「掴まれ!」
力強い印象とは反対に可憐な少女の声が奈落にこだました。
太陽は冷や汗が止まらない中、その声とシルエットが幻ではないことを祈って手を伸ばす。
手は空ではなく暖かい人間の手の感触をしっかりととらえ、小さな手は太陽の手をがしりと掴み、とんでもない力で体を引き上げて地上に放り投げた。
太陽は重力によってなすすべもなく地面に落下し、大きな音を立てて尻もちをついた。
「いてえっ!!」
情けない声を漏らし、一連の出来事に疲れ果ててしまい仰向けになって息を整える。頭と目が回って思考がうまくまとまらなかった。
「あ……ありがとう……」
今、この何者かに助けられなかったら…………底の見えない谷でガイコツになっていただろう。それまでに世界が終わる可能性は否定できないが。
ちらりと恩人のほうを見やると、崖っぷちから立ち上がってコートの裾の汚れを払っている。
腰まである紫がかった癖っ毛の長髪。短めの黒いコートからは太ももから膝までがあらわになっており、肉付きからその人物が女性であることが分かる。あの可憐な声を聴いて男だと言われても無理があるところではある。
ふと、目線を上に向けてみる。短いコートの裾が僅かにたなびき、艶かしい肌色と未知の布の世界が広がろうとしている……………………
「何見てんだ?」
じろりと視線が飛んできて、可愛らしい声で発せられているとは思えないほどふてぶてしい態度と荒い言葉遣いが飛んできた。
「ご、ごめん!」
「いや、別に怒ってねえけど」
少女は気にしていないかのように太陽の謝罪をさらりと流し、こちらを振り向いた。
一人の男を持ち上げて投げたとは到底思えないくらいに華奢な体だった。声から想像できる通りの可愛らしい顔立ちの少女で、こちらを見据える小動物のような大きな瞳と太い眉が特徴的だ。全体的に幼さが感じられる。
否────幼さというレベル以前に、そもそも体の大きさからして幼いのが分かった。平均的な17歳の身長である太陽と比べると20センチメートルほども小さい。
太陽は立ち上がり、それを再確認する。何しろ自分より小さい人間にあまり会ったことが無かったので、彼女の存在そのものが太陽にとって珍しいものであった。女と男で体格を比較するのも良くないが、太陽や孤児院の同年代の女子が14歳のときですらこんなに小さくはなかった。
この世界の性質上、今この時、人間はどんなに幼くても17歳である。なぜなら17年前から子供が産まれなくなったから。つまり、この14歳かそこらに見える少女は、少なくとも太陽と同い年なのである。どうにも信じがたい。
振り向いた少女は太陽が大した怪我なく立ち上がっているのを見て安堵の表情を見せるが、即座に太陽が手を使って背比べをしているのを理解する。太陽は決して嫌味でこのようなことをしているわけではなかった。が、会ったばかりの人間にマウントを取られていると思ったのか、少女は眉間にしわを寄せ、太陽を睨みつける。
「………………おい。何してんだよ」
「いや、何も…………はは」
あまりの珍しさに少女の機嫌など気にも留めていなかった太陽は、目の前でこれ以上ないほど、あからさまに不機嫌になっている少女に気がついた。はっと手を引っ込めるも、鋭い視線は少しも動くことはなかった。
何かまずいことをしてしまったか、と太陽は身構える。これまで年の近い異性と関わったことがなかったので、接し方が分からないというのが本音だ。若者を下に見るオバサンたちの相手は得意なのに。
しかし予想に反して、少女はさらに怒りをぶつけてくるでもなく、目を伏せて顔を赤らめた。
「あたしが小さいのがそんなに変かよ、面白いかよ……」
「!?」
「あたしだってもっと身長、欲しかったし。成長期がまだ来てないだけかもしれねえし」
よく見れば涙目にさえなっている気がする。
