……10年前。
「獪岳、お前はオレのガキの頃によく似てらあ」
シワだらけの顔、禿げ上がった頭……歳のころは70ほどか。
今日も柿色の羽織を着ている。
彼はこの薄汚い賭場を仕切る胴元だった。
出入りする者たちは皆、この老人を蝉爺と呼んだ。
しかし何故そう呼ばれるのか、本名はなんというのか、誰も知らなかった。
「その歳でバクチにどっぷりなところもな。お前はとびきりイカれたバクチ打ちになるぜ」
「ふざけんなよ、こんなもんはすぐ辞めてやる。商売を起こす種銭を作ったらな」
幼い獪岳はそう言って、花札を1枚引いた。
役が完成したのを見て、ほくそ笑む。
「俺は本来、バクチなんかしなくても稼げる男だ。……そら、猪鹿蝶だ!」
「やるじゃねえか。アガリか?」
「コイコイだ」
獪岳はさらなる高得点、さらなる儲けを求めて試合を続行する。
「獪岳ゥ……やっぱりお前は昔のオレに似てるぜ」
蝉爺は自分の禿頭をさすり撫でた。
彼が上機嫌な時に出る癖だ。
「クズのくせに、一丁前に上へ上へ登ろうとするところもな」
「知ったことかよ。クズなのはテメエだけだ。……テメエの手番だぞ、早くしろ」
「そらよ」
蝉爺はずっと手元に温存していた札を出す。
たちまち、最強クラスの役「四光」が完成した。
「アガリだ。オレの勝ちだな」
「なっ……」
絶句する獪岳を前に、蝉爺はニヤニヤと笑う。
「獪岳。お前みたいなクズがいくら登っても、最後は足を滑らせて同じ場所に落ちてくるんだぜ。クズだからな」
……賭場の胴元、蝉爺。
獪岳は、賭け事の類においてはこの老人に一度として勝ったことがなかった。
そしてある秋、蝉爺は失踪した。
賭場も、誰かに譲るようなこともなく、唐突に放り出したまま。
それは蝉が夏の終わりと共に姿を消すのにも似ていた。
◆
……暗黒島。
東京から汽船で3日も旅した先、太平洋の只中にぽつりと浮かぶ島である。
島の東側と西側に、小さな集落が1つずつ。
住民はさほど多くない。
土地は塩辛く痩せており、農作物はあまり育たない。
島民は毎日、暗く荒れる海で魚を獲って食い繋いでいる。
なぜ、こんな過酷な土地に人が住み着いたのか。
たしかな記録は残っていない。
◆
「おい、ちょっと話いいか」
「……」
声をかけた獪岳を、島民の男は疑り深い目で見返した。
男は粗末な着物を着て、ちゃちな月代を結っている。
100年前の江戸時代の貧民のようなナリだ。
「……忙しい」
男はぼそりと答え、玄関扉をぴしゃりと閉めた。
獪岳は鼻白んだ。
周囲を見回すと、遠巻きにこちらを見ていた島民たちが揃って家に引っ込み、扉や窓をぴしゃりと閉める。
……徹底的に避けられている。
「な、なんだってんだ……。余所者ってだけでここまで邪険にするかな、普通」
獪岳の隣で、小石山が怯えたような声を発した。
小石山も獪岳同様、鬼殺隊の隊士だ。
大柄な肥満体を黒い隊服に包んでおり、呑気な熊のような印象を与える。
「それに、見たか?さっきのヤツの格好……まるで江戸時代だ。この島だけ御維新の前に取り残されたみたいじゃないか」
「地の果てのクソ田舎じゃこんなもんだろ。……おい、もう1人はどこいった?あの変な女は」
「えっ?ボク知らないよ」
2人は周囲を見回す。
粗末な家が並ぶ、東の集落。
あちこちに篝火の台が立っているのが目につく。
夜間には火を灯すものか。
今回の任務でここ暗黒島に送り込まれた隊士は3人だ。
すなわちここにいる獪岳と小石山、そして……
「
ガシャーンッ!
