案内された部屋は、片側の壁が真っ赤に塗られていた。
中ではすでに二人ほど人間がうろついていて、捜査中のようだった。
実に厳ついヤクザのような顔つきの男が、杖をついてこちらを振り返る。
諸伏兄が冷静に口を開いた。
「おや、敢助君も来ていたんですか」
「うるせぇ。高明もまた来たのか。所轄は引っ込んでろっつったろ……ん、アンタらは?」
乱暴な口調だ。俺は少しすくんで身を小さくした。
「こちらは名探偵の黄衣探偵事務所の方たちです。ちょうど、弟が事務所に勤めていたので助力を願った次第でして」
「はぁ、探偵?高明、テメェ何企んでやがる」
「なにも。私はただ事件の早期解決を望んでいるだけです」
胡散臭いものでも見るような目で男は諸伏兄を睨んだ後、諦めたのか大きなため息をついた。
第一印象に反して苦労人気質な雰囲気が見え隠れする。
「あー、俺は長野県警の大和敢助だ。こっちは上原由衣。高明の悪巧みに付き合わせちまったみてぇで悪いな」
紹介に応じてよろしく、と女性警官さんが笑いかけてくる。
事件現場にも関わらず、なんとなく牧歌的な空気が流れる。
「諸伏警部の弟って貴方ね?顔立ちがそっくりだもの!昔少しだけ会った事があるけど、覚えてるかしら?」
『ああはい、なんとなく。改めまして、諸伏景光です』
「警官になったって聞いたけど、どこの部署?諸伏警部は教えてくれなくって。多分東京よね?」
『えーっと…』
諸伏さんが押されている。タジタジだ。
大和警部が再びため息をつき、「そのへんにしとけ上原」と止めてくれた。
そんな空気をまるで気にせず、コナン君は一人異様な赤い部屋を練り歩いて「ねぇ、黄衣さん」と俺に視線を向けた。
怪異系が関わってないか判定しろとおっしゃっている。
俺は首を小さく横に振った。
今回のこれも純粋に人間の仕業である。
俺の所作に諸伏兄が僅かに目を細めてこちらを見たが、特に問いかけてくることはなかった。
コナン君はほっとしたように肩から力を抜き、改めて諸伏兄へと向き直る。
怪異でなければ探偵の仕事。これより事件の推理が始まるということだ。
「この部屋で何があったの?」
「……発端は、三年前にこの館の住人である小橋葵が亡くなった件でしょう」
原因は病死。
持病の発作で倒れたが、夫である明石周作が仕事に没頭して発見が遅れ、そのまま亡くなったのだという。
そして先日、事件が発生。
明石周作が何者かに部屋に閉じ込められ、餓死させられたらしい。
この部屋は明石周作が閉じ込められていた部屋で、これは明石周作のダイイングメッセージと推察されるとのこと。
じっと赤い壁を見つめるコナン君は微動だにしない。
奇妙な部屋だ。
片側だけ壁が赤く塗られ、黒と白に塗り分けられた椅子が床に釘で打ち付けられている。
「どう思われますか、黄衣探偵」
諸伏兄に問いかけられ、俺は背中に嫌な汗をかいた。
俺に聞かれても困る。とても困る。
だが何か言わないと場が持たない。
俺は苦し紛れに返事を捻り出した。
「デザインの教本みたいだよな、とは思う。錯視とか補色とか、そういうの」
前世で見たデザイン教本の錯視の解説絵みたいというか。
こういうのが現代美術っていうのだろうか。
まあ、マジで単なる感想文である。
推理的意味は欠片もない。
それって貴方の感想ですよね。その通りです。
しかし予想に反して、俺の発言に全員がハッとした顔をして目を見開いた。
え、なに。
俺そんなに的外れなことを言った?
