獪岳は残心して周囲を見回す。
ゾンビたちは皆、がっくりと膝をついて動かなくなっていた。
変生体もだ。
まるで魂が抜けたかのようである。
(((儚主が死んだから、下僕もただの死体に戻ったか)))
ふと気づく。
死体を操る、墓場の支配者──
墓の名主で、ハカナヌシだったのか。
(((バカバカしい名乗りをしやがって。儚いのはテメエの命だったな)))
「ヒィーッ!痛い!痛い!死ぬ!」
小石山が騒ぎながら地面をのたうち回っている。
「おいデブ、テメエなんで蜂の巣にされて生きてるんだよ?」
「もうダメだ!ボクは死ぬ!」
「なんで今生きてんだって話をしてんだよ」
獪岳は呆れ返りながら応急処置キットを取り出した。
小石山を捕まえて、隊服をめくり上げる。
「……なんだこりゃ?」
獪岳は目を丸くした。
小石山の服の裏から、重厚な鉄の胴鎧が出てきたからだ。
モーゼル銃弾の大部分はそこに食い込んで止まっている。
「えっ?いや、ボクは死……あ、そうか」
小石山は急に冷静になった。
「ボク、鎧つけてたんだった。拳銃弾くらいなら効かないか」
「テメエ、人騒がせな……」
獪岳は罵ろうとして、言葉に詰まった。
……この小石山という男、こんな重量物を腹に抱えた状態であれだけ戦えていたのか。
これを外して戦えば、自分よりずっと強いのではないか。
(((こんなカスが……俺より……)))
どれだけ探しても、いい言い訳が見つからない。
敵前逃亡したという同じ過去を持っていても、その罪に正面から向き合い、恐怖に克って鬼に挑み……
しかも才能でも優れている。
仮にこの男を死罪に追い込んで自分が生き延びたとして、何の意味があるのか?
獪岳の視界が絶望で真っ暗になる。
「──」
その時、小石山が獪岳の背後を見た。
目を見開く。
「獪岳!危ない!」
「うおっ!?」
そして、獪岳を突き飛ばした。
──ズダダダッ!
また、銃声が響く。
小石山は頭から血を噴いて倒れる。
獪岳はそのさまを、呆けたような顔で見上げていた。
「……は?」
「言ったはずだぜ獪岳ゥ」
声のする方を見ると、首なしの鬼が立っていた。
モーゼル拳銃を構えている。
……儚主だ。
……頸を斬ったのに、死んでいない。
「イカサマは二重三重に仕込んでおくもんだってなあ」
儚主はいつのまにか再生した左手で羽織をはだけて、自分の腹を見せた。
そこに老人の顔があった。
獪岳がよく知る蝉爺の顔だ。
それが今、口を動かして喋っている。
「オレの本当の頭はこっちだ。当然、頸もその下あたりだ」
「何だと、テメエ……」
獪岳は冷や汗を流しながら、かろうじて立ち上がった。
視界の隅で、倒れた小石山を見下ろす。
……ダメだ。
頭を撃たれて、完全に死んでいる。
「そんなのアリか、畜生……理不尽な……」
「鬼なんて理不尽なもんさ」
儚主が腹の顔で歯を剥いて笑った。
「人間がせせこましく暮らしているところにやってきて、家族を食う。恋人を食う。そこに理由や因果なんて無え」
そして、小石山の死体を見下ろす。
「こいつも愚かだったことだなあ。人並みに生きてりゃ人並みに幸せになれたのかもしれねえのによ、鬼狩りになんてなるから」
「ふざけるなよ」
獪岳の口から、我知らず言葉が漏れ出た。
それは鬼殺隊の剣士の多くが持っているものであり──
獪岳もまた、今まで捻れた性根の奥に隠れてはいたが、ずっと持っていた感情。
鬼への純粋な怒りだ。
「ふざけるなよ、クソ鬼がァ!テメエみたいなドクズがこの世に存在してていいわけがねえ!」
「だったらどうするってんだ、アア!?」
儚主が気合いを発すると、周囲のゾンビたちが一斉に息を吹き返した。
たちまち獪岳を包囲する。
さらに儚主は手近なゾンビ2体を脱皮させ、これで変生体は3体だ。
「獪岳!テメエは10年前と何も変わってねえ、無力なガキのままだ。オレに勝つことなど決してできないなあ!」
「蝉爺!テメエだけは、死んでも殺す!」
獪岳は怒りに身を震わせながら、刀を鞘に戻した。
それは次の一撃のための予備動作だ。
雷の呼吸、壱ノ型……
獪岳は未修得の技である。
どれほど過酷な鍛錬を積んでも、一度も成功させることができなかったのだ。
(((知ったことか。この状況でゾンビの包囲を突き抜けて奴の頸を斬るには、霹靂一閃しかない)))
獪岳は刀の柄を、鞘を、強く強く握りしめる。
足元の地面をにじるように踏みしめる。
(((成功するまで何度でもやるぞ。ゾンビから横槍を入れられようと、俺の命が擦り切れるまで奴の頸を斬りにいく!)))
