すいと。バイトに差し出された袋の中身を確認して、店主はつい、関節の神経接続が一瞬切れたように錯覚した。バイトの話を冗談半分に受け止めていたのに、その日バイトが持ち込んできたのは、紛れもなくこのボディに対応しているスペアパーツであったのだ。
「オマエ、マジかヨ! 超絶昔の絶版パーツダぞ!?」。「いえ…私も駄目で元々でしたが、どうやら本当にコレクションしていたようで。持っていた本人も『必要としている人のところが、これのあるべき場所だろう』、と」。手のひらでキラキラ光る正中神経類ケーブルと、1世代限りで消失した仕様の神経統合用リピータ、マイナーなメーカーが製造していた28世代前の関節用ジョイントは、まさしく欲していたそれそのもの。しかもバイトが言うには、パーツの交換後、使い古したパーツを彼に託せば、新しいスペアとして修理してくれるとのことだ。もちろん、報酬には金か、金以外で向こうの要望を呑むかしないとならないらしいが。
後のことはともかく。これで交換を済ませれば、手が自由に動くようになる。そうすれば、あとはこっちの思うがままだ。けれど、交換箇所は肝心の手である。「自分ではやれネーな。クリップに頼むカ」。これからの計画を言葉で立てている途中で、バイトはひとつ、忠告をした。「相当前の世代のものですから、更新にかなりの長時間がかかるだろうと、仲間は言っていました」、と。
それも、わかってはいる。十全に交換を行うなら、今日の営業を取りやめることになる。しかし休日となれば、あの帳簿の黒は赤に変わるだろう。穴を空けて客を失望させたくない思いもある。休日にはできない。時間をずらすのもダメだ。とはいえ、精密作業後のクリップはできるだけ休ませたい。だが、レコとミクスだけでは警備まで手を回せない。
ともなれば…。
店主はニィと、バイトに不敵な笑みを向けた。
轟くはウーファー。叫ぶはトゥイーター。店主の事情に肩を落とし、代役として立てられた見慣れぬ男…こと、バイトのプレイングテクニックに、訝しげだった客たちもすっかり骨抜き。曲と曲のインターバルに、耳に挟める評判は、おおむね好評。顔が胡散臭いと、それだけが欠点だとひそひそ話が交わされる中を店主はおどけて歩き、熱烈な声援を受けながらも、とある片隅の席へとたどり着いた。
「ハロー、ネーチャン」。修理したばかり、けれど細かい自由の利かぬ手を振れば、その席でカクテルを傾ける赤い女は、気さくな様子でにっこり笑い、店主を歓迎した。
この女は、週に1度ほど来てくれる常連だ。口に出せないような仕事をしているらしいが、それより気になることがひとつ。連れにもうひとり居たはずだが、近頃はとんと見ない。それを訪ねようかとも考えたが、けれど女が色っぽく微笑むものだから、口を閉ざした。
「どーも、オーナー。景気は?」。「全然ダメダメ。そっちはどうダ?」。「似たようなもんだよ。仕事もキツキツ、報酬シブシブ。おかげで自由時間とかほとんどないし…それに…ハァ…」。アガるダンスフロア、そこには似つかわしくない、重い重いため息。それはきっと、注がれた青いカクテルがもうひとつ、置きっぱなしになっているせいもあるんだろう。店主はそれには手を付けず、近場の壁に寄りかかっては、ボディスーツを着込んだ女のサングラスを、じっと見つめた。
「…ま、それはおいといて。ここらに腕のいいDJ、まだ居たんだね。ほんと、見る目ある」。「イヤ、見る目あるのはあっちの方サ」。「……にしてもあの糸目、どっかで見たような…ん~……ここに居るわきゃないか。忘れて。…あぁ、そうだ。景気が悪いオーナーにこれ、招待状」。
そうして、女は腰のポーチからひとつ、ホログラムレターを取り出した。店主が再生を開始すると、鮫を抱えた気だるげなアバターが表示される。彼女の姿を知らぬ者はいないだろう。ストリーマー、Live☆Twinの青い方…リィラだ。
『よっす~リスナーの皆ぁ。リィラだよ。今年も恒例、ラップフェスの時期がやってくる…んだけど、今年は諸事情でキスキルと予定が合わなくってさぁ、代理のDJ探すことにしたんだぁ。でもでも、ただのオーディションなんてつまらない。もっと大規模に、盛大に、ラップフェスのDJを決めよ~…ってなこ・と・で。ヴァーチャルDJバトルグランプリ、開催決定をここに宣言しま~す。応募要項、参加資格、機材、その他諸々。詳しくは~…このURLから確認してよ。んで、DJやってない普通のリスナーにも分かるように、ちょっとだけ説明~。参加単位は自由。ひとりでもいいし、ユニットでもOK。それぞれでプレイリストを持ち寄って、何対何かは問わないMCバトル。ショーケースはストリートっぽい感じで、目と目があったら勝負! んで、観客の声援がデカい方が勝ち。負けたら脱落、持ってる星は全部相手にわたって、最終的に勝ち星が一番多い人の優勝…ラップフェスでもプレイしてもらいま~す。あとは~…話の主題を分かってない感じの、冷めるようなマネしたヤツは、その場でサメに食われるから脱落ね。ケッコー簡単でしょ? じゃんじゃん応募、待ってま~す』
その言葉を最後に、ぴたりとアバターの動きが止まる。指さされたアドレスを読み取ってみれば、…なるほど、仮想空間上での大規模なイベント。誰かの敷いたレールを走るというのは全く持って気に食わないが、知名度を上げるには手っ取り早い方法だ。景気の悪い昨今において、こうしたイベントは数を減らしている。遠くまで行けない都合上、仮想空間というのも都合が良い。
舞台上では、すっかりホットな観客たちの歓声が、より強まる。バックヤードから登場した3人の少女たちがいつもの期待にお約束の罵声を浴びせかけては、バイトとハイタッチして交代する。レコの指先より奏でられるは、よりノイジーで、より激しくなる展開。ミクスのステップに、クリップの苛立ち。その合間を抜けて、バイトは退場していく。
彼の助けもあって、今日の休みの後には本業――トラックメイカーにようやく戻れそうだ。あのワガママ娘3人衆を説得するにはボーンが折れそうだが、現状を打破するこれ以上ない機会。それに…経営が傾きかけている今、変えなければならない。
「おっ、やる気だね?」。赤い女が艶やかに笑う。「オウ、情報あんがとヨ。今夜も楽しんでってくれよナ」。ささやかながらもチップを手渡せば、けれど女は突き返した。「…残念だけど、そろそろ仕事。そのお金であの子たちにチョコか、プチプラでも買ってあげてよ。女の子は、可愛いのが一番なんだから」、と。自分のグラスと、その目の前のグラスを飲み干しては、手をひらり振って立ち去った。
本調子の出てきた手のひら、その中で煌めく、ホログラムのチャンス。「…逃すまい、カ。その通りだナ」。アドレスにアクセスして、隅から隅まで、必要な情報を回収する。次に、スケジュールを立てる。無駄とかなぐり捨ててきた、人工知能らしい合理的思考……けれど、こういう時には役に立つ。