獪岳の刃 〜鬼を斬るか腹を切るか〜   作:ボブ・ニンジャ

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第36話

 

 

赤狐は空を飛んだ。

炎の翼で羽ばたき、炎を噴射して、力任せに重力を振り切ったのだ。

獪岳はその体にしがみついていた。

 

「ガ、ガ、ガ、ガ、ガ」

 

赤狐は壊れた機械のような唸りを発しながら、敵を振り落とすべく猛烈なアクロバット飛行を開始した。

薄明の空に、蛇行した炎の軌跡が焼き付く。

天地がぐるぐると入れ替わり、上下も判然としない。

 

「逃がさねえぞ、滝沢……」

 

そんな中でも、獪岳は決して手を離さなかった。

 

「言ったはずだぞ、テメエの頸は俺が斬ると!」

「ガガガガガ」

 

赤狐は獪岳の顔面を鷲掴みにした。

そして手のひらから炎を放出し、敵の顔面を焼いた。

 

「ぐああああ!?畜生があああ!」

 

獪岳は地獄の苦しみに叫んだ。

しかし同時に、敵の方からこちらを掴んでいる今は振り落とされる危険のない好機であることを直感的に理解した。

右手で新たなクナイ手裏剣を抜き、敵の脇腹に突き刺す。

ねじり込む。

 

「ガアアア!?」

 

赤狐は苦しみ、飛行姿勢のコントロールを誤った。

目的地上空へ辿り着きながらも、ろくに減速できないまま……

一直線に、墜落する。

 

 

 ◆

 

 

「バモォーッ!」

「ぐあっ!?」

 

地面から突き出た巨大な手が、田辺の体を鷲掴みにした。

牛頭羅が血鬼術で地面を操り、作り出した手だった。

 

「握リ潰ス……!」

 

牛頭羅がかざした手を握り込むと、土くれの手が締め付ける力も増す。

拘束を脱することができない。

このまま自分が敗れれば、背後で半死半生になって倒れているアンジェリカにも危険が及んでしまう。

 

しかし、このピンチは唐突に終わった。

上空から燃える隕石が降ってきたからだ。

 

「ガアアアア!!」

「バモオオオ!?」

 

隕石は牛頭羅の脳天に直撃。

その体を構築していた土や石を砕き、爆散させた。

田辺を締め付けていた巨大な手も、元の土くれに変わって崩れ落ちた。

 

〈オ、オイ!大丈夫か!?〉

「も……問題ないわ。それより」

 

舞い降りた鎹鴉にそう応じ、牛頭羅の残骸の方を見やる。

降ってきたものの正体は、隕石ではなかった。

獪岳と赤狐がもみくちゃになりながら落下してきたのだ。

 

「ガ、ガ、ガーガガガッ……」

 

先に立ち上がったのは、赤狐の方だった。

狐のような頭は醜く歪み、左腕は墜落の衝撃でちぎれている。

ふらつく足で、アンジェリカの方へ歩いていく。

黒死牟の命令を果たすために。

 

「行かせ、ねえよ……」

 

獪岳が立ち上がり、立ち塞がった。

全身はこれまでの連戦でズタボロに傷つき、立っているのが不思議なほどだ。

もっとも新しい傷は顔面の火傷だ。

人間の手の形に焼け焦げて、白煙を上げている。

 

「モオオーッ!」

 

牛頭羅の残骸の中から小さな仔牛のような生物が這い出して、怯えた声を発しながら逃げていった。

巨大な鬼の、矮小な本体だった。

 

赤狐は理性のない唸り声を発しながら獪岳に近づく。

その右手がボウ、ボウと断続的に火を噴く。

獪岳はクナイを構えた。

相手も手負いとはいえ、不慣れで心もとない得物。

 

「獪岳さん!これを!」

 

横合いから田辺が呼びかけた。

投げ渡された日輪刀を、獪岳はキャッチする。

 

「ハッ!助かったぜ、田辺!」

「ガアアアア!」

 

向き直ると、片腕の赤狐が襲い来る。

獪岳はもはやそれを脅威には感じなかった。

強力な血鬼術や剣技でこちらを脅かしてきた時と比べ、あまりにも消耗し、尊厳を失った姿。

ただ哀れみを感じるだけだった。

使う機会はないと思っていた技を、獪岳は構えた。

 

「水の呼吸、伍の型――"干天の慈雨"」

 

優しい雨が、赤狐を濡らした。

獪岳がすれ違いざま放った慈悲の一撃は、赤狐の頸の傷――

崩壊と再生を無限に繰り返していた綻びを、決定的に断ち切った。

 

