油まみれのキッチンに、ブワッとかかった洗剤と、ゴシゴシ磨くブラシ。何度目かの拭き取りで、買った当時の、とまではいかないが、見違えるほど美しくなったキッチンに、店主はにっこり笑った。「アンタ、掃除が上手だよナ」、と。一仕事を終えたバイトはギトギトに汚れたエプロンを外し、油を熱するために湯を沸かした。「ひとり暮らしをしていた時期があったのです。こういうのは、その時に身につけました」。思いもよらぬ返答に、店主はほんのりと気をよくしては、「ヘェ、今は誰かと?」。「えぇ。かけがえのない仲間たちと暮らしています」。
かけがえのない仲間、か。店主はふと、心に引っかかった。「いいネ、ソレ。ヤ、オレも……似たようなモンか」。自分で吐いた言葉に自分で目を丸くした。けれど、バイトは優雅に微笑むばかり。「あの子たちは、強かですね。貴方に似て、なのでしょうか?」。「ンー、チット違うかネェ。オレはサァ、アイツらに起こしてもらった側。再起動するまでズーッと、このハウスと一緒にほぼ死んでたのサ」。
バイトはしつこい汚れをようやく全て取り払い、片付けを始める。「再起動のきっかけは?」。「アー…聞いたことねェや。キョーミ本位だと思うゼ」。「それから、彼女たちの世話を?」。「オウ。アイツらにディスクの扱いを教えたのもオレ。廃材漁りはアイツらが元々やってたみてェだ。マァ、この辺で仕事っつっても、ロクなのネーし」。
汚れたエプロンはビニールに包んで。油を落としたブラシはロッカーにしまって。バケツやモップ、洗剤だの雑巾だのも、仕舞い込む。「ナァナァ。せっかくだしアンタのことも聞かせてくれヨ」。店主が尋ねれば、バイトは少しだけ考え込み、「良いですよ」、と振り返った。
「んジャあじゃあ、アンタの仲間について聞きてぇナ。バンド?」。「そのようなものです。だいぶ、異色の編成ではありますが」。「メンバーのことはスキか?」。「えぇ、もちろん。彼らがあってこそ、今の私が居ますから」。「アンタのポジションってナンダ?」。「……なんと言ったらいいものか…」。「アァいや、ムリに答えなくてもいいんだゼ」。「すみません、オーナー。ここは黙秘権を行使します」。
「…代わりに。そうですね。私の仲間にも、3人組が居るのです」。「レコとミクスとクリップみてェな?」。「えぇ。1人目は、3人のまとめ役です。レコは冷静沈着ですが、その子は…ぼんやりしているというか。ずっと遠く、目に見えないものを見ている、というか。2人目は、ミクスのように活発な子です。ムードメーカーでよく笑う、いい子ですよ。3人目は少し歳が離れていて…ふふ、口が悪いんです、怒りん坊で。体がまだ小さいこともあって、クリップに似ている…かもしれません」。
「ヘェ〜、なんか似てんなァ」。「ちょっとだけ」。「他にもメンバー居るのカ?」。「その3人と、私を含めて、あと3人居ます」。「結構デカいバンドだナ」。「ところで、オーナー…」。
男は不意に、機械の手を取った。「具合が良ろしくないのでは?」、と。機械は目を逸らした。けれど、無言の圧が目の前に。「…イツ気づいた?」。「いつかは問題ではありません。見せていただいても?」。
視線が合う。相変わらずなにも読めぬ、細い目だ。かれこれ少し過ごして分かったが、このバイトは何かの悪意があってここに居るわけでもないらしい。腹が黒いかどうかもわからないが、この状況になってしまえば、拒むわけにもいかないだろう。「分かった。好きにしナ」。そう手を差し出せば、男は機械の手の観察を始める。
「…不思議だったのです。何故、私を雇ってくれたのかと」。「ハハ、こんな手じゃァもう掃除もできやしねェ。でも、アイツらもやりゃァしねェ。こんなスラムじゃ澱んだ風しか吹かねェが、腐ってたッテここは店。客は歓迎しなきゃァな。…つッテモ。もちッときれいに使ってほしいケドさ。だから募集かけて、来たのがオマエだったんだ。ウチの募集、オマエしかいなかったんだゼ? 面接したらミョーにハイスペックでビビったのは、アイツらには内緒ナ」。
「……改めて、ありがとうございます、オーナー。…ひと月ほど前に、ここらではDJ同士の抗争があったでしょう? 私はそれで、貴方達の音楽に出会って、月並みな言葉ではございますが…魅了されました。バイトを募集していると知って、逃すまいと。……オーナー。私の仲間に、レトロ好きの技術者がいるのです。もしかしたら、同じ型番のスペアを持っているかもしれません。相談してみても、良いでしょうか」
男は、真っすぐな目で、こちらを見る。機械は頷いた。「頼む」、と。