獪岳の刃 〜鬼を斬るか腹を切るか〜   作:ボブ・ニンジャ

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上 暗黒島編
第1話


 

 

「野島のやつは許婚を殺されたそうだ」

 

車内で、滝沢は淡々と言う。

今日も隊服の上から青い羽織を着て、顔には狐の面という出立ちだ。

表情は面に隠されて読み取れない。

 

「もっと哀れなのは大久保だ。呑み屋から帰ったら家族全員が食い散らかされてた」

「……何が言いてえ」

「大久保のやつが酒を受け付けないのはそういうわけなのさ」

「そんなこと聞いてんじゃねえ」

 

獪岳は助手席からルームミラー越しに睨む。

窓の外を、まばらにガス灯が立ち並ぶ夜の街の景色が流れていく。

 

「それを俺に話してどうしようってんだ?同情しろって?」

「いやあ、獪岳。お前はどうなのかなと思ってさ」

 

滝沢は飄々と、後部座席でくつろいでいた。

獪岳と滝沢、そしてハンドルを握っている(かくし)の豊田……

この3人は次の任務のために移動中だった。

鬼を殺す任務だ。

 

「野島や大久保に限った話じゃない。隊士の連中は、親しい人の仇を討とうとして戦ってる連中が大概だ。……だが、お前はなんか違うような気がしてな?」

「違わねえよ」

 

苛立ちのままに言い返す。

 

「俺も鬼に知り合いを殺された。だから鬼をブッ殺すんだ」

「"知り合い"ねえ……。含みのある言葉選びだ」

「……」

 

獪岳は、10年前に一緒に暮らしていた子供たちの顔を想起した。

客観的に見れば、家族ということになるのか。

 

(((バカな!家族なもんか、あんな連中は!)))

 

獪岳の拳が白くなる。

思い出すのは、あの子供たちと最後に別れた時の記憶。

揃って彼を非難し、寺から追い出した。

……そして、その後の遭遇。

 

(((そうだ!もとはと言えば、俺が鬼に出くわしたのはあいつらに追い出されたせいじゃねえか)))

 

自分は彼らの死に対して何か報いるべき責任や義理などない。

それなのに、仇を討つために戦ってやっている。

感謝すべきである……

……その思考のすべては、自分への言い訳だった。

 

鬼に命乞いをして、あの子供たちを人身御供として差し出した記憶。

獪岳を鬼殺の道へ向かわせたのは罪悪感だった。

……しかし、自覚してはいなかった。

彼自身の肥大化した自尊心がそれを許さなかったのだ。

 

「大体、俺の事情なんてお前には関係ねえだろう。ズケズケと聞いてきやがって」

「それもそうだ。悪かったな」

「てめえはどうなんだ。鬼に何をされた?言えよ」

「俺か?じゃあ御開帳といくか。驚くなよ」

 

滝沢は自分の狐面に手を伸ばした。

……その手の動きが、止まる。

 

「……この臭いは」

 

滝沢は狐面の裏で何度か鼻を鳴らす。

獪岳は呆れた。

 

「車に乗ってても鬼を嗅ぎつけられんのか?相変わらず猟犬みてえな鼻だ」

「普通は無理だ。しかしこいつ……この鬼は何か……」

 

滝沢はサイドウィンドウを開け、外の臭いを嗅ぐ。

――とたんに血相を変えて、叫んだ。

 

「豊田ァ!加速しろ、全速力だ!」

「ええっ!?ここ公道ですよ」

 

隠の豊田が運転席から振り返り、渋る。

滝沢はまくしたてる!

 

「バカ野郎、ヤバい鬼が来るぞ!全速力で――」

 

――どおん!

それを遮るようにして、衝撃が襲う。

3人が乗る車はひしゃげて宙を舞った。

 

 

 

 ◆

 

 

(((……!)))

 

獪岳は横転した車の中で覚醒した。

どうやら、車が吹き飛んだ拍子に頭を打って気絶していたらしい。

 

(((何だ、さっきの衝撃は……。滝沢のやつ、鬼とか何とかって)))

 

車内を見回すと、豊田はフロントガラスを突き破って半ば車外に飛び出した無残な姿になり果てていた。

血まみれでぴくりとも動かない。

生きてはいまい。

 

滝沢は車内にはいなかった。

すでに外に出たのか?