接し方が分からないとはいえ、さすがに他人を泣かせるのは人として良くない行為であろう。それにしても、見知らぬ男に下着を見られることよりも低身長を指摘されることのほうが彼女にとっては許せないことなのだろうか。
「まだ何も言ってないから! 俺は小さくても可愛くていいと思う!」
「はあ!? おまっ……そういうことは簡単に言うもんじゃねえ! 誰に対しても言ってんのか、それ」
「そんなわけないだろ……と言おうと思ったけど、大人の機嫌を取るためにしょっちゅう言ってた気がする」
「最悪だな、おまえ」
少女は冷めた目でこちらを見る。先ほどより鋭さが増しているのは気のせいだろうか。
絶妙に気まずい沈黙が数秒間だけ続き、先にどちらが口を開くかの状況が出来上がった。軽く言い争ってしまったものの、彼女は命の恩人であったことを思い出し、改めて礼を言おうと太陽が口を開いた瞬間。
パンパン、と拍手のような音が響いた。
「はいそこ、イチャイチャしないで。ケンカするために来たわけじゃないんだから」
距離の離れたところから姿を現したのは、またもや小柄な人物。シルエットと声からは性別が判別できない。仮に男だとしたら声変わりもしていないということになるであろう。
「
「知らねえよ。別に嬉しくねえし、イチャイチャもしてねえ。それにどいつも同じだ。あたしの身長がどーたら言ってくるのは」
「言ってないからね、俺」
出てきたのはおそらく男性だ。しかしこちらのほうが、少女よりも大きな衝撃を受ける。
まず、小柄とは思ったが身長はおそらく140センチメートルほどしかなく、この場にいる誰よりも小さい。仮に彼が太陽と同じ年齢だとしてもあり得ないくらいだ。中世的な顔立ちで、肩に触れてしまいそうなくらい長く伸びた髪もそれを強調している。
そして太陽としてはあまり馴染みのない、白衣を着用している点が気になった。そんなものを着るのは医療従事者くらいしか見たことがないが、この少年は医者には到底見えない。袖の長さが余っている白衣を引きずっている様子は、見ようによって子供がコスプレをしているだけになってしまう。
その見た目に反して妙に落ち着いた言動をしているのも、彼の奇妙さを際立たせている原因だと感じさせる。
奈須と呼ばれた少女は、やはり身長に対してコンプレックスを抱いているらしかった。そんなことも知らずに随分と失礼なことをしてしまったものだと、太陽はやや反省する。
「それよりも……君、危なかったね。僕たちがここを通りかかってなかったら、どうなってたことやら」
「それに関しては本当にありがとう。えーと、奈須さん?」
「むず痒い。奈須でいい」
「あ、はい……」
変わらずぶっきらぼうな少女・奈須が壁を作ってしまっているのを感じ、気さくに話題を変えるでもなく、肩身が狭くなっていくのを感じる。
「まあ、僕たちが
今度は静寂が訪れる前に、少年の方がぼそりとつぶやいた。
「はい? それってどういう…………?」
「君、もしかしなくても、普段からは考えられないくらいの不運に見舞われたんでしょ?」
少年が言う。
その通りだった。自身が幸運体質である自負がある太陽は、目の前で災害が起こったとしても自分は巻き込まれないだろう、という気持ちで野宿することに決めたが、目が覚めてからというもの不運の連続だった。まずは足が瓦礫につぶされていたこと、そしてお気に入りのラジオが壊れたこと、最後に地崩れに巻き込まれてしまったこと。
普段の太陽であればそんなことはあり得ないのだ。マッサージを受けたかのような目覚め、道端に未開封の電池が落ちている、くらいが丁度よいのだ。
こんな不運はあり得ない。
「僕はレイ、『塔』から来た医者だ。そしてこっちは奈須さん。比類なき『不運』の持ち主だよ」
そう、明確な外的要因がない限り、こんな不運はあり得ないのだ。