「ガ、ガアア……!ガアアア……」

 

いびつな狐頭の生首が地面に転がり、わめき散らす。

しかしそれも、ほんの数秒のことだった。

 

鬼は日輪刀で首を斬られれば死ぬ。

その法則を、童磨による遠隔での助力で少しだけ誤魔化していたのが今の赤狐だった。

再び弱点を突かれたことでその欺瞞はついに破綻し、赤狐の体は一瞬にして白い灰に変化。

シュウシュウと音を立てて、蒸発するように消えていく。

 

「滝沢。人を食ったお前は地獄に落ちるんだろうな」

 

獪岳はそのさまを、哀愁や寂寥に満ちた眼差しで見下ろした。

 

「……俺が行くまでに、うまい飯屋でも探しておいてくれ」

「カイガク」

 

背後から、優しい声が呼んだ。

振り返る。

神社本殿の残骸に背を預けたアンジェリカが、目を細めていた。

 

「You good job. 今回もよく頑張ったですね、あなた」

「ああ。そう、だろ……」

 

獪岳はそれに応じた後、不意によろめいて、そのまま倒れて気絶した。

またも全身の傷が開き、血が噴き出し始める。

田辺が医療器具を手に慌てて駆け寄る。

 

日が昇ったのは間もなくのことだ。

鬼の襲撃で傷ついた刀鍛冶の里を、癒すかのように温かな日の光が照らした。

散乱していた鬼の死体の断片や血の染みは太陽の光を浴びると燃え上がり、溶けるように消えていった。

 

これは鬼殺隊史上最後の戦いではないが、鬼殺隊史上最大の戦いではあった。

彼らは多くの犠牲を払いながらも、ついに勝利したのだ。

かつて死罪を言い渡された曰くつきの隊士である獪岳がそれに大いに貢献したことは、信じがたい番狂わせではあったものの──

現場にいた者であれば、誰もが認めるところだった。

 

 

 ◆

 

 

しばらく後、無限城にて――

 

「そういうわけで、うまくいきませんでした……」

 

女武道家鬼・刹火は、一通りの報告を終えた。

多少取り繕いはしたが、刀鍛冶の里での戦いが鬼側の惨敗である実態は誤魔化しようがなかった。

少し頭を上げ、上座にいる男の様子を伺う。

 

「……」

 

鬼舞辻無惨は黙り込んだままだった。

跪いた鬼たちを冷然と見下ろしている。

 

刹火の横には、仔牛のような姿になり果てた牛頭羅と、数人の名無し鬼が並んでいる。

この名無し鬼たちは哀絶護衛部隊の残党だ。

それ以外の名無し鬼は稲荷神社か河川敷の戦場へ招集され、文字通り全滅したのだ。

 

昨夜の鬼の大軍団は、最後にはこれしか残らなかった。

リーダー格だった2体の上弦も死んだ。

そして、得られたものは何もなかった。

 

「それで、貴様は……」

 

無惨が口を開いた。

 

「死ぬまで戦うことをせずにおめおめと帰ってきたことを、どう弁解する?どう正当化する?」

「いや、それは……」

 

刹火はとっさに何か言い訳しようとしたが、不意に面倒臭くなった。

率直に対応する。

 

「すみません。次は最初から本気出します」

「鳴女。こいつらを最下層に捨てろ」

「はい」

 

無惨の指図で、脇に控えていた女の鬼が琵琶を鳴らす。

すると、生き残りの鬼たちの足元にふすまが出現。

彼らは間抜けな叫びを残して、その下にある暗闇へ吸い込まれていった。

 

無惨は鼻を鳴らした。

玉壺を残しておけば今回の戦いに勝てたかもしれない。

そう考え、ひとまず粛清は思いとどまった。

刹火が本心を隠して言い逃れを始めたらどうしたかわからないが。

 

それにしても、と無惨は考える。

半天狗までも殺すとは、現代の鬼殺隊は少し厄介なようだ。

彼らが老化で死ぬまで活動を抑えるべきかもしれない。

太陽を克服する手がかりも見当たらない以上、急ぐ理由もないのだから。

 

 

 ◆

 

 

……数日後。

厳重に秘匿された鬼殺隊本部・産屋敷邸にて、緊急の柱合会議が開催された。

議題は言うまでもなく、刀鍛冶の里への襲撃。

広い座敷に、11人の人間が集まっていた。

 

「黒沼は上弦を倒すため、命を燃やし尽くしたか。南無阿弥陀仏……」

 