ゾンビの大軍団を前に、獪岳が捨て鉢な覚悟を固めたその時──
ずうん!
近くに何かが着弾し、粉塵を巻き上げた。
「カイガク、よく頑張ったのことです。あとは私に任せるいいですね」
それは砲弾ではなく、人間だった。
アンジェリカだ。
「Because I'm coming、来ましたです私」
そう言って、日輪刀を構える。
その刃は長いだけでなく、幅広で肉厚、さらにムカデの体のように節がある。
異様な刀だった。
「バカな、お前何故ここに」
儚主はその姿を見て、たじろいだようだった。
「お前は西の集落で俺の屍どもと戦っていたはず……」
「あっちのzombie全部倒したのことです、はい」
「バカな!あれを全部倒した上で、この東の集落まで島を横断してきやがったと……こんなに速く来れるはずは!」
「とっても足速いです私。それにshort cut、近道たくさん知ってるますね」
(((近道……)))
獪岳は思い至る。
……まさか、アンジェリカが昼間にパトロールすることを繰り返していたのは、島の地理を学ぶためだったのか。
「チイッ……獪岳、お前よりこの女の方が厄介らしいな。お前はしばらくそいつらと遊んでろ!」
「「「アバー」」」
儚主は獪岳に通常ゾンビの大軍を差し向けた。
そして自らは変生体3体を率いて、アンジェリカの方へ向かっていく。
「アンジェリカ!気をつけろ、その3匹いる蝉のバケモンは強い!鬼も機関銃を持ってやがるぞ!」
獪岳はゾンビを斬り倒しながら叫ぶ。
「Alright」
アンジェリカは頷く。
そして、まだ敵までずいぶん距離があるというのに、刀を大ぶりに振りかぶった。
儚主は笑う。
「その間合いで斬れるのか?それも、3体同時によぉ!」
「「「ジィーッ!」」」
変生体がアンジェリカを襲う。
正面、右、左の3方向から飛びかかる。
「Moon Breathing……」
アンジェリカは独特な呼吸法で息を吸い、そして刀を振るう。
たちまち、その刀身が数珠状に分解。
いくつもの刃を鎖で繋いだ鞭状の武器となって、自分の周囲を薙ぎ払う。
「First Form: Dark Moon - Evening Palace!」
「「「ジィーッ!?」」」
一撃だった。
一撃で、3体の変生体すべてが体を両断されたのだ。
自分の手勢がバラバラになって散乱する様を、儚主は驚愕とともに眺めた。
「バカな!変生体をこうもあっさりと……ありえねえ、こんなのはイカサマだ!」
「No, これ普通のことですね」
アンジェリカが刀をもう一度振るうと、伸び切った鎖が柄の方に引き戻される。
刀は鞭状から元の形に戻った。
「あなたたちdemon、いきなり出てきて人食べる。だから私、いきなり出てきてあなたたち殺す。何もおかしいないのことです」
「舐めるな、クソアマがぁーっ!」
儚主が激昂し、モーゼル拳銃を向ける。
その時、アンジェリカはすでに二撃目を繰り出し始めていた。
「Second Form: Pearl Flowers Moongazing!」
「ぐはあっ……!?」
数珠状の刃が襲う。
何重にも折り重なった斬撃が儚主の全身を切り刻む。
その一部は、儚主の本当の頸にあたる部分を捉えていた。
バラバラにされて地面に散乱する儚主。
もう再生することはない。
肉片の一つ一つが、灰のようにボロボロと崩れて消えていく。
(((グゥゥーッ、こんなバカな……勝っていた!オレは勝っていたのに!)))
