死亡偽装の一大計画が、目の前で行われようとしている。
監視カメラを装着したキールが赤井さんを呼び出したのは30分前のことだ。
そうして赤井さんを撃ち殺すべく、キールは銃口を向けている。
それをのんびり覗き見る、現在の俺たちである。
せっかくなのでコナン君と俺の二人が確認できるよう、モニターに「ハスターの瞳」を繋いで出力しているのだ。
4Kの大型テレビに、大アップで苦しそうに胸を押さえる赤井さんが映っている。
もちろん映像はハスターの瞳を通して4K対応のものに変換してある。
「凄いな!迫真の演技だ。本当に撃たれたようにしか見えない」
「あとはジンが頭を狙ってくるのを待つだけ。上手くいけばいいけど」
俺の感嘆を聞いているのかいないのか、コナン君は不安そうに眉間に皺を寄せた。
深夜、工藤邸に集まった俺たちは死んだふりが完了した赤井さんを迎えにいく役割を負っている。
本当はFBIが迎えを担当するはずだったのだが、黒の組織の監視がキツく、動きがバレかねないと判断したのだ。
俺は工藤邸の居間のソファにもたれかかり、片手をぴらぴらとさせて。
「大丈夫だって。コナン君の立てた計画なんだろう?」
「一応僕のブレスレットを赤井さんにはつけてもらってるから、万が一があっても逃げ延びるくらいはできると思うけど。やっぱ緊張するよね」
「さらっと俺の渾身の作が使い回されてた件。別にいいけど」
「拗ねないでよ。黄衣さんには感謝してるんだから」
俺が顔だけで不服申し立てると、コナン君が「悪かったってば」と頭を下げた。
ということは今のコナン君は丸裸みたいなもんだから、俺がしっかり守らねばなるまい。
肺を撃ってもう仕事を終わりにしたいキールが、通信先となにやらやりとりしている。
ジンに指示を受けているらしい。
銃を突きつけ直したキールが訝しげに口を開く。
「答えなさい。『旧支配者』について何か知っているかしら?」
「……さあ、…な」
ズルズルと力を失いながら、赤井さんが苦しげに答えた。
ジンに聞けと言われたものの、キールも意味はわかっていないと言う様子だ。
「だから肺を撃ってるんだもの、聞いても碌に答えられないわよ」と通信先に苦言を呈している。
ジンの舌打ちがインカムを通してこちらにまで聞こえてくる。
コナン君が合掌しながら考え込んでいる。
なにそれ、仏像に祈るポーズ?
「そういえば、組織は最近黄衣さんに対して表立って動いてないよね」
「そうだな。もう諦めたんじゃないか?」
「……もしかしたら。黄衣さんへの対抗策を練ってるんじゃないかと思って」
コナン君は静かに、実にシリアスに言葉を落とした。
ぱちくり、と俺は思わず瞬いてしまった。
俺への対抗策?
「俺、舐められてる?」
「黄衣さんはわりと皆に舐められがちだけど」
「そういう話じゃなくて」
人間が完全顕現した旧支配者ハスターを退散させようとしている、ということか?
無理だろう、普通に。
俺だってニャルラトホテプをよく退散させているが、あれはニャル本体の完全顕現じゃないからできることだ。
もしそんなことできるなら、俺はクトゥルフの完全顕現を前にあんなに苦労しなかったし。
普通の追放じゃ意味はない。殺すこともできない。
生半可な方法じゃ封印だって弾かれる。
肉体を持って正式に完全に降臨した旧支配者を退散させるのは、それほどまでに難しいということだ。
考えれば考えるほど謎である。
俺への対抗策?俺のホームグラウンドたる地球上で?
