ハッと目を覚ますと、水槽に四方を囲まれた幻想的な空間だった。
サメがゆったりと泳ぎ、小魚が隊列を組むように整然と水に揺れている。
「水族館……?」とコナンは困惑の声を出した。
頭を出そうとした星の精を、慌ててポッケに押し込んだ。
ここにはあまりに人が多い。
「ムギュ!?」と星の精がバランスを崩してポッケの奥に転がっていく。
ジンが帽子を被り直して顔を顰めた
「おい、工藤新一。ここがどこか分かるか」
「米花水族館だ。一年前頃に蘭と来てたから…その時だと思う」
「デートってやつか。ガキにしてはやるじゃねぇか」
「ガキじゃねぇ!つかお前のせいだろうがこれ!!」
ジンがクツクツと笑って周囲を見渡している。
こんなふうに冗談を飛ばす仲になるとは、なんとも居心地の悪い、奇妙な気持ちだ。
そのとき。
声が、奇妙なほど通る声がコナンの耳に浸透する。
「ねぇ新一、探したじゃない!入り口で待っててくれてもよかったのに!」
「いいだろ別に。で、なんちゃら作戦の下準備の方はいいのかよ」
「なんちゃらじゃないの!水族館ドッキリ復活ラブラブ大作戦よ!」
困ったような、でも溢れんばかりの信頼の滲む顔。
柔らかい声。
繋ごうとして、やっぱり躊躇う手のひら。
隣に立つのは自分だ。
ありし日の姿は、今の自分とはあまりにも遠い。
去来する切なさに構っている場合ではない。
コナンはジンの服の裾を掴んで駆け出した。
まるであらかじめ分かっていたようにジンも同時に駆け出す。
「ッ急いでこの水族館から出るぞ!まずい!」
「それは分かっている!何がまずいのか説明しろ!」
「もうすぐここで死体が上がる!警察が来て水族館が夕方まで封鎖されるんだ!」
「………チッ、急ぐぞ。だが監視カメラには注意しろ。映り込めば後々面倒なことになる」
「分かってる。殺人犯扱いはごめん被るさ」
急いで監視カメラを気にしながら、水族館の外へと出る。
蘭の変わらぬ姿に後ろ髪引かれる思いがするが、今はそれどころではない。
その愛しい人をこそ救うために、急がねばならないのだ。
歩いて近くのショッピングモールまで向かえば、遠くサイレンが響いてきた。
コナンは額の汗を拭ってジンへと声を声をかけた。
「間一髪だったな。現地へは予定通り竹芝客船ターミナルに向かうか?」
「いや、先に寄るところがある。日の出埠頭だ」
スマホを操作して、コナンに位置を示す。
「この時期なら組織の方で日の出埠頭に船と爆薬が隠してあったはずだ。ありがたく使わせてもらうとしよう」
「いいのかよ…元巣からの横領だぞ」
「どうせ低品質で売り捌いても大した金にはならねぇ。ケチな爆破事件が減ってありがたいと思え」
なんというか、割り切ったら随分と潔い奴のようだ。
間違っても清廉潔白な人間ではないが、確かにそこには信頼できる芯のようなものを感じる。
JR東都環状線に乗り込み、浜松町駅で降りる。
切符の購入は若干ドキドキした。
問題なく未来の紙幣は券売機に吸い込まれていったが、過去においてこの紙幣は偽物でもある。
偽札を使ったわけでもないのに、なんだか犯罪を犯したような気持ちになって落ち着かない。
ジンはコナンの足を気にせずずんずんと進んだが、時折立ち止まってコナンが追いつくのを待った。
なんというか、人に気を配ることに慣れていないことが丸わかりだ。
そうして。
たどり着いた埠頭の倉庫群は、なんの変哲もない同じデザインのプレハブが立つ場所であった。
一つ、倉庫の前で釣りをしている男性がいる。
その男に、ジンが後ろから威圧的に近づいて声をかけた。
「おい、倉庫を開けろ。船と爆薬を使う」
「あぁ…?なんだテメ、ッあなたは!?!?す、すんませんすぐ開けます!!」
男は顔を真っ青にして、転げるように倉庫へと駆けていった。
コナンは渋面でジンを見上げた。
「オメー怯えられてんぞ」
「そうだろうな。現役時代ならあの礼儀のなってねぇ下っ端はその場で始末してた」
「バッッッ、その程度で!?!?」
「使えねぇ奴は始末したほうが後腐れねぇからな」
「……それでよく回ってたな黒の組織。人材は野草みたいに生えてくるわけじゃねーんだぞ」
コナンは思わずドン引きしてぼやいてしまった。
ジンは「ウォッカがなんとかしてた」とだけ言ったが、なんとはや。
あのトロピカルランドで取引してた大男、裏方で優秀な人材だったんだ…と新しい知見を得てどうにもしょっぱい気持ちになる。
話をしているうちに倉庫が開いたようだ。
卑屈な顔をした男が「ど、どうぞ、こちらです」とコナン達を倉庫に入れてくれた。
男がその場を後にしたので、遠慮なく中へと入る。
中に入ると、そこは特徴的な匂いが満ちていた。
星の精がニュッと顔を出して「クスクスクス!」と騒ぎたてる。
バーンの匂いだ!ここにバーンがある!