獪岳は歪んだ扉を押し開けて車外へ出る。

振り返って、驚いた。

……車体に、巨大な氷の刃が突き刺さっているのだ。

 

(((氷?バカな、もう春だぞ。これが飛んできて車をぶっ飛ばしたってのか?)))

「やあ、鬼狩りくん。いい夜だな」

 

背後から、声。

獪岳はびくりと肩を震わせた。

振り返る。

 

「俺は童磨。こんなところで会うとは奇遇、奇遇」

 

青年の姿をした鬼が、そこに立っていた。

異様なのは、その瞳だ。

刺青のように文字が刻まれている。

右目に「弐」、左目に「上弦」。

 

……獪岳はその意味を理解して、ゾッとした。

この鬼は、鬼の精鋭集団"十二鬼月"の1人だ。

それも上弦の弐ともなれば、最上級の強豪。

 

「しかし会ったからには、生かしておけないぜ」

 

童磨がけだるげに、鉄扇を向けてくる。

あの鉄扇は一体何人の"柱"の血を吸ったのか。

 

(((勝てるわけがねえ相手だ。殺される)))

 

獪岳は絶望した。

足元から奈落に吸い込まれていくような感覚。

……がくりと、膝をつく。

 

「どうか、命だけは……」

 

うずくまり、頭を路面に擦り付ける。

土下座だ。

獪岳はまたしても……5年ぶりに再び……鬼に屈したのだった。

 

「何でも仰せに従います。どうか、命だけは助けてください……!」

「ええ?……キミ、鬼狩りだよな?そういうこと言うんだな。驚いたよ」

 

童磨はさほど驚いていなさそうな声色で言った。

 

「じゃあキミ、鬼になってみるか?鬼になるなら許してやるよ」

「……!」

 

獪岳は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じた。

 

(((鬼になる?俺が?)))

 

古寺の中、血まみれのお堂の光景がフラッシュバックする。

この10年間、あの過ちをどうにか……どうにかするために、歩いてきたのだ。

自分が鬼になるなど論外だ。

……その理性を、死への恐怖が押しつぶす。

獪岳は煩悶で顔をぐしゃぐしゃにしながら、絞り出すように答える。

 

「鬼になります。俺を鬼にしてください」

「よし、いい子だ。お前も上弦になれるかもな」

 

童磨が獪岳に一歩近づく。

地面に這いつくばる獪岳に視線を集中した、その瞬間。

 

「──水の呼吸、捌ノ型」

 

童磨の頭上で、青い鳥が翼を広げた。

……否、それは鳥ではなく、青い羽織を着た剣士だ。

近くの建物の屋上から飛びかかった滝沢である。

 

「何……!」

 

童磨が振り返る。

それに先んじて、滝沢が一撃を振り下ろす。

 

「滝壺ォ!」

 

どおん!

爆発じみた衝撃が路面を砕き、粉塵を巻き上げた。

 

「ヒィィーッ!」

 

獪岳は無様に吹き飛ばされ、路面をごろごろと転がった。

 

(((痛い。痛い。怖い。死にたくない)))

 

恐怖で足腰が立たない。

日輪刀を杖にして、かろうじて立ち上がる。

 

(((何が起きた?童磨は死んだのか?)))

 

その希望はたちまち打ち砕かれる。

粉塵の中から童磨が飛び出し、着地したのだ。

 

「ハハッ、やるなお前……!柱か!名前は?」

 

童磨は負傷していた。

ちょうどアジの開きのように、顔面から腹まで、上から下へ一直線に切り裂かれていたのだ。

しかしその傷は一瞬にして治癒した。

上弦の鬼の回復力だ。

 

「俺は滝沢鯉竜(たきざわりりゅう)。柱はこれからなるんだ。……お前を殺した手柄でな」

 

粉塵の中から、狐面の剣士が姿を現した。

滝沢だ。

水の呼吸を深め、日輪刀を構えなおす……

その刃は深く鮮やかな青色である。

 

「──獪岳!いい陽動だったぞ」

 

滝沢は童磨から目を離さぬまま、呼びかけてくる。

 

「お前は俺の狙いを見抜いて、敵の気を引く陽動の役を買って出た……そういうことだろう」

「えっ……」

「引き続き、援護を頼む」

「……」

 

獪岳は立ちすくんだ。

滝沢が何を言っているのか理解できない。

 

(((こいつ、上弦と戦うつもりなのか?……俺が、その援護をする?)))