これがよくニャルラトホテプが言う「羽虫の愚かわいいところ」と言うやつなのだろうか。
俺はうんうんと首を捻った。
「頑張るなぁ……もっと生産的なこと世の中にはたくさんあるのに」
「うん、黄衣さんの今の反応で、まるで心配いらないことは分かったよ」
話しているうちに場面はクライマックスへと突入していた。
額に鉛玉をぶち込まれ、赤井さんは車の横に盛大に倒れ伏した。
演技のためとはいえあれは痛い。
ニット帽の裏にクッションを仕込んであるから多少はマシだろうが、たんこぶぐらいはできるだろう。
死亡を確認するふりをして、キールが時限爆弾のスイッチを入れる。
おそらく10秒ほどで爆発するだろう。
「お、爆弾が作動した。そろそろ俺らも赤井さんを迎えに行くか」
「だね。赤井さんが崖下で風邪引くといけないし」
一枚羽織るものがあるといいだろうと、俺は急いで車にブランケットを放り込んだ。
来葉峠までは車ですぐだ。
毎度お馴染みSFカーとなった車を、コナン君を助手席に乗せて運転する。
ちなみに、今回乗っているのはよく諸伏さんが乗り回している日産GT-R…スポーツカーである。
もちろんこれも黄衣探偵事務所の社用車だ。
正直に言うと俺が使うには明確にオーバースペックだが、降谷さんがコレがいいと言って憚らなかったという経緯がある。
有事の際にあって困るものじゃない、とかなんとか。
ともあれ、予定していた現場のすぐ下の道で車を止める。
単身崖下に飛び降りた赤井さんは、身体中に虫やら葉っぱやらを付けた状態でタバコを吹かしていた。
茂みを自分で突っ切って、下の道路まで降りてきたらしい。
「悪いなボウヤ、黄衣君」と赤井さんがフッと笑う。
一緒に明美さんもアワアワと心配そうに狼狽えたまま隣に乗り込んだ。
どうやら心配でずっと着いてきていたらしい。
「さすがボウヤだ。ここまで計画通りに行くとは、俺も思っても見なかった」
「僕も赤井さんが無事でよかったよ」
言葉少なながら、二人の会話には絆のようなものが感じられた。
どうやら根本的に性格が合うらしい。
「後部座席のブランケットは自由に使ってくれ」と伝えると、彼は「すまないな」と言ってそれを羽織った。
短いドライブを終え、工藤邸に到着する。
明け方になる頃には工藤有希子さんも帰ってくる。
その時には有希子さんの指導のもと正式に別人となってもらう予定である。
血糊と煤でガビガビになった服と体を洗い流すため、赤井さんは一旦風呂に入るつもりらしい。
風呂を汚しかねない血糊のパックなどをビニールシートの上で剥がしていき、上半身裸になる。
半裸のままムキムキに鍛え上げられた姿は、やはり実践第一の潜入捜査官らしい姿だ。
明美さんが顔を真っ赤にして「やっぱ大君…凄いわよね!!!」などとときめいている。
コナン君が半笑いで「そだね…」と返事をした。
「と言うか明美さん、やっぱりいたんだ…」
『だって大君のピンチなんだもの!放ってはおけないじゃない!』
「でも幽霊じゃ何もできなくないか?」
『そこはすごく応援するとか、念力を送るとか、色々あるのよ』
「なるほど」
幽霊の念力ってなんか呪われそうじゃないか?
ともかく俺はキッチンを借りて湯を沸かしながら、部屋の片付けをすることにした。
血糊をゴミ袋に入れていると、しばらくして赤井さんが風呂から上がってきた。
タオルを首にかけたまま、さっぱりした様子で部屋着に着替えた姿はなんとも欧米な雰囲気だ。
目つきも顔色も悪い人だと思っていたが。
こうして風呂上がりの様子を見ると、血色が良くなったせいか何段階もイケメンに見える。
ソファに座って、タバコで一服。
かなりリラックスした様子だ。
コナン君がのんびりとし出した赤井さんに近寄って声をかける。
「赤井さんは怪我とか無い?」
「少しアザはこさえたがな。特に問題ない。あのジンを欺き通してコレだけの傷なら、大戦果と言って過言ではないだろうよ」
赤井さんは実に上機嫌そうにくつくつと笑った。
コナン君も「それならよかった」と安堵に胸を撫で下ろす。
「ところで、ジンに『旧支配者』とやらについて聞かれたんだが。ボウヤは心当たりはあるか?」
「うーん」
コナン君は曖昧に笑うにとどめた。
俺はこれらの知識についてコナン君に直接教えた事はないが。
それが俺らのようなものを指す言葉だとはとっくに気付いていることだろう。