諸伏さん、諸伏兄、大和警部、コナン君が一斉に部屋の中央に集まり、しきりに背後を振り返っては驚愕の表情をしている。
「ねぇ高明刑事、赤以外の塗料が捨てられていた意味ってさ、やっぱり」
「ええ。自分が死んで初めに部屋に入るのは、犯人だと確信していたのでしょう。明石周作という人物は随分な策士だったようだ」
『この椅子は…なぜ白が前なんだ?』
「ああ、それなら亡くなった明石周作がチェス好きだったからだろうよ」
『!!なるほど。あとは証拠だけか…』
「それが目下の悩みですね」
みんなもう全部わかったみたいな顔をしてるので、俺は上原刑事と顔を見合わせるしかなかった。
なんやねん皆して置いていきよって。
ぞろぞろ部屋から出て行こうとするので、俺は慌てて諸伏兄に声をかけた。
「あ、その前に小橋葵さんが亡くなった部屋に寄って行きたいんだけど」
「?構いませんが、明石周作の描いたと思われる絵画の他にめぼしい物品はありませんでしたよ」
「いいからいいから」
現場は地下にあった。
アトリエである2階の部屋とは結構離れていて、これではこの地下倉庫で何があっても明石周作が気付くのは困難であっただろう。
暗い部屋に電気をつければ、鼻をつくムワッとした画材の匂いと、埃とカビの匂いが立ち込めた。
あまり長居はしたくない環境だ。
俺が軽く部屋を見渡すと、ソレはまだ居たようだった。
崩れた、かろうじて人型だと判別できるような薄っぺらい何かが、床を這いずっている。
女性のような気もする。
ソレは懸命に這い回り、何かを探すように絵画へと一枚一枚へばりついている。
病死した小橋葵さんは死の直前、夫が描いた己の肖像画を探していたらしい。
誕生日にはいつもそれを出して、部屋に飾っていたんだとか。
死んだのは誕生日の前日のことだから、小橋葵さんは大切な肖像画を探しているうち、発作で倒れなくなったということだ。
俺はいつも通り「霊視」の魔術を展開しようとして、少し思い直して躊躇った。
今は事情を知らない大和警部や上原刑事がいるのだ。
「ご心配なさらず。敢助君は信頼できる人ですので」
後ろから声がかかる。諸伏兄だ。
心を読まれたようでちょっと怖い。
たぶん俺が今から何をしようとしたのか推理したのだと思われるが、そんなピンポイントで返事されるとエスパーの疑いが拭いきれなくなる。
コナン君といい、高INTはどうして人の心を読むのか。
信頼できるとのことなので、諦めて「霊視」の魔術を展開する。
あらわになった崩れかけのゾンビみたいな何かに、上原さんが悲鳴をあげる。
ソレには既に正気はなく、ただ無害に絵画を探し続けているだけだ。
大和警部が思わずのけぞって、俺とソレとを交互に睨みつけた。
「お、おいおいおいおい…なんだよこりゃ、こんな、なんで屋敷にこんなもんが居やがる!!」
「それは居るでしょうね。ここは彼女の、小橋葵さんの家でもあったんですから」
「……は?」
ぐずぐずに溶けて原型を留めない手が、絵画の山をかき分けて震えている。
夫が描いた己の肖像画を、愛の証を求めて彷徨っている。
諸伏兄がソレに近づいていく。
「やめろ高明!」と大和警部が叫んだ。
それの足元まで歩み寄って、諸伏兄はその肩へとそっと触れた。
実体無き幽霊を通り越え、指が素通りする。
「……貴方の絵画は、既に燃えてしまいました。貴方の誕生日プレゼントとして、貴方の夫が描いていたものです」
返事はない。
最早正気度は全損しており、ソレに理解できるような言語は存在しないからだ。
「貴方が私をモデルにして書いた本は今、全国の図書館で子どもたちが読んでいます」
「$'mn……""」
「私が、貴方を忘れることはないでしょう」
それだけ言って、諸伏兄はソレから離れた。
あと俺のやることは明白だった。
もうこれ以上、哀れな霊をそのままにしておくのは可哀想だ。
術式を円柱状に展開する。
魂の分解術式だ。
本来攻性の魔術だが、少しばかり組み替えて痛みなく安らかに逝けるよう構成し直す。
発動した円環が、蠢くソレを包みこんで柔らかく溶け落ちていく。
ソレはようやく安らいだような顔をした。
ずっとずっと続いていた苦しみから解放されたように、僅かに微笑んで。
そのまま、チリも残さず消えてしまったのだった。
当然だが俺は署に連行されて取り調べを受けることになった。
なんでや工藤。
俺は悪いことなんもしてへんやろ。
心に飼っている服部君が俺の代わりにぐちぐち文句を言ってくれる。
やっぱ服部君しか勝たへんねんて。
ダン!と取調室の机を叩いて、大和警部が凶悪な形相で叫んだ。
「で、なんなんださっきのは。きっちり吐いてもらおうじゃねぇか高明!」
「敢助君が幻覚でも見てたんじゃないですか?」
「高ォォォオ明ェェエエ」
「敢ちゃん落ち着いて!」
鬼の形相の大和警部を上原刑事が羽交締めにした。
諸伏兄は我知らずと言った様子でさっき買ったペットボトルのお茶を飲んでいる。
仲良しかよ。
『あの、兄さん…』
「心配しなくてもいい、景光。少し敢助君を揶揄っただけだから」
「余計悪いわ!!さっさと白状しろ高明!!」
「自白強要とは褒められたものではありませんね」
ヒートアップした怪獣が吠えている。
そろそろ俺も困ってきたあたりで、さっと横から諸伏兄がビニール袋を差し出してきた。
受け取って中身を確認すると、信州プレミアム牛肉セット(保冷剤付き)だった。
俺は黙ってそれを持ち直し、考えを改めた。
別に諸伏兄が友達刑事と戯れ合うぐらいいいじゃないか。
大目に見よう。気長に気長に。
コナン君が「買収されてる…!」と戦慄した声を出した。
そんな。まさか。買収だなんて。
ところで今晩は牛すきでいいよね?
