赤井さんが爆速で家財を失ったらしい。
コナン君をニャルラトホテプの魔の手から取り戻して数日。
俺はコナン君より連絡を受け、米花町のアパート・木馬荘へと走っていた。
キールと協力して死亡を偽装した赤井さんは、黒の組織から身を隠すべく仮の身分を用意した。
それが「大学院生・沖矢昴」である。
工藤有希子さんという匠の手により生まれ変わった赤井さんは、そりゃもうまるで別人だった。
加えて阿笠博士の発明品であるチョーカー型変声機を使えば完璧だ。
新しい身分を作った赤井さんは各種死亡偽装に必要な手続きを済ませ、最近このアパートに移り住んでいた。
組織から疑われないため、FBIからの給金やら銀行口座やらもストップするらしい。
「もしもの時があればボウヤが助けてくれ」なんて冗談めかして言っていたが、近いうちに本気で工藤家の力が必要な時が来そうだ。
なんて思っていたわけだったが。
俺はスマホを取り、現場にいるはずのコナン君に連絡を取った。
「あ、コナン君、そっちの様子はどう?俺ももうすぐ着くよ!」
『黄衣さん!うん、事件は解決したとこ。昴さんは回収済みだよ』
「待って火事に事件性があったのは初耳。知らんうちに発生していた事件が知らんうちに解決してしまった…」
俺は思わずしょっぱい顔をした。
別にいいんだが、この町やっぱ事件発生率がおかしくないか?
『今はアパート前で昴さんと一緒にいるから、そこに来て!』
「了解!」
角を曲がれば、事件現場が見えてきた。
警察の車が何台か止まっており、周囲にはまばらに野次馬が屯している。
規制線が張られていたが、警官さん達にぺこりと挨拶して顔パスで通過する。
有名な探偵だからとのことだが、果たしてこれでいいのだろうか…と懸念が胸を過ぎる今日このごろ。
もし探偵を名乗る黒の組織の一員とかがいれば現場も荒らし放題じゃないか。
………?
なんだ、ただのバーボンか。
どうでもいいことを考えながら進んでいけば、コナン君の姿はすぐに見つかった。
赤井さん…でなくて、沖矢さんと一緒だ。
少年探偵団の子供達もいる。
俺の姿を見つけた子供達が「あーっ!黄衣さんだ!」「あっ、久しぶりですね!」「うな重奢ってくれような重!」と口々に騒ぎ出す。
あと元太君や、なぜ俺を見るたびにうな重を催促するのだ。
うな重を奢ったのは2回かそこらだろうに。
子供達の様子を見てから、沖矢さんはまるで今気付いたみたいな顔をして小首を傾げ、俺に話しかけてきた。
「おや?あなたは…」
「初めまして。その子の…コナン君の保護者の黄衣ハスタだ。貴方は?」
「私はこの木馬荘に住んでいた住民ですよ。生憎、すっかり家財を失ってしまいましたが」
俺は咄嗟に自然な表情を作るのにかなり苦労した。
なにせマジで現在の赤井さんは一文なしである。
死人のため銀行口座は作れないし、当面の生活費としてFBIから提供された金品は焼失。
本来の赤井秀一の持ち物は当分動かせない。
偽造の身分証がギリギリある…といった程度である。
しかもそれも、公的機関に提出できるような精度のものではないと来た。
「あ、あー、そりゃ災難だったろうに」
「ですが、彼が親戚の家を貸してくれるそうなので、お言葉に甘えようかと」
「!!!」
俺はコナン君を見た。
彼はニコッと子供らしい笑みを浮かべている。
なるほど、工藤邸に住んでもらうのか!
それなら赤井さんがホームレスとして悲しく都内の寝られるベンチを探して彷徨かなくてすむ!
ホームレス赤井さんかぁ。
なんというか、強そう以外の言葉が出ない。
明らかにどこぞのエージェントがホームレスのふりをして小汚い格好をしているだけ的な空気がぷんぷんとする。
しばらく見ていたので「なにか?」と沖矢さんに声をかけられてしまい、慌てて思考を中断した。
警察官の人に挨拶すれば、頷いて帰っていい旨の説明をしてくれた。
どうやら単に保護者に迎えに来て欲しかっただけのようだ。
「じゃあ僕たちは帰ります!」「またねコナン君!」「またなー!」とわらわら帰っていく子供達に手を振りながら、俺たちも工藤邸へ向かって歩き出す。
コナン君が少し振り返り、俺に声をかけてくる。
「そうだ黄衣さん、任せてた事件もうわかった?」
「………全然」
「えー?」
コナン君は眉間に皺を寄せた。
最近、ちょくちょくコナン君は俺に課題と称して簡単な事件の究明をするように指示してくるのだ。
思考のヒントとかを交えながら解説もしてくれるので俺も助かっているのだが。
如何せん難易度が少々高めなのが玉に瑕。
俺はしょんぼりと言い訳を口にした。
「夫が妙な動きしてるな、とは思うんだけど。それとドアノブの写真と一致しなくて」
「うーん、黄衣さんなら頑張ればいけると思うんだけどなぁ。黄衣さん、わざと色々見ないふりしてる所があるというか」
それを言われると俺も少々痛い。
確かにコナン君の見立ては正しく、俺の推理力でも解ける範囲内の課題なのだろう。
しかし、もうこれは癖になってしまっていて一朝一夕では直せない。
沖矢さんは片目を開けてこちらの様子を窺ってくる。
