東都には、朝から雨が降り続いている
不潔な黒い雨だ。
俺が上空に巨大な魔術式を展開したから、それは単に黒いだけの雨となって首都圏一帯に降り注いでいる。
朝のニュースでは一斉に各社がこの異常気象を報じ、専門家が呼ばれる事態となっている。
現在俺たちがいるのは、警察庁に数ある会議室の一室だ。
窓は打ちつける雨で真っ黒に汚れている。
見下ろす街は墨でもぶちまけたように真っ黒だ。
東都を含む7県全域でこれなのだから、いくら人体に害はないとはいえ、清掃の手間を考えたらとんでもない被害と言えるだろう。
憂鬱そうに真っ黒な窓を眺め、降谷さんが指で己の眉間をもみほぐした。
「あちこちで発がん性があるだとか、近隣で秘密裏に核攻撃があっただとかデマ情報が盛りだくさんだ。手に負えない」
「公安は動いてるんだよね」
「勿論。できるだけ正しい情報を流して鎮静化を図ってはいるさ」
パイプ椅子に座りゆらゆらと足を揺らすコナン君が、手の中で缶コーヒーを転がした。
降谷さんは諦めてどかっと乱暴にパイプ椅子へと腰掛ける。
哀れなパイプ椅子がギィギィと軋んだ。
「こんなことなら、初めから雨自体の対処を依頼しておくべきだった……失態だ」
「まあまあ。降谷さんもあの時は動揺してたんだし。仕方ないだろ」
「動揺してたで済む話じゃない!こんな大惨事、一体何兆円の経済損失になるか!1時間後には普通の雨に切り替わるという話だが、本当だろうな」
「おう。それでだいぶ流れ落ちるんじゃないかと思ってる」
降谷さんが休日朝から鬼電してきたから何事かと思ったが。
寝ぼけ眼で電話をとったら、至急雨から黒い色素を取り除くよう依頼があったのだ。
前日展開した魔術は有害性除去だけだったからな。
それで術式を書き直したのだが、効果が現れるのは少し時間がかかる。
「黒い風」の降らす雨だから、権能としっかり結びついて中々落とせなかったのだ。
降谷さんが腕を組んでイライラとつま先で床を鳴らした。
「そもそも、俺が感情的になって自己の能力の制御すらできなかったのが大きな問題だ。くそっ、失態過ぎる。こんなの、あぁ」
「安室さん。そろそろ風見さん来るんだし、落ち着いて」
「!……そうだな。悪い」
コナン君が窘めると、降谷さんは平静を取り戻したのか腕を解いて椅子に座り直した。
ところで、どうして俺たちがこの警察庁に集まっているかなのだが。
風見さんへの事情説明のため、降谷さんに助っ人として呼ばれたのである。
もちろん理由はそれだけじゃなく、カルコサ新党の対処とか東洋火薬の件の精査とか。
色々含んだ招聘では有るのだろう。
だが第一は風見さんの説得にあると見て間違いない。
だって降谷さん、露骨に緊張してるし。
ニャルラトホテプの化身とハスターが揃い踏みして会議室の上座で待ってるのは正直圧迫面接だと思うのだが……まぁそれはいいか。
「というか。風見さんに事情を話して納得してもらうなら、僕はいらないんじゃない?」
つまらなさそうにコナン君が机で頬杖をつく。
安い賄賂として缶コーヒーを渡されたらしく、未開封の缶が三つ、机の上に並んでいる。
一斉検挙の時と同じメーカーだが違う種類のやつだ。
というか三つも要らんやろ。
そのうちの一つを開け、コナン君がちびちびと飲み始める。
「子供がいた方が絵面的に風見も安心すると思って」
「思ったよりゆるゆるな理論だった」
「あと黄衣君と二人きりなのは僕が心細かったから」
「なるほど」
コナン君は深く納得した。
なんでや。俺の何が不満なんや。
と、その辺でようやく風見さんが到着したらしい。
小さなノック音に続いて、「風見です」と声が聞こえてきた。
「入れ」と降谷さんが固い声で返事をする。
現れた風見さんはやはりというべきか、緊張が前面に出た顔で強張った四肢を無理に動かすように入室してきた。
中央に座る降谷さんを見て、思わずといった調子で生唾を飲む。
「座れ」
「………はい」
風見さんが俺たちを見ながら、慎重に椅子へと腰掛ける。
おや、と俺は風見さんを見返した。
