……試合前日。
「よいか、百式よ」
ガス灯の光が、小鉄博士の火男面をおぼろげに照らし出す。
「明日の試合、キサマに負ける要素はない。勝って当然じゃ。問題はいかに圧倒的に、鮮やかに勝つかということよ』
『しかし博士。奴らはこの1週間、相当に訓練を積んでいるようです』
百式は今日も人形らしい真顔だが、その声色には懸念が滲んでいる。
『獪岳が雑魚であることを差し引いても、我妻善逸が加わっていることも併せれば、思いがけず難敵になるやも……』
「ありえん!人間は短期間に劇的に強くなることなどない。部品を差し替えれば強くなる傀儡とは違うのじゃ」
老博士は面の奥で目をぎらりと輝かせ、凄んだ。
「よいか百式、試合には二刀流で行け。そして戦いが始まったら早々に岩の呼吸を使うのじゃ」
『岩の呼吸……両手の鎖も使って、ですか』
「然りよ。他の技を出すまでもない。圧倒的に広い間合い、変幻自在の軌道……奴らは岩の呼吸には、決して対応できぬ!」
◆
……試合当日。
(((そうだ。奴らは対応できない)))
縁壱百式は、走り、あるいは跳びながら、両手の鎖を振るう。
先端には彼自身の手首があり、そこに握る木刀が切先となる。
壱ノ型、蛇紋岩・双極。
肆ノ型、流紋岩・速征。
伍ノ型、瓦輪刑部。
繰り出す攻撃は暴風雨のごとく、頭上から叩きつけ、あるいは横殴りで獪岳と善逸を襲う。
(((対応できない、はずなのだ!)))
百式は焦りを覚えた。
……攻撃が当たらない。
「「アン・ドゥ・トロワ!」」
獪岳が加速し、善逸が減速する。
「「アン・ドゥ・トロワ!」」
獪岳が減速し、善逸が減速する。
縄で仕切られた戦闘空間を縦横無尽に駆け回る2人の動きは不規則、幻惑的だ。
百式の攻撃は狙いを狂わされ、周囲の岩や砂利を虚しく打つ。
爆ぜる粉塵の向こうから、獪岳と善逸が迫る。
徐々に……衛星が周回しながら徐々に惑星へ引き寄せられていくように……間合いを詰めてきている。
「きゃーっ!2人ともその調子よ、頑張ってー!」
「修行の成果を見せるんだーっ!」
「何をもたついておる!さっさと潰せ!」
観客席では甘露寺、炭治郎、小鉄博士が騒いでおり耳障りだ。
対して柱2人は静観しており、これはこれで何を考えているのか気がかりである。
(((まずは頭数を減らす)))
苛立った百式は、善逸への対応を一瞬捨て、獪岳への集中攻撃を試みた。
両手の鎖が、二匹の龍のごとく、灰色の曇り空へ高く立ちのぼり……
次の瞬間、連続で獪岳の頭上へ降下した。
──弐ノ型、天面砕き。
「避けちゃダメよ、獪ちゃん。1発目を避けたら」
「2発目がunavoidable、避けられないです」
観客席でフランソワとアンジェリカが囁き交わす声が、善逸にだけは聞こえた。
獪岳には聞こえていないだろう。
……しかし彼は、間違えなかった。
「雷の呼吸、伍ノ型──」
獪岳はその場で足を踏ん張り、刀を最下段に構えた。
「──熱界雷!」
繰り出したのは、渾身の切り上げだ。
降り注いだ1発目の木刀に激突し、打ち返す。
打ち返された1発目の木刀は、吹き飛んで──
2発目の木刀に激突し、その軌道を逸らしてしまった。
『何……』
百式はたじろいだ。
必殺の連続攻撃を、一手で返された衝撃。
──そんなことを考えている猶予はないはずだ。
百式はとっさに、伸び切った鎖を引き戻し始めた。
「雷の呼吸、壱ノ型──」
側面から、善逸が肉薄してきている。
このコンマ数秒でこの距離まで迫ってくるとは、なんたる脚力か。
──しかし、こちらの迎撃が一手速い。
『参ノ型、岩軀の膚』
「霹靂、ぐあっ!?」
上半身を高速回転させて振り回した鎖木刀が、善逸の横面に命中した。
善逸は吹き飛び、倒れ──
否、倒れない。
空中で体を捻り、軽やかに着地した。
頭上の紙風船は無事だ。
……ぱさり。
百式の着物の左袖が千切れて、足元へ落ちた。
左肩の部分が裂けている。
さっきの一瞬の交錯で切り裂かれたのだ。
「次は袖だけじゃ済まさないぞ。脳天だ」
善逸が口元の血を拭い、再び居合を構える。
「おい善逸ゥ、元は俺の喧嘩だぜ?トドメは譲れや」
獪岳がへらへら笑いながら近づいてきた。
三者は河原の戦闘フィールドの中で、三角形となって対峙する。
『粋がるな。着物を裂かれた程度では赤子でも死なない』
百式は自分の上衣を破り捨て、鈍色に輝く金属の体を顕にした。
プシューッ!
