ビックジュエル「紫紅の爪(パープルネイル)」を盗みに、怪盗キッドが現れるらしい。
俺たちがやってきたのは、銀座のド真ん中だ。
観光というか、せっかくなので怪盗キッドのマジックを見に来たというか。
何にせよ野次馬である。
今回は俺とコナン君、そして降谷さんが一緒に来ている。
諸伏さんは仕事でしばらく帰らないらしい。
降谷さんがこんなお遊びに参加するのは珍しいと思ったが……。
どうも、降谷さんの様子がおかしいのだ。
しきりに俺へと視線を向けて、俺が気付くと逸らすの繰り返し。
返事もややしどろもどろ。
何があったのか聞いても誤魔化すので、本人は事情を言いたくないらしい。
ならば、俺はそっとしておくより他ない。
新聞記事で見た場所に辿り着くと、すでに多くの野次馬で人だかりができていた。
見ると、遠くから俺たちに手を振る人影が見える。
蘭ちゃんと園子ちゃんだ。
園子ちゃんが上機嫌そうに俺たちを呼んだ。
「黄衣さんにガキンチョじゃん。安室さんも。キッド様を見に来たの?」
「ああ。せっかくだし物見遊山でな。確か園子ちゃんは怪盗キッドファンだっけ」
「そのとーり!麗しのキッド様の姿を一目見て、あわよくばその唇にチューを…!」
蘭ちゃんが「園子ぉ!」と止めているが聞く気配はない。
彼女は彼女で盛り上がっているようだ。
コナン君が半笑いで肩をすくめている。
「でも、そんなにお熱だと京極さんが気にしないか?」
「……京極さん、海外に武者修行の旅に出ちゃったし。これは別腹というか、なんというか」
「もしかしたら、彼も園子さんのそんな様子を見て嫉妬して帰ってきてくれるかもしれませんね」
口を挟んだのは降谷さんだ。
すっかり「安室透」の皮を被り、人当たりのいい好青年へと様変わりしている。
「そうだといいんだけど……はあ。ともかく、今日はキッド様が次郎吉おじさまの宝石を盗みにくる可能性大!見逃す手はないってわけ!」
「ん?可能性……確定じゃないのか?」
「次郎吉おじさまが昨日キッド様に挑戦状出しただけだしね。キッド様なら受けて立つだろうけど」
「なるほど」
キッドも大変だ。
以前に黄昏の館事件で見た彼は随分と若そうだった。
それでここまでの有名人とは、どんな事情があるかは知らないが因果なものだ。
さて、そんな感じにしばらく雑談していると。
空に一際目を引く白いハンググライダーが現れた。
コナン君と降谷さんが鋭い視線でそれを注視する。
しかし俺の目にステータスが映らないから、あれはデコイで間違いない。
と、ハンググライダーが煙幕で覆われて消えた瞬間。
宝石展示ケースの上、群衆のど真ん中に怪盗キッド本人が出現した。
おお、凄い。まるで気付かなかった。
現れたキッドに群衆は盛り上がり、TVメディアの人間がキッドを取り囲む。
キッドは律儀に向けられたマイクに応え、キザな回答でカメラの向こう側に微笑みかけた。
エンターテイナーとしてのプロ意識がすごい。こりゃ人気出るわ。
そうこうしているうちに宝石所有者である鈴木次郎吉氏の仕掛けが発動し、交差点の四方が太い網で覆われた。
ちょうど、高さ20メートルほどの檻で囲われた形だ。
この状態で人類が逃げるのは難しいと思うのだが、キッドの余裕の表情は崩れない。
心配そうなリポーターに、キッドはふっと薄く笑って見せた。
「ご心配なさらず。私はそろそろお暇させていただきますから。……テレポーテーションでね」
今まで黙ったままだったコナン君が口を開く。
「どう思う?」
「俺ならできるけど彼には無理じゃないか?」
「だよな」
一瞬コナン君の顔に緊張が走ったように見えたが、俺の言葉に納得して力を抜いたらしい。
そう簡単に「門の創造」の魔術が使えるやつがいてたまるか。
降谷さんは特に表情なく、無言でキッドを観察している。
再び煙幕が張られ、キッドが見えなくなる。
とはいえ、俺には動く数値情報として彼の姿が見えている。
彼は煙幕を抜けて群衆を掻き分け、そのままビルの側面まで辿り着いた。
次の瞬間、キッドの体が急上昇する。
なんだこれ?
