完全に臍を曲げてそっぽをむいてしまった。
ライさんは相変わらずその様子に困惑しているようだ。
説明を求めるかのように諸伏さんに視線を向けている。
『仕掛けも何も、俺は幽霊だってことさ。お前の言った通り、冥府から這い出てきたんだ』
「ふざけているのか?」
『俺がこうしてお前に会うことを決めたのは、別に俺のことを信じてもらうと思ったからなわけじゃない』
半透明な体で机を通り抜け、諸伏さんはライさんの両耳を手で覆った。
事前に打ち合わせた通り、そのタイミングでライさんへと魔術を重ねがけする。
一晩だけ、「霊視」の魔術が持続するように、定着させたのだ。
ライさんが瞳を揺らして、目の前の半透明な男を呆然と見ている。
「スコッチ、何を…」
『今日の集まりにも呼んだんだが、アイツはライに会うつもりはないって、突っぱねちまったんだよ。でも、お節介を焼く分にいいかなと思ったんだ』
明美さん、ライさんのところに毎晩日参しているというのに、どうにも変なところで奥手である。
今日も彼氏の家に行くだろうと踏んで、俺たちは彼女に黙って密かに「霊視」の魔術をかけることを決めたのだ。
まあ、なんにせよこれで用は全て済んだ。
俺も美味しい鳥ステーキを存分に堪能したし、あとは帰って寝るだけである。
降谷さんが「くだらない事に時間を浪費しました。僕も暇じゃないというのに」とブツブツと文句を言っている。
なら着いてこなければいいのに、と思えど。
たぶん本人にそれをいうと逆ギレされるので指摘できないでいるのである。
そのままお会計へと向かおうとすると、「待て、スコッチ!」とライさんが席を立った。
机の横を歩く諸伏さんへと手を伸ばすが、伸ばした手は何の干渉もできず宙を通り抜けた。
それを、呆然とライさんは見上げている。
諸伏さんは優しい笑顔で、宙を泳ぐライさんの手に実体のない己の手を添えた。
『またな、ライ。今晩は寝るなよ。見えていないふりをするか、それとも話しかけるかはお前に任せる』
「それはどういう…」
「行きますよ、スコッチ。もうこの男に用はない」
『はいはい。付き合わせて悪かったな』
呆然としたライさんは、そのまま俺たちを引き留めることはなかった。
喧騒の中、俺が事前に張っていた周囲からの認識阻害の魔術がゆらぎ、ひっそりと消えていく。
俺は軽く肩を回してコリをほぐしながら二人に声をかけた。
「二人は何にも食べなかったようだけど、晩飯はどうするんだ?」
「このあとどこか別の場所で食べる。あんな陰気臭いFBIと飯なんて食えるか」
『いやあの場で陰気臭いのは完全にゼロの方だったろ…』
「知らん。日本食に行くぞ。高いとこだ。ゆっくり飲み明かそうじゃないか、ヒロ」
「な、なら俺は先に帰ってるよ。二人でごゆっくり…」
『この状態のゼロと二人で置いていく気か!薄情者!』
ドナドナと子羊が連行されていく。
多分このあと諸伏さんは日本国についての愛国教育をみっちりと受けさせられるんだろうが、俺には関係のない話である。
そうして。
俺たちはゆっくりと何の変哲もないファミレスを後にしたのであった。
赤井秀一はホテルに戻り、軽くシャワーを浴びてから椅子に腰を下ろした。
訳のわからないことばかりで、少々疲れた。
濡れた髪をタオルで拭きながら、思考を一つずつ丁寧に整理していく。
ベルモットが水面下で動いているのも懸念といえば懸念だ。
新出医院に奴の姿が見え隠れしている。
行方不明の組織幹部シェリーの命を狙っていることは確かだろうが……そこには多くの謎が残っている。
同時にFBI捜査官ジョディ・スターリングの独断行動も頭が痛い問題だろう。
日本警察には後でどうとでも言えば済む話だが、一人で動いてそのまま殺されてしまう可能性も高いのが厄介だ。
慎重に後をつけて、フォローできる体制を整えるべきだろう。
だが何より。
今日のスコッチの件である。
グラスの中の残りの酒を飲み干して、赤井秀一は息をついた。
喉を焼く度数の高さが心地いい。
まず、彼がただの幽霊であることはあり得ない。
彼らの乗って来た車を運転していたのは、他ならぬスコッチであることを赤井はその目で確認している。
ファミレスから出ていった彼らが車に乗るのを、じっと窓ガラス越しに追っていたのだ。
幽霊に車は運転できない。
だが同時に、あの幻のような姿が謎であることも確かだった。
どう理屈をこねくり回しても、不意に彼の姿が半透明になった説明はつきそうにない。
そして、あの場に黄衣ハスタが居たことも謎と言えば謎である。
組織も絡む話とはいえ、あそこでしていたのはかなり私的な話ばかりだ。
口を挟むでもなくただ一緒に居ただけ、というのも実に奇妙だ。
机の上に置きっぱなしのスコッチの瓶を確認すれば、もう中身は空だった。
向こうから持って来た酒ももう僅かだ。どこかで追加を購入する必要があるだろう。
赤井はしばらく思考を整理してから、髪をかき上げて、ベッドに横になった。
明かりを消せば、部屋の中は静かな暗闇に包まれた。
常夜灯は付けないタチだ。
そのまま、暗闇の中思索にふける。
ふと、別れ際のスコッチの話を思い出した。
たしか今夜は寝るな、だったか。
別に何か起こることを期待しているわけではないが。
少しの願掛けのつもりで、赤井は目を開けたままぼんやりと時が過ぎるのを待った。
どうせ酒が入らねばろくに眠れないのだ。
くだらない自責が頭の中を渦巻いて。
ふと。
暗闇の中、何かが動いたような、人の気配がした。
「………」
部屋の扉を開けたような音はしなかった。
いつでも動けるよう、全身に力を張り巡らせた。
組織の人間の可能性を考慮して、ベッドサイドに隠した拳銃に手を伸ばす。
その時。
部屋を舞う、半透明の長い黒髪が、目に入った。
息を呑む。
動けない。あまりのことに、声が出ない。
愛しいと思った女だった。
後から日本警察から事件記録を取り寄せて、その死に様を確認した。
温度のない文字情報だけだった。
赤井が使い潰した女だ。
それは間違いなく愛だった。無様な事に。
そんな女が、死んだはずの赤井の罪の証が、ゆるりと宙を舞っている。
動けなかった。
呼吸すら止まったように思う。
赤井秀一のそんな痴態を、宮野明美の亡霊は気づかなかったようだった。
暗かったからかもしれない。
暗さに慣れた赤井の目は、愛しげに微笑む彼女の顔を明瞭に捉えている。
赤井は咄嗟に見えていないふりをした。
表情筋が制御できていたかは、正直怪しい。
息も震えていたし、指だって不随意に動いていた。
そのまま、宮野明美は赤井の額に幻影のキスをした。
温度もない、感触もない、しかし溢れんばかりの愛が籠ったキスだった。
息を呑んだのは、幸運にも気付かれなかった。
『おやすみ、大君』
それだけ言って、また宮野明美は来た時と同じように扉をすり抜けて、部屋を出ていった。
5分は放心していただろう。
己の額にそうっと手を手を伸ばして、感触を確認する。
キスの跡はない。
当然だ。彼女は死んだのだから。
今晩限りと、スコッチが言ったのを思い出す。
「こんな俺のことを、まだ好いていてくれたのか」
その後一晩。
赤井は一睡もしなかった。
再び宮野明美の亡霊が現れることは、なかった。