翌日朝、ついに暗号が全て揃った。
セントブライド教会で見つかったSの文字。
エレファントアンドキャッスルの駅で見つかったUの文字。
食器メーカーの店で見つけたRの文字。
これらを合わせると「SATURN」、つまり土曜日となる。
同時にそれは地図上で歪なテニスラケットの形として現れる。
「とすると、ウィンブルドンか」と言い出したのは諸伏さんだったから。
土曜のテニスといえば、まず間違いなく明日開催される女子シングルスの決勝だ。
容疑者の情報と踏まえると、その可能性はさらに高まる。
今日の朝刊で、容疑者はハデス・サバラとしてスコットランドヤードが動き出しているからだ。
母親が死亡したことを逆恨みし、病院爆破、借金した知人を殺害などなど悪行を続けている。
特に昨年のウィンブルドンでミネルバに賭けてブックメーカーをしていた確率は高い。
賭けに負けた腹いせ、はかなり真実味を帯びている。
『なるほど。これは……今すぐにスコットランドヤードに知らせた方が良さそうだな』
と、諸伏さんが悩まし気に眉を顰めるのと同時。
「おーい!!また会ったな!」
「アポロ君!」
コナン君に手を振る金髪の少年が、こちらに勢いよく駆け寄ってきた。
隣には芝の女王、ミネルバ・グラスがいる。
凄まじいピンポイントさだ。もしやコナン君の不明な誘引力とかが関係しているのだろうか。
金髪の少年がコナン君にキラキラした視線で話しかける。
「どうだ、暗号!分かったか!?」
「一通りね。ちょうど良かった。……ミネルバさん、狙われているのはあなただ」
ミネルバさんは突然のコナン君の発言に困惑して、「坊や、一体」と首を傾げている。
コナン君はふっとわずかに笑い、宣言した。
「江戸川コナン。ホームズの弟子さ」
「……、ああ!貴方がアポロの言っていた子ね!そっか」
「初めまして。私は探偵の黄衣ハスタと申します。少しお話しする時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
コナン君の後ろからぺこりと頭を下げて挨拶する。
俺自身が説明するわけではないが、コナン君の発言の信憑性を補強するためだ。
近場のカフェへと入って、二人へこれまでの経緯と推理を話していく。
やはりミネルバさんもショックが隠しきれないらしい。
きっちりと警察に話を持っていくことを決意してくれたため、俺たちも念の為着いていくこととする。
スコットランドヤードは相変わらずごった返していた。
ミネルバ・グラスが事前に電話していたこともあり、別室に案内されるのは早かった。
そこでミネルバ自身が推理と危険性を説明。
詳しいところは俺から補足した。
しばらくすると一定程度信憑性あり、と警察も判断したらしく、一気に動きが慌ただしくなった。
明日のウィンブルドンに何らかの見直しが入ると思われる。
そのあたりで部外者の俺たちはお役御免。
ミネルバさんとアポロ君を残して、スコットランドヤードから閉め出されることとなったのであった。
最後まで関われずムスッとするコナン君を添えて。
諸伏さんが優しく苦笑して肩をすくめた。
『仕方ないさ。何せウィンブルドン決勝は何万人もの観客が集まるビッグイベントだ。そこでテロが起きたら、とても部外者をお守りする余裕なんてないだろうしな』
「それに、現地警察の面子もある。怪しげな自称探偵を招き入れるほど羽虫も暇じゃない、ということだろう」
「わかってるよ」
全然分かってない顔でコナン君が小石を蹴っ飛ばした。
同時に、降谷さんのスマホが鳴る。
視線が集中する中、降谷さんが特に気負うことなく電話に出た。
「なんです、ベルモット。僕は忙しいんですが」
コナン君が息を呑む。
諸伏さんも目を細め、会話に耳を傾けている。
「別に、僕は探偵事務所の仕事ですよ。貴方こそロンドンで何を?………へぇ。ま、どうでも良いですけど」
鼻で笑うような実に悪辣な声色である。
なんというか、普段の降谷さんの暗黒要素を100倍ぐらいにして仕上げにニャルを添えたみたいな味付けの人格だ。
もう全人類嫌いに違いない。一周回って好きかもしれない。そんな雰囲気。
「スコッチ?ええ。居ますよ。どうやら探偵事務所に匿われていたようで。僕も最近知りましたが……やだな!報告しましたよ、ジンにね」
大嘘の気配がする。
でも全部の言葉が軽薄でどれが嘘かわからない仕上がりに恐怖を隠しきれない。
「もちろん、貴方の大切な彼には傷一つ付けていませんよ。……貴方の出方次第で、どうとでもなりますけどね」
俺はコナン君を無意識に抱え込んで心の拠り所にした。
もう悪いやつの香りしかしかない。さすがプロのマフィア。
こう、ニャルとはまた性質の違った悪さというか、人間ならではの悪性に満ち満ちている。
「では、そちらはご自由に。くれぐれも、僕の邪魔はしないようお願いしますね」
電話を切り、降谷さんは爽やかな笑顔で「ごめん、イタ電だったよ」とのたまった。
『どこを切り取ってもベルモットだったな』
「うん。ベルモットだった」
「そだね」
諸伏さん、コナン君、俺の順に責め立てられ、降谷さんは不服そうにむっつりと口をへの字に曲げた。
その嘘は流石に通らへんやろ。
「で、ホントは何の話だったの」
「別にベルモットが僕たちを見かけたみたいで、何やってるとか何とか因縁つけてきただけだよ」
『俺の話が出たみたいだけどそっちは?』
「スコッチ生存の件の未報告を咎められたけど、適当にジンのせいにしておいた。あいつ最近立場弱いし良いかなって」
こんな悪逆が許されて良いのか…?