女の声と破壊音が響いた。
獪岳と小石山は肝を潰し、音の源へ走った。
「Mr.第一村人、are you OK?knockしてもお返事ないから急病のemergencyかと思いましたですね、私!」
「ヒィィィィ!!」
そこでは、鬼殺隊の女隊士が扉をぶち破って島民の家に侵入していた。
島民は土間に尻餅をついて後ずさっている。
「な、なんなんだお前!余所者が!うちの玄関壊しやがって!」
「玄関?Oh!I'm sorry,とても古くて薄い扉、玄関だと思いませんでしたです!」
「余計なお世話だ!」
「By the way、demonの話聞きたいです私。demonをslayするためにこの島来ましたですね、はい!」
「何言ってんだかわかんねえよ!早く出てけよ!」
「何やってんだテメエ!」
獪岳が割って入り、女隊士を家の外へ引きずり出す。
女隊士はきょとんとした顔で見返した。
「What's up?聞き込み邪魔しないで欲しいのことですね、わかりますか?」
その女隊士……アンジェリカは、やたら背が高かった。
髪が金色、瞳が青色という日本人離れした風貌である。
やたらと大きくて幅広な日輪刀を、布にくるんで背負っている。
「わかりますかじゃねえよ、何カタギの家に押し入ってんだ?イカれてんのか?」
「あー、You may get me wrong!私cared about himね、わかりますか?」
「わかるわけねえだろ、帝国大出のインテリじゃあるまいし!」
「日本語で喋れ!」
食ってかかる獪岳と小石山。
……そこへ、ホイッスルを吹き鳴らしながら駆け寄ってくる者がいる。
「一体何の騒ぎだ!?」
警官だ。
◆
「ははあ、あなた方が例の特別捜査官の方々で……東京からはるばる、ご苦労様です」
警官はぺこりと頭を下げた。
「「ええ、まあ」」
獪岳と小石山は苦笑して応じる。
アンジェリカは出された茶菓子を食べ尽くすのに忙しそうだった。
ここは暗黒島駐在所……
島内唯一の警察施設である。
強盗と誤解されそうな現場に警官が現れた時は、獪岳も肝を冷やした。
しかし、鬼殺隊は獪岳ら3人に「暗黒島で発生している連続行方不明事件を調べる捜査官」という偽の身分を用意していた。
現地の警官にも話は通っていたようだ。
隊から預かっていた身分証明書を見せるだけで、こうして事態は丸く治まった。
「実際、最近島内で行方不明者がどんどん増えているのですよ」
警官はため息をついて言う。
「私も夜回りを増やしているのですが、どうにもならなくて。職務怠慢だと島民から恨まれて困っているのです」
「「はあ、そうですか」」
2人はぞんざいに相槌を打った。
苦労話に興味はなかったからだ。
「村人たちの中では『人喰い鬼の仕業だ』なんて突拍子もない噂も広まっていて……」
「それだ!」
「どんな噂か教えてください!」
2人はたちまち食いつく。
警官は少し戸惑いながら、
「いや……なんでも、人の死体を操る鬼がいるという話なのです」
「死体を操る?」
「そうです。その鬼は夜な夜な、死体の群れを引き連れて人を襲うのだと……」
「It's
アンジェリカが叫んだ。
「そういう動く死体、Statesでは
「ゾンビか……」
獪岳は考え込む。
ふつう、鬼はゾンビを作り出す力など持たない。
実際それができているとすれば、強く育った鬼が発現する異能の力……
血鬼術によるものとしか考えられない。
(((まさかこんなド田舎のクソ孤島に、異能持ちの鬼がいるとはな……)))
「まあ、あくまで噂ですから、あまり真面目に受け取らんでくださいよ」
警官は苦笑する。
「多分、おかしな漁法が流行って海に落ちて死んでいるとか、そういうオチですよ。だから死体が見つからんというわけで」
「あれっ?お巡りさん、そのピストルって」
その時、小石山が警官の腰のホルスターに目をとめた。
「ブローニングの最新型じゃないですか!?」
「おお、わかっていただけますか!この前本土に行った時、借金して買ったのですよ」