儚主は今際の際、虚しい思考を巡らせる。
こんなことなら、鬼狩りが来たとわかった段階で徹底的に姿を隠し、連絡船を待って本土に逃げるべきだった。
しかし儚主は鬼狩りたちの姿を見た時、思ってしまったのだ。
──「こんな弱そうな鬼狩りなら、自分でも殺せる」。
(((最強の博打打ちだったこのオレが……勝負の下り際を間違えたってのか……!畜生ォ……!)))
その声なき叫びを最後に、蝉爺の意識は途切れた。
……永遠に。
◆
ゾンビたちは今度こそ沈黙した。
目から生えていた真っ赤なキノコが枯れ落ちて、ただの死体に戻ったのだ。
変生体はというと、全身がどろどろに溶けて、蒸発するか地面に染み込むかして消えてしまった。
「虫の蛹の中では、幼虫の体がどろどろに溶けて、一から成虫の体に作り直される」……
以前、どこかで聞いた話が獪岳の頭をよぎった。
その後、獪岳とアンジェリカは駐在の警官と合流。
ともに被害の確認と負傷者の救護にあたった。
集落のはずれに死体置き場が設けられ、大量の死体がずらりと並ぶ。
その中には小石山の死体も含まれていた。
「おい、アンジェリカ」
「What?」
アンジェリカが振り返って笑いかける。
そのあっけらかんとした態度が、獪岳の癪に触った。
「テメエ、結局あの鬼を1人で倒しちまったな。一体何者だ?」
「あー、教えてなかったですね。任務終わった今のことですから、教えるです私」
アンジェリカは胸を張る。
「私、
「柱だと?テメエが?」
「今回のmission、あなたたちの働き見るために来ました私。あなたたちがmissして島の人死ぬ、これダメですね絶対」
「ふざけるな!」
獪岳はその胸ぐらを掴んだ。
「なんで最初から言わねえんだ?そうしたら、テメエが強いことを前提に作戦が組めた!」
「作戦?何の作戦組むのことですか、貴方?」
アンジェリカは微かに首を傾げ、冷たい目で見返す。
「私がdemon倒したら、すごい言われるの私です。あなたたちハラキリ逃げられないことです」
「小石山が死んだんだぞ……!」
「best尽くしました私。あなたたちも頑張った聞いてますね、違いますか?」
鎹鴉が1羽舞い降りて、アンジェリカの肩に留まる。
「カァー!喜べ獪岳、お前の戦いぶりもちゃんと月柱様に報告した!」
「……何が、戦いぶりだ」
獪岳はアンジェリカの胸ぐらを掴む手を離した。
力なく、肩を落とす。
「見てたならわかるだろう?俺1人だったら早々と殺されてた。持ち堪えてたのは小石山の働きだ」
獪岳は小石山の最期を思い出す。
儚主の不意打ちから獪岳を庇って、自分が銃弾を受けて死んだ。
「あいつこそ生きるべきだったんだ。なのに俺を庇って……俺なんかを庇いやがって、畜生!」
「おーい、いたぞー!」
島民の声が会話を遮った。
見れば、ゾンビの襲撃を受けた家のあたりで、瓶の中から小さな子供が引き出されている。
親が瓶の中に隠すことで匿ったのだろう。
東の集落の住民の生き残りたちがその子供を暖かく迎えている。
「この東のvillage、本当はもっと人死ぬのところでした。カイガクとコイシヤマが戦ったから、demon忙しくてあまり殺せなかったのことです」
アンジェリカは獪岳を抱き寄せ、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「カイガク、あなたよく頑張ったですね。私あなたのこと褒めます。Good job! Good boy!」
「う……」
獪岳は抵抗せず、なされるがままにした。
……自分の力不足は、痛いほどわかっている。
そのせいで小石山が死んだことも。
それでも今夜、自分は頑張ったのだ。
自分の命さえ顧みず戦った。
それによって少しは人の命が助かった。
褒めてもらえた。
その事実が、獪岳のひび割れた心に優しく染み入った。
「ううう……!畜生……畜生……!」
獪岳はアンジェリカを抱き返し、泣いた。
──なんてみっともないのだろう。
頭の片隅で、考える。
こんなに泣くのは10年ぶりだろうか。
頭上では空が白み始めていた。
長い夜が明ける。
鬼が滅び、暗黒島にやっと朝が来るのだ。
【続く】