一通り言い争いが終わってから、ようやく本題に入る。
案外時間はかからなかったが、牛肉がなければ文句を言うくらいにはかかった。
「んで、ありゃなんだ?」と大和警部が口をへの字に曲げて言う。
まだ、自分の見たものを信じられないでいるのだろう。
「何って、見たまま幽霊だよ。小橋葵さんの霊だ」
「んなもん、テメェらが来る前に幾度も現場捜査したが見たことなかった」
「そりゃそうだ。俺が見えるようにしただけだし」
上原刑事の顔が青ざめている。
それに気づいた大和警部が「お前も座れ上原。ぶっ倒れる気か」と荒っぽく言い放つ。
やはり根本が優しいいい刑事さんだ。
「テメェは霊能者ってわけか。何がきっかけで高明と知り合いなんかやってやがる。コイツは霊なんぞ信じるタイプじゃねぇだろ」
「ん?ペテン師だって言わないのか?」
「高明がそんなんに騙されっかよ。信じるに足る理由があるから、テメェを現場に呼んだんだ」
大和警部の視線はまっすぐに俺を捉えていた。
凄い信頼関係だ。
諸伏兄が信じるなら自分も信じると、臆面もなく言い放つほど。
だからこそ、知り合うきっかけが知りたいと彼は言っている。
俺はちらりと諸伏兄を見た。
それだけで俺の言いたいことを読み取り、諸伏兄が代わりに話し出す。
やっぱりエスパーなんだよなぁ。
「これは、他言無用の話になるのですが」
「ああ。分かってる」
「弟が、私の唯一の肉親が業務中に死亡しまして」
息を呑む音と、重い沈黙が部屋を満たす。
喘ぐような声で「高明、テメェ…」と大和警部が悍ましいものでも見るような顔で諸伏さんを見る。
僅かな悲鳴は上原刑事のものか。
諸伏兄はムッとしたように眉間に皺を寄せた。
「違います。蘇りとかその手の外法に手を出したわけではありませんから、犯罪者を見る目をするのはやめてください」
「そ、そうか……そりゃよかった……」
本気でヤバい魔術師だと誤解されかけていたらしい。
すぐその発想が出るほど諸伏兄の素行が酷いって話だが、その辺本人はどうお考えなのだろう。
諸伏兄は咳払いして言葉を続けた。
「弟は霊魂です。ただ、彼の特異な技術によって人のように見えているだけで、既に死亡しています」
『う、うん。兄さんの言う通りだ。戸籍上も死んでるし、死体も火葬されたし、拳銃で撃たれてもダメージはないし』
諸伏さんの言葉に合わせて実体化を解除する。
半透明になった諸伏さんが、机の上に投げ出されて大和警部の右手を素通りする。
上原刑事が目を強くつぶって「ひぇ!」と可愛らしく悲鳴をあげた。
『ね?』
「………あー、なるほど。よーくわかった。はぁ、とんでもねーな。マジもんかよ」
頭をガシガシとかき、大和警部は心底困ったように肩を落とした。
そりゃそうだ。
突然幽霊います変な術師いますじゃ警官も商売あがったりだ。
「で、最初の話に戻るぜ。何企んでやがる、高明」
顔を上げた大和警部が鋭い瞳で諸伏兄を睨みつけた。
「んなこと、俺らにわざわざバラして何をさせようとしてんだ」
「………こうしたものの関わる不可思議な事件は、全体の7%程だそうです」
諸伏兄は静かな声で、謳うように唱えている。
「その全てが未解決、あるいは冤罪となっていると見ていい。私達の両親の件もまた、そのうちの一つ」
「!おい、あれはもう犯人は捕えられて…」
「私と景光で話し合いを重ね、そう結論付けました」
部屋に緊張が満ちている。
両親の件というのが何なのかよく知らないが、それが彼らの深い傷になっているのは確かなように思う。
にやりと大和警部が笑った。
「俺らに、それを手伝えってか」
「いいえ。一人で突っ走るなと散々文句を言われたので、あらかじめ言っておこうと思っただけです。敢助君は好きにして下さい」
「はぁ!?!?ざけんじゃねぇぞテメェ!!」
「ひとまず私は公安に身売りに行こうと思っています。弾かれても別に1人で捜査すればいいだけの話ですし」
「ふざ、おま、上原ァ!!このバカを部屋から出すんじゃねぇぞ!!」
『兄さん………』
諸伏さんが悲しげに小さくなっている。
止められなかった自身を悔やんでいるようだ。
コナン君が「そろそろ赤い壁の件…ねぇ……」と小さな声を出している。
俺たちだけで聞き取り調査に行こっか、とも思ったが。
動いた拍子にかさりと手元のビニール袋が音を立てたので、俺は慌てて座り直した。
すき焼きもいい、しゃぶしゃぶもいいかもしれない。
夢は広がる。のんびりと行こう。
そうしよう。
そんなわけで、俺たちは近場で一泊したのだった。
肉は冷凍庫を借りてその中に入れた。
善き也。
・諸伏家両親殺害の件
神話生物の香りがする。
詳細不明。
・諸伏高明
暴走特急。
手に負えんと県警から所轄に飛ばされて、限界を超えた所轄が爆発して返品される予定にある人。
近いうちに公安に爆弾タックルして景光と降谷さんを混乱に叩き落とすことになる。