哀れみのあまり、もしマフィアを解雇されたら再雇用してやろうと思うなど。
同情する俺をよそに、諸伏さんが話を進めていく。
『他には何かあったか?』
「ああ。どうやら目障りなMI6の羽虫を一匹、始末したそうだが。さして気にするほどのことでもないな。テムズ川は見たくもないものが浮かぶ可能性があるから近寄らないようにしよう、ぐらいか」
「ッ……」
「面倒な仕事も終わりだ。これでようやくゆっくり観光できる」
戦慄するコナン君に、優しく降谷さんが微笑みかける。
そこに何一つ悪意はなく、友人たちに対する親愛のみが籠っている。
「僕たちはまだ日本に残してた仕事の処理があるからホテルに詰めるけど、君たちはロンドン観光を楽しんでくると良い」
「………組織は、どうするの」
「日本ならともかく、こんな羽虫溜まりで暴れるなら別に咎めないよ。奴らの動きに観光客が巻き込まれることはそうそうないし」
「今回の事件も、どうも羽虫をねらったものだったみたいだし」とつまらなさそうに降谷さんがボヤく。
コナン君が無意識か、拳を強く握りしめている。
諸伏さんの瞳に、泥のような諦念が映り込む。
俺は手刀をどすり、と降谷さんの頭に落とした。
「げふっ!?な、何をするんだいきなり!」
「人の皮はきちんと被りましょう。見栄えが良くても倫理観が甘いとバケモン扱いされます」
「倫理観?何の話……」
自分を見る諸伏さんとコナン君の視線が尋常ではないことに今更気づいたらしい。
降谷さんは少し黙って、バツが悪そうに「……どこが変だった」と声を絞り出した。
「人間は共感力が高いから、どこの国籍の人でも死ぬと悲しいし、割と助けようとするのよ」
「日本国民、以外は、羽虫だ……」
「ニャルはその辺、人間は全部羽虫と捉えるからなぁ。まあそこは羽虫愛を磨いてもろて」
「………」
地面を見つめ、降谷さんは幾度か息をしたあと、「すまなかった」と小さな声でつぶやいた。
何に対しての謝罪なのかは分からない。
いつの間にか人命を軽んじていた己を恥じてか。
諸伏さんたちに心配をかけたことが。
亡くなった命に対してか。
少なくとも、まだ彼には人間的感性が残っていることを感じさせる、後悔に濡れた声色だった。
諸伏さんが降谷さんの肩を軽く叩いて笑いかける。
『ゼロ、俺たちもせっかくだし、気分転換に少し観光しよう』
「だが仕事が」
『良いって良いって。風見さんも頑張ってくれてるんだし、大丈夫だよ。な?』
「………ああ」
たぶん風見さんは何も大丈夫じゃないし皺寄せの全てを被ることになるのだと思われるが。
この瞬間は優しくて暖かな友情が溢れている気がして。
俺とコナン君は少しだけ笑い合ったのだった。
・世良真澄
ロンドンで地味にすれ違って「え???」ってなってる人。
子供の頃見た工藤君に激似では?
さらに子供になって帰ってくる母親にさらに混乱する羽目に。
・工藤優作
このあとスコットランドヤードの後ろで活躍する人。
妻が「新ちゃんに会えそうで会えない!」と怒ってるのを宥めている。
・ジン
ちょっと立場が弱い。
長期間抜けた上に組織の銃火器湯水のように使うからRUMに怒られた。
そろそろ第二章が始まる予感。