「嘘だね。本当はわかってるんだろ、リリュウ殿」

 

童磨が乾いた笑みを浮かべ、両手に鉄扇を広げる。

次の瞬間、童磨と滝沢の姿が消えた。

ガン!ガン!ガン!

虚空で、火花が3度飛び散る。

気がつくと、2人は鍔迫り合いの最中だった。

 

獪岳は戦慄した。

今、奴らは打ち合いをしていたのか?

……見えなかった。

目で追うことすらできなかった。

 

「そこのカイガクとかいうヤツは、何も考えてない。ただの腰抜けさ」

「そうやって人間を侮るのが、お前の死因ってことになる」

 

滝沢は強気に言い返す。

……その足元に、ボタボタと血が滴る。

青い羽織にいくつか血の染みが広がり始める。

今の一瞬の交錯で傷を負ったものか。

一方、童磨は無傷だ。

 

(((滝沢でも、まともにやり合ったら上弦には勝てねえのか)))

 

それを理解した瞬間、獪岳の中で何かが切れた。

 

「ウワァァーーッ!!」

 

悲鳴を上げ、走る。

戦場から逃げ出す。

さっきまで萎えていた足腰は、狂った機械のように動き続けていた。

 

「待て獪岳、戻れ!」

「ハハハ、だから言ったんだ。さて、そろそろ術を解禁するぜ……」

 

滝沢と童磨の声が背後に遠ざかっていく。

 

(((俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない!)))

 

獪岳は走り続ける。

背後、遠くから微かに滝沢の絶叫が聞こえた気がした。

金も戦意も失って夜の街を逃げ続ける獪岳。

ガス灯の上に留まったカラスがそのさまを見下ろしていた。

 

 

 ◆

 

 

「本来であれば、柱合会議に諮るべき事案ですが」

 

蟲柱・胡蝶しのぶは訥々と言う。

 

「他の方の都合がどうしてもつかなかったので、私たち2人での対応となります」

「……はあ……」

 

獪岳は座敷に正座したまま、曖昧な返事をした。

気が気ではない。

問題は、しのぶの横に座っている、もう1人の柱だ。

……岩柱、悲鳴嶼行冥。

 

「安心しろ、隊士・獪岳。たしかに私とお前は知らぬ仲ではない」

 

悲鳴嶼は盲いた目で獪岳を見た。

 

「しかしここにいる私は岩柱だ。柱として、今回の件について、個人的感情や先入観を排して判断するつもりだ」

(((嘘だ)))

 

獪岳は確信する。

冷や汗が顔を伝い、膝をぼたぼたと濡らす。

 

……悲鳴嶼は、10年前の、あの寺の住人の1人。

年長者として子供たちを育てていた男だ。

……まさかあの夜を生き延びて、鬼殺隊に入っていたなんて。

……まさか、柱になっていたなんて!

 

獪岳が最終選別を切り抜けて鬼殺隊に入ってからもう1年は経つ。

彼が隊に在籍していることは、とっくの昔に悲鳴嶼の耳に入っていたはずだ。

それなのに、今まで何の干渉もなかった。

 

(((今この時のためだ。俺が隙を見せた時に、一気に追及して処刑に追い込む……この好機のために、奴は俺への憎悪を研ぎ澄ませていやがったんだ!)))

 

被害妄想が頭の中をぐるぐると回転する。

死んだはずの悲鳴嶼が再び現れ、自分を裁く立場となった……

その事実は獪岳を激しく動揺させていた。

 

「では、上弦の弍について教えてもらえますか。あのクソ野郎についての情報を……」

「胡蝶。もう少し順序立ててやる方がよい」

「あっ、失礼しました」

 

しのぶは悲鳴嶼の指摘を受けて謝罪。

湯呑みの茶を一杯飲んでから、仕切り直す。

 

「おおよその経緯は鎹鴉(かすがいがらす)を通じて把握しているつもりですが、誤解があるといけません。……あの夜何があったのか、一つずつ話していただけますか?」

「俺は悪くないんです」

 

獪岳の口をついて出たのは自己弁護だった。

 

「悪いのは滝沢です!元はといえば奴の失態だ!」

「獪岳さん?落ち着いてください」

 

しのぶが宥めるように言う。

 

「責任の所在については後で考えますので、まず何があったのか話していただけますか?」

「上弦の鬼に遭遇し、仲間が死んだ……。動揺するのも無理はないが」

 