悲鳴嶼行冥が涙を流し、数珠を鳴らす。

 

「クソッ、なんで俺は上弦と遭遇しねェんだ?」

「恐れているのだろう」

「ああ!?俺が上弦から逃げ回ってるってのか!?」

「冨岡さん?上弦が不死川さんを怖がっているって言いたいんですよね?」

 

不死川実弥と冨岡義勇がもめ始めるのを、胡蝶しのぶが仲裁した。

 

「悔しいですけど、私もこれで引退です。すごく悔しいです私」

 

時透アンジェリカが自分の左腕を忌々しげに見た。

肘から先は赤狐のレーザー攻撃によって切断され、失われている。

 

「宇随に続きお前までか。柱が減って減って仕方ねェ」

 

不死川が苦虫を噛み潰したような顔で言った。

柱は9人が定員だが、炎柱、音柱、雪柱、恋柱、月柱と連続で脱落。

残る現役の柱はたった4人だ。

 

「実弥。そう悲観するものでもないよ」

 

最上座に座る男が穏やかな声を発した。

鬼殺隊の最高指導者、産屋敷耀哉だ。

 

「今回の戦いで活躍した子たちがいる。柱になるのに値する実力を示した」

「あいつらですかァ」

 

不死川は下座を見た。

そこに、獪岳と善逸、甘露寺、炭治郎が座っていた。

いずれも全身包帯まみれであり、獪岳と甘露寺に至っては顔面まで覆われている。

善逸の脇には失聴した彼のために会話を指文字で通訳する隠が座っている。

座敷にいる11人はこれで全部だ。

 

「彼ら4人の中から、2人を柱にしようと思う。意見を聞かせてくれ」

 

産屋敷の言葉を聞き、柱たちは顔を見合せる。

 

「……まあ、順当にいけば1人は甘露寺さんではないでしょうか」

「うむ。甘露寺は黒沼の継子として、長年その技術を吸収してきた」

 

胡蝶は悲鳴嶼の同意を得ると、冨岡に水を向ける。

 

「冨岡さんはどう思いますか?」

「柱の人選など、俺が関わるべきことではない」

 

水柱はぶっきらぼうに言って、目を逸らす。

 

「俺だ」

 

横から口をはさんだのは、獪岳だった。

全身包帯まみれで、顔もほとんど覆われているが、その眼差しには強い意志の力が宿っている。

 

「俺を柱にしろ。相応の結果は出してやる」

「黙れ!お館様はテメエには発言をお許しになってねェぞ!」

 

不死川が立ち上がった。

 

「大体、4人のうちこいつだけは論外だろォ。――こいつは1年前、仲間を見捨てて敵前逃亡しやがった!その罪がまだ!」

「その"仲間"が、鬼になっていた。上弦の伍だった」

「……何……!?」

 

風柱は目を剥き、上座を見た。

産屋敷は頷く。

 

「うん。聞いているよ。その上弦の伍にトドメを刺したのが獪岳だということも」

「It's true. 間違いないです」

 

アンジェリカが少しだけ助け船を出した。

 

「うんうん、獪岳さんすごく頑張ってました!」

「俺が上弦の肆を倒せたのも、獪岳さんが迅速に指示を出したり最強の敵を足止めしたりしてくれたからです」

 

甘露寺と炭治郎が同調する。

獪岳はむずがゆく感じ、居心地が悪かった。

哀絶に突っかかっていったあげく返り討ちにされかけた失態が頭によぎる。

しかし、その危機から救ってくれた炭治郎は何も言わず、信頼に満ちた視線を向けてきている。

 

「……ケッ。自分の尻を拭くくらいはできるらしいな」

 

不死川は渋々席に戻る。

 

「君たちも意見があれば聞かせてくれないか」

 

産屋敷は柱候補者たちに水を向ける。

 

「――お館様。俺は、柱になるのを辞退します」

 

真っ先に口を開いたのは、善逸だった。

 

「俺は耳が良かった。それが残っていれば可能性くらいはあったかもしれません。……でも、それも今回の戦いで失ってしまいました」

「……」

 

獪岳はそちらを一瞥した。

そして、自分が善逸の言葉を残念に思っていることに気づいた。

兄弟2人で、柱になる――

そんな軟弱な幻想を、自分は心のどこかで抱いていたのか。

 

「俺も辞退します。俺はまだまだ力不足。今回の戦いで勝てたのは皆さんのおかげです」

「……」

 

炭治郎も善逸に続く。

冨岡が珍しくギョッとした顔でそちらを見た。

 

「私もみんなの意見に異存はない。決まりだね」

 

