降谷は今晩もまたせっせと仕事中である。
バーボンとしての任務で、ある男の始末のためこの東都湾近くにある倉庫までやってきた。
男は日本国内でクスリを売り捌いていた売人だ。
だが組織のシマに抵触したということで、追われる身になった。
まあ、さほど大した手間ではない。
ただ、下っ端が下手をして男を逃してしまったのが少し降谷の気分を害した。
倉庫の中で追いかけっこになったため、幾分か時間を使ってしまったからだ。
くだらない羽虫のせいで今後の予定も狂ったし、返り血も浴びた。
返り血でベタつく髪をかき上げて、降谷は苛立たしげに大きく息をついた。
周囲の下っ端が降谷の様子を見て怯えている。
「よう、終わったかバーボン」
話しかけてきたのはジンだ。
今回の作業の見届け役で、今回殺した男の背後の組織との交渉役を兼ねている。
だが、どうも最近ジンは仕事を疎かにしてコソコソと手広く探り回っているようだ。
今回も動きが遅くて、降谷はかなり待たされた。
一言文句を言ってやらねば気が済まない。
「ジン。貴方のよこした人員のせいで弾を無駄に使うことになりました」
「ふん、それがどうした」
「おまけに羽虫の返り血まで浴びる羽目になって。気持ち悪い。こっちはいい迷惑ですよ」
日本に害しか与えない羽虫が、死ぬ時まで碌でもない!
嫌悪に顔を歪めると、意外なことにジンは妙に機嫌良くクツクツと笑った。
「そいつは悪かったな。だが、テメェの悪辣な狩りの手腕は悪くなかったぜ」
「はぁ?」
「これでも見直したんだ。ネズミ臭い野郎とばかり思っていたが、とんだ本性を隠し持っていたもんだ」
降谷は無言でじろりとジンのことをねめつけた。
ジンはこれまで、降谷のことを常に追い落とそうと言いがかりをつけてきた。
奴のNOCを嗅ぎ分ける鼻はほとんど魔術じみていて、降谷がいくら潔白を証明しようが無駄だった。
それが今になって何故。
この男に信用されるだけでも随分と物事が楽になるが、少々不気味さを覚えるのは仕方のないことだろう。
タバコを咥えたジンが、降谷を見る。
「ところで、テメェは『旧支配者』について聞いたことはあるか?」
「………」
へえ、と降谷は笑みをこぼした。
仕事も疎かにしてあちこち飛び回っていると思ったら、そんなことを探っていたのか。
知っていて良いことなんて何もないのに。
ハスターの作る揺籠で大人しく揺られていれば良いのに、愚かなことだ。
「知らないこともないですね」
「!ほう、流石は探り屋ってわけだ。なら話は早い。奴らをどうにかする方法を知りたい」
「どうにか、ですか?」
「そうだ。殺すか、どこかへ追いやるか。殺すのが一番良いが」
旧支配者を殺す!矮小な羽虫が!
腹の底から湧き上がる嗤いを誤魔化すために、降谷は相当な努力をする必要があった。
あーおかしい!息が苦しい!
向こう側で本体も爆笑している。
降谷は下っ端の様子を確認するふりをして、人から顔を背けた。
つい表情が歪んでしまってもバレないようにするためだ。
こんなの、もっと遊びたくなってしまうに決まってるじゃないか。
おかしくておかしくて、降谷はついつい遊び心が出てきてしまったのを自覚した。
「それなら、ルルイエについて調べるのはどうでしょう?」
「ルルイエ……?聞かねぇ名だが」
「なんでも、そこには神の敵が眠っているとか。もしかしたら何かヒントが見つかるかもしれませんよ」
精一杯嘲笑を誤魔化して、降谷はジンへと笑いかけた。
海底都市ルルイエ。
ハイパーボリアの神ハスターが神罰をもって海底へと沈めた都市であり、旧支配者クトゥルフの封印の地でもある。
多くのクトゥルフ信徒が主の復活を夢見てここへとたどり着き。
神の呪いにて無惨に散っていった呪われた場所。
ハスターが施した封印はそれはもう執拗と言っても過言ではないレベルであり、本気を出したニャルラトホテプだってそれを解くのに苦労する事だろう。
そんな場所に深入りして、待っている結末はひとつだ。
身の程を知らないが故に破滅する愚かで哀れな羽虫を眺めるのは、さぞや楽しいことだろう。
ジンはしばし考えるような仕草したあと、背を向けてゆったりと去っていく。