赤井さんはフッと笑って「まあいいさ」と追求の手を緩めた。
「めでたい日だ。こんな日にボウヤを虐めるのはあまり褒められた事じゃないからな」
「虐めるって…」
「だが、うまく公演を終えた舞台役者に少しばかりプレゼントがあってもバチは当たらないと思わないか、ボウヤ」
赤井さんは近くに来たコナン君を抱え上げ、自らの膝の上に乗せた。
コナン君の髪を撫ぜる手つきは優しい。
「明美に会わせてくれ」
「───っ!」
コナン君が息を呑む。やっぱりか、と俺は思った。
その目の下には黒々としたクマが残っている。
夜、あまり眠れていないのかもしれない。
「……僕は何もできないよ」
「きっと鍵はそこの黄衣ハスタが握っているのだろうが。きっと縁はボウヤが繋いだんだろう?」
赤井さんが愉快そうに目を細める。
まあ確かに、コナン君がいなければあの幽霊をわざわざ保護しようとは思わなかっただろう。
赤井さんは宮野明美の死の経緯を調べて、そこに江戸川コナンの影を見つけたのだろう。
そして、そこに明美さんの幽霊を紐づけた。
すると急にコナン君への親愛が打算まみれの汚い大人の所業に見えてしまうから困ったものだ。
コナン君の表情が暗く歪むのを見てられなくて、俺は口を挟んだ。
「そこまで。そういう事をするんなら、流石に俺も明美さんとは会わせられないぞ」
「すまなかった。つい気が逸っただけだ」
「それに明美さん自身の意思も確認しないと」
明美さんに視線を向けると、明美さんはブンブンと首を横に振った。
恥ずかしくてダメらしい。
「んー、本人はダメと仰られている。ちょっと恥ずかしいっぽい」
「明美、本当にダメか…?」
切なそうな、愛らしい小型犬が撫で撫でを催促するような顔で赤井さんが小首を傾げた。
どうやらここに明美さんがいると確信しているらしい。
明美さんは「あっあっあっ、大君…!」と慌て始めた。
顔も真っ赤にしながら「大君可愛いずるいそう言う顔されると私が拒否できないって知っててずるい可愛い」と早口で呟いている。
バカップルかな?
俺は深く頷いた。
「やっぱり良いって。今から見えるようにするから」
『ちょっ、ちょっと待って黄衣君てば!!』
「それはよかった。俺も眠れぬ夜を過ごさなくて済みそうだ」
ほいよ、と。
霊視を赤井さんに付与すれば。
赤井さんはすとん、と全ての表情を取り落とした。
「……、…………明美」
『大君。へへ、ごめんね』
ふらふらと、赤井さんが誘蛾灯に惹かれるように立ち上がり、明美さんの元まで辿り着く。
そのまま強く抱きしめようとして。
手は宙を切った。
実体化も付与しても良かったのだが、逆に残酷になりすぎるかと思って止めておいたのだ。
彼はまだ明美さんの死から立ち直れていない。
そこに生者のように振る舞う霊を与えたら、彼の精神そのものが危うい。
どうあっても彼らは死者。
俺の助け無くして現世への干渉はほとんど不可能な、肉の体無き存在である。
……降谷さんはそう言う意味でもう手遅れっぽいが、考えないこととする。
「俺を、恨んではいないのか」
『もちろん恨んでなんかいないわ。貴方を愛したことに、かけらの後悔もない』
「だが、助けることができなかった」
『助けようとはしてくれてたんでしょ。そのくらいわかってるわ』
「結果の伴わない行為に意味はない」
『そんなことないわよ。少なくとも、私は嬉しかった』
一つずつ、彼女は赤井さんの後悔を紐解いていく。
するすると解けた後悔の名残が、掌にいっぱいになって溢れ出す。
赤井さんは俯いたまま、ポツリと一言。
精髄のような言葉を一滴落とす。
「すまなかった」
どれほどの感情がそこに込められているか、俺では察しようがない。
少なくとも、彼の後悔の根源がそこには詰まっていて、それを癒すことができるのは明美さんただ一人なのだろう。
『いいの。大君が無事で、本当に良かった』
二人はゆるゆると、形だけ抱き合った。
肌に触れる温かみはない。感触もない。空気を抱くような抱擁だ。
しかしそこには何よりも大きい愛が滲んでいるのだと、俺は思った。
・黒の組織の動向
現在ジンは黄衣ハスタの正体を追って裏方をメインに動いている。
黄色の印の兄弟団に接触したり、古い魔術書を探したり。
旧支配者を退散させる方法を探っている模様。
探索者ジン。