「ほー、何かの謎解きですか?」
「ううん。黄衣さんのところに来た事件の調査。黄衣さん、本気出すのが苦手だから今特訓してるの」
「なるほど」
俺がむむむと唸っていると、コナン君が柔らかく笑ったようだ。
「あそこまで本気出せとは言わないからさ。ちょっとぐらい謎を解いてみてもいいんじゃない?」
「謎を解くのも意外と楽しいよ」とコナン君が俺を見上げる。
俺は少し瞬きした。
「あそこまで?」
「昔、黄衣さんがブイブイ言わせてた頃の話」
「ブイブイって、言い方」
イタズラげに笑うコナン君を非難すれば、コナン君はくすくすと笑い声を漏らした。
沖矢さんが興味ありげに目を細めた。
「昔、ですか。何かなさってたんですか?」
「うん、若気の至りだから、ホントに。田舎で無駄に突っ張ってた若者っているでしょ、あんな感じだから気にしないで」
「というと、暴走族か何かでいらしたんですか?」
「自分の発言で自分の首絞める現象何」
どうみても赤井さんは俺を揶揄ってるし、コナン君は楽しんでるし。
この場にはもう敵しかいない。
それでも、コナン君の表情はどこか優しい色を帯びている。
「でも格好良かったよ。少し寂しそうだったけど」
「褒め言葉が素直に嬉しい。あれほどじゃないにしろ精進します」
格好いい、か。
ハイパーボリアの俺は虚勢を張っているだけだったが、そのように見えていたなら嬉しい限りだ。
確かに今思えば、当時のアレは人の理想を集積させてキャラを作っていた。
ちょっとした決めポーズとしてもちょうどいいかもしれない。
内心ふむふむと思案しているうちに、工藤邸へと到着した。
コナン君は沖矢さんへ鍵を手渡し、にっこりと笑う。
「じゃあ、あとはよろしくね」
「もちろん、ボウヤ」
俺はふと周囲を見渡して、そういえば明美さんがいないことに気がついた。
今日も出かけているから事務所にはいなかったはずだが、はて、一体どこへ。
「なぁ沖矢さん。明美さんが居ないっぽいんだが、どうしたんだ?」
「ああ。昨日風呂上がりのまま寝たんだが、その件で明美に怒られてな。セクハラ、と叫んで家出してしまった」
「思ったより面白い事件が起きてた」
「前から時々やっていたことだったし、別に下着は履いているし問題があるようには思えない」
沖矢さんは欧米風に大袈裟に肩をすくめた。
この人もだいぶメンタルが改善されたのか、目の下のクマが薄くなっている。
良いことだ。恋人には家出されたけど。
「とりあえず俺の方から住所変更になった旨を明美さんに伝えておくな」
「助かる。……実際、裸なんぞより彼女が君の家に泊まり込むほうが不健全だと思うんだが」
「俺を男女関係のもつれに巻き込むのはやめて!俺はもう許嫁いるんで!!」
「「!?!?!?」」
コナン君と沖矢さんが同時に目を剥いた。
しまった。口が滑った。
音速で食いついてきたコナン君が俺に詰め寄る。
「えっえっえっ、何それ詳しく!相手どんな人!?ねぇどんな人!?」
「………ほ、豊満な……ひと……」
「ほー、グラマラスな美女が。君の趣味には見えんが」
「あてがわれただけだから…相手側も…誰でもいいっぽいし……」
話題のお相手の名は、外なる神「シュブ=ニグラス」。
豊穣の女神であり、多くの子を持つ母であり。
俺の母である。
俺のあまりに沈鬱な様子に、コナン君が心配そうに眉を下げた。
「え、黄衣さんどうしたの…?」
「うん……」
俺の触手は端から端までしおしおのクルクル、干物みたいに干上がっていることだろう。
まず、俺に近親相姦の気は一ミリもない。
次に、たくさん触手が付いた膨れた肉塊に欲情する特殊性癖もない。
そして最後に、触手と肉塊が融合し合いながら互いを喰らい合うみたいな行為が外宇宙における愛の営みなのだと、シンプルに信じたくない。
俺は少なくとも相手は人型がいいし、真っ当に愛を育んで、抱きしめ合って、キスをして、ロマンチックに付き合いたい。
なお、こうした俺の一般的価値観をニャルラトホテプに伝えたところ、ガチでドン引きされたことを追記しておく。
「え……キモ……羽虫趣味極まりすぎ…キモ…マジ無理……」と真顔で言われ、俺は癒えぬ大傷を負うことになった。
キモって2回も言うことはないだろ!!!
俺は煤けたまましゃがみ込んだ。
コナン君が元気付けようとしてくれたのか頭をヨシヨシしてくれる。
うーん小学生男児に頭を撫でられる大人とは。
沖矢さんが「恋も愛も人それぞれということか」と若干納得したような口ぶりで頷いたのだった。
・赤井さん
素寒貧だし恋人には逃げられたし、今晩はヤケ酒飲むつもり。
恋人は午後にはそっと戻ってくるので、お互い謝って工藤邸でラブラブする。
これには善意で家を貸したコナン君も激おこ。
・ハスター
旧支配者としては流石にキモすぎる価値観の持ち主。
恋人は普通に人間がいい。ロマンチックな恋がしたい。
でも寿命の違いで絶対死に別れるからやっぱ恋人は欲しくない。
そんな難しいお年頃の旧支配者。
ニャル「羽虫好きとは知ってたけど…そういう意味で…?嘘…素直に引く…」