思ったより風見さんの様子に恐れが見えない。
緊張はしているのだろうが、恐怖にびくついている感じがしないのだ。
「まず聞きたいんだが」と重苦しい口調で降谷さんが話だし、風見さんは身を固くした。
「任せていた調査の方の進捗はどうだ?東洋火薬から何か出たか?」
「………それをお話しするには、その」
風見さんが俺たちを見た。
部外者がいる状態で報告するのを躊躇ったのだろう。
軽く首を振って降谷さんが懸念を否定した。
「気にするな。彼らは毛色の違うインテリアだと思ってくれ」
「誰がインテリアやねんコラ。自分が呼んだやねんぞ」
「服部君の霊に憑依されてるみたいだが大丈夫か君」
「もうええわ」
服部君を連れた旅行で俺は理解したのだ。
わけ分からんシリアス空間に放り込まれた時は、心に服部君を飼っておけば乗り越えられると。
彼にはそういう癒しがある。
俺は憤慨してコナン君から缶コーヒーを一本ぶん取った。
強かなコナン君は「500円」とだけ言った。
有料らしい。しかもぼったくり。
昨今の値上げの波がこんなところにまで押し寄せてきて、俺は少しだけ泣いた。
突然始まったコントに困惑しながらも、風見さんはいつも通りと思われる形式で話し出した。
「っ……作業班は動いていますが、足取り掴めず。作業は明日正午まで続ける予定です。それと、例のことゼンカン(全て完了)」
「わかった。ご苦労だった、風見」
あまりにもいつも通りの会話に、風見さんの困惑が強くなる。
もっと恐ろしいことが起きるとでも思っていたのか、それとも別の何かが。
降谷さんは風見さんを正面から真っ直ぐに捉え、そのライトブルーの目を細めた。
「では、お待ちかねの質疑応答の時間だ。お前の疑問に答えよう」
実に居丈高で、人を威圧するような態度だ。
別にそんな魔王登場ラストバトル開幕みたいな空気出さなくてもいいのに。
風見さんがしばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「貴方は、人間ですか?」
降谷さんの瞳がねぶるように風見さんを捉える。
ゾッとしたように風見さんが身を震わせた。
「───いや。俺はニャルラトホテプの化身、黒い風。まあいわゆる、バケモノだな」
持ち上げた右腕を黒い竜巻に変えて、降谷さんは軽薄に笑った。
外なる神の化身の発露に、風見さんが畏れと恐怖で仰け反った。
息が荒い。
SAN値が僅かに減っているが、発狂するほどではないようだ。
降谷さんが腕を元に戻す。
風が小さくおさまり、人の皮を被りなおしていく。
小さく息を呑む声がこちらまで届いた。
「それで、次は何を聞きたい?」
「………なぜ、警察庁に入り込んだんです。何が目的ですか」
問いかけは平坦だった。
机の下で拳を握りしめたのか、僅かに衣擦れの音が聞こえてくる。
降谷さんがかすかに笑った。
卑屈な色が微かに声を震わせる。
「ふむ、そうだな。日本を守りたかった、と言ってお前は納得してくれるか?」
冗談めかして笑っているように見えて、降谷さんが内側に秘めた恐怖は明白だった。
隠された臆病さを必死で隠す無様な姿が、昔の俺と一瞬重なって見える。
傷が癒えるのは長い時間が必要だ。
信じられないほど長い、長い時間が。
風見さんは長く沈黙してから。
ゆるゆると、ゆっくり息を吐いた。
そして降谷さんを見つめ返す。
正面から目を離さず、真摯に。
「………そうですね。まだ飲み込みきれないところは多々ありますが、納得はできました」
「人に化けるバケモノの言葉を信じるのか?危機管理がなっていないんじゃないか?」
「いいえ」
否定する声は強かった。
溢れんばかりの意思が籠っていて、その力強さに思わず気押されそうになる。
降谷さんが目を見開いた。
沈黙が部屋を満たす。
それから、風見さんは殊更柔らかく笑って、優しく口を開いた。
「貴方の働きぶりを見ていれば、そうとしか思えませんよ」
「………」
「そもそも。ゼロは前に出る部署じゃない。裏から警察組織を支配したいなら、もっとずっと貴方はうまくやるはずだ」
