獪岳の刃 〜鬼を斬るか腹を切るか〜   作:ボブ・ニンジャ

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第29話

 

 

稲荷神社へ続く石段は果てしなく長かった。

左右には、狛犬のように狐の石像が立っている。

石段に沿って何体も立っているのだ。

無数の狐たちの視線を浴びながら、獪岳と善逸は駆け上がった。

 

(((そういや、昨日の昼にもここを通った)))

 

獪岳は回顧する。

縁壱百式との試合を前にして善逸が逃げ出した時、アンジェリカに聞き込みに行くために通ったのだ。

昼と夜でまったく雰囲気が違う。

日の光が木の葉を透かして照らすこともなく、周囲の木々は夜風を受けて不穏にざわめく。

左右の狐たちは今にも動き出しそうな不気味さだ。

 

(((アンジェリカは今も1人で戦っているのか?……いや)))

 

獪岳は目をすがめる。

 

(((百式が俺の思っている通りの性格なら、おそらくは──)))

 

初めに痛みが走ったのは、脇腹だった。

次に肩だ。

連鎖的に、獪岳の全身で激痛が炸裂した。

 

「ど、どうした兄貴!?」

 

善逸は慌てて駆け戻った。

後をついてきていた兄弟子が急に足を止め、石段の脇に座り込んだからだ。

狐の台座にもたれかかる。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」

 

獪岳は明らかに様子がおかしかった。

呼吸が荒く、顔色は悪く、目の焦点は定まっていない。

善逸は繰り返し呼びかけたが、返事を得られず──

ふと、思い出す。

獪岳が「薬をキメた」と言っていたのを。

──薬が切れたのか?

 

「ぜ、善逸……薬……」

 

獪岳は朦朧としながら、何か訴える。

胸元をまさぐるような仕草をする。

 

「薬が、ここに……ウウッ、ぐうっ!」

「内ポケットか!?」

 

善逸は獪岳の胸元をまさぐった。

するとやはり、1本の注射器が出てきた。

ラベルには「モルヒネ」の文字。

 

(((……モルヒネってたしか、痛み止めだよな)))

 

善逸の胸に不安が湧き上がった。

あくまで痛み止めであり、傷が治る魔法の薬ではない。

今の満身創痍の獪岳が痛みを誤魔化して動き続けたら、どうなるのか?

 

「潮時だな」

 

不意に、背後から声。

善逸が振り返ると、そこに狐がいた。

石像ではない。

ひび割れて苔むした空の台座の上に、炎狐が1匹、ちょこんと座っているのだ。

目にはやはり「上弦」「伍」。

 

「お前は獪岳の弟弟子か何かか?よく頑張ったよ。もう十分だろ」

 

狐が喋った。

他の何かではなく、たしかにこの炎狐が喋っている。

善逸は獪岳をかばって身構えた。

 

「なんだお前、誰だ?上弦の伍なのか」

「見てわからないのか?可愛い狐ちゃんだよ。コンコーン」

 

炎狐はわざとらしい演技をした後、続けて言う。

 

「お前たちのことはずっと見てたぜ。積怒、フォルネウス、刹火、空喜、牛頭羅、それと名無しの鬼が何十体か……倒したり、やりすごしたり、とにかく殺されずに来たのは大したもんだ」

「そうだ。俺の兄貴はすごいんだ。上弦だって今から倒す」

「無理だな。そのざまを見ろよ」

 

善逸は思わず横目で獪岳を見た。

いまだに立ち上がれず、荒く息をしている。

呼吸による止血が緩み、全身の傷が開いて、足元に血溜まりができ始めている。

薬で誤魔化していたダメージが一気に体を痛めつけているのだ。

 

自分は、この兄弟子とどれだけ違うだろう。

善逸自身も、負傷と疲労で全身ボロボロ。

気力でなんとか動いている状況なのは変わらないのだ。

 

「お前たちはもう"柱"だよ。その実力がある。──でも、ここに来るまでに雑魚どもを相手に消耗しすぎだ!半天狗の策にどっぷり腰までハマったのさ」

 

炎狐の声に挑発的なニュアンスや勝ち誇るような響きはまったくない。

この口調はなぜか実直、誠実ですらあった。

 

「ここで引き返せ。あの女の柱のことは諦めろ」

「何だと……!?」

「獪岳のやつも、今すぐ医者のところに運んで手当てさせれば後腐れなく回復するだろうよ」

「……」

 

善逸は躊躇した。

 

「それとも、その薬で兄貴にもう少し無理をさせてみるか?──やめとけよ!薬で誤魔化したところで、本来の半分の力も出やしない」

 

炎狐の言葉は甘く、もっともらしく、悪魔の囁きに似ている。

 

「善逸……モルヒネをよこせ……」

 

