熱は己が裡より   作:東雲。

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全4話です。



私の知らないあなたの顔が見たくて

 教室を出て、下駄箱へ向かい廊下を歩く、ボブカットの少女が1人。学生鞄を両手で提げながら歩く彼女、斎賀玲の表情は暗かった。

 窓の向こう側でちらちらと雪を降らせている曇天のように―――暗澹としていた。

 

「はぁ……」

 

(今日は、楽郎くんと一緒に登校できませんでした……)

 

 彼の行動スケジュールを予測し、完璧なタイミングで鉢合わせるべく家を出たのに、彼女の予測は裏切られ楽郎とは出会えずじまい。昼休みにそれとなく彼のクラスを覗いてみたが、不運は重なるのか楽郎の姿は見当たらなかった。

 

(なんて巡り合わせの悪い一日――いえ、運のせいにするのは怠慢。ロックロールに行けばもしかしたら……!)

 

 もし彼と出会えた時に沈んだ顔は見せられない。落ち込んだテンションを強引に引き上げて、階段を降りきったその時。

 

「――で、陽務の家に行くのか?」

「遊び行きたかったけどそうなっちまうなあ。担任に目つけられたのが運の尽きだわ」

 

 聞き逃せない単語が、玲の鼓膜を震わせた。

 

「!?」

 

 玲はとっさに廊下の陰に隠れ、声の出所に目を向ける。彼のクラスメイトが校舎入口の前で話し合っていたようだった。

 

「毎回思うけどさあ、いくら重要っつってもこのご時世にプリントは無くね?」

「このご時世のサイバー犯罪対策だぞ、むしろトレンドだろ」

「レトロに回帰してるだけじゃん。学校ハッキングしてなんか良いことあるか?」

 

(プリントを、楽郎くんに? ……!!)

 

 玲の優秀な頭脳はすぐさま状況を理解した。

 おそらく楽郎は体調を崩してしまったのだろう。だから玲がタイミングを見計らっても通学路で出会えず、昼休みにも姿がなかった。そして学校に来れなかった彼にプリントを渡す役目を、あの男子生徒は振られたのだろう、と。

 

(嗚呼、いいなあ……。私が楽郎くんと同じクラスだったら、プリントを渡してあげることもできたかもしれないのに……)

 

 無い物ねだりをしてもしょうがない。体調不良ならロックロールにも来ないだろう。

 玲にできることはもはや何も無い。休み明けには彼の体調が治っていることを陰ながら祈るばかり―――

 

 

(―――()()()?)

 

 

 もう一度、玲は現在の状況を整理する。

 楽郎は学校を休んでいる。誰かが今日中にプリントを渡さなければならない。だが役目を振られた彼は面倒がっていそうで、彼に任されたのは恐らく楽郎と交流があるから、というだけのはず。

 で、あるならば。

 

(……()()()()()()()()

 

 天啓が降りた。玲には確かにそう思えた。

 

 しかし、すぐには実行に移せない。

 想像してみよう。急に別クラスの人間が近寄ってきて、「そのプリントを渡す役目を代わりましょうか?」と話しかけてくる様を。

 

(かなり……不審……っ!)

 

 『出しゃばり』で済ませられるかも怪しいレベルの厚かましさだ。いくら羨ましくても、羨ましいだけでそこまでする度胸は玲には無い。余人の評価を意識する性質(たち)ではないが、しかし限度はあろうもの。

 

 行くか、行かざるか。心の天秤は揺れながらも徐々に行かないに傾いていく。

 

 廊下で下駄箱の様子を伺うだけで、結局何もできない。このまま何も起きなければ、きっとそうなっていただろう。

 

 だが、乱数の女神は―――いたずらに微笑む。

 

「にしても陽務もツイてないよな。風邪引くなんて」

「アイツのことだからゲームできてラッキーとか思ってんじゃね?」

「流石にそれは………いやあるな」

 

(……風邪?)

 

 玲の脳内を高速で情報が駆け巡る。

 

 楽郎くんが風邪を引いている。楽郎くんが風邪で弱っている。今ならば。今だけは。普段の快活な彼の違う一面を―――見ることができる?

 

 

 ()()()

 

 

 玲の瞳がマーブルに渦巻く。恥も、外聞も。体裁も。今は重要ではない。

 心の天秤は、欲望に傾いた。

 

「……あの。何かお困りでしょうか」

「? ……えっ斎賀さん!?」

 

 気づけば玲は数歩の距離を詰めて、楽郎のクラスメイトに声をかけていた。彼は他クラスの高嶺の花が急に背後に現れて大層驚いていたが、玲の視線は彼の手のプリントにだけ向けられていた。

 

「急に、すみません。何か、困っているようだったので」

「え。あ、あー……いやその、と、友達が今日学校休んで、それでプリント渡さなきゃ、で。い、いやあ。ツイてないな~って……ハハ……」

 

 緊張からか愛想笑いを浮かべる男子生徒に、玲は穏やかに口角を緩めて手を差し出す。

 

「――もしよろしければ、代わりましょうか?」

「へ?」

「偶然、そう偶然……聞こえてしまったのですが。ら――陽務くん、ですよね? 帰るついでに、届けますよ」

「え、えーっと……」

 

 どういうわけか強い圧のようなものを玲から感じ、いたたまれずたじろぐ男子生徒は視線を泳がせ、隣のクラスメイトに助けを求めた。

 

「ま、まあ。良いんじゃね? そしたらお前も遊べるしよ」

「た、しか。に……? じゃ、じゃあ。申し訳ないけど。お願いしても、いいですか……?」

「はい。確かに」

 

 プリントを受け取った玲は、鞄からクリアファイルを取り出して挟み、鞄にしまい直す。ミッションを一つクリアした達成感に心の中だけで拳を握りしめつつ、玲は軽く一礼した。

 

「では、さようなら」

「あ、はい。さよなら」

 

 呆然気味の男子生徒をよそに、玲は自分の下駄箱に向かい靴を履き替える。

 

(風邪なら何かしら見舞いの品が要りますよね。コンビニエンスストアで何かしら買っていった方が良いですよね。汗をかいてるかもしれませんし、スポーツドリンクは必要ですよね……? おかゆの材料も……い、いえ流石にプリント渡すだけでそこまでは余計かもっ。で、でももしかしたら必要になるかもしれませんし。念の為。そう備えあれば憂いなし。転ばぬ先の杖とも言いますし! 一通り準備しておいたほうが良いに決まってます! きっと!)

 

 恋する乙女の頭の中は、看病のことでいっぱいになっていた。

 

 


 

 

「なあ、俺……斎賀さんに話しかけられちまったよ」

「バカ。ありゃどう見たってそういうことだろ」

「え? どういうこと?」

「いやそりゃあ、ホラ。アレだよアレ」

「アレって?」

「月曜の朝は陽務の尋問から始めるってことだよ」

「……なるほど、理解したわ」

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