悲鳴嶼がフォローするようなことを言う。

それがまた、獪岳の神経を逆撫でした。

……しばらくの後。

 

「つまり、上弦に敗れたのは滝沢さんの探知が遅れたせいだと?」

 

しのぶが能面のような微笑を浮かべて尋ねる。

獪岳は頷き、

 

「そうです。あいつが上弦の接近にもっと早く気づいていれば、迎え撃つ体勢を整えられた。俺が負けたのは不意打ちを喰らったからなんです」

「つまり、まともに戦えば奴に勝てたと?」

「……」

 

獪岳は言葉に詰まった。

滝沢と童磨の凄まじい高速戦闘の光景が思い出される。

しかし、ここまで来て後には引けない。

 

「そうです」

 

そう答えた次の瞬間、獪岳の顔面にぬるい液体が降りかかった。

 

(((なんだっ……!?)))

 

一瞬の狼狽の後、何が起きたのか気づく。

……しのぶが、空の湯呑みを持っている。

茶を浴びせられたのだ。

その動作の速さ……また、全く見えなかった。

 

「避けられませんでしたね?言っておきますが、私は柱の中では弱い方ですよ」

「……」

「上弦の弍は、私より強い柱も大勢殺しています。かつての花柱、胡蝶カナエも。それをあなた程度の実力で……」

「胡蝶。取り乱すのも大概にしろ」

 

悲鳴嶼が低い声で言った。

しのぶは少し黙った後、

 

「すみません、未熟でした。外の空気を吸ってきます」

 

そう言って、席を外した。

残されたのは、茶でずぶぬれの獪岳と、悲鳴嶼。

沈黙が場を支配する。

壁際の振り子時計の音だけが、ガチャン、ガチャンと反復している。

 

「……獪岳、お前は不運だ」

 

悲鳴嶼が口を開く。

 

「胡蝶は冷静ではないし、私の存在はお前を動揺させる。私たちがお前を正しく裁こうとすることは道理に適わない」

「……」

「しかし、我ら鬼殺隊において道理は通らん。道理では鬼を殺せないからだ。……下がってよい。処分は追って伝える」

「……ハイ」

 

獪岳は蚊の鳴くような声で答え、退室した。

幽鬼のようにふらふらと廊下を歩く。

すれ違う隊士が、ずぶ濡れの獪岳に怪訝そうな目を向けていく。

 

 

 ◆

 

 

(((岩柱、悲鳴嶼行冥どの)))

 

ランプの灯りの中、老人は手紙を書く。

この老人の名は、桑島慈悟郎……

かつて鬼殺隊で柱を務めた男である。

 

(((獪岳の所業を聞き及びました。奴の師として、ただただ恥じ入る次第です)))

 

ジジッと音を立てて、ランプが明滅。

光が一瞬だけ強まり、壁にかけられた写真を照らした。

慈悟郎と獪岳、そして金髪の少年の3人を写したものだ。

 

(((しかし奴の剣技にはめざましいものがあります。今回は及びませんでしたが、将来的には必ずや上弦の鬼とも……)))

 

……やがて、筆を置く。

目を上げると、先ほどとは別の写真が彼の視界に入った。

古い写真だ。

若い頃の慈悟郎と、天狗の面を被った男が2人で写っている。

 

(((……たしか、今回の件で死んだ隊士はあいつの弟子だったか。しょぼくれているだろうな、鱗滝のやつも)))

 

慈悟郎は眉間に皺を寄せる……

 

 

 ◆

 

 

……数日後、「処分」が伝えられた。

 

隊士、獪岳。

移動中に上弦の弍に遭遇し、戦闘中の隊士・滝沢を放置して敵前逃亡したものである。

なお、敗北は滝沢の責であるとする反論は、これを認めない。

 

隊規によれば、原則として死罪。

ただし、次の任務において功績を挙げた場合は、猶予および再検討の余地を認める。

功績なき場合、ただちに死罪を確定する。

 

「カァー!カァー!暗黒島、暗黒島に向かえー!」

 

背後で鎹烏がわめく。

 

「狭い島で鬼が島民を食っている!討滅せよ!カァー!カァー!」

 

(((これじゃまるで死刑囚じゃねえか。この俺が)))

 

獪岳は命令書を握り潰した。

その手が、わなわなと震える。

 

(((誰も、俺を正しく評価しねえのか……!)))

 

獪岳の性根はますます捻じ曲がっていく。

 

 

【続く】

 

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