獪岳がうわごとのように言った。

 

「で、でも兄貴……」

 

善逸は弱々しい目で見返した。

この怪しげな狐を信用したわけではない。

しかし、明らかに弱っている兄の姿を目にして、それを最大限に慮る道を提示されたとで──

揺さぶられ、混乱していたのだ。

 

「あの女の柱を諦めて、お前たち2人が柱になる。鬼殺隊に有利な勘定だろ」

 

炎狐がなおも言い募る。

 

「いいからモルヒネだ!」

 

獪岳がそれを遮って叫んだ。

歯を食いしばって痛みをこらえ、血走った目で見上げる。

 

「善逸……!言ったはずだぞ、俺が滝沢を倒すと……!」

「う……そ、そうだけど……」

「だいたい、フランソワや竈門は今も戦ってるんだぞ。俺だけが……俺だけが倒すべき敵を倒さずにのうのうと生き延びるなんて……」

 

その時、善逸が獪岳の胸の内から聞いたのは、正義感でも罪悪感でもなかった。

幸せの箱に空いた穴が立てる音だ。

狂おしいまでの承認欲求である。

 

「そんな格好悪いことは死んでもお断りだ!俺は獪岳だぞ!全ての鬼殺隊士に認められるべき男!」

 

その音は決して清らかではなく、むしろ汚い。

死ぬ覚悟など更々ない。

しかしそれがかえって善逸を安心させた。

善逸は決心した。

 

「兄貴……!それでこそあんたは俺の兄貴だ!」

 

モルヒネを獪岳に注射する。

たちまち獪岳の体に歪んだ活力がみなぎった。

痛みが消えれば集中でき、集中できれば呼吸法で止血ができる。

全身の傷の出血が止まる。

 

「ハァァーーッ」

 

獪岳は白い蒸気を吐きながら立ち上がる。

炎狐は困り果てたようにかぶりを振った。

 

「やれやれ、困った兄弟だよお前たちは。俺の善意を無為に……」

「畜生のくせにペチャクチャ喋ってんじゃねえ!死にやがれ!」

 

獪岳はモーゼル拳銃をぶっ放した。

炎狐は避けようともせず、そのまま被弾。

爆発して消えた。

 

「行くぞ善逸!手柄を立てに行く!」

「ああ、兄貴!」

 

獪岳は善逸を引き連れ、再び石段を上り始めた。

途中、弾切れになったモーゼル拳銃を放り捨てる。

予備のモルヒネを失い、拳銃を失い、ついでに脇腹と肩の肉も少し抉り取られた。

ずいぶん身軽な有様になったものだ。

 

(((構うものかよ!)))

 

獪岳は懸念をも捨てた。

前方に、赤い鳥居が見えてくる。

稲荷神社だ。

以前ここから河原へ吹き飛ばされてから、何体の鬼と戦ったか。

何人の鬼殺隊士に助けられたか。

獪岳は一瞬、この一夜の旅路を想起した後──

そのすべてを過去へ追いやり、決然と境内へ踏み出す。

 

「ほほう!お主はさっきの」

 

可楽が振り返った。

 

「グルルルル……!」

 

赤狐が唸った。

 

『今度ばかりは、貴様が来ると予想できていたぞ』

 

縁壱百式は満足げに言った。

 

「カイガク……!You came……」

 

そしてその横に、アンジェリカがいた。

粉塵にまみれ、髪をほつれさせ、疲労の色が濃いものの──

まだ立っている。

日輪刀を構えている。

獪岳と善逸は、間に合ったのだ。

 

「今度も俺を褒めるがいいぜ、アンジェリカ。柱であるお前を助け、上弦を倒すんだからな」

 

獪岳はそちらに笑いかけた後、視線を移した。

上弦の伍、赤狐の方へ。

そして日輪刀を突きつけ、宣戦布告した。

 

「滝沢。テメエの頸は俺が斬る」

「グルルル……カイガクゥ……!」

 

赤狐は怒りに牙を軋らせ、全身から炎を放った。

暗闇の中、周囲の様子が照らし出される。

境内はメチャクチャに破壊され、本殿は跡形もなく潰れている。

今までここで行われていた戦闘の痕跡だ。

 

「狩りは獲物が多い方が興が乗るというものよ」

 

可楽がにやにや笑った。

 

「2匹の獲物が4匹に増えたとな、これはなんと楽しいことか!」

「カイガク。あのゴチャゴチャ言ってる上弦の肆は」

「頸を斬っても死なない、だろ。察しがつくぜ」

 

アンジェリカと獪岳は短く言葉を交わす。

その後すぐに。戦闘が再開された。

 

 

 ◆

 

 

『手短に状況を説明する』

 