胸板の排気口から熱蒸気を吐き出す。
「百式!もう一度じゃ!」
小鉄博士がわめく。
「もう一度岩の呼吸を使え!今度こそ、そやつらを圧倒的かつ鮮やかに……」
『博士。貴方の功績と名誉のために……』
しゃきん。
百式の瞳が「岩」から「雷」に変わった。
『ここは、私の好きにさせていただきます』
「雷の呼吸、弍ノ型──稲魂!」
獪岳が踏み込みざま、木刀を連続で繰り出した。
百式は「雷」の目でそれを見返し、鏡写しのように、同じ構えで応じた。
『弍ノ型、稲魂』
ガガガッ!
連なった衝突音が河原の大気を震わせた。
互いの一撃一撃がかち合い、相殺──
しかし、互角ではなかった。
「ぐおっ……!」
獪岳が押しやられ、よろめく。
──瞬間的なパワーとスピードそのものは、依然、百式が上なのだ。
百式は追い討ちはせず、後ろを振り返った。
「壱ノ型……!」
善逸が急接近してきている。
相も変わらず、居合の構え。
『壱ノ型』
百式は両腕を交差して、左右の木刀を腰だめに構えた。
さらに背中から圧縮空気を噴射して、踏み込む。
「霹靂一閃!」
『霹靂一閃』
ガンッ!
衝突音と同時に、二者は消えた。
そして、各々まったく別の場所に出現した。
超高速の居合の交錯だ。
「ぐはっ!」
善逸が膝をついた。
砂利がちな地面に、鼻血がボタボタと滴る。
今の一撃で鼻を折られた。
カランと音を立てて、小さな金属が地面に転がった。
吹き飛んだ百式の右耳だ。
善逸の霹靂一閃によるダメージであり……
……逆に言えば、その程度しかダメージは入っていない。
『生身でありながら、霹靂一閃の速度は私と互角か。流石だな我妻善逸』
百式が振り返り、平然と善逸を見返す。
傀儡人形は耳が千切れようと痛まないし、血も出ない。
◆
(((まずい流れだぞ……)))
観客席にて、炭治郎はハラハラしながら試合を見守っていた。
……縁壱百式の"岩の呼吸"は、大振りで隙が大きかったため、フランソワ直伝のリズム戦法で攻略できた。
しかし"雷の呼吸"は、そうはいかないようである。
「ぐうっ!」
『ム』
獪岳の攻撃と百式の攻撃がクロスカウンターとなった。
獪岳は肩を強かに打たれて痛みに苦しむが、百式はあまり堪えていない。
「ううん、攻めはいい勝負だけど、打たれ強さで差が出ちゃってるかな……」
隣で、甘露寺が難しい顔をしながら言う。
「このまま打ち合いを続けたら、きっと善逸くんと獪岳さんが先にへばっちゃうよね」
「順当にいけば勝ち目ないわねン。例の"逆転の一手"も有効に使うのはムリだわ」
フランソワが、百式や小鉄博士たちに聴かれないよう小声で言った。
「でも焦っちゃダメよ獪ちゃん、善ちゃん……体の強さで負けている時、勝機があるとしたらハートの強さなのよ……!」
◆
その後も、獪岳と善逸は果敢に攻撃を仕掛けた。
しかし縁壱百式の雷の呼吸は攻防万全だった。
打ち合うたび、獪岳たちの方にダメージが蓄積していく。
客観的にみれば、勝ち目はまるでない。
……しかし、獪岳たちは強気な姿勢を崩さなかった。
「どうしたデク人形!その程度か?」
獪岳は自分の頭の上、いまだ無事な紙風船を指差す。
「散々雑魚呼ばわりした相手の頭に触ることもできねえかよ、ええっ!?」
「いい加減わかってきたぞ、お前の技が」
善逸も便乗した。
鼻血を拭い、しつこく居合の構えをとる。
「さあ次だ、打ち込んでこい!見切ってやる!」
『……』
縁壱百式は依然、真顔だった。
真顔のまま……胸の内で、わずかに躊躇した。
――獪岳たちは、もしかしたら本当に、こちらの雷の呼吸を見切ってくるのではないか。
思えば、獪岳たちにとっては初見であるはずの岩の呼吸も対処されてしまったのだ。
まして、今使っているのは、彼らにとってもごく見知ったものである雷の呼吸――
何かしら対策が用意されていてしかるべきなのではないか。
