第19話
……東北地方の山奥に、
常に曇っている村である。
周囲を高い山に囲まれているために、頭上に絶え間なく雲が湧き続けているのだ。
当然、強い日光が差し込んでくることなどありえない。
米も育たない。
村人たちは大正時代になっても西洋文明の恩恵に預かることなく、貧相な土着の穀物を育て、細々と暮らしていた。
──しかしその狭い社会は今、おそるべき暴走の只中にあった!
「
大勢の村人が、1人の村人を引っ立ててきた。
気弱そうな青年である。
「
「ふてえ野郎だ!」
「こいつの家系は代々変なやつばっかりなんだ!」
村人たちがよってたかって責め立てる。
「どうかお許しくださいづら、雁巣さま!」
青年……吾作は、がたがた震えながら命乞いをした。
「おっ母のリウマチの薬が、街に行かないと手に入らないんづら!父が死んじまったからオイラが行くしかないんづら!」
「──村の外には、病気が蔓延っている……!」
"雁巣"がのっそりと立ち上がった。
身長2mはある大男である。
上等な和服を着て、純金のアクセサリーで着飾っており、ヤクザの親分のような出立だ。
そして額からは、鬼のような角が生えており……
否、実際のところ雁巣は鬼そのものだった。
鬼舞辻無惨が作り出した怪物のうちの1体である。
「南蛮人が持ち込んだ病気だ。この村から出たら最後、たちまちその病気にかかって、死ぬのだ!」
雁巣は大きな目で青年をぎろりと睨みつけた。
吾作はいよいよ震え上がる。
「そうだそうだ!この村の外はもう地獄なんだ!」
「雁巣様が俺たちを守るために作った禁を破りやがって、許せねえ!」
「雁巣様、判じてくだせえ!」
「この愚か者の吾作を判じてくだせえ!」
村人たちがはやしたてる。
「では判決を下す。──死刑だ!」
雁巣は野太い手で吾作を掴み上げ、口を大きく開けた。
びっしり並んだ鋭い牙!
「ぎゃあああーっ!助けてづら、おっ父ーーっ!」
吾作が悲鳴を上げたその時……
村人たちの陰から、何者かが走り出た。
「水の呼吸、弐ノ型──」
その人物は異様な格好をしていた。
狐の面を被り、青い羽織を着て、日本刀を持っていたのだ。
青い日輪刀を。
「"水車"!」
「ぐわあっ!?」
飛びかかりざまの斬撃が、雁巣の両腕を肘のところで切断した。
血飛沫が舞う。
「ひえっ!?な、何づら!?」
「立て!逃げるぞ!」
狐面の男はそう言って、青年の手を引いて走り出した。
雁巣と村人たちが集まる広場から逃げ出す。
「待て貴様ァ!鬼狩りだな!」
雁巣が怒りに満ちた叫びを上げる。
「この村から生きて出られると思うなよ!必ず殺してやる!必ずだ!」
その叫びを背に、吾作と狐面の男は走り続けた。
◆
「雁巣様がこの村にやってきたのは、2年前のことづら」
吾作は語る。
「意地悪な地主を殺して、"オオハンゲツ"を殺して、村を牛耳る親分になったづら」
「待った。オオハンゲツってのは?」
狐面の男が口を挟む。
2人は村外れの空き家に隠れ潜んでいるところだった。
「でっかい熊だづら。胸のところに半月みたいな模様があるんだづら」
「ああ、ツキノワグマだな」
「オオハンゲツは化け物だったづら……村人が何人も食われたづら。でも雁巣様の方がもっと恐ろしいづら」
話しながら、吾作はまた震え始めた。
「厳しい掟をたくさん作って、破ったやつはみんな食われたづら。村にはもう雁巣様の忠実なしもべしか残ってないづら」
「あんたはどうなんだ?」
「オラは……別に忠実ってわけでもないけど、怖いから頑張って掟を守ってたづら」
