楽郎が何気なく零した「家に誰もいない」宣言。それ即ち二人きりということ。
(楽郎くんの家で……楽郎くんと、ふ、ふた、ふたりきり……!!)
頭に突然ポップした『風邪は移すと治る』迷信を実行に移す妄想を振り払いつつ、玲はダイニングテーブルにコンビニ袋を置いた。
楽郎は安静にするべく部屋に戻っていったが、『台所のものは何でも自由に使って良い』と許諾を得ている。
(し、しかも楽郎くんの為に料理を作ってあげるなんて、ま、ままままるで同棲! 通い妻!? こ、こんな日がやってきてしまうなんて……!!)
ともすれば飛び跳ねたくなるくらいには舞い上がっていたが、しかし己を強く律してどうにか浮き立つ気持ちを地に押し付ける。
「ごほん」
咳払いひとつ。深呼吸を一度だけ。玲は平静を取り戻した。
(……楽郎くん、とても辛そうでした)
声は枯れ気味、頬は赤く顔色は悪い。呼吸は乱れて、立っているだけで辛そうな雰囲気だった。
『普段と違う楽郎くんが見られるかも』などという軽い気持ちで足を運んだ浅ましさを、玲は恥じた。彼女の眼の前にいたのは紛れもない病人。ならば玲のやることは一つだけ。
(全身全霊で、看病をやり遂げる――!)
邪念も下心も今はいらない。『楽郎くんの快復を助けたい』、ただそれだけでいい。
袋から取り出した食材を手に、玲は台所の前に向かう。
シンクや鍋に使用感を思わせつつも、しかし清潔に使われているシステムキッチン。そこに立つのは、誰にでもできることではない。
(楽郎くんのご両親や楽郎くんが使っているキッチンに、私は立つ。ううん、
玲にはそれがとても光栄なことに思えて、自然と身が引き締まる。
(浮かれている場合じゃない。楽郎くんの為、まずはおいしいお粥を作らなくては!!)
誰がためにここに居るのか。
今一度確認した玲は、袖を捲り上げて調理に取り掛かった。
……玲さんって、料理できるのかな。
いいとこのお嬢様だし、自分で料理を作る機会はあまりなさそうだけど、教養として身につけている可能性も大いにある。
などと飢餓感に耐えるだけの時間を、思索を間延びさせて費やしながら待っていると、扉がこんこんとノックされる。
『ら、楽郎くん。お粥をお持ちしましたので、入ってもよろしいでしょうか?』
「え――」
……あれ? よく考えなくてもこれ女子を部屋に招いていることにならない? しかも家に俺と玲さんしかいない状況で?
……………………。
まあ、いいか(高熱による判断力デバフ)。
これは看病。よって疚しいことは何もない、オーケー?
つか、仮に俺が不義理を働いたところで、玲さんなら軽くいなした上で俺の肩を脱臼させるくらいは容易にやってのけるだろう。
……少し背筋が冷えた。
「あー、どうぞ」
部屋に見られて困るものがあるわけでもなし―――いやチェア型業務用VRシステムの入手経路を聞かれると困る……まあなんとかなるか。
『し……失礼、します』
静かに扉を開けて、小鍋と茶碗が乗ったお盆を抱えた玲さんが入ってくる。マスクで防備も忘れていない。
「? ……!?」
あ、業務用チェア二度見した。
「え、ええと……楽郎くん、食欲はありますか?」
「んー……そこそこ?」
「よ、良かったです。すぐ準備しますのでもう少しだけお待ちを……!」
玲さんは俺の横を通り過ぎ、机に盆を置いた。少しすると茶碗とレンゲを手に戻って来る。
飯を戴くため、気だるさを押しのけて体を起こす。
「お、お口に合えばいいのですが……!」
玲さんがおずおずと差し出してきた茶碗とレンゲを受け取る。さていかほどか……。
「……おお」
いわゆる一般的な米を煮たお粥とは見た目からして違う。半熟卵と小口切りされたネギが入っていて彩りがあるし、粥全体にうっすら色がついてるから味付けもされてそう。
「……いただきます」
玲さんが不安げな目で見てきてちょっと食べづらいが、気にしないことにして軽く冷ましてから一口。
―――美味い。
「うまい」
「!!!!」
いやお世辞とかじゃなく本当に。
優しい味が汗ばんだ身体によく沁みる。時折来る塩味がアクセントとして効いていて一辺倒な味じゃないのも意外だった。何だろこれ。
「うん、うまい。この塩味っぽいのは……」
「あ、多分味噌です。少し溶かして混ぜてて、その、少し失敗してしまったので全体に馴染んでないかもしれないのですが……!」
「そう? むしろ嬉しいけど」
「ほ、本当ですか!? よ、良かったです……よ、よく噛んで……食べてくださいね?」
「わかった」
思い込みかもしれないが、食うほどに活力が満ちていくようだ。
もう既に玲さんに感謝してもし足りない。
「おかわりもありますから、遠慮しないで言ってくださいね? よく食べてよく眠るのが、今の楽郎くんの務めですから」
「あい」
いやあ美味かった。小鍋の分も全部食べきってしまった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。では、洗い物をしてきますね」
「………ふう」
玲さんがお盆を手に部屋を出ていく。身体を起こしたまま息を深く吐いた。
だいぶ気分が持ち直してきた。あと一眠りでもすれば復調できそう。
「………ううむ」
クリアになってきた脳細胞で今一度考える。
……なんか成り行きでお粥作ってもらって食べたけど、これは友達という間柄で行って良いイベントだったのだろうか。
少なくともラブクロックでは、プレイヤーの看病イベントは交際後にしか無かったはずだ。好感度的にハイリスク・ローリターンだからチャートから除外される悲しきイベントだったが。
一方でヒロインの看病イベントはハイリスク・ハイリターンだったからチャートに入れざるを得なかったんだよな。アレは中々苦しかった。0.1℃の体温の差がピザルールへの命運を分ける一瞬も気が抜けない綱渡り……うっ考えすぎて頭痛が。
クソゲーのことは置いとけ。要するに玲さんは不自然なほどに優しすぎるってことよ。
たかが友人相手にここまでしてくれる博愛精神の持ち主はそうそう居ない。ペンシルゴンや京ティメットあたりは玲さんの爪の垢を煎じて飲んでほしいくらいだ。
他人に過剰に親切にする時は、決まって何らかの目的があるからだ。玲さんが俺に優しくすることで得られるメリットって……何だ?
……。
…………うーん。
まだ体調悪いせいか脳の回転速度が足りない感覚がある。ここは一眠り入れて身体を休めるか―――、
「……試してみるか」