「大丈夫。ここの爆弾は僕たちが使う奴だから、怖いことは起きないよ。安心して」
「クス……クス?」
「そう。爆弾は悪いことだけに使うものじゃない。建築に使ったり、工事に使ったり。色々な用途があるんだよ」
「今回は犯罪だがな」
ジンが凶悪な笑みでニタリと笑った。
コナンはむすっとしてそっぽを向く。そうとも言うが、今回は大義名分があるのでいいのだ。
星の精は「この銀髪!友達に酷いこと言うな!友達は正しい!」と憤ってくれている。
ヨシヨシとたくさん撫でてやる。
「ひ、ヒィッ!?なんだその化け物!!」
「あん?」
先ほど席を外したはずの男が、様子を見に来て運悪くコナンを覗き込んでしまったようだ。
コナンのポケットから顔を出した星の精を見て、驚愕と恐怖に声を詰まらせた。
コナンが弁明するより先に、ジンが無言で銃を取り出した。
そのまま狼狽する男に突きつける。
「運が悪かったな。組織で研究中の兵器だ。つまり極秘ってわけだが………テメェを消せば、知るものはいなくなる」
「あ、ち、違、……!」
「死体は食わせりゃいいか、なあ?」
ジンがこれみよがしに星の精に視線を向けた。
何を言いたいからコナンもピンときたため、分かってない様子の星の精に指示を出す。
つまり「怖そうな怪物のふりをしろ」だ。
星の精はコナンの念話を受けて、困惑しながらもその通りに動いた。
触手をざわめかせ、体全てをコナンのポッケから出す。
さっきまでグミをモグついていた影響で毒々しい赤に染まった触手は臓物じみている。
凶悪そうな巨大な鉤爪がガリガリとコンクリートを傷つける。
ガバリと上げた口にはびっしりと乱杭歯が生え揃い、唾液がとろりと垂れた。
【ク ス ク ス ク ス ゥ】
思わず吹き出しそうになるのをコナンは必死で堪えた。
「お化けだぞぉ」って。
星の精的にはヒュードロドロの動作だったらしい。
人間目線では100点満点の怪物の動作だから良かったけれど。
悲鳴が喉まで出かかった様子の男に、ジンがニタリと問いかけた。
「テメェ、何か見たか?」
「なっ何も見てません!何も!だから助け、」
「見てないならいい。テメェは何も聞かなかったし、何も見なかった。もし情報が漏れたとなったら、組織も『本腰を上げる』必要がある」
「………!!!」
涙ながらにブンブンと首を縦に振って頷いた。
哀れだが、こいつも組織に所属する悪人だ。
ジンは拳銃を下ろして顎でしゃくった。
「船に爆弾を積み込め。急ぎでな」
「はい!!!!」
慌てて駆けていく男を見送る。
星の精は憮然としてポッケに引っ込んで膨れてしまったようだ。
コナンが声をかけるも、なんだか傷は深いらしく丸くなっている。
「ああ待って星の精、さっきの男の人が悪い人だったから、変な悪い人だったからだよ!星の精は可愛いよ!」
「グスッ」
「一般的な感性で言えば、その化け物を可愛がる奴はいねぇ」
ジンの言葉に星の精はますますむくれて、グスグスいいながら出てこなくなってしまった。
コナンは半目でジンを睨んだ。
「もう。後で星の精の機嫌一緒に取れよ。で、ここに来たことは黙っとくよう言わなくていいのかよ」
「元からここの番人に許されてんのは開け閉めと出し入れすることだけだ。利用者について話す馬鹿なら仕事を任されてはいねぇ」
「だから殺さなかったのか。優秀だから」
「いや。テメーのコンディションが落ちそうだからだが。別に殺っちまったほうが手間はなかったが、この局面で足手纏いを作る趣味はねぇよ」
「…………」
なんというか、本当に読めない男だ。
人のことをよく見ているのに、命についてなんの呵責も抱かない。
どこか野の獣のような倫理観の持ち主だ。
コナンは肩を落としてぽりぽりと頭をかいた。
「俺も、後ろから殴られるようなヘマしないよう努力するよ」
「そうしろ。あそこまで背後がお留守じゃおちおち1人にもできねぇよ。テメェが死んだら俺があの黄色の化け物に殺される」
「黄衣さんはンなことしねぇっつうの」
コナンがそう言うと、ジンは信じられないと言う顔で「テメェ、性善説は程々にしとけ」と言った。
黄衣は人間には甘いから、そんなことするはずもないのに。
「ところで、テメェの目。そんな色だったか?」
「自分じゃわかんねーよ。あー、ん?スマホで写真撮っても普通の色に見えるけど」
「俺には虹色に見える。あのトンネルと同色の」
「………気にしないことにしておこう。今どうにもならないし、黄衣さんにも見せられないし。俺が死んだら黄衣さんによろしく言っといてくれ」
「馬鹿が、それだと俺も後を追うことになるだろうが!」
そんな雑談をしつつ、海の向こうは静かだ。
ただ遠く日の当たる穏やかな太平洋が見えていて、コナンは緩む気持ちを引き締め直したのだった。
・星の精
組織の実験体ということになった。
コナン君は「ありうる……」って一瞬深く納得してしまった。
星の精「しつれい。星の精はかわいい」
・ヨグ=ソトース
微生物になったつもりで、文字通り微生物の視線で物事を見ている。
息子に合わせて働く車について勉強してるパパムーヴ。