「ごめんね吾作……」
吾作の背後で、老婆が体を起こした。
吾作の母だ。
吾作と狐面の男は、雁巣のところから逃げ出した後、彼女をピックアップしてここまで移動してきたのである。
そのままにしておけば雁巣や村人が危害を加えるのは目に見えていたからだ。
「私の薬のために掟を破って、雁巣様に睨まれちまうなんて……」
「おっ母は悪くねえづら!悪いのは……悪いのは雁巣様だづら……」
吾作はうつむき、涙を流し始めた。
「オ、オラたち、何も悪いことしてないのに、何でこんな目に遭うんだづら……」
「鬼ってのはそういうもんだ。突然現れて理不尽に人の命を奪う」
狐面の男が言う。
「鬼……?雁巣様は鬼なんづらか?そういえばさっき、鬼狩りとか何とかって……」
「そうだ。俺は鬼狩り……正確にいえば、"鬼殺隊"の隊士だ」
そして、男は名乗った。
「俺はこの村に棲みついた鬼を殺しにきた。つまりさっきのアイツ、あんたの言う"雁巣様"だな」
「殺す!?あの強い雁巣様を!?」
「俺はさっき奴の両腕をぶった斬った。頸も斬れるさ」
そこまで話した時、騒音が彼らの会話を遮った。
犬の鳴き声だ。
やがて、大勢の人の話し声と足音も近づいてくる。
「チッ、もう嗅ぎつけられたか」
滝沢は懐を探り、何やら手のひら大の機械を取り出して吾作に渡した。
銀色のリボルバー拳銃だ。
「これを貸してやる」
「こ、これピストルか!?お巡り以外が持ってるの初めて見たづら……いくらするづらか、これ?」
吾作は目を白黒させた。
この大正時代において拳銃は高級な精密機械であり、持っているのはよほどの金持ちか公務員くらいのものだ。
「呑気なこと言ってる場合かよ。いいか?ここをいじると安全装置が外れて、ここを引くと弾が出る」
滝沢は吾作に拳銃の使い方を教える。
吾作の母親は心配そうな顔をしながらそれを見守っていた。
「あんたはこれを使って、ここで自分の母親を守っていろ」
「あ、あんたはどうするんだづら」
「鬼を殺してくる。ま、そのためにわざわざこの山奥まで来たからな」
滝沢は拳銃を吾作に預けると、自らは刀を持って早足で空き家から出ていく。
恐れるような素振りも見せずに、羽織を翻して颯爽と去る。
その背中を吾作はあっけに取られて見送った。
◆
垂雲村は今日も曇っている。
灰色の分厚い雲が、東西南北の山際に至るまで、みっしりと空を埋め尽くしている。
その空の下で、滝沢は1人、雁巣と大勢の村人を相手にして立ちはだかった。
ここを通してしまえば、吾作とその母親が隠れている空き家まではすぐだ。
退くわけにはいかない。
「間抜けなやつよ。吾作たちを見捨てて逃げればもう少し生きながらえていたものを、自分からノコノコ出てくるとは」
雁巣が邪悪な笑みを漏らす。
さっき滝沢に斬り落とされた両腕は、すでに元通り繋がっている。
鬼特有の肉体再生能力だ。
「テメエこそ、よく俺の前にノコノコ出てきたもんだ。腕だけじゃなく頸も落としてほしいと見えるな」
滝沢はそう言って、村人たちを見渡す。
誰も彼も手ぶらで、武器を持っているようには見えない。
「なんでこの連中を連れてきた?丸腰の一般人どもに袋叩きさせれば俺を殺せると思ってるのか?舐められたもんだな」
「ククク、果たして丸腰かどうか」
「何だと?」
滝沢は訝しんだ。
次の瞬間、
「殺れーッ!」
「「「ウオオーッ!」」」
雁巣が命令するや否や、村人たちは一斉に懐から拳銃を抜いてぶっ放した。
高級品であるはずの拳銃を!
