謎。誰も解けない謎。白日の元に晒されない謎。提示されても、誰も解けなかった謎。
人生はそんなものに満ちている。
だからこれも、そう難しい話じゃない。飲み込める話だ。
ただ、ちょっとその時の俺は、喉の滑りが良くなかったっていう、ただそれだけの話。
「ここ。地下の経理課。ここの場所に月の売り上げを満載した金庫が降りてくる」
俺はとある病院の見取り図を指し示しながら、何度も練習した説明をしていく。
「この時、このフロアに居るのは、金庫の帳簿に対応するためだけの経理課の担当者たった一人だけだ。そいつが一人で対応して、金庫の中の金を全部、ここにある年の売り上げを保管する地下の金庫に入れる。狙うのはこいつだ」
顔を上げ、実行役の顔を見た。顎に手をやり、説明に耳を傾けている少年。目線は見取り図に落としたまま、ずっとうなっている。
こいつはこいつで思うところ、考える事があるのだろう。
「月の売り上げの詰まった金庫が降りてくるのが7時半。一緒に降りてくる帳簿の確認作業が30分から1時間かかるとして、月の売り上げをの地下の金庫に入れるので、5分から10分。金庫の開閉作業は手練れだと数秒で終わる。見逃さないようにな」
「あぁ」
相変わらず、実行役は見取り図から視線を落としたままだった。それもそのはずだ。
所詮、この犯罪は実行役のトイズ頼みだ。
それが無ければ、今の今まで盗みなんてやってこれなかった。だからこそ、実行役は見取り図に目を走らせている。
自分がこの犯罪の根幹であるとの自覚を持っているからだ。
「なぁ…」
「ん?」
「ダイヤル式の金庫なんだよな」
「うん」
「金庫ごと盗むってのは考えなかったのか?」
無機質な声が疑問を投げかける。安全を考えるなら、完全に金庫を持ち出した後でゆっくり開ければ良い。
その方が現地で盗むより、はるかに時間もかからない。金庫を運ぶための台車は地下の経理課まで金庫を持ってくる際に使っているものがある。
それを使えば、特に苦も無く、病院の外まで金庫を持っていけるはずだ。
だが、それは選択できない。
主に2つの点に置いて。
「考えはしたさ。だが、トイズの持続時間を考えろ。台車で金庫を動かして、病院を出るまでにかかるのは5分程度のものだろう。しかし、その後はどうする。車は無いんだ。家まで持ってくるつもりか?」
「それも出来るよ」
「負担が大きすぎる」
「やるのは僕だ。実際、いつも僕の事を見つけられなかったじゃないか」
「いつまで昔の事を…そんなの、なんのイレギュラーも入らない家での事だろう。何が起きるか分からないんだ。リスクは取らない」
「別に、大丈夫だよ。試してみたいし」
実行役は眉一つ変えずに、俺の顔を一心に見つめてきた。だが、その実、彼は不満を伝えてきている。
付き合いが長いからだろうか。表情変化に乏しい彼の顔を見るだけで、何をして欲しいのか、何が嫌なのか、手に取るように分かった。
彼は自分の頭を抑えつけられるのが嫌なのだ。
「それだけじゃない。もし、途中でトイズが切れたらどうなる?」
だから、極めて理性的に、納得せざるを得ない理由を述べる。せめて、悪いように受け取ってもらわないようにしなければ。
「良いか?確かに挑戦は大事だ。何事も飛躍出来る可能性があるならやるべきだ。でも、これは今すぐにでも、成長すべき事か?伸ばすべき技能なのか?」
俺は諭すように、やらなくて良い理由を並べた。
練り上げた計画は、決して完全無欠という訳ではない。一度の失敗で脆く瓦解するものだ。
だからこそ、不測の事態が発生した時に対処できるように、リカバリーが出来るように、慎ましく、目立たず、不得手な事は極力避けるのが大前提なのだ。
冒険をしてもらっては困るし、ちょっとの出来心も許す事は出来ないのだ。
「目的はただ単に、金庫の中の金を全部盗み出す事だ。担当者がダイヤル回してるのを見逃したりなんて事をしなけりゃ、上手く行く事が決定してる。金庫をわざわざ盗み出して、事の発覚を早めても意味は無い。分かるだろ」
「でも、金庫ごとを盗み出せばダイヤル回すのも安全な場所で出来るだろ?現地でやる方が危険なんじゃないのか。集中すると周りへの注意が散漫になって、それこそ、ぶつかられでもしたらトイズが切れちまうって事もあるだろ」
相棒は無表情でそう言った。
「それに至近距離に経理の奴が居んだろ?そいつが居るだけで、気が散りでもしたらどうするんだ。それに、金庫を開ける瞬間を見れなかったらどうする。そもそもの前提が崩れるだろ」
「そこまでは考えてないよ!それを言ったら全部終わるじゃないか!」
思わず、大きな声を出してしまい、つい、ドアの方を振り返った。
今日は日曜日、それも12時過ぎという真昼間だ。だが、両親は仕事で外出している。
今はこの家に居るのは俺と相棒の二人だけだ。
「良いか?俺は可能な限り足の付かない計画を考えたつもりだ。でも、イリヤがやりたくないなら、辞めてくれて構わない。こんなのは所詮、間違ってる事なんだからな」
吐き捨てる俺に、親友は罰が悪そうな顔をして、俯いた。
「別に僕は、そう思ってない」
「いや、思うべきだ。こんなのは間違ってる。こんな事に付き合わせてる時点で間違ってるんだ。だから早く辞めるために、金を増やして、盗まなくても良いようにしようと思ってるんだ」
何度も、イリヤには話した事だった。
端正な顔立ちの白い仏頂面が七変化するくらいには、色んな展望を語ったものだ。
どれもこれも、ガキの妄想でしかない。
それでも、俺はその妄想を叶える事が一番健全だと思っている。白日の元に晒されても、それさえ叶ってしまえば、それだけは揺らぐものでは無いからだ。
「で、この計画のままやるか?それとも、修正するか?それとも、降りるか?」
俺はいくつもの選択肢を提示した。色んな可能性のある道だ。どれをとっても、今のところは実りがある。
「このままで行こう」
相棒は言葉少なに了承した。
分かっていた事だ。疑問は口にするし、意見も言う。けれど、その先は無い。
いつも、俺の言う事に従う。昔からそうだ。
「じゃあ、いつも通りやるぞ。お互い、細心の注意を払ってな」
これで良いのだろうか。いや、これ以外は無いのだ。これ以外の道は。
なぜなら、いつも、おかしい事に巻き込まれて、理解できない結果になる。これが全てだ。
なら、こちらもおかしい事をするしかない。理解できない事をやって最大の利益を得る。
それが全てだ。
この世界はおかしいんだ。なら、こちらもおかしくなるしかない。
それ以外に道は無いんだ。