警官はにこにこしながら拳銃を取り出し、弾倉を抜いてから小石山に渡した。
小石山は大喜びでいじくり回している。
「うわっすっげえなこれ、このフタのような部品がこう動くのでしょう?弾倉から弾を送り込むのでしょう?」
「そうです。オートマチック形式ですから」
「なんて革新的なんだ。きっと50年後にはすべての拳銃がオートマチックですよ」
「外国から取り寄せた銃のカタログがあるんですが、見ませんか?」
「いいんですか!?」
ガンマニア2人が熱っぽく話すさまを、獪岳は冷めた目で見ていた。
横からアンジェリカが囁く。
「アー、この人たちmaniac、ちょっと変ね……」
「お前よりはマトモだぞ」
「Why?」
アンジェリカは大きな青い目を瞬いた。
◆
「495!496!497!」
獪岳は繰り返し素振りを行う。
刀を振るうたび、金色の刃が夕陽を浴びてキラキラと輝いた。
「498!499!……500!」
日課の回数を終えると、テキパキした仕草で納刀。
ゴザの上で坐禅を始めた。
周囲を潮の匂いのする風が吹き抜けていく。
ここは暗黒島の中央に位置する丘である。
獪岳ら3人の鬼殺隊員はすでにこの場所にテントを張り、拠点を設けていた。
ここが東西2つの集落の中間地点だからだ。
どちらに鬼が現れたとしても、最短の時間で駆けつけることができる。
(((……)))
獪岳が目を閉じると、脳裏に不満と屈辱の記憶がふつふつと湧いてくる。
軟弱な弟弟子。
それを獪岳と同等に評価していた師匠。
へらへらと軟派で、そのくせ獪岳よりも出世の早かった滝沢。
童磨。
岩柱。
蟲柱。
(((集中、集中しろ……俺はまだ生きている。まだ負けていない。奴らに吠え面かかせてやるためにも鍛えるんだ……!)))
ドス黒い情熱を研ぎ澄ませ、雷の呼吸を深める。
……獪岳は人格面に問題を抱えてはいたが、決して怠け者ではなかった。
むしろ努力家だった。
だから雷の呼吸の大部分を習得し、最終選別を切り抜け、ここまで隊士として生き延びてこれたのだ。
しかしそうして築いてきたキャリアは、あの夜……
童磨に出会い、滝沢を見捨てて逃げたあの夜に台無しになってしまった。
獪岳は自らの不運を呪う。
全ては不運と、自分に対する悪意、不当な評価のせいである……そう考えていた。
「いやあ獪岳、お前は修行熱心だな」
小石山が横から言う。
彼は空き木箱に腰かけ、駐在の警官から貸してもらった銃器カタログを読んでいた。
あるページを開いて、獪岳に見せつけてくる。
「おい、この拳銃すごくないか?モーゼルC96っていうんだ。引き金を引き続けるだけで連射ができる、まさに手のひら大の機関銃だぜ」
「黙ってろ、ピストルデブ。気が散る」
獪岳は罵倒した。
「ピ……」
小石山は絶句し、憮然とした表情で読書に戻った。
……獪岳と小石山は、3日前に初めて会ったばかりである。
しかし獪岳はすでにこの男を軽蔑していた。
怠け者だからだ。
本土から暗黒島への3日間の船旅の間、小石山が鍛錬しているところは見たことがない。
さっきも、獪岳に続いて鍛錬を始めたはいいが、すぐに息が上がっていたようだ。
そしてあっさりと諦め、読書に移ってしまった。
有事に戦力になる人間とはとても思えない。
(((この任務で手柄を立てられなけりゃ死罪なのに、味方がこんなカスとは……いや、手柄を取られないって点では良いか……)))
獪岳は冷淡にそう考えた後、目を開いた。
西の空では、今まさに夕陽が水平線に没したところだった。
世界が紺色に変わっていく。
不意に、奇妙な悪臭が鼻孔に触れた。
腐った魚のそれに似た……
腐った死体の臭いだ。
「……!」
獪岳は刀を掴んで立ち上がった。
小石山が本から目を上げる。
「何だよ、小便でも行くのか?刀は置いていったらどうだ」
「死にたくなけりゃ立て」
「は?一体何の……」
小石山はカタログを置き、周囲を見回す。
そして、目の当たりにした。
北の方向、鬱蒼と茂った森の中から、動く死体の群れが押し寄せてくるさまを。
【続く】