その少し離れたところを、ビルの上から急降下する数値がひとつ。
シーソーみたいだ。
上に辿り着いたキッドが撒いているのだろう。
怪盗キッドのマークのついたカードが上から降ってくる。
カードには数字が書いてあり、3、2、1、とカウントダウンを刻む。
そして次の瞬間、キッドがビルの屋上にて白いマントをたなびかせ、群衆の前に姿を現した。
まるで瞬間移動したように、堂々と盗んだ宝石を掲げて。
コナン君がじっとこちらを見てくるので、俺はパタパタと手を振って心配を否定した。
「違う違う。えーっと、一部始終は見てたけど魔術は使ってない。ネタバレはしないでおくけど」
「……なら、一体どうやって…?」
ハイパーボリアから帰ってからと言うもの、コナン君はとみに心配性になったようだ。
そのまま、キッドは優雅にTV取材を受けている。
なんとも、見事な大道芸でも見たような気になって、俺は素直に群衆と共に拍手をした。
俺の見た通りの方法だとしたら、キッドの腕はとんでもない。
マジシャンとして極上の職人さんなのだという事がわかったからだ。
だって、言うは易しの究極形だ。
目立たず群衆を一直線にかき分ける体捌き。
完全に息を合わせ、電光掲示板の流れる速度に合わせて上昇する大胆さと緻密さ。
その全てを練習の難しい状況下の本番一発で成功させる、高い実力。
いやあ、職人技ってああいうのを言うんだな、と俺はニコニコした。
ふと気付くと、コナン君がぶっすりと膨れてジト目で俺を睨んでいた。
「な、何だよコナン君」
「別にぃ。俺がキッドを捕まえてもガッカリすんなよ」
コナン君はすっかりむくれてしまったようで、不機嫌そうにぶつぶつと何事か呟いている。
キッドもすでに逃げおおせている。
野次馬も解散し出したし、俺らも帰るべきだろう。
横で興奮しきりと言った様子の園子ちゃんを、蘭ちゃんが宥めている。
「悪かったって。マジックショー見た気になってただけだから」
「ふーん。ならいいけど」
「明日も盗みにくるらしいし、見にくるか」
そんな話をしながら、俺たちは今日のところは帰宅することにしたのである。
結局降谷さんは口数少なに俺の方を観察するだけだったが、何だったのか分からずじまいであった。
黄衣達と別れ、帰宅した降谷は布団に倒れ込んだ。
今朝の動揺のまま無理やり黄衣について行ってしまったが、おそらく降谷の挙動不審は伝わってしまっただろう。
失敗した。
降谷は、のろのろと起き上がって作り置きのおかずを電子レンジでチンした。
夕飯を口に流し込めば、ひとまず疲れた体に活力が戻ってきたのを感じる。
降谷がここまで参っているのには理由がある。
深いような浅いような、やっぱり深い悩みだ。
それは昨晩に遡る。
降谷は昨晩も同じように布団に潜り込み、深い眠りについた。
ここは比較的安全なセーフハウスで、かつ今の状況は安定していて危険は少ない。
つまり穏やかに、ぐっすりと寝たわけだ。
そうして夢を見た。
真っ暗な空間に降谷一人がポツンと立っている夢だ。
もうこの時点で嫌な予感はしていた。
前に本体──外なる神ニャルラトホテプが接触してきた時も、同じように真っ暗な空間だった。
「聞きたいことがあるんですけど」
ほら来た、と降谷はげんなりと体を固くした。
ゆっくりと振り返ると、そこには降谷と全く同じ姿をした男が一人、ソファに気だるそうに座っていた。
ニャルラトホテプだ。
降谷はひとまず臣下の礼をとった。アレはそういうのを解さないが、念のためだ。
ニャルラトホテプが降谷を睥睨した。
「あなた、羽虫の恋愛事情って分かります?」
「は……」
何を聞かれているか分からなくて、降谷は返事に窮した。
恋愛事情?
あえて言うなら、己はそのへん苦手分野だが。
ニャルラトホテプは降谷の困惑を気にした様子もなく言葉を続ける。
「我が大親友ハスターは、人間としての恋愛が性癖みたいなんですよね」
「はあ」
「キモいですよね。初めに聞いた時は何を言われてるのかちょっとよく分かりませんでした」
「あー、うん」
酷い言いようだが、降谷にもうっすらとは言っている意味は理解できた。
そもそも彼らと人類までは存在規模がケタ違いだ。
人間が恋愛対象、というのは彼らにとって微生物の鞭毛に性的興奮を覚える性だ、みたいなレベルの話だと思われる。
ニャルラトホテプは悩ましそうにため息をついた。
「でも、そんな変なところを受け入れてこその親友なのかなって、僕は思うわけです」
「なるほど」
「だから、僕が人間型の化身を作って恋人になってやろうと思っていて」
「は…」
また話の方向性がわからなくなってしまった。
降谷は背後に大宇宙を背負った。
もし自分が、松田が女装してこっそり近づいてきた女にガチ恋して、それに後から気づいたら。
そのまま憤死して切腹するだろう。
どういう嫌がらせだろうか。悪魔なのか?