「おいおい、嘘だろ……!?」
滝沢は慌てて飛び退いた。
紙一重で避けた銃弾が彼の狐面を掠め、あるいは青い羽織を貫通して飛んでいく。
「なんでこんな田舎の百姓どもが揃ってピストル持ってんだよ!?」
「ハァーッハッハッハ!冥土の土産に教えてやろう!」
雁巣が手を掲げると、その手が不気味に赤く光った。
そして……なんたることか……
その光の中から大量の拳銃がゴロゴロと溢れ出し、地面に散乱したではないか。
「俺様の血鬼術"
「「「死ねーーッ!」」」
ダンダンダン!ズダンズダンズダン!
村人たちは戦列歩兵のような陣形を組み、滝沢を狙って執拗に銃撃を繰り返した。
弾切れすると、雁巣から新たな拳銃を受け取り、また撃つ!
「チッ、冗談じゃないぜ……!」
滝沢は必死に回避を繰り返しながら毒づいた。
あの"自在銃廠"には、一見して明らかな弱点がある。
どれほどたくさん銃を作り出しても、自分1人で同時に使える銃の数には限りがあるということだ。
──しかし雁巣は、この村を支配して忠実な兵士を確保することによって、その弱点を潰している。
おそろしく用意周到な鬼だ。
「俺様が作り出せるのは、何も……拳銃だけというわけではないぞ」
雁巣は十分な数の拳銃ストックを生成した後、ひときわ力を込めて血鬼術を発動する。
毒々しい血の色の光とともに、一抱えはあるサイズの機械がこの世界に滲み出る。
滝沢はその機械の正体をすでに知っていた。
というより、この大正時代の日本人ならば、それを知らないものはいないだろう。
ほんの10年ほど前の日露戦争において日本軍の兵士を散々殺しまくった、忌まわしき悪魔の兵器──
「"マキシム機関銃"……!」
「いかにも!ここが貴様の203高地となる」
雁巣はマキシム機関銃を腰だめに構えた。
本来は陣地に固定して使うべき品だ。
しかし鬼の腕力ならば、手で持って使うことができる。
「脳味噌ぶちまけて死ね!」
ドガガガガガガ!
雁巣が引き金を引いた瞬間、猛烈な殺意の投射が始まった。
1発で人間の手足を吹き飛ばす威力の7.7ミリ弾が、ホースで水を撒き散らすような調子でぞんざいに連射される!
「玖ノ型、"水流飛沫"……!」
滝沢は水の呼吸の高速移動技を発動した。
水上の水鳥を思わせる軽やかな動きで跳ね回り、マキシムを回避する。
しかし、村人たちの拳銃攻撃も依然として続いている。
飛んでくる弾丸の量があまりにも多すぎる。
「ぐうっ!」
避けきれなかった拳銃弾が滝沢の肩を貫通した。
衝撃と焼けるような痛みに耐え、かろうじて姿勢を立て直す。
追撃を回避する。
それでもなお、弾丸の嵐は途切れることなく、果てしなく襲い来る!
「ハァーハッハッハ!よく逃げ回るじゃねえか!どこまで保つか見ものだな!」
雁巣がマキシムを連射しながら嗤う。
「痛みや疲れで足がもつれた瞬間がテメエの命日だぞ!精々──」
「雁巣ォーッ!」
周囲で荒れ狂う銃声に紛れて、老婆の声が響いた。
雁巣が反射的に見やると──
横合いから、老婆が銀色のリボルバー拳銃で狙ってきていた。
吾作の母親だ!
「せがれには手を出させねえ!死ねーッ!」
ズダン!
老婆は拳銃を発射した。
その弾丸は──幸運によるものか、老婆の渾身によるものか──雁巣の頭を正確に照準していた。
【続く】
◆大正わくわく鬼図鑑①:儚主
名前の読みは「はかなぬし」。
太平洋に浮かぶ孤島「暗黒島」に棲み、島民たちを脅かしていた。
人間だった頃は小さな賭場の胴元だったが、偶然無惨に目をつけられて鬼となる。
それ以来悪びれもせずに人間を食い続け、若返った体をエンジョイしていた
人間の死体をゾンビに変えて使役する血鬼術「冬屍夏草」やモーゼル拳銃で戦う。
柱にはワンパンされてしまう程度の鬼。