「フン。邪魔したな」
「調べるなら気をつけてくださいね。かなり危険を伴うと言う話ですので」
後ろ姿へとにこやかに声をかけて、降谷は安室の皮を被ったままジンを見送った。
降谷としても、この男には少しでも長く生きてもらわないと困る。
だって、すぐ終わったらつまらない。もっとずっと足掻いて苦しんで楽しませて欲しい。
降谷は、黄衣のような遠見の魔術を己が使えないのが酷く惜しい気持ちになった。
ぐるぐると喜悦に歪む顔を抑えられない。
ああ、なんだかおかしい。
自分はこんな悪趣味なことに喜ぶ人間だっただろうか。
いや、違う、化身だった。人間じゃなかった。
なら別に変でもないのか。うん。
ああ楽しい。
怯える下っ端を放置して、降谷は上機嫌のまま車へと戻った。
盗聴器が仕掛けられていないかいつものルーティンで調べた後、電話をかける。
相手は風見だ。
「風見か?例の件、調べはついたか」
『はい。受け渡しはいつもの通りにしますか』
「少し気になる点があるから直接取りに行く。準備しておいてくれ」
降谷の仕事がどうあれ、公安の任務はいつだって山積みだ。
近頃はどれもスムーズにこなせているが……いつ不測の事態が起きないとも限らない。
頭の中で今後の予定を組み直していると、風見の声が若干和らいだ。
『承知しました………それにしても声が弾んでらっしゃいますね。何かいいことでもありましたか?』
「………」
風見は真面目で愚直で、気の利く部下だ。
細かいことにもこうして気がつく注意力があるし。
降谷はこの部下のことを高く評価していた。
「ああいや、気にするな。家に出た害虫の駆除に成功しそうだから、少し機嫌がいいだけだ」
『そ、そうですか…失礼しました』
「じゃあ頼んだぞ。作業の方は引き続き進めてくれ」
『了解しました!』
アクセルを踏み込めば、RX-7がゆっくりと走り出す。
海の向こうに朝日が浮かび始めている。
ああ、もうこんな時間か、と降谷は少し息を詰めた。
眩しい。昼は登庁して、溜まっていた書類を片付けなければならない。
降谷は爽やかな気持ちで、少しだけ鼻歌を歌った。
さて、その日の夕方。
買い物に向かっていると、下校途中のコナン君を見つけた。
いつも高頻度で下校途中に事件に巻き込まれている彼だが、今日は普通に下校できているようだ。
この後降谷も探偵事務所に顔を出すつもりだし、乗っけていってあげようか。
などと思っていたその瞬間。
己の中にとても大きなものが流れ込んでくるのを感じた。
どうやらニャルラトホテプ本体が彼と話をしたいらしい。
流れに身を任せて、体から力を抜く。
降谷の中身が塗り替えられてしまうのはあっという間だった。
少しぼんやりした意識で、別人のようになってしまった己を自覚する。
でも抵抗しない。化身なので。
RX-7を路肩に寄せて、運転席の窓から顔を出す。
「やあ、コナン君。学校の帰りかい?」
「安室さん!どうかしたの?」
「君を見かけたからね。乗りなよ、送ってあげる」
少しばかり逡巡して、コナン君は慎重に車に乗りこんだ。
座ったのは助手席だ。
ゆるゆるとRX-7が走り出す。
コナン君は何も言わず、フロントガラスから遠くの景色を見つめている。
車の向かう方向は、黄衣探偵事務所とは全くの別方向だ。
「ねえ、貴方は安室さんじゃないよね」
「え、困ったな。ベルモットにでも見えるかい?」
「そんな笑い方するの、安室さんの中にいる人だけだよ」
降谷はきょとんと瞬きしてから、ため息をついた。
コナン君の観察眼の良さにも困ったものだ。
「本当に困ったな。僕、そんなに分かりやすいです?羽虫のふりも中々上手くなってきたと思ったのに」
「僕を誘拐する目的は何?」
「せっかちですねぇ。僕とのドライブ、嫌いですか?ちゃんとエスコートもしますよ?」
嘘はない。ちゃんとドライブするつもりだし、エスコートするつもりだ。
どこへ行くか、決まってないだけで。
コナン君は緊張に身を強張らせている。
そんなに心配しなくても、ハスターの愛し子であるこの子を殺すつもりなんてさらさらない。
なんてったって名前まで覚えている。