産屋敷が頷き、裁決を下す。

 

「隊士・甘露寺蜜璃を恋柱に任じる。──そして、隊士・獪岳の死罪を免除。鳴柱に任じる」

 

そして、盲いた目で2人を見た。

 

「2人とも。どうか今後一層尽力し、姉や兄として私の子供たちを導いてくれ」

「「はい!」」

 

甘露寺と獪岳は威勢良く返事をした。

2人は"柱"になった。

 

 

 ◆

 

 

その後、善逸と炭治郎は退席。

産屋敷と正当な柱たちのみで、いくつかの重要事項の審議があった。

獪岳は鳴柱としてそれに加わった。

 

やがてそれも解散となり、甘露寺と話しながら(というより、緊張しただの何だのとしきりに話しかけてくる甘露寺をあしらいながら)廊下を歩いていると、炭治郎の姿がある。

冨岡と胡蝶も一緒だ。

 

「炭治郎、俺はお前が水柱になるべきだと考えていた」

「そうだったんですか!?」

「冨岡さん、意見があるならちゃんと言わないとダメですよ」

「俺を買ってくれていたのは嬉しいです。まあ、それだと水柱が2人になっちゃいますけどね」

「……?水柱は今不在のはずだが……」

「「え?」」

 

その横を通り、応接間へ。

 

「おお、獪岳どの!奇遇ですな」

 

そこには小鉄博士がいた。

今日も火男の面を被っている。

 

「小鉄博士?あんたも怪我してたはずだろう。もう動いていいのか?」

「休んではおれませぬ。早く新しい傀儡人形を作らなければ」

「予算が無いって話じゃなかったのか?」

「お館様が今回の戦いでの百式の活躍を評価してくださったのです。量産はともかく、ひとまず新型を試作するくらいの支援はすると」

「フン。じゃあ今日は」

「ええ、その打ち合わせで」

「お館様も大変だな。復調して早々に会議続きとは」

「必ず結果を出して報いてみせます。より強力な傀儡人形を開発することで」

 

小鉄博士は説明した。

百式の頭部パーツから上弦との戦闘データが回収でき、今後の開発に活かせそうであるということ。

そして、傀儡人形の心理についても学んだということ。

 

「百式は私の子供でした。私は接し方を誤って、追い詰めてしまったが……彼の短い人生を、無駄にはしない。必ず次に繋げてみせます」

 

そう語る小鉄博士の面の奥の瞳には、老人らしからぬ強く貪欲な意思が宿っていた。

 

 

 ◆

 

 

「獪岳」

 

玄関から出て行こうとした獪岳を、低い声が呼び留めた。

岩柱、悲鳴嶼行冥だった。

 

「……悲鳴嶼、先生……」

 

獪岳は表情をこわばらせた。

因縁浅からぬ、というより一方的に負い目のある相手。

 

「柱というのは多忙なものだ。お前もこれから鬼を追って日本中を転戦することになる。その中で、あの夜の贖いは十分に果たされるだろう」

「……甘いことを言うんだな。俺に都合のいい話だ」

「しかし、もしも我々が生きている間にすべての決着がついて、時間ができたならば……」

 

悲鳴嶼は微笑を浮かべる。

 

「いつか、ゆっくり話をしないか。あの寺で暮らしていたころの思い出話を」

「……」

 

獪岳は少し考え込んだ。

少し前までの彼ならば、悲鳴嶼の言葉を受け入れられず、過剰に攻撃的になったり悲観的になったりしたかもしれない。

しかし彼はあの夜の戦いを経て自信を得ていた。

罪を償えたとまでは言えずとも、償うための道を自分の力で歩いているという自信を。

 

「ああ、もちろん」

 

獪岳は素直に答えた。

悲鳴嶼は身震いして涙を流しながら別れを告げ、廊下を歩いて去っていった。

獪岳が振り返ると、甘露寺も感動にむせび泣いていた。

 

「なんでお前まで泣くんだよ」

「だってぇ……なんか、ずっと喧嘩別れしてたのが仲直りできた感じだからあ……」

「仲直りはこれからするんだよ。鬼を全部ぶちのめした後にな」

 

獪岳は歯を見せて笑った。

険のない、年相応の表情だった。

 

玄関を出たところに、善逸が待っていた。

獪岳はぶっきらぼうながらも仲間と言葉を交わし、談笑しながら歩いていく。

青空、太陽の下――人間でいてこそ歩ける、その道を。

 

 

【獪岳の刃 〜鬼を斬るか腹を切るか〜】 完

 

 




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