よく見れば、百式は右半身がまるごと焼け焦げていた。

おそらく赤狐の火炎攻撃を喰らったのだろう。

右目も真っ黒に変色してひび割れ、もはや「百」の漢字も読み取れない。

明らかに重いダメージだが、語調は平然としている。

 

『私は時透アンジェリカを殺しに来たが、上弦の鬼が現れたので予定を変更して共闘している』

「えっえっどういうこと!?」

「フン、やはりそうなったか」

「兄貴何納得してんの!?置いてかないでくれよォ!?」

 

獪岳は百式の心理を推測していたため、すんなり状況を把握した。

善逸を取り残して、百式の説明は続く。

 

『上弦の肆"可楽"と上弦の伍"赤狐"、その戦法は──』

「さあ盛大に楽しめ!血鬼術、"天狗旋風"!』

「グルルル……!血鬼術、"忌炉爆炎波(きろばくえんは)"!」

 

可楽が破壊の竜巻を、赤狐が炎の斬撃波を発射した。

風と炎の弾幕が3人と1機に迫り来る。

 

『飛び道具の連射だ』

「ああーっまたかよクソが!この里の鬼こんなんばっかか!」

 

獪岳は悪態をついた。

一体今夜だけで何度敵の弾幕を浴びせられているのか。

しかし鬼からすれば日輪刀の間合いまで寄せ付けないのが最善である以上、当然の戦法でもあった。

 

「Sixth Form: Perpetual Night, Lonely Moon – Incessant!」

 

アンジェリカがすでに前方で迎撃体制を固めている。

前方の縦横、広範囲を埋め尽くす斬撃で、攻撃の3分の2を撃ち落とす。

左右の間隙から残り3分の1が迫るが、

 

『風の呼吸、弐ノ型──"科戸風・三連"』

 

百式が風の呼吸で迎撃し、そのすべてを撃ち落とした。

前方へ向き直ると、すでに2体の鬼は次の飛び道具の発射体制に入っている。

獪岳は鼻を鳴らした。

 

「ずっとこの撃ち合いをしてたのか?ジリ貧だな」

『いかにも。傀儡人形の私はともかく、時透アンジェリカの体力はいつまでも保たない』

「しかしまあ安心するがいいぜ。今から俺と善逸で──」

「あれ防ぐ無理です!避けるなさい、各自!」

 

アンジェリカが鋭く叫んだ。

見れば、赤狐が空中浮遊し、巨大な炎の尾を9本生やしたところだった。

 

「血鬼術、"九火(つづらび)"……!」

 

9本の尾を長く伸ばして、アンジェリカや獪岳たちがいるあたりを薙ぎ払う。

尾は一度通り過ぎるだけでは終わらず、別の角度でまた戻ってくる。

確実かつ念入りに焼き尽くさんとする攻撃だ。

 

「Forth Form: Full Moon Veil - Rising!」

 

アンジェリカは跳躍しつつ、ムチ状に伸ばした刀で自分の周囲をくまなく薙ぎ払った。

ギリギリ1人分の隙間を作り、すり抜ける。

 

「「アン、ドゥ、トロワ!」」

 

獪岳と善逸はフランソワ直伝のリズム制御で狙いを狂わせ回避した。

 

『ぬうっ……!?』

 

百式はローラーダッシュで避けたものの、終わり際に転倒してしまった。

石畳が破壊されてできた亀裂につまずいたのだ。

 

「隙ありよ!"山嵐"!」

 

そこを狙って、可楽が羽団扇からジェット噴射を撃ち出した。

喰らってしまえば先ほどの獪岳やフランソワと同様に戦場から放逐される一撃だ。

アンジェリカも獪岳も、助けに行くのは間に合わない。

 

「"霹靂一閃"!」

 

俊足の善逸だけが間に合った。

百式を突き飛ばし、もろともに石畳をゴロゴロと転がって緊急回避。

ジェット噴射からかろうじて逃れた。

 

「よくわかんないけど、今は味方なんだな?信用していいんだな!」

『ああ、信用してくれていい』

 

百式は善逸の問いに答える。

 

『私は鬼殺のために造られた傀儡人形なのだから』

「自分の役割を果たせて幸せーってことかよ」

『そういうことだ』

 

そして、獪岳の言葉を肯定した。

 

『獪岳、思えばお前は私の行動原理をよく理解していた。お前と私は──』

「テメエと俺を一緒にするんじゃねえ」

 

獪岳はぶっきらぼうに応じる。

 

「俺はテメエが考えているより優秀で偉大な人間だ。それを今から証明してやる!」

『フッ。ならば拝見するとしよう』

 

百式は笑った。

誰も気にする余裕のない状況ではあったが、傀儡人形がたしかに笑ったのだ。

そして、獪岳と善逸が攻撃へ転じ──

鬼殺隊の反撃が始まった。

 

 

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