羽虫の名前を覚えるなんて、いつ以来だろうか。
もっとも、あの場でコナン君が断ったら、もっと直接的にちょっかいをかけようと思っていたが。
この子供はそれを察してついてきたようだ。
ハスターが気にいるだけはある、慧眼をもつ子供だ。
「僕を攫うと、黄衣さんが怒るよ」
「………それを言われると痛いんですよね。前に羽虫を攫ったとき、うっかりプチっと潰しちゃって。その後千年ぐらい口も利いてもらえませんでしたし」
「なら止めようよ…黄衣さんめちゃくちゃ心広いけど、そのうち絶交されるよ…?」
絶交。
単語を聞いて降谷は震え上がった。
己にとってハスターは唯一にして絶対の親友だ。
この長すぎる生を、クソつまらない世界で楽しく過ごせたのは彼がいたから。
絶交なんて冗談ではない。
……これまでも結構綱渡りな感じで付き合ってきた気がしないでもないが、それはそれ。
降谷はともあれ言い訳を叫んだ。
「いやでも、あれは事故だったんですよ!羽虫が長距離転移門の通過程度で潰れるなんて思ってもみなくて!」
「罪は罪だろ」
「ホントにすぐ返すつもりだったんです!!」
子供は青ざめて震え始めた。
いや本当に無事に返すつもりなのに、子供は信用していないらしい。
手足を捥いだらダメなのは知ってるし、魂を穴だらけにしてもダメなのは知ってるのに。
「そろそろ本題が知りたいんだけど。僕をどうするつもり?」
「んー、実はまだ悩んでます。怒られる前に返すつもりですけど。あっ、命の危険もありませんよ!」
「ノープランかぁ……」
「その方が楽しいでしょう?ふむ。ふむ。そのブレスレットは僕の方で一時預からせてもらいます」
「っちょっと、おい!」
黄衣から貰ったブレスレットがするりと取り上げる。
これは安全が確保されすぎてちょっと刺激が足りないかな、と思ったのだ。
同意なく外したので攻性魔法が発動しかけるが、全て丁寧に無力化していく。
超高難易度シューティングゲームみたいで少し楽しい。
「返せよ!」
「だーめ。まったく、抵抗しないでください。潰さなくても、ぐちゃぐちゃにする方法ぐらい沢山あるんですよ?」
「っ、」
暴れる体を手で優しく制せば、コナン君は凍りついたようだった。
「酷いこと、僕にするの?」
「酷くないですよ。返す時には元に戻しますし。それなら彼も怒るまではしませんでしょう」
いや怒るかな、でも元に戻すしセーフだろう。
降谷はちょっとだけ考え込んだ。
怒ったら誠心誠意謝れば許してくれるはずだ。きっと問題ない。
ともあれ、このドライブの目的地の設定だ。
せっかくハスターの愛し子を巻き込むのだから、きっちり旅行企画を立てなければ。
「うん、決めました。今回の企画はハイパーボリア観光ティンダロスの猟犬付き!これで決まりです!」
「は」
「当時の風光明媚な景色を堪能しつつ、当時の黄衣ハスタがどんなものだったのか知る!ちょっとしたアスレチックに猟犬もついてくる!いい感じですね!」
「ちょっと!僕まだ着いてくなんて言ってないんだけど!!」
「あははは!じゃあ行きますよ!そーれ!」
アクセルを踏み込んだ。
その場のノリと勘で組み上げた、多重の魔術式を車体にかける。
最近、この素体の金を使って動画配信サービスをいくつか契約したのだが。
これが結構良かったのだ。
車で時間旅行。なるほどこれは面白そう、と降谷は頷いた。
そんなわけで、デロリアンならぬRX-7は、コナン君を乗せたまま時空の旅へと走り出したのだ。
・降谷さん
ちゃんと化身になっちゃってる。
まだ諸伏さんにはこの状態はバレてない。
身に覚えのないサブスクがいくつも契約されているのに気づいてない。
・ニャルラトホテプ
化身も黄衣もコナン君コナン君言うものだから覚えた。
ドラマはデスゲームものが好み。あと異世界転生モノ。
夜中に化身の金で買ったおつまみと酒でまったり楽しんでいる。
フーン、異世界転生か……(邪悪な顔)。
・ジン
ルルイエの謎を追うシティシナリオ(キャンペーンもの)がスタート。
目的は「あの日見た黄衣ハスタと名乗る怪物の撃破」。
導入で出てくる金髪褐色肌のNPCに深入りしすぎるとロストになる初見殺しあり。