潜入捜査なんて危険かつ時間の取られる仕事を態々するとは思えない、と風見さんは見解を述べた。
降谷さんが視線を落とした。
部下の真摯な瞳に耐えられず、逃げ出したように見えた。
「……、単に業務上の命令を断れなかっただけかもしれない」
「それこそ、東洋火薬の件のようにどうとでもできたでしょう。人を操る秘術がある」
「合法的に悪行を働ける機会に飛びついたのかも」
「貴方はそんな人間ではない」
風見さんは悪足掻きするように言葉を紡ぐ降谷さんの様子に、思わず笑ってしまったようだった。
これまでの彼らの関係性が、神話的恐怖を上回った。
素晴らしいことだ。妬ましいことだ。羨ましいことだ。
風見さんが、屈託なく笑いかける。
「所属も違うのに連絡役というだけで、貴方は世話を焼きすぎなんですよ。命を削るように働いて。何度私が心配したと思ってるんです」
ようやっと顔を上げて、降谷さんは破顔した。
「生意気だぞ、風見」
「どうとでも言ってください」
「それにしても。前々から貴方の働きぶりは人外のそれだとは思っていましたが……本当に人外だったと知って深く納得してしまいましたよ」
「トリプルフェイスは本気で人間技ではないですよ」と風見さんが呟いている。
どうやら昨日は一晩中降谷さんのことを考えていたらしく、仕事も相まって全く寝られなかったらしい。
降谷さんがむっとして腕を組んでそっぽを向いた。
「ああいや、僕が人外になったのは最近というか。大部分は普通に人間として仕事してたぞ?」
「え゛」
風見さんの顔が引き攣った。
人外は人外になる前から人外だった、というわけだ。
実に深い。哲学かな?
と、そのあたりこのことである。
ドォン!といういかめしい音がして。
会議室の扉に、突如大穴が開いた。
扉の残骸を乱暴に蹴飛ばし、荒っぽく入室してきたのは公安信者さんその人である。
怨霊にでも変貌したのかというレベルの形相で髪を振り乱し、たくさんの術式を待機状態のまま体に纏わせている。
もはや殺意しかない。
ぎろり、とドス黒い怨念に満ちた瞳が降谷さんを捉える。
「げっ、見つかったか。会議室は別名で取ったんだが」と降谷さんが顔を顰めた。
この事態を予測していたらしい。
驚愕し過ぎて風見さんが椅子から落ちかけている。
ともかく止めないと、と席から立ち上がった段階で、信者さんが動いた。
「えぁっ、待っ、ちょっ」
「降谷ぁあぁあああああ!!!」
攻勢魔術を嵐のように開放する。
俺はそれを咄嗟に触手を盾にして受け止めた。
術式の構成上、術を外部から解体したら信者さんに跳ね返ってしまいそうだったからだ。
逸らすと警察庁の部屋が穴だらけになってしまうし。
触手が魔術の嵐を受け、ブチュリと体液を流す。ちょっと痛い。
体液が床に垂れて掃除が面倒くさくなる前に触手を素早く再生する。
一瞬の沈黙。
瞬間。
公安信者さんは病的に震えながら五体投地した。
「あのね、えーっと、これには深いわけがあって」
「死にます!!!!!」
「待って!?!?」
床で風見さんが泡を吹いて倒れている。
降谷さんは我関せずとスマホをいじりながら「ちっ、やっぱり東洋火薬は空振りか」と文句を垂れている。
お前の話やねんぞなんか言わんかコラ!!!
とりあえずその場で自分の首を落とそうとする信者さんを拘束し、俺は大きくため息をついた。
滂沱の涙を流しながら信者さんが痙攣している。
相変わらず、コナン君は横でちびちびと缶コーヒーを飲んでいた。
そして部屋の惨状を見下ろして、「僕そろそろ帰ってもいい?」と実にクールに言い放ったのだった。
・公安信者さん
死にます!!!!!死なせてください!!!!!
超腕利き魔術師。
旧支配者ハスターに魔術を通せるレベル。
・諸伏さん
風見さんも降谷さんも全然仕事しねぇしわ寄せがきてる人。
今裏では馬車馬のように働いてる。
・旧支配者ハスター
過去を思い出してちょっぴりジェラシー。
最近心に服部君を飼い始めた。