熱は己が裡より   作:東雲。

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リング・イン・トゥ・ワンダーランド

 制服の袖の先、右腕の先。震える右手の先に、伸ばした人差し指の10センチ先にインターホン。

 そのすぐ上の表札には「陽務」の文字。

 

「………っ、………………!!」

 

 周囲の雪が触れる前に溶けてしまいそうな程の気迫を漲らせ、玲は指を近づけていく。身体を刺すような木枯らしも、恋する乙女の熱情の前では無力だった。

 心臓がどぐんどぐんと痛烈に拍動し、学生カバンとコンビニ袋を纏めて提げている左手が凄まじい握力で握り込まれていた。

 

(だ、大丈夫……! 今の私には、大義名分と義務がある―――!)

 

 『プリントを届ける』という大義名分と、『プリントを渡せなければ楽郎くんが不利益を被る』が故の義務感。自分の都合で伸ばしかけた手を引っ込めていたこれまでとは状況が違うのだ。

 

(み、見ていてください、真奈さん……! そして願わくば、私に勇気を……!)

 

 『そこまでするならもう告った方が楽じゃない?』と辛めな言葉を投げかけてくる恋の先達の姿が脳裏を過り少しつんのめりかけた玲だが、深呼吸を繰り返して――五分ほど――心を定め、ついに。

 

 ぴんぽーん、と。

 

 気の抜けた電子音が、閑静な住宅街に響いた。

 

 


 

 

「う……」

 

 浅い感覚の眠りから目を覚まし、見慣れた天井を見上げる。首だけ動かして見た時計は午後五時、窓から差し込む光―――は分厚い雲で遮られているのでよくわからん。

 体調の方は……あまり治った感じがしない。受験勉強に本腰を入れ始める時期だし、流石に体力回復を優先してゲームは控えてたが、果たしてその判断は正しかったのか否か。

 

 ぐるるる、と腹の虫が鳴く。結構強めの空腹感が全身の倦怠感と拮抗していた。

 

 朝起きてから口に含んだものと言えばアクセル用に買っておいたスポドリくらいのもの。流石になにか腹に入れないと治るものも治らない気がしてきた。

 折り悪く家には俺以外誰もおらず、こうして寝ていても誰かがお粥を作ってはくれない。つまり自分の身は自分で世話しないといけないわけだが……この気だるさがなあ。

 

「あ゛ー……しょうがないか」

 

 答えは既に出ている。後はこの身体を引きずってでも台所へと向かうだけ。体力の消耗と栄養補給は差し引きプラスとか考えながら身体を起こし、上着を羽織ってから部屋を出て階段を降りる。

 

 ぴんぽーん。気の抜けた電子音。

 

「んん?」

 

 これはまたなんともタイミングが良いんだか悪いんだか。もしベッドで寝てる時に鳴ってたら100%居留守を決め込んでいただろうが、ちょうど降りてきたところだしなあ。

 

 まあカメラ越しに誰が来たか見るくらいはするか。知らん人だったら居留守でいい―――

 

(緊張してそうな雰囲気の玲さん)

 

 

 ―――はい??

 

 

 いかん、ちょっと高熱で幻覚見てるかもしれん。まさか玲さんが俺の家の前にいるわけ。

 もう一度見てみよう。

 

(ちょっと不安げになっている玲さん)

 

 あれえ? 幻覚消えねえなあ?

 いやまあ流石にこの期に及んで見なかったふりはできない。大人しく現実を受け止めよう。

 

 

 ……なぜか玲さんが俺の家の前にいる。

 

 

 「住所教えたっけ」とか「なんでここに?」とか気になることは色々あるが、今はそれどころではない。

 さっきのインターホンが来訪してから何度目かわからない以上、玲さんがどれだけ玄関先で待機していたかを推し量るすべはない。玲さんの顔って普段から赤っぽいから、今のソレが寒さによるものなのか判別付かないし。

 

 つまり全身が凍えている可能性もある以上、軒先で放置してたら風邪が二人に増えちまうんだよなあ!