――だとすれば、このまま雷の呼吸を与え続けることは、敵に逆転の機会を献上することに等しい。
(((まだ見せていない技がある。これで奴らのペースを乱し、痛打を与えてくれる)))
しゃきん。
瞳が「雷」から「風」に変わり、構えも変化する。
『風の呼吸、壱ノ型――塵旋風』
木刀で空気を切り裂くと、螺旋状の真空波が発射された。
大蛇がのたうつように地面をえぐりながら、獪岳と善逸をめがけて飛ぶ。
――しかしこの行動は、端的に言って失敗だった。
百式は獪岳たちの誘導にまんまと乗せられ、逆転の余地を与える形となったのである。
「ありがたく思えよ善逸ゥ」
獪岳の態度は相変わらず尊大だった。
しかし彼と善逸の間には、1週間前までには無かった信頼関係がある。
「兄弟子の俺が、お前に道を開いてやるんだからな」
獪岳の構えが変わる。
呼吸音が変わる。
繰り出す剣の軌跡は、清水の流れのように澄んでいる。
「――肆ノ型、打ち潮!」
バアンッ!
破裂音が響き、塵旋風の衝撃波ははじき返された。
獪岳が繰り出したのは明らかに、雷の呼吸の技ではなかった。
――防御に優れる"水の呼吸"である。
「バカなーっ!?か、獪岳、貴様は雷の呼吸しか使えんはず!」
小鉄博士は肝を潰して叫んだ。
『……』
百式は思考回路が一瞬フリーズした。
常人である獪岳がわずか1週間で別の呼吸法を習得してくる事態――
そんなものは彼らの想定に全くなかったのである。
……とにかく攻撃しろ。
敵のペースに吞まれるな。
百式の電子頭脳に安直な思考が生じ、安直な行動に繋がる。
『弐ノ型、科戸風……!』
木刀で空気を切り裂き、三日月状の真空波を射出する。
それを2度、3度と繰り返す。
読みやすい、直線的な軌道の飛び道具の連射。
「ヒュウウウウッ」
獪岳は極限の集中とともに水の呼吸を深めた。
――失敗は許されない。
百式はあと数秒で冷静に戻り、二度とパニック状態にはならないだろう。
獪岳は刀を握りしめ、走り出した。
その剣から清流の流れがほとばしった。
「水の呼吸、拾ノ型――生生流転!」
それは、水の呼吸最大の大技。
走りながら、連続で回転斬りを繰り出し、飛来する真空波を弾き返していく。
そのたびに、回転が、衝撃が、彼の歩みを加速する。
繰り出す一撃の威力は加速度的に増していく。
「「「いけーっ獪岳ーっ!」」」
観客席でフランソワ、甘露寺、炭治郎が熱狂して叫ぶ。
「兄貴……すげえ……」
兄弟子が敵の弾幕を弾き返しながら突撃していくさまを、善逸はほとんど恍惚としながら眺めた。
この光景、この状況は獪岳と善逸による必死の策略の結実だった。
この生生流転こそが、獪岳の「逆転の一手」だ。
飛び道具を主体とする"風の呼吸"が相手ならば、それを弾き返してパワーを蓄積しながら接近し、強力な反撃を見舞うことができる。
インファイトで戦う"雷の呼吸"が相手ではそんなことはできない。
百式があのまま雷の呼吸で攻めてきたならば、2人は完全にジリ貧だったのだ。
しかし彼らは不屈の姿勢を示し、ハッタリをかますことで百式を動揺させ……
"カモ"となる風の呼吸を引き摺り出したのである。
それこそはフランソワのいうハートの強さの優越に他ならなかった。
獪岳は斬りながら加速し、加速しながら斬った。
みるみるうちに百式との間合いが縮まる。
あと四歩、三歩、二歩――
『……』
百式は冷静になった。
『なめるなよ』
しゃきん。
瞳が「風」から「水」になった。
「――!」
獪岳は目を見開いた。
思考が極限まで加速し、視界がスローモーションになる。
――百式が冷静になるのが予想より速い。
次に奴がどう行動するか、いかにそれを潜り抜けるか、判断しなければならない。
運任せか?否。
奴の思考の傾向、クセを推測することはできるはずだ。
今回の戦闘と、1週間前の戦闘での経験を総合して、判断する。
――獪岳は、跳んだ。
『陸ノ型、ねじれ渦』
「弐ノ型、水車ァ!」
ガンッ!
