「はい。これが移住届と、その他諸々の書類だよ」
「おお、ガチっぽい」
レイは持ってきたファイルの中から次々と書類を引っ張り出すと、太陽の前に広げて見せた。どれもこれも文字がずらりと並んでいて、読みたくもない。読書よりも映画鑑賞派の太陽は、文字を見るのも苦手であった。
奈須もそれを見て太陽と同じように顔をしかめた。
「メンドクセーな。そんなん、あたし書いた覚えねえけど」
「まあまあ。太陽くんには、これはあとで書いてもらうとしよう。ささ、荷物をまとめたらレッツゴーだよ」
レイは太陽が寝袋を敷いていた場所まで車を運んできて、太陽はその中で話をしていた。というか、小学生くらいの見た目のレイが車を運転してきたのには腰が抜けるくらい驚いた。
「はあ……本当にあんたら、『塔』から来たんだな……」
太陽は非現実的なそれを受け止めるしかなくなっていた。
そりゃあ、数年前から願っていたことだった。自分の手元に招待状が届いて、楽園と言われるその地に足を踏み入れるのが。でもまさか、こんな形でそれが叶うとは思ってもみなかった。
招待状といえば、太陽の名が書かれた招待状は元々『輝きの星院』に届くはずだったのだという。しかし本人が出て行った後だったので受取人がおらず、差出人のもとへ帰ってしまっていたのだそう。
そこで、このあたりに物資を届けるついでに日野太陽という人物を探すというのが、レイと奈須がやって来た理由らしい。
確かに運は悪かったが、結果的に幸運に収まったのだ。これで良しとしよう。
「それで、本当に着いてきてくれるんだね? 太陽くん」
「ああ。すっげえ行きたい」
抑えきれない欲がうずうずと溢れ出る。表情にも出てしまっていたのか、レイはふっと笑った。
太陽は奈落に落ちた旅のお供たちと別れを告げて小さな二人と車に乗り込み、『塔』への歩みが始まった。
(よし。じゃあな、寂れた俺の旅生活!)
●
同時刻。
「ふはははは!」
高らかに笑う男が『塔』を囲む町の真ん中に立っていた。つまり、『塔』の真ん前である。
「ここが『塔』か…………デカイな!」
中身のない感想が一帯に響き渡った。行き交う人々は変なものを見る目で彼に視線を向けるが、彼を見た瞬間、その奇異の目は別のものに変わる。
すらりと高い身長。艶やかに流れる銀髪。一般人と言うにはあまりにも整った顔。
おそろしく美しい男がそこにはいた。
見た目と中身の差異が大きすぎて、彼を見た者はそれを処理しきれず、ぽかんとした表情でその場を去っていく。しかし男はそんな人々の目線を気にするような繊細な人間ではないことは、十分に分かる。
「お兄さん。ここは限られた人しか入れないんですのよ。招待状はお持ち?」
通りすがりの婦人が男に声をかける。おかしな男に親切に教えてくれる婦人に対して、男は屈託のない笑顔で答えた。
「ありがとう、ご婦人よ。しかし心配には及ばない。古い友人がいるのでな」
そう言って『塔』を取り囲む壁に近づいていく男。そこには堅い金属で厳重に閉じられた門がそびえ、門番が構えている。
それって、招待状は持ってないということでは……? と首を傾げる婦人の前で、男は門番に取り押さえられた。
「なにっ、招待状? 持っていないが。友人がいるんだ、話を通してくれ門番よ! ……え、友人の名前? 忘れた!」
どう見ても怪しすぎる男はしばらくごねていたが、ようやく諦めたのか、とぼとぼとその場をあとにした。
●
数時間後。
太陽は奈須たちと道を歩いていた。
そう、道である。そこら中にゴロゴロと転がる岩や瓦礫もなく、地面に穴が開いているわけでもなく、植物が群生しているわけでもない。綺麗に整備された、正真正銘の道路だった。
そして歩く太陽の前には、見たこともない光景が広がっていた。
太陽が今まで歩いて来た瓦礫だらけの荒野とは全くの別物だった。
平地に連なる建物の数々。どれも欠けていないし、蔦が絡まっていない、表面がつるつるしている。
整備された道には手入れされた木や植物が生えている。緑の植物など、太陽の周りではあまり見かけなかった。
そしてその道を行き交う人や車。
「こういう『町』って、昔の映画でしか見たことねえ…………」
テレビっ子だった太陽はそんな感想しか出てこなかった。
孤児院にあった映画のジャンルは様々で、ヒーローもの、スポーツもの、学校もの。色々なDVDが倉庫に埃を被っていた。誰もそれらを気にする人などいなかったが、太陽は画面の中にしか無いかつての世界に思いを馳せていた。
そんな、この先の人生で見ることはないと思っていた景色が今ここにある。
「言っておくけど、ここはまだ序盤も序盤さ。『塔』の中はもっとすごいよ」
開いた口がふさがらない太陽に、レイは言った。
彼を信じてここまでやってきたは良いが、これから本当にあの『塔』に入れるのだと考えると、途端に緊張感が押し寄せる。太陽の夢への第一歩が現実味を帯びてきたのだ。
「なあ。俺、手ぶらなんだけど、このままでいいのか?」
太陽の手元に残ったのは、着用していた衣類と枕にしていたジャケットだけだ。これは割れた地面を落下するときにとりあえず何かに掴まろうとしただけのものなのだが、もしも奈須とレイが来ていなければ、太陽は伸ばした手にジャケットを掴みながら無様に奈落に落ちていったことだろう。
「ああ、大丈夫大丈夫。『塔』に入るのに必要なのは招待状だけだから。必要なものは後でいくらでも揃えられる。もちろんこれには君の荷物の弁償も含まれてるから、安心してね」
レイは緊張の真っただ中にいる太陽を置いて淡々と話を進めた。この言葉には太陽も安心したいものだが、逆に現実味が増してきて、ここが夢の中なのではと思い始めてしまう。
やがて太陽の目に見えるようになってきたのは、そびえ立つ灰色の壁。そして鈍色に光る堅い金属の門。
その奥にある、目視で端を視認できないような巨大な錐の建造物。遠くから見るよりもはるかに圧力と風格を備えた、人類の最後の砦である。