 

「あー……玲さん?」

『あ、ら、らら、楽郎くん!?』

 

 ラッパーみたいな慌て方してる。

 

「えっと、とりあえず扉開けるから中入って。外寒いでしょ」

『えっ、あ、その。……お、お邪魔、しま!!』

 

 鍵を開けて扉を動かし、入れますよアピールをしてからマスクを取りに行く。

 インターホンに気付いた時点で応対の可能性もあるわけだし、回収しておくべきだったかもしれない……と思いつつ玄関に戻ると、ちょうど玲さんが扉を閉めるところだった。

 

「ええと、どういったご用事で……? 実は見ての通り風邪なんだけど」

「あ、は。はい! 楽郎くんが風邪、とのことで。その、連絡物を渡しに……!」

「へ? あ、ああ。ありがと」

 

 玲さんが鞄から取り出したクリアファイルを受け取る。あー、これ結構大事なヤツだ。人使って渡すのも納得――ではあるんだが。

 一点、腑に落ちない。

 

「あー、こういうのって普通、同じクラスの連中が渡すもんじゃない?」

「え、ええと。その、それは、ですね。た、たまたま帰り際に楽郎くんのクラスメイトが話しているのを伺いまして、その。私なら帰る方向が近いですし、効率的と判断して役目を代わってもらい、まして。け、決してお互いに無理を言った訳ではなく合意の上で引き受けたので、他意は無いと言いますか……!!」

 

 頭グラついて全部は聞き取れなかったけど、どうやら玲さんがわざわざ引き受けたらしい。

 ったくアイツらときたら、日頃いかに玲さんが高嶺の花かと熱弁してくるクセに、自分たちはちゃっかり便利に使いやがって。体調が治った暁には身の程知らずを探して断罪せねばなるまい。

 

「そっか。わざわざごめんね。こんな寒い中歩かせちゃって」

「い、いえいえ! その。楽郎くんが体調を崩したと伺って、心配で、つい出しゃばった真似を。―――友達と、して!」

「……おおう」

 

 なんだろう。玲さんの聖人っぷりが五臓六腑に染み渡るようだ。友人の不調をここまで心配してくれるとは。

 あの外道共ではこうは行くまい。もし『風邪引きました』などと報告したら魂が温まる言葉(頭にくる煽り)を投げかけてくるに違いない。まあそれが想像つくから風邪引いたなんて連絡はお互いにしたことないわけだが。

 

 心配されるのも悪い気はしない。お陰で身体に少し活力が戻ってきた気がする。

 

「えーっと。うん。ありがとうね。じゃあ―――」

「そ、それでっ」

「ん?」

 

 『また来週』と言おうとした俺を玲さんが遮る。

 

「その、用事自体は、これだけといえば、これだけなのです、が。楽郎くんが風邪と聞いた以上、何もせずに帰るのは主義に反すると言いますか……!」

 

 顔をななめ下に俯け、重量感のある膨らみ方をしているコンビニ袋で隠しながら続ける玲さん。

 

「か、看病……など! させてはいただけないでしょうか……!」

「……それは―――あ」

 

 移すかもしれないし良くないんじゃないか、と思いかけた俺の目に今一度コンビニ袋が映り込む。

 ひょっとして、俺の看病の為にわざわざ色々買ってきてくれたのだろうか。

 俺の視線が向かう先に気付いたのだろう。玲さんが持ち上げた袋がガサガサと揺れる。

 

「あ、は。はい! そ、その。おかゆとか作れればと思って、色々準備してきました! 風邪対策も用意しているので、ご安心いただければ、と……」

 

 う、うむむむ。流石玲さんというべき用意周到さ。しかしあんまり世話になりすぎるのも申し訳ない―――

 

 ぐうるる(己の下腹部から鳴り響く肉体の合図)。

 

「「………」」

 

 ……知人に腹の音聞かれるの、思ったより居心地悪くなるんだな。

 

「楽郎くん。差し出がましいことを伺いますが、お昼は……?」

「食べてないぃ―――ッスねえ……」

「お、お家の方は……?」

「乱数の女神の悪戯により全員出払っておりまして」

「……!」

 

 玲さんの表情が俄に険しくなった。

 どうしたんだろ(高熱によるINTデバフ)

 

「どうかした?」

「い、いえいえ! な、なにも問題ありません! はい!!」

 

 なんか最終決戦に赴く(つわもの)みたいな雰囲気を感じるんだけど……。

 ここまでしてもらって『やっぱいいです』とも言いづらい。他人の善意には素直に乗るのが吉だろうか。

 

「んー………じゃあ、申し訳ないけど頼ってもいいかな」

「わ、わかりました! 身命を賭して楽郎くんの看病に努めます!!」

 

 流石に他人の風邪に命を張らなくても良いんじゃないかなあ。

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