両者は火花を散らして交錯。
獪岳が、百式を跳び越して着地したようである。
(((見……見えなかった……!)))
炭治郎は戦慄した。
上弦との戦いを経験した自分ですら、今の一瞬、何が起きたのか見えなかったことに。
……あの瞬間、上弦の鬼と柱の打ち合いに匹敵する刹那のやりとりが発生したのだ。
『――訂正しよう。お前は雑魚人間ではない』
百式が言った。
『しかし、私には及ばない』
……ぱんっ。
間抜けな破裂音が鳴った。
それは……獪岳の頭の上の紙風船が、破裂した音だった。
炭治郎は何かの間違いではないかと思った。
しかし獪岳の紙風船はどうしようもなく破れ、萎れていたし、他に同じような音を立てるものもなかった。
「俺一人じゃ、そうかもな。……だがよ」
獪岳は冷静だった。
不敵に笑い、
「弟が勝てりゃ十分だぜ」
――バギャンッ!
金属が破砕される音が響いた。
『バカな』
百式は自分の足元に転がったものを、驚愕とともに見下ろした。
それは彼自身の左腕だった。
――肩の部分に強烈な打撃を受け、叩き折られている。
〈獪岳どの、貴方は脱落です。試合場から退出を〉
絶佳が宣告した。
「百式……お前は、すぐ攻防一体の技に頼るクセがある。今の一瞬も、どうせ頭は防御されると思った。だから腕を狙った」
獪岳は試合場から出ていきながら、百式に挑発的な視線を投げる。
「お前、片腕で俺の弟に勝てるかよ?」
『……』
縁壱百式は振り返った。
全身に戦意をみなぎらせた善逸が、のしのしと近づいてくるところだった。
「十分だ、兄貴。あんたは十分すぎるほどに俺の道を開いてくれた」
善逸は地面を踏みしめ、居合の構えを取った。
この戦闘中での疲労と負傷を経てもなお、その構えは緩まない。
むしろ、兄弟子の戦う姿に触発され、より研ぎ澄まされてすらいた。
「縁壱百式。お前は俺が倒す」
『……』
気迫に満ちた善逸の視線が突き刺さる。
百式は片腕の一刀流で構えるが、その有様はいかにも頼りなく――
〈"田子の浦に"〉
不意に、誰かが喋った。
……誰だ?
〈"打ち出てみれば 白妙の"〉
一同が、声のするほうに振り向いた。
喋っているのは、あの謎のアルビノ鎹烏だった。
『――"富士の高嶺に 雪は降りつつ"』
下の句を継いだのは百式だった。
しゃきん。
百式の瞳が「水」から「雪」に変わる。
とたんに、傀儡人形はその体から白いガスのようなものを噴出し始めた。
冷気だ。
「おい貴様、なんじゃあれは!?」
小鉄博士がアルビノ烏に食ってかかった。
「あんな機能、ワシは聞いておらんぞ!」
〈当然だ。お嬢も私も、お前には言っていないからな〉
「バカな!あいつ、ワシの百式に勝手な機能を組み込みおって……!」
〈勘違いするな。貴様は結局のところ共同開発者の一人にすぎん〉
アルビノ烏は鼻を鳴らし、
〈そもそも、貴様が作った機能だけでは負けそうになっているから助けてやるのだ。感謝してほしいくらいだ〉
炭治郎はその横で混乱していた。
(((なんだ?あのカラス、小鉄博士の知り合いだったのか?……あのカラスの飼い主が、百式さんに変な機能を付けてたってことか?)))
一方で、獪岳は冷静だった。
試合場内の善逸に声をかける。
「善逸。敵の技が少し増えたらしいが、関係ねえぞ」
「ああ。兄貴」
善逸もまた、冷静だった。
彼らはすでに互いを疑う段階を乗り越えていたのだ。
〈縁壱百式。我妻善逸を倒せ〉
『承知しました』
片腕で"雪の呼吸"の構えを取った縁壱百式が襲い来た。
【続く】
更新の間が空いて申し訳ありません。
来年1月末までに少なくともキリのいいところまで更新予定です。