ニャルラトホテプはビシィ!と降谷に指を差した。
「で、貴方。ちょうど人型だしアタックしてもらって良いですか」
「無理だが」
反射で即答してしまった。
多分黄衣ハスタはヘテロだし、自分もそうだ。
今の空気感で突然迫っても、黄衣が恐怖体験をするだけだ。
ニャルラトホテプが不機嫌そうに眉を吊り上げたので、降谷はあわてて弁明した。
「黄衣君の性的嗜好はおそらく女性だ。僕では意味がない」
「女性?メスってことですか?ハスターは別に男性でも女性でもないですよ?」
「実際にどうかはともかく、本人の自認は男で間違いないだろう」
前に女性俳優に接近されてドギマギしていたし、まず間違いない。
ニャルラトホテプはふむ、と考え込んで眉を顰めた。
「難しいですね。オスメスとかそんな細かいことどうでも良いのに。ともかく、今の貴方ではダメだと」
「ああ」
「ならひとまず貴方を女性に作り変えましょう。それで問題は解決します」
「!?!?!?!?」
降谷は全力で腕をクロスして思わずのけぞった。
降谷…零子……!?
「ないないないないお願いだからやめてくれ!俺は男だ!!」
「駄々をこねないでください。一瞬で済みますから。ともあれ、貴方の女性型でハスターに接触して、30年ほど様子を見ましょう」
「…!っ、!っ!」
あまりのことに悲鳴が喉まで出かかった。
こいつ、俺を女性に変えた挙句、黄衣ハスタに迫らせた上で30年もそのままにしておく気だ!!
危機感が過ぎて吐きそうになりながら、全力で思考を回す。
なんとか考え直してもらわないと、降谷の人としての尊厳が失われてしまう。
「い……いや、黄衣君も僕が男だと言うことは知っている。今更女になっても恋愛対象にはならないだろう」
「そうですか。ううむ」
ニャルラトホテプはひとまず納得したようだ。
全身から脂汗がざっと流れ落ちて、心臓が喉までせり上がって来たような心地だった。
かつてここまで危機感を抱いた事があっただろうか。
組織の一員として動いている時だって、こんなに動揺したことはないだろう。
そんな降谷の様子をかけらも気にした様子もなく、ニャルラトホテプは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なら、やっぱり新しい化身ですかねぇ」
「…何か問題でも?」
「前に試して失敗してるんですよね」
ニャルラトホテプがするりと姿を変える。
現れたのは、黒髪褐色で美しいプロポーションの美女だった。
はっと息を呑むほど整った容姿だ。
際どい衣装で露出が多く少し夜の店っぽいが、化粧は控えめで実に麗しい。
これなら、大抵の男は鼻の下を伸ばしそうだ。
明らかに女性慣れしていなさそうな黄衣なら、赤面してオドオドする事が容易に想像できた。
「これで迫って、失敗してるのか?」
「ええ。普通に『お、ニャルラトホテプじゃん!』とか挨拶されて適当に一緒に遊んで帰りました。完全に無反応でしたね」
「それは……なるほど」
降谷は黄衣の思考に若干予想して、ははぁと頷いた。
「心当たりがあるんです?」
「たぶん、黄衣君は貴方の事を男性だと思っている」
「???」
これは現在ニャルラトホテプが己と同じ姿…男性型だったから気付いたことだ。
思い返せば、彼は時折「ニャル野郎」と口にしていた。
野郎は男性へ向ける呼び方だ。
ニャルラトホテプは心底困惑したようで、首を傾げている。
「僕、性別とか無いですけど。便利だから羽虫の社会ではオスでいる事が多いだけで」
「だとしても、だ。黄衣君は君を同性の友人だと思ってるんだ。だから恋愛を考えつきもしないんだ」
「えぇ……?」
ニャルラトホテプはすっかり困ってしまっている。
うんうんと唸ってしばらく。
最後に一つ、答えを出したのか深く頷いた。
「ならやっぱり、貴方が女性になってもらう方向で行きましょう」
「!?!?!?」
「じゃあそういうことで」
「ま、待っ─────」
バッと目が覚めて。
朝だった。
布団は汗で湿っている。
バクバクと心臓が鳴っている。怖い。恐ろしい。
覚悟を決めるのに5分は必要だった。
降谷は生唾を飲み込んで。
ゆっくり、ゆっくり、ガクガクと震える手で布団をめくって。
「……お、男だ………」
降谷の尊厳は無事、守られていた。
全身の血液がざっと逆流したかのような緊張だった。
朝。いつもと変わらぬ朝日がカーテンから漏れている。
それから毎朝、降谷の緊張の確認タイムは続くことになる。
・ニャルラトホテプ
別に方針は変えてないけど、効果は薄いようだし今日でなくて良いか、の精神。まったり。
それが数十年後なのか十万年後なのか数億年後なのか明日なのか。
それは誰にもわからない。
唯一無二の大親友がそこまで拗らせてるんなら、受け入れてあげるのも友情かな(真心)。